2019年03月05日

思い上がり

ヒトはどれだけエラいか?
例えばある動物(豚くんになるだろう)の胚に膵臓になる部分を取り除いておいて、そこにヒトのまさに膵臓になるゲノム(だろうね)をセットし、ヒトへの移植のための豚くんを創る。

な〜んか思い上がってきたぞ。

中国のあの医者というか科学者というか「遺伝子操作」された子ども「創っちゃった」もんね。

あのね、誰が、というか、何処にそういった「需要」があるのか、を考えてみたら、やっぱそのぅ「くそ金持ち」ではないかな。

一部、欠陥を持った子どもたち、なんてのもあるかとは思うが。

現在のような「あれよあれよ」といってる間に「極めて流動性」の低い社会になったあげくに、そのような「恩恵(と言ってもいいのかな)」を享受できる者は「超富裕層」に限定される、というのは事実だろう。

それは純粋に「恩恵」なのだろうか?それって「喜ぶべきこと」なの?

ひとつは、神の領域へと「先っちょだけ」入ってる、ことにはならんのか?いやそれには神の領域に入ったらあかんのか、いいのかという前提があるから、そこまだなんとか言える段階でもなさそうなんだけど、であるからこそ、それに関する「倫理」が話し合われてなく、そのissueさえも絞れてるとは言えん段階であることへの自覚が足りんと思う。

「なし崩し」がなされがちな今、ではあるけれど。そうなるのだろう。「ちょっとだけ〜」をちょっとだけづつ。いつの間にやら、奥までズッポリ。ヴェテランのナンパ師みたいな。

おれたちは「思い上がってる」と思うのだが。おれたちの中に「おれ」はなるべく入りたくないけどね。最近のおれなら大丈夫。

もうね、経済的運命はさっき、「流動性がない社会」と述べたようにもう運命は「決定」しているのね。もう、あきらめましょう。今ビンボーならもう死ぬまでビンボーです。今そこそこイケてるヒトは徐々にその経済的地位が下り坂を下り、それとその方の寿命との「せめぎ合い」ですね。モつことを他人事ながらお祈りしておくよ。これは「本音」。おれは他人の不幸を喜ぶほどこれまで不幸には生きてきてないから。何よりも社会には「幸福な」ヒトが多いほど、その社会の強靭さが増すのであるから。

でね、そこそこの人たちの社会とはまた異なる「既得権益層」というのがあって、そこではもうなんだかようわからん、倫理と論理で物事が動いていってる。そういう需要にミートするのだろう、豚くんとかは。

それを「グロい」と思うのがノーマルな感性だと思うんだが。確かにグロテスクである。おのれ単体の生命のために他の「複数(おそらく)」の生命を敢えて犠牲にする。えーっと、おれたちは冷静に考えればスーパーで肉を買うということ自体がそういう側面を持ってるけど。今「敢えて」と言いました。それ以上に、さらに一歩踏み込んで、他者の生命を「利用」することへの「ためらい」をいざという時に持てるかどうか、が本当の意味でのおれたちの矜持を保てるかどうかの分岐点だとおれは思うのね。

社会的地位と人間の値打ちはまた別種のこと。


本日、今年度の早起き納めで京阪特急も乗り納め(寝納め)だった。油断して、正門前の回転寿司でビール飲んでいたらバスに乗り過ごす。天気がいいから15分ほどかけて近鉄まで歩く。気持ちよかった。

帰ってきて今日の午前の参院予算委員会を見たらまた呆れている。「予算」委員会である。莫大な予算がもう決定事項として辺野古埋め立てに使われている。ところが、いつ終わる?どんだけかかる?という質問に政府は「答えられない」。県民投票の期間、その結果を見たとき、どちらも土砂投入は「一旦停止」されなかった。「真摯に受け止め」「県民に寄り添う」もう何度も上滑りする言葉を聞かされ続けている。「口だけ」に慣れてしまっちゃいかんのに、慣れてしまっている。籠池ちゃんの裁判も始まる。この、中身は空っぽながら、その権力は安泰という奇妙な状況、独立したてのアフリカの(ごめんね)国のような国がこちらの国、なんだね。ここもまた真実ではないかな。事実とかのレヴェルを超えた「真実」。

こういったことと、豚くんの運命は深いとこで「こんにちは」してるのが見える?見えない?どっち?
posted by 浪速のCAETANO at 15:59| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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