どーでもええ感じ。
ちょっと掃除をしている。一部。身体を使うこと、ほぼ身体だけを使うことも「やや」新鮮。だが、ある範囲を超えるともう大変になるから一部だけ。kitchenまわりだね。放っておくとエントロピー増大の一途を辿るので(辿っていた)、そのエントロピーを極小にする。最小じゃないとこがミソ。そういうのは能力的にムリなのである。
国のエントロピー、ところで、極大化してる。あるものを取り除けばまだなんとかなる。これまでの「mal-decision」をひとつひとつ覆す作業はいるが。最低でも「同じだけ」の時間が要ると思うが、実際はもっと要ることを思えば「元に戻る可能性」があったとしても5年は掛かる。となると10年か?生きてるか?おれ。
そんな時間帯。
だからもうあんまり希望がない、のだけど、こういうこと「新年」を前に言わない、ってのがこちらの国の空気なのだが、知るか!
あのね、まずは(第一義的には)おのれの人生にconvertして考える、って普通だろ?
で、そのあと、社会のことを考える。
すごい逆説的なことを今言っている。ほんとはおれの中では順番逆なのね。empatheticであるということは、それだけでも十分社会的なのだが、それがnon-empatheticのバカたちに踏みにじられるから、ちょっとムカついてるのね。
いやほんま、ムカつく。
これが、以前なら年が変わるということで「水に流せ」圧力がどこからかかかってくるのがこちらの国。これでなんか誤魔化され続けてきたんじゃないの?おれたち。
もうしかしこの10年ほどでHierarchieが固定しちゃったねえ。もういっそ固定でいいのでは。硬く硬く固定するなら、いつか「脆く」なるかも知らんしね。
おれはもう「無産階級」のfreedom を享受していくのみ。突然生き方変わらんのよね。持ってる資産は変わっても(減っても)。
金持ってても「いい死に方」ができるとは限らんよ。へへへ。まあみなさん、明日からの2019、どえらい悲劇が待ってますが、繋がれるところがあれば繋がってなんとか生き延びましょうね。今年はなんとか‘ve survived.
今年、Todo O Mundo、すっぽんぽん’ズ、ザ モルモッツ、marutanikaz y Sentimiento’18に関わっていただいたみなさま、Muito obrigado!
来年も、Todo O Mundo、すっぽんぽん’ズ、ザ モルモッツ、marutanikaz y Sentimiento’19をよろしくお願い申し上げます。
おれは来年は「録音→リリース」の年にしたく思ってます。itemはそれこそ、varietyです。
ではおのおのがた、良いお年をお迎えください。松の内明けるぐらいまでは普通の「平穏」を祈っております。