リハビリ。
そして22歳。
いろんなことが「変わってしまった」。さみしいような、気楽になったような、やや複雑な心境。
22年前は、「小泉」さえも現れちゃいなかったのだ。
「変な」22年だった、と思う。いろんなものが壊れてしまい、そして奇妙なメンタリティに囚われるようになった。で、その奇妙なものの薄皮を剥いで見たら、「ああ、これって、、、、、、いわゆる、、、、、、『戦前』じゃん」とある時気づく。それが新しい意匠を纏って現れてきた。あまりにザックリだが、そんなことね。
そしてTodo O Mundoは地の果てに存在する。ここは地の果てアルジェリア。それなりに時代に翻弄され、格闘しながら今に至るのだが、曽根崎時代のお祭り感というか高揚感はもうない。なくっていいのだけど、あれは結局、疲れるのね。もう半分ぐらいの人はわかってるかも知らんが(わかってないかも知らんが)olympiardの後の「空虚」を想像して見たらいいと思うのだけど、ものすごく疲労感と空虚感だけが残る、お祭りの後ってそういうものだ。アニュアルなお祭りだったらサイクルになっちゃってるので、はいまた来年までさようなら、でもあっという間にまた来るからね、そうなるが。
「低値安定」が落ち着いたとこだった。店のサイクルも人生である。春夏秋冬だ。秋が長〜い場合もある。
まあ、これからもユル〜くでいいので、よろしくお願いします。
さて、こちらの国の内閣、「火遊び」が過ぎるのではないか。ちっちゃなプライドを満たすために、ご近所との関係を悪くさせている。国は「引越し」できないんだけどね。「外交」をする能力はもちろん、その動機さえもないのだなと、よくわかる。そのツケは高くつくと思うよ。
もうひとつ。米メディアでの発言;
「貧困の原因は個人の素行にあるのではない。
日本を見てみろ。
みんな真面目に働いてるのに、あんなに貧困すごいぜ。」
どう思う?