2018年03月13日

官僚たちの抵抗

今回の公文書改竄は「日本書紀」のことを想起させる。

多くの方には「は?」だろうけれど。

白村江の戦いに惨敗し、時の天子・サチヤマが唐の捕虜となり、唐・新羅連合軍に「占領」された九州王朝(倭国)の大皇弟であった大海人(天武)が、倭国には応援を約束しておきながらそれは見送り、消耗すること一切なく、どさくさに紛れて九州から遠く安全な近江に都を作った天智〜弘文(大友皇子と言われているが即位してる)ラインに対する、正統の側からの皇位の奪還が「壬申の乱672」なのであって、天武として即位した後に、倭国とは「異なる政権」であることの(唐向けの)証明として近畿王朝の「歴史」を編纂を命じたものが「古事記」でもあり「日本書紀」でもあるのだけど、古事記の場合には九州王朝の傍流であった近畿の大王の歴史の中で共通の神話・説話(出雲〜九州王朝のそれら)プラス近畿独自の「牧歌的歴史」の混淆したものであったのだが「封印」される。古事記は「たまたま」発見されたものである。しかもそれは江戸時代のこと。それに古事記は712にできたもの。割と時間かかっていない。

通説では天武は天智の弟ということになってるが、当然それはウソで、天武のほうが「年上」。天武は九州の天子の血を引く、超高貴な出。だからか、天智は天武に自分の娘を2人嫁がせている。太田皇女と讚良(持統)である。で、それにひきかえ天智といえば、、、、、。九州から派遣された百済系の財務官僚・蘇我氏による律令制移行への反乱がいわゆる645の大化の改新(単なるクーデター)なのであって、それは言葉の使い方間違ってて、そもそも大化の改新とは《明治維新》という言葉の成立のために「明治政府によって」創り出された言葉であることはよいこのみんなは知っとかなあかん。今の言葉で言うなら「抵抗勢力」だったわけ。中大兄皇子も藤原鎌足もね。藤原は「馬の骨」なのよ。645のことだから昔からその言葉はあり、事実もあり、なんて理解が100000000人ほどだと思うけどさ、何遍でもいうけど。

さて、古事記が封印された理由は明らかで、天武の近畿王朝になってから二代目か三代目の元明の時(天武の嫁の持統の即位は?だから)、武器・書物を持って日本中を逃げ回る九州王朝のかなり位の高い人々に対して「今、降伏したら許してあげるよ〜」という御触れを3度に渡って出している。元明は「奈良遷都」を敢行した天皇(詳しく言うと天武・持統の子である草壁皇子(病死)のヨメ)である。遷都は710。そこで手に入ったものは武器の他に九州王朝の「見事な歴史書」があったのね。そこには「煌びやかな」九州王朝の、その部分は近畿の豪族の一部も共有していた、アマテラスの命を受け、壱岐から天孫降臨(@博多)した後の短い間の歴史だけではなく、近畿の王朝が知りもしなかった九州王朝の栄光の歴史がつぶさに書かれた正史の書があった。その書物名を「日本旧記」「日本世記」という。

そこには歴代中国王朝も知らない歴史が描かれていた。で、それを「拝借」という方針が決まった。古事記では「不十分」ということになった。で封印。だけど、近畿には次の歴史書のための大した書き手はいないわけ。では誰が書けと命じられたか。

九州の歴史・文字官僚しかそんなことはできない。でね、意に反してそういうことをやらされる。わかりやすいところで言うなら景行天皇の九州征伐の話。それは九州王朝の初期の英雄の九州全土の討伐の「主語の書き換え」だし、もちょっとわかりやすいのは神功皇后(応神の母)だが、彼女が行ったことは「卑弥呼(ヒミカ、ね)」と「倭与」の二人がやったことが振り当てられている。時代がだからむちゃくちゃ。さらにちょっと「豪傑過ぎる」のね。お○んこに岩を当てて、応神産むのを「我慢」し、新羅征伐を敢行した、とかさ。つまり「魏志倭人伝」を盗用してるんだけど、それを読んでたのは近畿の人間か九州の官僚か、となればおそらくクソど田舎の近畿にはそんな「インテリ」おらんやろ。ということになる。

そのとき初めて知って、強要したであろうことは察しがつくよね。

で、辛かったと思うよ。九州王朝の栄光の歴史を全部パクられるわけだからね。

古事記になくて日本書紀にある事柄「すべてウソ」である、でいい。

しかし、ギリギリの「抵抗」が見受けられるのね。日本書紀には「不思議な書きよう、が頻出する。「一書に曰く」という文言なのだが、要するに原典を明らかにしていない。そりゃそうよね。それは九州王朝の史書なのだから。そこが主語の置き換え、差し替えの部分なのだけど、かなり多い。そんな中、ほんの僅かな箇所で人目を盗むかのように「日本旧記に曰く」とある。「やったね、九州の!」

そこに彼らの意地がみえる。日本書紀の完成は720年である。今からちょうど1300年前。「日本書紀1300周年」なんてことを言うようなヤツがいたら一切信用しないほうがいいよ、そいつのこと。

今回の近財の「元の文書」での官僚たちの、まあ「責任を負いたくないとか保身」の意味もあるだろうけれど、物事の推移を「できるだけ正しく」「ありのままに」残そうという意味では相似だなあ、と思ったのね。

正しくないことが進行する上での「とりあえずの抵抗」。その、とりあえずに、整合性が欠いていても、欠いていればこそ、後々、真実が暴露される可能性を残す、ということね。「小さいが爆弾」。

新日本国の正史は天武の当初の思惑とは異なり(死んじゃったからね)、持統に取り入った藤原不比等が「藤原氏」のための(それは信仰・禊・祓という形而上学的なるものも込みの)正史と成ってしまった。九州王朝の匂いはできる限り封印された。それは8世紀の日本を見てみたらよくわかる。天武の子・高市天皇が高市皇子であったり、長屋親王が長屋王であったり。わかりやすいね。天武的なもの(まあ血だが)をいかに薄めるか、に全精力を投入したことがよくわかるのね。右翼の原点、こんなにお粗末なものなんですが。


セメント屋の人G20には欠席するらしいから、そこで辞任だろうね。もう一つ上まで行くにはどうしたらいいんだろう?みんな、「誰が」はわかってるのにね。支持率の急激な低下かな、まずは。






posted by 浪速のCAETANO at 15:40| 大阪 | Comment(0) | 古代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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