2016年12月27日

邪悪のパワーに

じょじょに、今年が終わっていってる。

終わって、終わり、みたいな気がせんでもないけどね。新年は始まるだろうが、それがなんかめでたいか。とハスに構えてなんぼ、かな。

商業クリスマス、昔みんなそこそこおカネあったときなら、ちょっとしたプレゼント、それがあり得たけれど、商業クリスマスの文脈においておカネなかったらこりゃきびしいね。

いつだったか、前のヨメと、浄土宗・臨済宗ながらも北摂の高野台の教会にイヴにお邪魔したことがあった。にこやかに受け入れていただいた。なかなかに厳かやったよ。結婚式とかとは違う何か、ほんとの祈りかな、があった。

おれたちはもう最初っから「間違って」るのだが、間違いは間違いながら、ビンボーになることによって、キリスト教徒になるわけでもないが、一つのきっかけとしての「祈り」であるとか、それは正しく「平和」に対してでいいと思うのだけれど、そういう異教徒ながらも「何かの原点」に気づいて、それをおのれの立場で形は変われども実践するのがいいかもしれない。

しかし、無責任発言だとは十分承知の上で言うなら、宗教者(リアルな)の「邪悪なもの」に相対する際の心構えには恐れ入ることがある。おれたちはバカだから、相手の邪悪にダイレクトに取り込まれ、オリジナル邪悪の持ち主と同レヴェルになって終わりのないストラグルの世界へと引きずりこまれる。確かに「邪悪」は存在する。ふとした隙間から侵入してくる。中津にも在る。というかいる。

もう勘弁してよ、なのだが、Target lockedみたいな感じ。おれも邪悪に影響され邪推をするが、その結論が「意外に怖しい」。どう怖しいかは今後の展開を見ないと、邪悪にaffectされた邪推のあげくの話なのでね。邪悪は「あり得ない」ことを目論む可能性がある。どこからそんなパワーが、とも思うが、NEGATIVE POWERはバカにできない。

この都会の末端周辺部でもそんな有様であるからね。

だから、ふと宗教者のことが浮かんだんだね。邪悪を前にした宗教者の振る舞いとは、その現実対処とは。

邪悪に満ち溢れてきているのが実感できる。こんなことは「おれの周り」では珍しい。邪悪とそれがもたらす悪意。そんなものが栄養になるタイプの人間がいるんだね。エネルギーは「役に立つ」ことに使おうよ、などという提案は逆効果。こわいこわい。

そんな際の宗教者の振る舞いよ。

邪悪は他人のストレスを栄養にする。ISの戦術はまさにそうだった。そしてそれが周知されてしまった。この後の世界(リアル世界からこの末端周辺の街まで)を決定付けそうでいやーな感じ。born to be Canaryとしてはよ。抽象性がなくなってきたね。他人事ではなくなってきた。

世界は太く・細く繋がっている。複雑系ながら。

























posted by 浪速のCAETANO at 09:26| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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