2016年09月24日

地上のみなさん、C U.

holoholo、無事(?)終わる。

人としての交流ができたかもね。みっちさんとも。今日の名古屋、27日の東京と上手くいくこと、祈ってます

タンバリン博士とも、今度何かやる、で決定。佳き邂逅だった。

楽器の方はライヴって、楽しいだけだろうと思うね。そしてその存在は「おいしい」あるいは「失うものに対して得るものの方が大きい」。おれも稀に、楽器だけのステージを経験するが、な〜んにも消耗しない。そしてフロントマンであったとしても、ギターがお飾りであるとか、コードだけ、それもきこえんように弾いとくなんてのも、また歌に専念できて、楽勝。

おれなんで疲れるかわかった(やっとか?)。プロデューサーでシンガーでギタリストだからだ。

昨日も1人で(ときにタンバリン博士・みっち)演ってるとき、ある曲のコード設定を変えて、Eのキーをカポ2でやって見かけDのキーでやってみようとか思った。がらっとlandscapeが変わる。ここは技術plusセンスの問題としか言いようがない。おれのアコースティック・ギターの場合の高速・難解アルペジオはかなり繊細なので、ただギタリストならこれまでの経験により、キーが、この場合は低くなると同値であるから、その際の対応はなんとなく感覚でわかるんだけど、ヴォイシングをイチから考えなくてはいけない。といいつつもイチから考えるなんて杓子定規なことはせず、ここも感覚でやる。緻密に詰めない分、現場で気を使うことが増える。

そういう実験をやりつつ、というか思い出しつつ、歌も歌い持って、タンバリン博士との会って即の共演なんてことに、そこはいろんなものが高速回転しているのだけど、だから、つかれるんだな、と。

1週間前もそうだったな。曲というのは「おれ」で、そこで幻想とその確認の作業が各プレイヤーによって一瞬ごとになされ、曲が進行していくわけで、幻想が真実であるという置き換えがなされているんだと思う。

まあ、すごく特異な立ち位置のミュージシャンであるし、技術的にも。おれのことだけど。一緒にやって、おれのプレイ(=アイディア)を観察した人には、何か「違和感」が残るだろうと思う。特にギターかな。そこに詰まってるアイディアが上手いヤツほど「なんじゃこりゃ?」となると思う。他の楽器なら、楽しいだろうね。インタプレイの嵐だしね。純ちゃんとはお互いそれのやりすぎで、自家中毒気味だったわけで。

だから、ライヴは大変「神経がすり減る」。それで「疲れる」。だれもそれはわかっちゃくれないだろう。それもよくわかる。だから、時々しかできないのね。

人との出会いは、そこですでに、「アイディア」なんだね。その形態が音楽のアレンジを決定すると言っていい。型は大切だが、型に溺れることはしない。そんなことでは脱国境はできないのね。タンバリン博士とはそこが意気投合しちゃったね。アイディアを音にすることの困難さと至福の裏付けは、誰もやってないことを手探りでやった者にしかわからないからね。おれはその値打ちはわかります。そんなことしかやってきてないから。TEXTのないことをやることもさることながら、評価するのは難しい。よっぽど頭よくないとね。会ったことがない、そんな方。お会いしたいが。

「60分世界一周」をやってきて、120〜180分かかるとこを60分でやるってのは「せく」から余計疲れるよね。これはリアル・アラウンド ザ ワールドとおんなじ。

で、精魂尽きて帰ってきたら、そこから3koreans、1finnish、5japaneseの襲来に遭い、サミの英語聞いてて何度も「オチ」そうになりながらも何とか堪え、7時に帰ってさっき起きたら、「遠藤-高安」をやっていた。相撲の世界も刻々と情勢が変容している。悪くないね。わかりやすい世界。

さて、ここからしばらくは何もできない。というかプライオリティの問題。12月の半ばまでは動けないかなあ。やっぱり、やり納めぽいね。それで構わない。go underground。エネルギーとアイディアを溜める。















posted by 浪速のCAETANO at 17:28| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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