2019年05月08日

生ハムとルッコラの、、、

生ハムとルッコラのピザでも焼こうかと思う。

今、「ザ モルモッツ」の録音をしている。全7曲。やっと「録音自体の」調子が出てきた頃に、お休みが終わろうとしている。「そんなもの」なのだが、「考えながら」と「手でやる」の原則であるから時間がかかる。アレンジもだいぶ変えた、というか付け足した。

手でやる、からにはその演奏の根拠はおのれの技量ということになる。おれはなんでもこなすが、超上手いわけではない。だが、録音となるとアイデアとプレイの差、時間とともには極小となってくる。ここがおれの潜在能力なのだが、普段何%で生きとんねん?みたいな、自分に突っ込むこと多しだが、普段しょっちゅう開けるわけではない奥扉を久し振りに開けた、そんな感じだ。

誰に言うわけでもないが、いいプレイが出来た時は、いいワイン飲ましたろか、ぐらいの気にはなる。

みんな、録音ビギナーズであるからなかなか大変だが、健闘はしてる。が、理想へはまだまだ遠い。おそらく、よくある勘違いなのだが、シロートというものは「ウマさ」への憧れとコンプレックスの狭間で悶死することが多いと思われる。ウマさと良さはまるで別のものなのだが混同しがち。そこをうまく持っていくのがproducer のウデなのだが、もうちょっとかかる。作業自体はおれが90%。残りの10%が彼らなのだったが、「ヴォーカル」というのはやはり、大きい。今回それを再確認する。

まあ、がんばる。

これが終わると、female vocalistのオムニバスアルバムを作りたいと思っている。それも少しづつ録音を始めている。途中でハードウェアが変わるかもしれないが、テレコがおれは好きなので、併用になるか、と思う。実感も大変大事。「必要以上の進歩はno need」それが日々思うところであって、much too well-madeなものが必ずしも普遍性を持たないことはこと音楽に関してはよくわかっている。David Byrneも言っていたが、「何故、子ども時代のあのしょぼい音でおれたちは人生を変えられるほどの衝撃を受けたのか?」ということである。

録音の現場、再生の現場、ラジオの音。

ニッチが埋まっていってることも関係あるだろう。だが、最新の、というキャッチコピーはもう完全に胡散臭いわけで、そんなことよりも偶然の、意図しなかった化合物、とかのほうに興味がある。予定調和ほど元気のなくなるものはないと思うが。そうでもない人も多いことも知ってるけどね。死ぬまで「水戸黄門」見てれば。

5/21は最後のFandango 。今回は「片肺というか、残ってる肺も自然気胸ほどの飛行」に喩えられるが、まあ、Fandango は最後だが、おれたちは途上、そんな気でやろう、と思ってるよ。その準備はまだ半分しかできてない。まあまあ忙しい。

さあクイックランチ後、作業作業。
posted by 浪速のCAETANO at 13:05| 大阪 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。