2020年06月21日

最終公演がね、ちょっとすごいね

もう最近の「希望」は太郎ちゃんの1日の「最後の」演説だな。

まさに全国行脚の「あの」感じ。東京行きたくなってきた。行こかな。最後の演説だけは「予告」ありである。あとはゲリラなので神出鬼没。


1日すべての演説を聴いてると(ヒマか?)どれも大きな骨格は変化ないが、それを導くエピソードがそれぞれ異なる。全国行脚の時におれが感じてた、あのライヴ感、おれも実際かつて、関東ライヴの時など、日によって曲を変えたり、ことによっちゃ「現場で」変えたりしてた。バックの人たちはえっらいメーワクだったはずである。でもまあそんなもんなのよ。逆におれのようなタイプは何があっても「初志貫徹」みたいなやつに「すごいな」と思ったりもする。おれはそんな鋼鉄のハートは持ち合わせちゃいない。

ただ「決められたことを疑問持たずにやるやつ」にすぎないかも知らんが。段取りくんはおれは合わん・向いてない。とっちらかって「普通」。ごめ〜んね。

太郎ちゃんみたいな政治家は後にも先にもいないだろうなあ。それだけはよくわかる。こんなexcitingなことが起こってるのに、それにまあ「アンチ」唱えてるやつはともかく「無反応」というのはもうなんかSexにおいても無反応なのかも知らんなあ。人間であるのが嫌・とかありそうだし。感覚自体が嫌・みたいな。感情自体も・とか。

punkはtechnoの気持ちもわからんではなく、初期テクノは「脱人間」であるから、それは危機に直面した際の2種類の極端な反応・ともいえ、おれの時代なんかの未だ分化してない時なら余計にそうだったのだ。しかし、誰がどっちか選ばなあかんて決めたの?

方便としてのテクノってのがおれは嫌いで、それは多分おれの5歳下とかになるともうそこらへんごちゃごちゃになってしまうのだが、それはその「手段」に必要以上に魅せられた若者が増えたからなのだが、当然若者ってバカだから、まあバカゆえの突っ走りの結果、未踏の場へとたどり着いた人たちもいるが、それはテクノという手段が手段であることに気づけたからだろうと思う。それが目的になっているバカはとりあえず、カッコから入ってどう出ていいかわからず、ダサい大人になっただけだろう。テクノって汎用性に欠けるから、その後の人生大変だったろうな、知らんけど。

だいぶ飛んだが、戻るが、多かれ少なかれ「病んだ」人間って、おのれの人生の時間帯しか信じることができず、まあ「ちょっと足らん」実存主義者と言ってもいいけど、自分が「強い側」にいることがgloriousだと信じてると思うから、本人が「肉屋の豚」ってことに気づけない。おのれのクビに屠殺の刄が迫ってきて初めて自覚するのだろうが、誰が見てもわかるように「時すでに遅し」である。御愁傷様。


まあ太郎ちゃんの最終公演がいいよ。ぜひ見て見てください・youtubeで。

で、あの太郎ちゃん到着の前のMCしてる女性、あんたも立候補したほうがいいよ・というほどの「太郎の政策熟知」な方である。みはらうんこやスピードのバカやレイシストすぎたなどよりずっと値打ちがあるね。
posted by 浪速のCAETANO at 21:23| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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