2018年02月21日

金子兜太さん

金子兜太さんが亡くなった。98歳だった。R.I.P.

さまざまな形容がある。朝日は前衛俳句運動の中心、そんな言い方。

おれなら「Punk俳句の重鎮」Frank Zappaのような、と言いたい。

金子さんは寺山やうちのお袋たち(堀内薫門下の)による高校生全国俳句大会の選者でもあった。もう65年ほど前の話だが。(結果はお袋は7位・1位は寺山修司)。

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金子さんはPMのことが大嫌いだった。なんかさあ、98歳の人生の大ヴェテランにしたら、35歳ほども下の人間などのほざく事の中にある「稚拙さ・狡猾さ」が我慢ならなかったのだろうことは想像に難くない。歳が下だからというわけではなく、そこが根拠であるところの稚拙さ・狡猾さね。歳だけが根拠なら中津の土人老人とおんなじである。いらんこと言うた。

そう「、いらんこと言う、」がおれたちの日常なんだよね。言葉で埋めるべき空間は死ぬほどある。かつ沈黙が「怖い」現代人がいる。で、ゴミみたいな言葉が溢れることになる。ゴミであるから臭う。ウンコの川を泳いでるようなものだ。

俳句の世界は真逆のヴェクトル。おれは門外漢だが、句は読む(詠むではなく)。

金子さんと長谷川櫂さんの選ぶ句は好きだった。人が出る。選ぶことも俳句である、といういことね。お袋が再開したお弟子さんたちとの句会の意味はそういうとこにもある。だから出来るだけ長く続けていただきたい。

いいな、と思うのは削ぎに削いだ作品であるから、その最終的な「詩」は色褪せ難い。サステインが長い。俳句も詩の一種ね。音楽と比べるとそこは分かりやすいかな。メロディだけではなくバックの音に乗っている「歌」はバックの音のアウトオヴデイト化という運命は避けられない。現実にそこにあるだけに厄介である。

句は、そのバックになる音を読む側が付けることができる。付けなくてもいい。

共犯的。

ご冥福(ご浄福)をお祈りしたい。お袋も間違いなくそう思っているだろう。









posted by 浪速のCAETANO at 13:48| 大阪 | Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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