2019年11月30日

「not liberal ,but progressive」

初めて出たライヴハウスって、どこだったかな?あ・『拾得』だった。奥に和可(北山)さんの古着屋があった。

バンド名は「TANKS」。vo.はキングちゃんで、dr.はもちろん北林純、b.は三森、バッキングの(ちゃんとした)g.が朗さん、フリーキー担当がおれ・でした。『ギターの弾けないギタリスト』@北山和可。光栄だ。


店員に「どんと・タマキ」がいて、しかし、おれの「コントーションズ」みたいなギターで踊り狂ってた。1980ぐらいの頃。まだ阪大生だった。

ノーコメンツはもうデヴューしていた。外の人間であるおれたちにとっては「京都らしい京都」だったね。おそらく幻想入っとるが。

当時は「もろに受けてしまったPunkの熱を」どうおのれの中で消化して、体外に出すか?そんなことを無意識に考えていたように思う。おれの中では、同世代でpunkをスルーした奴らって、ゴミもゴミ・カスもカス・イモもイモ。今でもそこ無意識に「差別」してるかもしらんな。意識は「プログレッシヴ」なので、他意はないのよ。

おれはpistolsの音には「特に?」だったけれど、その時代におけるピンポイントの存在感・存在理由、存在の必然、そんなものに「いたくやられて」しまった。

今の日本の政治状況が当時の音楽状況で、山本太郎の立ち位置がジョン・ライドン(当時はジョニー・ロットン)みたいに見えなくもない。

表面化している・一見対立軸を持つ二つの勢力。見事に対立しながらも、テーブルの下では「握ってる」。そしてそのどちらにも属さない(属せない)人たちは「いないことに」されている。

そんな中の「Punk Movement」だった。そんな中のジョン・ライドンだった。そんな中の山本太郎なんじゃないのかな。


「リベラル」は階級である。そんな意見がある。目から鱗・とはこのことだ。目・曇ってるなあ・おれ。金持ちは論外だが、例えば「守られたリーマン」は実はどーなのよ?という気はしてた。「守られ度」にもよるが。まあ勝手に守られとけばいいのだけど、「守られていない」人々とはまたちょっと様相が異なる。そんなザックリ分けれるもんではないのだけどね、まあ最終的には各人の「心根」次第だとは思うが。あとは客観的な社会正義の視点を持ちえるかどうか・ぐらいだろうか。

どう生きようがお一人お一人の「勝手」なのであって、そこをどうこう・ではないのであって、ただ好む好まざるにかかわらず当人の与えられた環境が決定的なのね。そして人は与えられた環境の改善に従事することになるのだ。当たり前。そこ、あまり屈折しちゃいけない。


今大事な感情とは「切実」ではないかな。ホンマに「痛い」のだけど、山本太郎への「バカ質問者」にも「切実さ」は感じる。あまりに「論理破綻」しすぎて「一人でイクtype」なのでどうしようもないが。

もうしかし、これからは「プログレッシヴ」。これはBernie Sandersの支持者の中から出てきた言葉。「not liberal anymore,but progressive」なぜなら「liberalはclass」だから。

なんだか、精神にも地殻変動が起こり、「新しいマグマ」が下から出てきている。そう思える。


環境が変容(toward Worse)していく中、そこに対応する精神が旧態依然のオオアマな区分けじゃあ対抗できない。まあそして、まとまる際にはまた大きな区分もありなのだ。

で、progressive。


拾得の「玄米定食」を食いたくなって、玄米を炊いて「ごま塩・バター」と大丸の鮭と味噌汁で朝メシだった。






posted by 浪速のCAETANO at 12:39| 大阪 ☀| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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