2020年06月24日

だから❣️

こちらの国の「技術力」・まあ非常に「ぼわっ」とした話だが、二極化しているのだろう。

「富岳」がNo1であるという。

だが、これもまたこれまでの「遺産」によるものであると思われる。カネを投入しないことには成果が得られない・それはみなさん一致した意見だと思う。

こういうことには馬鹿ウヨは喜ぶ。だが大坂なおみちゃんや八村塁くんが「人権」に関してそれを正しい方向へ向かわせよう・そんな発言をすると、気分を害しているようだ。ウヨたちの気分などどうでもいいが。まとまるとめんどくさい。


お金に関して。

「人間にはお金よりも大切なものがある」そんな意見・というかある意味「真理」みたいな口調で使ってる人、今だにいるが、おそらく、それは「高度成長期」あるいは「バブル期」における「お金がふんだんにある時代」に人にちょっと、その姿勢に「釘を刺す」という意味である。それこそ「時代が違う」。


Essencialなお金は「絶対に」要るわけで、そこが満たされた挙句に、その後はお金に対する態度に関しては「お好きに」だと思うよ。まあ今もなお「greed」を秘めた人も多いから、しかしそこはほんとmatter of tasteなので、なんとも言えんが、だがしかし、Essencialなとここそ、政府(中央・地方問わず)の仕事だよね。担当はもう「決まってる」。

政治とはあらゆる方向に向かう「Essencial」を充実させればそれでいい・まずは。「民営化」などという小泉・竹中両馬鹿野郎の「言い回し」にやられたのだ。新自由主義にやられたのだった。

おんなじことばっかり、言うてるね、キミね。

うん・そう。アホの子どもと長く付き合って、学んだことって、「アホはおんなじことを何べんも言われないとわからない」ということなのね。誰か特定のアホ・というわけではなくですね、どこかに確実にいる「不特定多数」のアホに向かっていつまでも言います。

おれもアホなのでね。物事って「ある閾値を超えた瞬間」に様々・全てのことが氷解し・腑に落ちる、そんなことを今までいっぱい経験しましたよ。アホの原因・それは「情報不足・思い込み」それらのこんがらがった醜く貧相な思考の塊。

人は「顔に出る」。そう思う・思いませんか?ものの食い方に「品」も出る。汚い食い方のやつは「ヒトに非ず」でいいと思うね。意外に最近お金持ちになったやつにそういうの多いですね。「greed」が服着て歩いてるようなの。10年ほど前かなあ、そんな「欲望・全解放」ってのが、ぶっちゃけたおっさんたちの間で盛んに言われた。身も蓋もないお話。それに先駆けること10年、おばちゃんたちの「性欲・大解放」というのもあった。対象は「ぺ・さん」だったような。

そんなあたりからこちらの国の人々は「みっともなく」なってきたようです。同時に新しいものは「さほど」現れず、コンセンサスとして「遺産で食ってく」こともまた決定されたみたい。

あれからザーッと20年。遺産も細〜くなってきましたね。

正味の話、これはね、どっちにしても「寿命が短い方」が有利です。若者よりおっさん、おっさんよりおれたち、おれたちよりおふくろ世代。そうも言い切れんかな?貧困と向き合う老人といった現実もある。だがおれの某外資系の友人は退職金「80000000yen」である。黒川よりすごい。そんな例もある。傾向としては大きくは上記のようなこと。まだ年金も崩壊しないしね。


おふくろ世代の事で言うと、昭和10年に生まれ、まだそこは戦時中である。満州事変の後。4歳ぐらいでアメリカに戦争を仕掛け、ひどい事になり、負け、何もかもなくなり、おふくろの場合は奈良だったから食べるには困らなかったみたいだが、親父は大阪だったから大変だったことは知っている。大阪の親戚に、おふくろは服の下に米を「巻いて」近鉄で持って行こうとしていた時に生駒超えたところで「憲兵の監察」が入って、見つかり全て没収された・そんなエピソードもある。

そこから敗戦(終戦とも言われる・事実を見てない)で、中3のときに朝鮮戦争が始まる。ここから「極東の奇跡」が始まり、それが「高度成長」と言われる経済発展につながる。お袋が俳句を始め、堀内薫・橋本多佳子・山口誓子に師事し、寺山と出会ってレジェンダリーな俳句結社「牧羊神」を作ったのもこの頃。その後、意外な男(親父だが)と結婚しておれとかが生まれる。ベースに時代があり、そこを両親が泳いでいてそれに乗っかる・って感じよね。ただおれが物心ついた頃って、まだ「みんなが」貧しかった。確かに貧しかったのだが、閉塞してはいなかった。そんな中でも自殺者はいたし、そのおれたちが感じていなかった閉塞の中に生きた人もいるのかもしれない。60年代である。オリンピックも覚えている。ヘイズ、ショランダー、アベベ、チャスラフスカ、三宅、遠藤、円谷・・・・・・。物心ついた時にはTVがあった。TV native。

おれが中坊になる頃に70年代が始まる。世界の「マインドの変革」が60年代だったとするなら70年代は「生活の進化」が、いまにつながる生活の進化が始まったと思う。

万博もあり、絶好調のジャパンがそこにはあった。人々の目は曇っちゃいなかった。おれが高校時代イキッてたのは、何かしら何もかもが順調・そんな風潮に対するアンチ・と言うかね。わざと成績下げたりとか。子どもじみたもんだ。

その後、240円ぐらいだった対ドルがプラザ合意(1985)で100円台になり急激な円高が始まり「バブル期」に入る。1989にはバブルは弾けるが、その余波が列島全体に波及するにはリードタイムがある。やばくなるのはその後である。そこから今まで30年間の「lost decades」。そのうちの最初の10年あるいはバブル期に事業を始めて、次の10年でだいたい失敗して、みたいなことなのだが、まあでもね、希望や野心があるから事業などは始まるわけで、アントレプレナーなんちゅう言葉もなかったが、みなさんそれっぽかったのよ。

まあその後はまた30年かけて昭和の初期に戻っていくかのような『行って来い』な世の中だが、おふくろ世代にしてもおれたち世代にしても「ピーク」を味わってる・ということなんだね。その定義にもよるが「贅沢」も知っている。であるだけでなく、それ以前の貧乏も、つまりいろんな階層・場面に置かれた自分を経験している。その経験というのはおそらく「豊か」なんですよ。ビンボーであっても豊かだと思えるのはその後の豊かさで相殺されてるんかも知らんが
それが「bom memoria」として機能するためには「おしん」でのおしんの記憶と同様の理由によります。

だから、今、おれも(おそらくおふくろもだが)自分なりの「貧乏生活」に耐えれる。選択肢の一つ・という捉え方ができる。


不憫に思えるのは「下の世代」なのよね。選択肢がないよね。ビンボー一択・では可哀想すぎる。ブラック一択では不憫すぎる。


だから山本太郎なのよ。長かったなあ。












posted by 浪速のCAETANO at 15:14| 大阪 ☀| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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