2019年11月05日

倫理観は「倫理」「道徳」ではなくて〜

2000年以上、皇室が続いているとか「真っ赤な嘘」をtvで広めるのはやめた方がいいな。

その嘘は「真っ赤すぎる」から。

続いてるとするなら1300年・と正しく言おう。

最近は教科書にも倭王・武を雄略に当てる、というそんな無茶が載ってる。日本史の試験で「倭王・武=雄略」じゃないと間違いになるわけ。バカもいい加減にしとかないとね。生年も没年も異なるふたりの人物を同一人物って、「は〜」だね。呆れる。

近畿の豪族と倭王は全く別だし、関東の「獲加多支鹵」を、ワカタケルと読むことも「どうひっくりがえっても」無理。二つの嘘が重なったものが「正史」とされ、それが試験で「正しい」とされる。信じがたいことが起こっている。


朝から文部科学省の参考人質疑を見ていた(ヒマか?)。

2024にはまた同様のことが行われる。しかしspeakingを・それは能力であることは間違いないが、「お勉強」のなかに入れることにはおれなどは、どうも違和感がある。そこには厳密にいうならlisteningも入る。その二つを「同等な」ものとしてreading/writingと肩を並べさせることにもやっぱり「違和感」あるよ。

世代・なのかもしれないが。

能力を客観的に測ることの難しさを感じる。そうだから、一般人は「東大」とかに反応するわけよね。わかりやすい・ということなのだろう。だけど、今の入試は「受験術」。受験マシーンが受かる。小さい頃からマシン化される。だから結果は出る。「解答の在るもの」には強いし・速い。でも、不確実な時代における「解答のないもの」にたいしては?おそらく「無能」なのではないかな。処理能力は高いだろうけど、それ以前の「倫理観」は?職業倫理などはこれまで教わってきませんでした・だろう。そんな教科はなかったです〜。

そんなんでいいのか?

会社行ってる(守られてる)人間が厳密な意味では「社会人」とは言えない以上に、ただ受験術により高学歴を取得した人間が「対社会」でいい仕事ができるとは思えない。小さな社会の中で競争してきただけの子たちが・という意味ね。外世界はヴァラエティに富んでいる。diversityでもいいが。


そんなんの先輩が、官僚として多くいて、彼らは「正義感」も遠の昔に喪失していて、バカpoliticiansに首根っこ押さえられて、国民を窮状をさらに加速させるような政策に「おのれの立身出世&小銭」をエサに・軽〜く転んでいる。


ビール会社も困っている。対馬の観光も壊滅的だ。「HF」製造会社も困るだろう。ここは対韓国での失政への協力ね。

社会正義度・を測る「教科」っているような気もしてくる。それ・いまの「道徳」とかと全然ちゃうもんだけどね。

なんども言ってるが、資源のないこちらの国においては「教育」に大投資する以外にはないのだ。で、そんな気はちっともないよ・ってのがバレてしまってる。←(今・ここ)


posted by 浪速のCAETANO at 13:30| 大阪 ☀| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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