2005年10月27日

中心の喪失、我が街豊津

 何をたかが居酒屋ぐらいでとお思いの方も多いことだろう。今日たばこ買いに行ったついでに覗いてみると、もう跡形もなく「長崎屋」は消えていた。工事が入ってた。あっけないものだ。40年以上の歴史もほんの数日でちゃら。現実的にはそーいうことなのね。
 
 豊津界隈も色んないい店が出来、そして消えていったが、おれが、それでもまだ余裕こいて豊津にいられたのも、長崎屋あってのことだった。どん、とど真ん中にその存在があればこそ、あんなに仲良かった「串久」や「立浪一番」が消えても心は動じなかった。だいたいさ、串カツやちゃんこなんて非日常の喰いものだしね。やっぱ、毎日のこととなると長崎屋だった。長崎屋のおかあさんはこの豊津界隈のヒトビトの「お母さん」でもあり「奥さん」だった。

 同じく塾業界の独り者や、パチンコの景品を連れの女子にくれてたおっちゃんや、ほぼ毎日来て本読みながら飲んで最後に長崎軒から必ずこってりしたそば類喰って帰ってた青年や、おかあさんに「帰ったぞ」的な振る舞いをするきっと独身の小太りでお相撲さんみたいな歩き方のモテない歴50年といった風情のおやじや、関大時代からずっと来ててここを離れ帰ってきたら必ずくる青年や、おれと同じマンションに家も妻も子供もありながら必ず来て熱燗飲んでる銀行マンや、おれみたいに長年ダイニングとしてお世話になってきたやつとか、人間観察も面白かった。以前は必ず、関大生のある寮のやつらが延々歴代バイトに入ってて、あるやつなんておれが「わけぎひとつ」と頼んだら「はい、ワキゲいっちょーぅ」なんてこともあった。本人は無自覚。しかし、おかあさんの作るそいつらの賄いがものごっついゴージャスで「おれもバイトしたいっ!!!」なんて思ったこともあったのだ。

 世の中というのは、卓越した個人に全然卓越していないヒトビトが寄っかかって成り立っていることをものすごく明確に表す良いサンプルが長崎屋だった。卓越した個人、それがおかあさんであることは間違いない。偉大なという形容詞は長崎屋のおかあさんのためにある。市井のほんとに名もない方だけどもこんなに素晴らしい仕事をなさってた方もめずらしい。

 その中心にぽっかり穴が開いてしまった。今豊津は絶望の街だ。小市民にはさほど影響はないが「心介」の死と長崎屋の消滅のダブル・パンチは豊津のヒトの心も荒ませる。なくなって強く実感することだがこれからどうしたらいいのだろうか、と。晩メシを喰う、ちょっと飲む、その場がいつもある。なんと幸せなことだったろう。おれは大体行けば三千円か四千円ぐらいだったから年200日行ったとしてそれが20年間だったとして3500×200×20で14,000,000円長崎屋で使った計算になる。おれの個人史の中でもこんなに行った・使った店はないし、これからもあり得ない。

 豊津のヒトビトはこの悲しみを抱いて生きていかなければいけない。これはなかなか癒されんよ。泣き言また書こうと思います。女々しいって? ほっといて!!!
posted by 浪速のCAETANO at 15:07| Comment(1) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この日記は何気なくネットで「長崎屋」を検索した時に偶然見つけました。

「お母さん」は私の大叔母にあたります。この日記を読んだ時、凄く感動しました。お店が潰れたことはとても残念な出来事でしたが、こんなにも愛してくれたお客様がいて良かったと心から思います。

凄く時差のあるコメントで申し訳ないです…

「お母さん」の甥である私の父は、「長崎屋」向かいの「長崎軒」を経営しています。良ければまた食べに来てください!
Posted by カズ at 2006年08月27日 23:30
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック