2019年04月05日

挑発

イチローが福本と同じような理由ならええな、と思うのだ。
「その辺で立ちションでけへんようになる」だった。

JOCのバカ親父のバカ息子が、「聖徳太子が元号使ってたやんか」

それに対して、「その時代は元号ありませ〜ん」と、批判。

なんというか、二回捩れてるからさ。

初めの皇室系のアホには、日本書紀を「焚書」することを勧める。

後のアホにも、あ、やっぱり日本書紀の「焚書」。


諸悪の根源、日本書紀。

こちらの国の人たちには真実はso far awayである。嫌な感じは、来年が「偽書完成1300年間」てこと。pm一味は必ず、それを言い出す。

偽書。一番わかりやすいのは卑弥呼と壱与が神功皇后になっちゃってることである。当然、古事記にはその記載はない。当時の列島の人物で最大の有名人、それは卑弥呼と壱与だった。その2人が史書に載ってないのはマズい。で神功皇后(おそらく実在、オキナガタラシヒメ)にその2名の役割を担わせたんだけどもその結果、年代的にはちょっとムリね、な結果になってしまってる。

いや、だからその有名人を史書に登場させないことには唐が信用してくれない。許してくれない。ほんの今出来た国の「正統性」に関わる「それこそ一大事」だったのね。

卑弥呼と壱与の遺跡がよくわかんないのも実はそれが原因なんです。もっと言うなら神功皇后絡みの遺跡、だからとっても多いのだけど、それらの「どれか」が卑弥呼の墓です。

おれは香椎宮だと思ってる。この辺、ちょいマニアックだからみなさんついて来れんかもしらんが、「親魏倭王」の金印もその近辺で見つかるはず。

邪馬台国近畿説とか、はははは、サル!で終了である。

まあ、そんなんはおいといて~。

神功皇后の「三韓征伐」.ナショナリスト喜びそうだけど、もちろん嘘で、真実は高句麗・新羅連合軍vs百済・倭連合軍の血みどろの戦い。

卑弥呼は2〜3世紀、壱与は3世紀後半の人であるし、前述の血みどろの戦いは4世紀末〜5世紀、時代はズレすぎ。半島絡みの事だったから唐は「見逃して」くれたのね。

ちょっとナショナリストを挑発。

日本書紀の黒幕は、実は「唐」ですので。アタマに来た?

もっといっぱいあるよ。今日は辞めとくが。

日本紀(日本書紀のことね、間違いじゃないのよ)自体の偽書の証拠のメインパートは「まずそこ」だからね。

最後に、元号は「ありました」。聖徳太子は、大したことない「そんなひと」はいましたが、その人たちの周囲には、元号なんて、考えも及ばない、そんな環境でした。

日本紀の成り立ちに疑問も持たず、センター試験の正答を競うようなそんなレヴェルで発言するの、恥ずかしいね、とってもね。






posted by 浪速のCAETANO at 15:51| 大阪 ☁| Comment(0) | 古代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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