2019年11月20日

新記録の日・古代に逃げる

「現代」がもう嫌で嫌でたまらないから、7世紀の話を。

662年に「倭・百済」連合軍が「唐・新羅」連合軍に、白村江でコテンパンにやられ、倭国の「天子・薩夜麻」が唐の捕虜となる前代未聞の出来事が起こる。

あのね、前提としてその時に近畿に「天皇」などは一切存在してませんので。「大王(おおきみ)」は居りました。近畿地方の豪族ね。当時は中国の「冊封体制」の中に列島は包含されており、その中国(唐以前)の歴史書には『倭国』しか出てこない。中国に認められている王朝とは「倭国」のことであり、それは金印を授かった「委奴國」であり、「邪馬壱國(やまいちこく)」であり、その都は延々九州に存在していたわけです。倭国・とは九州王朝のことである。正統の王朝ね。ここ・前提。証拠はいっぱいある。ここでは書かないけれど。もう散々書いた。九州には「元号」さえもありました。それも『6世紀』から。

そのような「栄光の」九州王朝が、天子は捕虜になるわ。唐から「カクムソウ(太平洋戦争時のマッカーサー)」がやって来るわ、九州自体が「蹂躙・簒奪」の嵐に見舞われるわ。もうガタガタになってしまう。その時、無傷でいられた近畿(一緒にやるよっつっといて静観した)が列島の王者の地位を奪う。7世紀後半のことである。

その際に「でっち上げられた国史」が「日本書紀」です。「地理的にも年代的にも」矛盾(嘘)だらけ。『紀』の編纂が終わったのが720年。
それに先立ち、本格的に列島の王者を目指した近畿は天武の命により「国史」の編纂を開始する。で、最初に編まれたのが「古事記(以下・記)」で、681年に始まり、その編纂が終わるのは712年。

平城京遷都・覚えてますか?710年です。この時期に近畿は「王朝の体裁」を整えようと必死だったのわかるかなあ。

さて、ではグタグタのガタガタになった九州王朝はどうなっていたのか?

一部中枢は薩摩へと逃げる。そして、やはり九州王朝への忠誠を誓うものは列島全土に逃走する。抗戦する者もいる。元明天皇(在位707~715)の時代に「お触れ」が三度出ている。「山とかに逃げてる九州王朝の人〜、今『軍器・兵器』持って降伏したら許してあげるよ〜」というものね。大方はここで降伏・出頭したわけです。で、薩摩に逃げた九州王朝の残党もまた「隼人の乱(720)」で制圧される。

はい、先ほど、『記』の編纂の話をしました。近畿はここで列島の主になる・ということで「初めて」国史を編纂することになったわけです。ところが、その内容がどうにも『ショボイ』。それは今、我々が「記」を読む際に感じる『素朴さ』に通じるものである。もちろん「神話的」なパートに関しては、九州と「系譜を同じくする(した)」という前提だから国生みや「出雲や筑紫(大国主の国譲りや邇邇藝の天孫降臨等)」の神話で被ってる部分はあるし、もちろん「神武」は九州・糸島の出である(だから鯨の歌や、撃ちてしやまんといった糸島半島の歌があるんだけど)。

で、ここが大事なとこなんだけど、まず、「記」には神武が東侵の際に行ったエゲツないことが武勇伝として記されている。そしてその東侵は「成功」していないこと、橿原の地で銅鐸の民に包囲されながら「開花」の時代まではその勢力範囲を広げることができなかったこと(欠史八代の時代・ここ津田左右吉の大間違いなのだけど。存在してます)が仄めかされ、そして、特筆すべきは「近畿の天皇」とされる人物の記述が「むちゃ・ワイドショー的」なのね。「下世話なこと」大変多いです。新・列島王者としてはかなり「その品格」にかける。

さらにもっと大事なことは、その系譜が「明らかに」途絶えているという事実である。それは6世紀初めの「武烈〜継体」の血の「明らかな断絶」なのね。

ここ、詳しく行っとこか。「記」において(読んだらわかるよ)武烈という天皇はもう悪逆非道の天皇として描かれている。

「妊婦の腹裂いて喜んだ」「人を高い木に登らせて矢を射って楽しんだ」「池に人を泳がせ狭い出口のところで上から剣で刺して嬉しがった」

ひどいですね。で「記」はこう続ける。こんな困ったちゃんで子どもいないから、「若狭」にいた「応神天皇の『6代』孫」を擁立した・と。

おいおい、待てよ。そういうの「血が繋がってる」とは言わんでしょ。「人類皆兄弟」かよ。笹川先生かよ。

早い話「馬の骨」である。「どイナカもん」でいいと思うよ。

で、その「オホド王(=継体ね)」は奈良に入るまでなんと『20年』かかってるのね。何を意味するか?

