2019年05月22日

また一つfin.

先場所、千秋楽で、貴景勝の大関昇進のまあ「咬ませ犬」役を演じさせられた栃ノ心だったが、本人は王関陥落でむかえた夏場所。

大関陥落した力士、最近はそのままズルズル行ってしまう。照ノ富士、琴奨菊。把瑠都もそうだったんじゃないかな。

おれは復活が待ち遠しい宇良、パワー全開の押しの玉鷲、パワー全開の四つ相撲の栃ノ心が好きだ、と公言しているが、その栃ノ心、八日目に遠藤の上手さにハマったが、昨日まで9勝と、大関復帰まであと1勝。奇しくも8勝目を献上してくれたのは先場所の因縁の貴景勝の休場による不戦勝というから、人間の運命ってわからない。分かりやすい分からなさ。先場所の今場所だからね。

もう優勝してよ、と思う。千秋楽はdt来るらしいしね。プロレスの興行主でもあったdtのことだからもっと近くでとpmに要求したのだろう。

なんでも「はいはい〜!」と聞くなよ、愚かな。そんなケツの舐め方、する方が悪い、と思うが。

dtを土俵に上げるのだろうか?

そうみたいだね。日本相撲協会は「old Japan 」の巣窟みたいなところだが、そこ右翼、一言あってもいいんじゃないか。

昔のPANAMのオヤジ「ヒョーショージョ!」はギャグとして面白かったが、dtはきっとなんか言うぞ、マイクで。「WWF世界へヴィー級チャンピオン」の表彰ぐらいにしか思ってないぞ。それは「見もの」だけど。

見ものだけど、そう思うおれも「倒錯」してる。その自覚はある。能町さんも文句言ってる。

それはおのれの国の「権威」を踏みにじられることを第三者的に見て暗く喜ぶっていうね。後味はかなり《bad》。

そんなことを躊躇なくやってしまう、あのおっさん。右翼の方、そこ「動かない」のかなあ?


不思議の国。



さて、最後の(おれにとって。店は7月いっぱい)Fandango 、5曲だったが楽しかった。あのステージに一緒に立った「死者たち」と、音の発信により、また遠いとこで繋がる・繋がらない、どっち?今ではないいつかその発信が、星の輝きが数万年後におれたちの目に届くかのように、誰か、あるいは全員に届くかもしれない。何万年かかろうが関係ない。そこでは時間は「無い」のだから。


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大阪のライヴハウスの中で唯一NYCのそれ、みたいだったFandango 。そこには根拠があるんだけど、まあ80〜90sの奇跡の一つだなあと思う。

おれはその奇跡が現実化する際に、現場に居た「当事者の1人」でもあるし、その様子を目撃した「証言者の1人」でもある。

ムーちゃん本人も時系列、混乱してると思うが、1st decade の最初の5年、そこにはまだウルフルズはいず、斬新な音楽的冒険を試行錯誤していたのはFandango第1世代のA Decade-IN FAKE、Pilipiliとカーリーショッケール、body、そんなやつらだった。ウルフルズは第2世代だね。そこから先は初動の困難さとはまた異なる困難はあったろうが、加速度はすでに着いてしまってるわけで。惰性というのは言い過ぎだが。

一口に30年と言っても、そこはもうおれも密な時代とそうでない時代もあり、だが最初と最後、ちゃんと関われたというのは納得もいくし、最後にバンドで出たかったけどね。

昨日、Fandangoからしいちゃんへのながれ、というのはもうこれで「ない」のだ、ということをまだ実感できない自分がいて、横に酔っ払ったムーちゃんがいて、なんというか、その重みみたいなものは後でその重さのまま自分の心に深く沈んでいくのだろうなと気づき、まだそこに至ってるってわけじゃないんだけど、その予感で酔えなかった。

確実に「終わりつつ」あるのだ、という、現実なのに予感としてしか受け取れないことへのもどかしさにややイラっときてた。自分にね。

それでも、自分の大事な何かがまた一つ終わってしまったことだけは、確か。


遠い結論
気をつけてドラキュラ(feat.すっぽんぽん‘ズ)
土曜を逃げろ
コンドル2
大快楽物質【E】



posted by 浪速のCAETANO at 13:23| 大阪 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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