2018年12月25日

Natal(x’mas)という名の、、、

Feliz Natal ;
Feliz a dia da Paz do Mundo!

クリスマス、っていうか
世界の平和を祈る日に!


クリスマスごときは今振り返れば、ハロウィンの大先輩でコマーシャリズムに満ち溢れた戦略におれも若い頃は浮ついて乗せられてた。アホだったからだ。女子たちにプレゼントを配って回り、そして「その年の本命女子」は一番最後なのね、で晩メシ食べて後は、、、、、。そんな20s〜30sだった。まあ早い話、キンタマ元気だったのだ。カネもあったし。身も蓋もないね。

その後(だいぶ端折るけれど)39でTodo O Mundoを始め、それが嵐の船出となったため、そっちへの比重、ぐっと増えて、良かったのか悪かったのかよーわからんが、「寄り道こそが a vida」であり、まあそれもいいんじゃないの、で、その時までの流れのままにややふやけがちのa vidaだったかなあ、だったみたいなのだけど、クリスマスもまたそのような、だったのだけど、ある時、おそらくアメリカと資本主義の暴走を感じてこりゃマズイよ、なんぼなんでも、と思ったおれは曽根崎の後半ぐらいから「X’masはすき焼きの日」と決めてしまった。今日は店定休だったから、明日。でも、あんまり来なくていいよ。めんどくさいから。でも、どうしても商業クリスマスにはなじめんが、なんかやっぱりちょいと寂しい、そうなら来てくれて構わない。


で、本題はここから。

もうこれも数年言うてますが、キリスト教のなりたちであるとかその世界へのメーワク度であるとか、もうほんま鬱陶しい。だがそれは功罪で、こんだけ「in common」な認識を世界中で持ててる「1日」もないよね。みんながクリスマス、という認識。これキリストの「誕生日、とされた」日ですから、まあ眉唾なんだが、一度コマーシャリズム経由であったとしても(特に東洋は)、かつて「クリスマス休戦」という言葉があったでしょ、もうなんでもいいから戦争の真逆の概念の日があってもええんちゃう、って認識、それがいい、と思ったのね。そう思えば、年末の、ある程度誰もがいろんな感情持ちつつ意識する日をそっちへskewさせていくのって意義がある。だってもともと、おれたちには「カンケーない」日であるから。「世界平和の日」でいいのではないか。ここは細かいことは言わないの。もうキリストさえも「霞んでしまってる」んだから。大方が仏教徒でした。仏教徒とも言えん、ええ加減な(だが柔軟で寛容な)宗教観のおれたち。

再度:

Feliz Natal ;
Feliz a dia da Paz do Mundo!

クリスマス、っていうか
世界の平和を祈る日にFeliz!
posted by 浪速のCAETANO at 04:12| 大阪 ☀| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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