2020年10月18日

「人は流れて・どこどこ・ゆくの」

中核派の拠点を警察が家宅捜索。その際に中核派のおっさんから中に入る際におまわりさんが「体温検査」をひとりひとり受けてる映像、これは笑えた。

マヌケだった。

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「田中龍作ジャーナルより」


中曽根くんの葬儀の自衛隊の道路の両側に並ぶ一列横隊。もう確実に「戦前」だなと感じる。帝都東京。気持ち悪いし、もう大変危険な状態。

大阪も市が廃止されようとしてる。太郎ちゃんは居座るみたい。心強い。

おれはもう投票済ませてきた。最後の追い込み・何処までいけるかな?今回はボロ負けの予感だったけれどなんとか接戦までいけるかな?どうかな?


思うのだけど、先のない国で生きる際に、「先」を考えてももうしょうがないな。先があるような「気」がするのは『幻想』ね。そのうち・・やろう。と思ってるものはほぼできなくなる。そう思っておいて間違いないね。先のためにお金を残しとこうと思ってたとしてもそのお金も奪われることになる。やれること・やりたいことは今のうちになっておくのがいい。自分のパワーも、それをやる環境もどんどん「削がれて」行く。

もう「警察国家」決まりですからね。Chinaに対するそんな「憧れ」いらんのに。


人々がここまで「劣化」したのはなぜだろう?

『IT』なのではないか?そんな気がしてる。

自分の頭で考えるってことを忘れてしまってはいないか?そしてそれをツールとして功利的な知・だけを求める賤しさだけが残った、そんな気がするのね。

その背後には「カネ」という不思議な存在がある。さらにそれを「遍在化」させようとする新自由主義がある。

株などにおれが興味がない・というよりも「反・倫理的」に思うのは、それが多くの労働者の屍の上に浮かぶカネの奪い合いだからだ。「時価総額」などという言葉がまた人を賤しくした・かな。それは「空気」。

みんなもう「競争」に疲れ切ってる。「競争させられることに」だけど。人を等しく賤しくする・これもまた。

努力と競争は異なる次元の話。努力は各人が「勝手に」やればいい。やらなくてもいい。できる時もできない時もあるし。

11月というのが色々と大きい月ですが、そこまで2週間切ってしまった。悲劇についても「すぐ」忘れるnationalityだから、まあ「流れて行く」のだろうけれど。

「人は流れて・どこどこ・ゆくの」「花」という曲を思い出した。自分でもやろかな。
posted by 浪速のCAETANO at 11:11| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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