2019年04月17日

Flex

ノートルダム大聖堂が焼け落ちる、とはこちらの国でいうなら法隆寺の火事により五重の塔が焼け落ちる、に喩えられそうである。
高いものが崩れ落ちる、とは衝撃的かつ象徴的だもんね。おれたちは2001を絶対に思い浮かべるはずである。

木でできていたのが少し驚いた。だが、あの高さだし全面完成が13世紀というからさもありなむ。

上から何かが落ちてくる、におれたちは弱いのかも。

宇宙を構成する力のうち、最も小さいのが「重力」なのにもかかわらず、である。

おれたちの常識は宇宙の非常識。環境が異なれば、仕様も異なる。そしてその環境の大小に関わらず、おれたちは等しく、影響を受けている。なんてたって環境であるから。その内部でしか生きられないのだ。不憫だね。

不憫だが、「抜け道」はあるみたいである。狭義には顰蹙買う、かもしれないが、そういうことするのがinovative なのかも知らんよ。

AIの功罪、色々言われる。いろいろ予想もある。おそらく、悪い方の予測に現実は寄り添っていくとは思うが、おれが思うに前述の意味でいうなら、inovationから最も遠いもの、それがAIではないのかな?逆説的ながら。

AIが出来ることって「sharable 」、つまりみんなに行き渡ること。共有出来ること。このオープンソースの時代にそれはタイムラグこそあれ、みなさんのもの、になる。そこで小銭セコく稼ぐ人もいるでしょう。だけど、継続しないでしょう。模倣犯はそれこそ雨後の筍ではないか。

AIがいくら隙間を埋めても、階段の段差をminimize したとしても、それでもそこに対応できる人間がいるのではないか。おれはバカ欧州車15台乗り継いできたが、つまり14回乗り換えたが、feelの違いにいつも大抵、「うーん、もうっ!」と思った、がひと月もせんうちに、「勝手に身体が」順応していた。

世の中というのは、人間が柔軟になれない際に、それに機械や設備が対応することで発展(リアルなinovationから大衆化まで)してきたのではなかったか。

おれはハナから別のレールにいたみたいな気がしてる。その究極であるAI万能時代が来ても構わんが、そこのニッチを見つけることも習慣化している。今後も「必ず」そうなる保証はないんだけど、なんか仕事が奪われるとか、そんなことでちっちゃくならんでも。柔らかさとか数値化はかなりまだまだ難しい、とおれは見てる。柔らかさを数値に翻訳するinterfaceというかそのソフトは実現化の難易度は相当高いはずなのよ。

タコとかクラゲ級のくにゃくにゃ、ふにゃふにゃが良いのでは。環境ってドラスティックに変わるんだから。あかんもんがええもんになってまたあかんくなって、もう一回ええもんになる。こんなことのくりかえしのくりかえし。そうこうしてるうちに寿命が尽きるよ、いやマヂで。
posted by 浪速のCAETANO at 13:02| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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