2019年04月03日

お万葉集、突然の注目

突然の「万葉集」focusだった。
なんでもかんでも「受け入れる」人たち。ほんとに「支配が簡単」。

なんでもかんでも「乗っかっとこう」かな。批評という言葉はこちらの国の人々の辞書には存在しない、かのようである。

各方面からの歌が散りばめられている。

「嘘」です。

万葉集は日本書紀と構造が似てる。

共通点は九州の作品の作者名を奈良の人物としてるところ。そして、したがって全国の〜など言われながらも、九州の歌がほぼない。何よりも、7世紀後半の最大の出来事「白村江」の歌がない。縁起でもないからか。そうかもしれない。だけど、載ってる歌が詠まれた時代は、史上最大の「権力移行」の時代。

柿本人麻呂。

なぜ、日本書紀に彼の名がないのだろう?

彼の詠んだ「吉野」、なぜ奈良の吉野の風景と「違いすぎる」のだろう?

柿本人麻呂が一番わかりやすいのだが、彼は「九州の歌人」。


太宰府もまたfocusされている。そこ、ちょっと歓迎している。

今は天満宮ばかりが注目されてるけど、じゃあ天神て誰?何?道真じゃないよ。じゃあ、誰?

天神の天て「アマ」とも読めるけど、すっと頭をよぎるのはアマテラスのアマだと思うけど、じゃあアマテラスのことなの?

そんな疑問が少年少女のアタマに浮かぶことを期待する。

そしてもうちょっと進んで「政庁跡(都府楼跡)」「紫宸殿」という地名や政庁跡を囲む山城跡の存在。

紫宸殿の意味とは?太宰府の太宰の意味とは?

なんでなの?そんな疑問、歓迎してる。

奈良の人々に憧れをもって「遠の朝庭(とおのみかど)」と呼ばれていた太宰府。

浮かれるのはいいんだけど、浮かれの根拠をちょいと考えてみるのもいいかも。いい機会だけどね。




posted by 浪速のCAETANO at 10:02| 大阪 ☁| Comment(0) | 古代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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