2007年08月07日

考えてしまうのだ

 余韻は残りつつも、日常である。

 凝縮された時間の後は何もかも「間延び」してマヌケな様子であるが、それも人生なのである。

 何かをやる・ということはそれ以外の何かを諦める・まではいかなくともペンディングする・とか、まあ・ちょっとオイとくということであって、今回そんなことでちょいとトラブルを抱えてしまった。やれやれ・ではあるがちゃんと説明しないとな・ということである。

 それにしてもミュージシャンとは「我」が強い。まあ、そうでなくてはいかんと思うのだが、面白いと言うなら面白いんだが、しかし自分と異なるからそこでコラボレーションする「苦しみと愉快さ」が存在すると思うのだが・ね。文脈の問題もある。ある文脈の欠落により、まったく見えないものがあって、そこんとこ時間かけて分からす以外ないのだが、時間だけは経っているものの、会ったりするのがライヴ現場だけみたいなことだから誤解というか曲解だね・そんなことが起こったりする。

 自分が一番なんてことを確信しつつ、他人も認めていかなきゃなんない。21世紀の基本だけどね。

 一定のレヴェルに達しないものはそりゃダメよ。ただ、そのレヴェル設定が一般的なそれとはかなり異なった位相にあり、しかしカブる部分もあったりしてなかなか複雑なのよね・これが。

 しかし、そーかー、かつてのブルーズメンというのは「音源」にそないにこだわらんもんか・ってのは「発見」だった。まあその一回性への執着とは「あっぱれ」な話ではあるが、録音とはオノレとギリギリのところで向き合い、崩壊するかもしれない危険性にさらされながら、そこんとこ乗り越えるわけだが、まあある意味「怖がらず」にやっていただきたいものである。翻って、なんでもかんでも録音してナルシストになる必要もないが。

 リズムがあってメロディがあって歌詞があってただそんだけのことながら、なかなか深いね〜、音楽とは。そのそれぞれが「文化」であったりするからなのだ。つまり過去となにかしら繋がっているからね。未来は過去であって過去は未来でもあったりする。
posted by 浪速のCAETANO at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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