2019年12月11日

もういや

今週はちょっとあったかいね。

暖かさでは人は死なない。寒さ・暑さではそんなこともあるが。harshnessで人は死ぬのだ。尤も、おれは死ぬのは「暖かさの中」がいいんだけどね。春に生まれて春に死ぬ・理想的だと思う。

バカが閣議で「そんなことまで・・・・は?」なことまで決めている。幼稚園児の集団なのか?「でちゅね〜」なのか?

呆れている。ま、そこが「手」だったりもするから。醜く・恥を知らない集団、そのメンタリティにこちらが目を背けたくなる・そこが彼らの「手」なんだね。その醜悪さを直視するのが嫌で、おれたちは俯く。それが思う壺。キミらが「反社」だよね。反社に反社を定義しろっちゅうのは無理ね。

昨日京都からの帰りにセメント屋の記者会見を見て呆れ、不機嫌になり、「いかんいかん」と思い、まだ仕事が残っていたし、なんとかおのれのご機嫌を戻さなくちゃ・とmarisaのao vivoを呼び出し「tribalistas」3連発でやっと持ち直す。

しかしこういうのって「徒労」ね。人を不機嫌にさせる・も奴らの「手」。こうやって好きは「好き過ぎ」に、嫌いは「憎悪の対象」になって行く。「別に」や「どっちでも・・・」なんてのがなくなって行く。

中庸が多ければ多いほどおれはいいと思うのだが、もうしかし、人は「どちらかの側」の選択を強いられる時間帯になってきてるのを感じる。対決とか先鋭化とか、遅かれ早かれそういう局面が待っている。その手前には「分断」があるのだろう。あんまり幸せなことではない。意識の上の「civil war」だからね。

ルワンダの「フツ」vs「ツチ」、旧ユーゴ、そんなことになっちゃ嫌だな。こちらの国に限らず、「空気」の醸成は政治勢力の常套手段だが、それにまんまと乗せられるおれたちも相当「バカ」であることの自覚が要る。それでも「ひどいバカ」とはやっぱり戦わなくっちゃいけないのだろう。わかりやすくも「悪」であるからね。

ポルポトのカンボジアとかにも似てきている。ポルポトは知性を持った者たちの生存を許さなかった。大げさなこといってる?でもね、「事態」は加速度つくとあっという間にとんでもないとこまで進むよ。今現在が実はその「過程」だよ。渦中にあるときは客観性を失うのね。「馬鹿げた閣議決定」の連続をもっと深刻におれたちは受け止めたほうがいい。「狡猾な幼稚園児」に支配されていっている過程を注視した方がいい。公文書の改ざん・破棄はとんでもない出来事で、国会も「形骸化」してる。この政権は枝葉部分を「いじり倒して現状を変える」という「邪道の政権」です。「正々堂々」なんて言葉は彼らの辞書ではそのページは破られてるのね。

どうだろう?何割の人が次々に浴びせられる「狡猾さ」にやられてしまったのだろう?半分超えたら本当の終了。選挙ではすでに3割。皆さんの良心はどこに隠されてしまったんだろうね?


こうも「盛大に」国の「リソース」を売られるなんてことが今までにあったんだろうか?そして多くの人々がそれを横目で見てまるで他人事であるかのように素通りするなんてね。「わたしたち」のことなんですけど。目の前に突きつけられれば「反応」するんだろうか?ぼーっとした表情で「受け入れる」ような気がして「怖い」。「家畜願望」でもあるのだろうか?沼正三先生は「絶対的に正しかった」のだろうか?

戦後が実はずーっと続いてきていて今回本当に「負け切らないと」次がないのだ・そんな国家的無意識が潜在してるんじゃないのか?そんな疑いさえ持ったりする。例によって勘で言ってるけど当たらないで欲しい。だって「次」はもう無いからさ。

















posted by 浪速のCAETANO at 14:03| 大阪 ☀| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。