2008年12月14日

あなた・と共有したい・今夜

 いつもは「照れ」もあり、自分で自分のことをわーわー言うのもその加減がムヅカしく、やめとこやめとこ・と思いながらもタメにタメ、最後にTOO MUCHな物言いになること多いのだけど、今日は、「ヒマで狂いそうでなくとも」いらっしゃいませんか?

 やっぱ・場というものはみんなで作るものであって、おれなんてその中の「司祭」ほどの意味しかないのよ。

 楽しさが隣に伝播し、それが帰ってき・または一回りし、まあそんなことは何度もこれまでありました。ありましたし、これからもいつか・どこかであるのだろうけれど、この世知辛い世の中、住みにくい世の中、管理の網の目からこぼれた・曾根崎トドムンドの奇蹟の夜は最後だと思われるので。

 経験者は「うんうん」と納得してくれると思うし、未経験の方々も、来ることに躊躇せずにいいですよ。やや混雑するとは思われますが、補助椅子もあるし、カウンターに座ってもいいからさ。

 では、準備にかかりますので。

 C U @ 曾根崎TODO O MUNDO

 
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2008年12月13日

おかみさ〜ん・失禁ですよ

 ミナミでの営業がてら、クルマ関連で出演していただいた方々の店を廻り、第一期生と「宗教」話をし、フライヤーもお願いして、リンパ・マッサージのおかーさんを連れて店へ戻ったり、やっぱ、ミナミとはそのエネルギーにおいて、充満度が高く、「当たる」感じ。

 こちらもエネルギーがあるときでないと、当てられる。

 しかし、また行くよん。何かが起こる気はするよね・相変わらず。

 とりあえず、ギターをそばに置いて、だからっつって、指作りのタイミングがちょっと遅れ、いててて・な・ひ弱感もあり、なんだかもひとつではあるが、そんなことも言うとれんわけで、何遍もいうところの「トドムンド」としてのカタチのある中での「最後ライヴ」と、まああんまり言い過ぎんのもなんなのだが、それは現実を踏まえるなら誇張でもなく、だから味わうようにやりたいね・といつになく神妙な面持ちかどうかは鏡見ないとわかんないけど、ま・がんばりまーす・なんやそれ。

 「廃墟の中のパラダイス」極力簡単にしてできてますよーん。2コード。でもね侮っちゃイケンよ・マルタニカズ作だからね。

 まあ前述の如く、時間に余裕がないから、先にネタばらしとくのだけど、なんかね、みんなで歌える歌・というのが欲しかった。それもその場にいて共感出来るようなものでないといけなかった。それをもっとなんでキミは早くにやらなかったんだい? と問われれば、「じっと・手を見る」わけだが、いや・ほんと・情けないことこの上なく、時間もエネルギーも「有限」である・なんて「あったり前」のことをしみじみと感じて目頭を熱くするのだった。

 でもね、みんなで歌おう・なワンコーラスがあって、その中の「さあ・ワインを開けよう」というところ・ぐっと来ると思う。少なくともおれはきてます。泣いちゃったらゴメンやで。と・いいながら「落とし」もしっかり用意してる。みなさんも納得の「落とし」のはずです。

 もう今日が13でしょう。明日終わるとあと2週間か。時は貴重ね。ほんとに。

 ここ数日の店の賑わいを見るに、「ほんとに終わるのかな?」と不思議な気持ちになります。面妖なり・です。

 今日も行きます。失禁オーライです。COME TO SEE ME ,EV'RYBODY!!!

 

 
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2008年12月11日

TIMES they are A-CHANGING

 実に2週間ぶりの休日で、よー働いた。長過ぎるよ・期末テスト。

 しかし、ワーキング・プアなので参った。

 こんなことならノンワーキング・プアの方がいいぜ・いっそのこと。不条理この上ない・など思う。

 いやしかし、トドムンドも残すところ20日となってしまった。本日は行こうと思ってる。ワインを飲みたい。

 数年前、デッドエンドストリートの「アルバム」を作ろうとしていたことがあって、10曲ほどタイトルを決めたのだけど、おれが「突破力」を持続出来なくて、フェイド・アウト。まあそれには、周囲の人間がそれどころじゃなかった・ということもあったのだけど。

 だから、ラフレシアン・コムプレックスを続けるだけでいっぱいいっぱいだった。

 そんなこともあって、トドムンドとデッドエンドストリートの歌を書こうと思ってる。日々の雑事にかまけていた、過去の自分へのオマージュという意味もある。タイトルはこれしかないと思う。「廃墟の中のパラダイス」

 でもねえ、おれもハードだったのよ。まあ・ハードはこれからもハード・というかヘヴィですが。

 わかっていただけるだろうか。わっかんねぇだろうなぁ・とショカクヤチトセ化してみる。んー・それ自体がわっかんないか。

 最近、朝の「痛快エブリデイ」のあとの「よーいどん」で各駅のまわりをぶらぶらってのを毎回やっていて、朝のボケアタマでじーっと見てるのだが、おもしろいのね。

 作為がないからかなあ・と思ってたが、それもあるが、高層ビルの立ち並んだ街というのは「街の記憶」を消されてしまっているから、無味乾燥この上ないのに対し、ヒトがヒトとして生きている街というのは、共同体の薫りがあって、そして、ヒトをほっとさせるなにかもあって、実はおれも各駅周辺を休みのたんびに彷徨ってみたいな・なんて思っていたから、好んで見てる。

