2019年02月18日

Obrigado!

周年パーティーにお越しいただいたみなさま、どうもありがとうございました。
ユルいまま始まって、徐々に熱を帯びて、なんか最後は面白かった。なんとなく始まった「キング→マルタニ→ カオリーニョ→キング→マルタニ→ カオリーニョ、、、、、、、、、、、、、、、、」と続く「円環式」の演奏リレー、面白かった。2〜3曲づつやっていくのだが、人の曲に音楽的チャチャ(演奏参入)入れたりして、なかなか思いつきでもないんだけど、だがナチュラルに「あ、これ、ええな」とおもったのね。

またいつかちっちゃな店で、是非やってみたい。別にうちでもいいけど。

肩の力を抜くと、いろんな「世界が」広がるね。そういう発見もあるから生きてて楽しい。どーせ死ぬんだけど。

であるなら/あるから、自分の能力の発現のためのアンテナ錆びてたらクレ556しょっちゅうやっとかなあかんな、とも思った次第。

おれも今年初めて「ギターを弾いたし、声を出した」。この時期はどうもしょうがないのだけどね。まず「生存優先」。生存〜生活のレヴェルと音楽状態はちょっと次元が異なる、とは常々思うところではある。だがそこは「クラインの壺」によって、ハタからは見えづらいが「おれという実存」を介して繋がっている。というかおれ自体が「クラインの壺」だった。みんなもそうなんだよね、実は。

バカ(サルともいう)たちがよってたかって社会の土台を破壊しているからもっともっと何かすることが難しくもなり、人によっては生存そのものがかなり難儀なものとなることが論理的に考えられる。ただ、最近よくいうが、肌感覚、として、オリンピックが非常なる「逆効果」でもって、おれたちの今遭遇している状況をさらに悪い方に加速させるであろうことは、感じてる。1964の近代化のキッカケとなるオリンピアードとは異なり、単なる金の亡者がハエのように集るウンコ「運動会」に成り下がってるのをみんな気づいてるはずなんだけど、馬鹿の一つ覚えの「経済効果」などというわかったようなわからんような言葉を信じてる(フリ?)。その間にどんどん「戦前化」が進行してる。secretaryが望月さんにやろうとしていることはかつての「特高警察」の手法でもある。記者会見なんてその醜さ、言論弾圧の具現であるのは、youtube 一回でも見たらわかる。

小沢くんの最後のお務め、に期待する。もう一度「国民の生活が第一」の時代に戻りたい。

あれは「オマエら」とっての悪夢なのであって、おれたちにとっては今が「地獄の一丁目」だよ。一丁目から五丁目までは中津みたいに距離感のない世界よ。路曲がるだけで次の丁目であるよ。

Todo O Mundo は中津に来てこの10年は存続できた。今度の10年とかあまり考えたくもない。いや、21世紀の20sはもうどエラいものがおれたちを待っている。ここ、もう疑いの余地は、ないのね。無駄な努力(それも楽しいことを削って)してる方いっぱいいらっしゃるが、それ、ホントに「無駄」よ。目の前に来ないと、わからんと思うがね。あんまり同情はしてないんですが。そんな人には実は音楽も「必要ない」からね。だって「覚醒」したくないわけだから。クイーンとかオアシスとか聴いといてちょーだい。似非音楽もどきに囲まれて生きていって下さいね。似非はもう氾濫してるから、それでいいのでは。あんまり交わりたくないからね。

これから10年のことを思う時にさらにselectiveにならざるを得んな、おれの好む好まざるにかかわらず、そう思う。まあそう言いつつも「開いてる」人間なのだけど、おれ。

まあこんなんですが、いつまでとも言えんが、今後ともTodo O Mundoをよろしゅうに。


posted by 浪速のCAETANO at 04:57| 大阪 | Comment(0) | TODO O MUNDO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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