2008年05月14日

ほんまに進化なのかい・そんなんで

 いつだって犠牲になるのは「弱き者たち」か。

 ミャンマー(ビルマ)のハリケーンに四川の地震と大災害の頻発で、まあ地球の暴れ方もすごくなりつつ・なんて傾向で見たりしがちだが、同程度の災害はきっとおれたちのしらないところでこれまでも起こっていたのだろう。46億年というとてつもない長い時間の中でおれたちが知っていることと言えば、たかが10000年にも満たない歴史だし、文書化されたものなんて1000年ほどなのだ。

 おれたちが知らない(予測も出来ない)出来事が無数に有り、それが例えばおれならば50年ほどの歴史しかなく、その中での「経験」など、人の精神・肉体・関係に関することな
ら過去の人類の寿命を考えても「使いもんになる」かもしらんが、こと自然現象に関して言うなら「未知な事だらけ」とするのが妥当だろう。

 たかが50年にも満たない経験のヤカラが46億年を把握したような物言いをすることが「傲慢で不遜」なのだろう・と思ったりする。たとえ「科学的に」理解出来たとしてもね。

 そんな、わかったような物言いに溢れた現代で、コトが起こった「後」の「後づけの理由」をあれこれ言われても・なんだか興ざめな感がある。だからその「後づけの説明」が一体何になる・というのだろう。なるほどそういうことか、じゃぼくも気をつけよっと・か? でもわけのわからんことは「起こる」わけで、明日例えば地球がパッカンと二つに割れて、中からハクション大魔王がジャジャーンと出てくるかも知らんのだ。「気をつけて」どーするよ。

 なんかさ〜ぁ・現代人の特に先進国と言われる国々の人々の「ミョーな全能感」が、ものすごく気になるのね。それがかなりの範囲・程度で「人工物」によって守られた中での特異な出来事を基盤にしてるからなのだ。それを進化というなら進化なのだろう。ただし、進化は進歩ではない場合もあるっちゅーねん。

 人工物に庇護されながら個体としてはどんどん「こざかしく・ひ弱」になっていくわけ
だが、すくなくともそんなことを進歩とは呼べない・という感じがする。

 オノレの延長としての自己増殖する人工物もコミで一個体とし、そこでの「進化」を考えるというなら、オノレ自体は「退化」していっても、個体全体の収支は「プラス」のままだろう。そこに不幸を見る。

 人が人を好きになる・なんてのは、その「オノレ本体」であるはずだからだ。そりゃ、付属物として何十億の現金とか、あったりすることもあろうが、まあ・青いことを言っているのだが、その本体の魅力というのが固定化されないのが、なんだか不幸だ・と思ったりする。

 しかもその付属物は進化とともに平準化されていき、「おれだけ」が持ってた物はあっという間に「みんなが」持ってる物となる。となると、明日の天気をケータイの天気予報でちゃっちゃっと調べることより、雲の動きを見たり、湿気を鼻で嗅いだり、風向きを調べたりして当てる能力とかの方が実は「カッコいい」。今回もガマガエルたちが前日に中国で大移動していたみたいだが、その様子を想像するに、個人的事由でそこはおれは鳥肌なのだが、しかし、そのいう能力には「敬意を表す」。利便性の追求によって能力が弱体化する例はいろんなところにある。

 変な話だが最初の月面着陸に使われたコムピュータの能力はウインドウズ98ぐらいのレヴェルだったらしい。なんとなく、「えっ」という気がする。かようにリニューアルされつづける(運命の)テクノロジーとはあとで考えると「そんなぐらいのもん」なわけである。でもそれでうまくいくためには人的リソースの活用も大変なレヴェルだったのだな・と想像に難くない。なんだか・これ・自分が新ツールを使いこなせてないエクスキューズみたいだけど。

 災害時に人命を救う為に最大限の努力をする・という「人類の基本」ができていない・まずはミャンマー・そして多分中国も、CIAとかの潜入を怖れているのだろうが、現場と為政者の温度差が人が人である意味に於いて、最も「退化」しているポイントだと思うよ。これだけ情報過多の時代に。ある意味「人」ではなくなっている・かのような。
posted by 浪速のCAETANO at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界・地球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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