2019年02月17日

地獄の一丁目で

Democracy Partyの時代が「nightmare」だったとして、じゃあ今はどう言う形容だいいのか?

現実の、リアルな地獄の一丁目、ではないのか?

最近人付き合いが難しくない?

なんかイヴェントがあるよ、といってもみなさん、明らかに「生活に追われている」。生計を立てること、まずそれが1番。遊び人が激減している。

おれはこれは間違いなく新自由主義のせいだと思ってるし、それを安易に、言葉を変えて進めている現政権の罪は罰せられるしかないと思う。

本当に酷い。だが、それを見ぬふりをしつつ近視眼的に足元だけを見て生きてる人の何と多いことか。ちっちゃくちっちゃくなってしまってる。『羊』であるね、たとえるなら。不憫である。

大きなお世話だろうが。だけど、もうキミたちが見ようとしていない社会の根幹の破壊はどんどん進んでいてさ、もうすぐ見ようとしてこなかったことが見えてくるよ。いやでも視界に入ってくる。もう無理なのね。無理なのよ。一度激しく壊れてしまうしかないの。

21世紀の20sは大変な時間帯になる。おれはそのdecadeを生き果せる気がしないし、その自信もなんか、ない。自分が死ぬということは自分にとってその後はないということ。意識も夢も現実もないということ。まあ当たり前のことを言ってるんだが。そこに関して、しかし、positive 、negative どちらの感情もない。というか、どーでもいい。むやみに死のうとは思わんが、まあ自然に任せようとは思う。

あんさ、今2019。これが2059とかになれば、ほとんどの知り合いは死んでるよ、皆さん。

死は生の最終段階。死は生に「含まれる」。ただ、その後は状態としての死。そこから先は自分の力じゃもうどうしようもない。潔く諦めよう。dieとdeadは全く異なる。自分の責任は「die」まで。おれもいろんな大事な人間に先に逝かれた。順番だね。

明日はまだだが、30年後はない。不思議な気もするが、それは「リアル」。最近、名声とか、ほんとにどうでもよくなってきた。生活をし続けること、それがなによりも大切だ、と思う。この「戦前」を生きるだけでも、大したものだと思うよ。これは今生きてるひと全員へのyell でもある。

まあ、生きれるだけ生きましょう。それを邪魔する環境だらけだけど。それ、張り合い、にはならんかな?

わかんないが。
posted by 浪速のCAETANO at 22:24| 大阪 ☀| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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