奈良において、しっちゃかめっちゃかな内戦が起こっていたわけよ。幾つ勢力があったかは記には書いてないが、そのお互いがというか色々が疲弊したところを(20年待って)やっと入れて制圧したわけだよ。で、そこの大王となった。

こやつは「田舎もん」だから、それまでの九州の系譜からも自由で(な〜にが万世一系だよ・バーカ・バーカ)、どえらいことをやっちゃう。

ちょっと飛ぶけど・戻るからね。

山川の教科書に載ってる「磐井の乱」ってありますね。磐井は通説でいうなら逆に「反逆者」であることにされてるが、みなさんお利口さんだと思う。もうお分かりだろうと思うが、磐井こそ「倭国の天子」な訳です。で、その倭国の天子を「斬っちゃった」。イナカモンってや〜ね。身の程知らずにもほどがあるってことなのだけど。それは九州王朝とは血が繋がってないからこその蛮行であるのね。

しかし、この愚行は九州を「ほんと」に怒らせてしまい、近畿は九州から「攻められる」ことになる。ここ、「記紀」には書かれてません。あったりまえ・か。ひどい目に遭う。さらにはその後、お目付役まで送られる。それが、記紀に「突然」登場する『蘇我氏』である。九州王朝の財務官僚です。

磐井の乱(実は継体の乱)が528年、中大兄とアナザー馬の骨・鎌足による乙巳のクーデターが645年。そこから100年以上にわたり、近畿は九州の監視下におかれる。645は近畿の「ルサンチマン」ゆえ・ってことね。

戻ります。ちょっと怖いことがある。ということは継体以前は九州とも・ということは「邇邇芸」ともまあ理論上「天照」とも血の繋がりがあった「いわゆる近畿天皇家」はここにおいて「馬の骨の子孫」となったということなのだよ。「万世一系?バーカ」であるにとどまらず、現代の皇室にも繋がる話よね。こっから先は「怖すぎ」ね。虎之介くんの話をいうならさらに「どっひゃ〜」だからもうやめときますけど。


大きく飛んでいるから大きく戻るんだけど、記紀の話。

「記」がそんなワイドショーネタみたいな品に欠ける話やnaive話しか載ってなけりゃ、列島の新王者としては、これは唐にも見せなきゃあかんし、「うーん・困った」と近畿は思ってたのね。だから30年もかけて編纂したのだけど「封印」せざるを得なかった。そんな時、元明の時であるが、九州王朝の逃げてる人が諦めて投降してきたわけよ。軍器・兵器だけじゃなく、そこには「書物」があった。そして、当然九州は「文字」に関しても近畿のクソど田舎と比べ、一日の長があった。何と言っても。卑弥呼(ヒミカ・よん)が文字を読めたのだ。3世紀に既に。

その書物の中には「歴史書」があった。そして歴史官僚までもいた。近畿の歴史書編纂担当者は「小躍りして」喜んだに違いない。で、九州王朝の歴史官僚の「横について」『記』の固有名詞を「歴史書」の主語に替え、『紀』用に付け替えるという「偽書」の編纂をさせた。逆らって斬られた誇り高い歴史官僚もいただろうね。しかし、そのうちの何人かの協力があったからこそ、「紀」は完成した。


しかし、今でも「目の曇った」人・いっぱいいるし、「バイブル化」してしまってさわれない人も多かろうと思うが、上記のような成り立ちを知る者にとっては「ツッコミどころ満載」の『お笑い偽史』なのね。「なんで、神功皇后が卑弥呼と壱与の二人分の役割になってんの?」とか、例えば。1300年・騙され続けてますよ・(おれも含めた)あなたたち。


で、今日のテーマはこれからなんだけど、それは「同族間の権力委譲という『曖昧さ』を最大限利用しつつ、のちに『万世一系』の天皇制というコンセプトが生まれていく」そしてそのための「新しい神」を作り出す必要・ということなのだ。

ズバリ結論を言うなら「伊勢神宮」と「アマテラス」のセットはこの時・生まれた。by whom?

「持統と不比等」によって。もっと色々いそうな気がするが。

九州王朝の「神」は誰だったのか?九州時代から「アマテラス」が主神であったとするなら九州にその神社はあるか?

答えは『non』。これは何を意味するか?九州王朝の主神はアマテラスではなかった・と言うことである。

伊勢神宮を「創り出す」ことで、近畿天皇家は「アマテラス」の存在で九州王朝の実権のみならず、その信仰までも「覆い隠して」しまった・と言うことね。

天武が死んで20年後に近畿王朝初めての「大嘗祭」が執り行われる。事実であるなら690年のこと。持統が行った、とされている。701には近畿にやっと「大宝律令」ができる。九州に遅れること200年。身に余る「権力」を手に入れて、こわごわ「九州の天子」を模倣する近畿の人々の姿をおれは幻視する。尤も、九州王朝の大皇弟・天武の息子の高市(天皇、なぜかと言うとその息子長屋王は長屋『親王』であるから)が当事者であるなら、十分堂に入っていたかもしれない。ここらの実権の委譲期の『紀』の記述は『全く』信用ならない。そして紀も持統で終わっているのである。

伊勢神宮はアマテラスとともに、近畿王家が「創り出した」もっと言うと「万世一系」の嘘の根拠として「捏造」した「fake shrine」とも言える。それは「紀」の嘘と対をなす。

外宮には豊受大神(ごはんの神)・内宮にアマテラス。どちらも女神。不自然だね。












posted by 浪速のCAETANO at 13:37| 大阪 ☀| Comment(0) | 古代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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