 どの街にも「なにか」がある。そのなにか・というのは、そこに住む人のなにかしらニーズを満たすもので、かつそれが淘汰され残ったものである。そんな地域住民による「熟成」されたなにか・を他所の人間が遠慮がちに味あわせていただくのは悪くない。貪っちゃいかんだろうが。

 それは「消費行動」のひとつだと思うが、よくもわるくもそれは程度問題で、遠慮がちに味わって、空気を見て、ちらっとオノレを出し、風のように帰る・なんてのが理想だな。

 やっぱりヒトが昼も夜もそこにいる街というのはいいな。生活感・なんてのはかつては出来るだけ出さない・という主義だったし、なんかそんなのがかっこいいなんて時代もあった。今思えば「大間違い」だね。ヒトがそこで生きてるというのが、「体温」の保持ができる・っちゅうことだった。

 まあ見かけはともあれ、人間臭い人間なので、生活感はでるのだけど、それにしても、時代は変わった。

 TIMES they are A-CHANGING。

 14(日)の店ライヴ。キングちゃんもゲストで来てくれることになりました。

 ということはマルタニさんのブルーズ・ギターも聴けるということだね。店が原型留めたままのトドムンド・ライヴはきっと最後だと思われます。ということはマルタニカズによる「カエターノ」も「アマリア・ロドリゲス」も「セルジュ・ゲンズブール」も「リチャード・トムプソン」も「ヨーデル〜沖雅也」も「ミルトン・ナシメント」の「ロ・ボルゲス」も「ダグ・ザーム」も「レオン・ラッセル」もこれで最後となる可能性がかなり高い。

 まあ・足を運んでください。ライヴ・ハウスでのライヴと店のライヴはコンセプトも曲もまったく違うからね。300曲のレパートリーの中から、そんなにたくさんではないけれど、トドムンドらしい選曲ってあるからね。

 そう31日は、やれるかどうかが少し微妙です。やれればやるけどね。ただがらーんとしているはずです。なんせ年明けとともにそこにいることができないわけですので、なんか普段の感覚ではないと思われますので。

 ではトドムンド・ファンのみなさん。C U on SUNDAY!!! 

 

 
 
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2008年12月08日

曾根崎の顛末その1.

 今回の曾根崎撤退の一連の話の流れの中では、いろんなところで怒ってきた。

 おれとTODO O MUNDOとデッドエンドストリートにとっての理不尽さに怒り狂っていたわけだが、そこんとこを突き詰めて行くと「言葉」の問題にぶちあたる。

 話された言葉と書かれた言葉である。

 例えば、メールと電話ではみなさんはどちらがありがたいだろう?

 自分がヒドい風邪・まあfluでもいいと思うが、そばには心配してくれているのかいないのかわからんぺろがおれの肘を枕に寝息というにはうるさすぎる・いびきに近いそのような音を立てながら眠っているとき、関節が痛く寝返りを打つことも億劫で・そんな時。愛するオンナからのメールと電話とどちらが、ヒトを癒してくれるだろう?

 声の温もりだろうと思う。おれたちはパーのくせにテクノロジーだけが無駄に発達した社会に生きているから、アヴェイラブルなテクは使わなそんそん・なんて思いがちなのだけど、それは実は「緊急時」か「どーでもいい時」という二極化した情況が実はメインなのであって、その間の昔からあるコミュニケイションの場面ではそれをメールに肩代わりさせることはあんまりいいことではないのである。

 ただ、みんな忙しいから、こっちが伝えたい時が向こうが手を離せん時という「うーん・もうっ!!」な場面が多く、そういう一つの「憚り」がやむを得ず人をしてそうさせているに過ぎない。

 わざわざ人が自分に会いにくる。だからそこへ行く。そして話をする。わざわざ会いにきた人もわざわざそこへ行く人も、その時はそれを最優先事項と思うからそういうお互いの行動が成り立つわけであって、そこで話されたことは、とても重いことである・とおれは・思う。

 問題は、その・おれが・とても重いと勝手に思っていたことが、とてつもなく「カルい」ことであったということなのだ。これは「法律的」には「ゼロ」である。弁護士に言わせると。

 メールのフォーマルが手紙であるし、それをもっと硬くしたのが書面ということではないのか。

 ならば、電話をフォーマルにしたのが「会談」ではないのか。

 会談は言葉を面と向かってお互いに発するわけであって、その模様はその場が緊迫・あるいは歓喜に溢れていたとするなら、それはお互いのこゝろのなかにいつまでも残るのである。100通のメール・あるいは手紙と一度の密度の高い面と向かった時間、どちらがイムパクトに勝るか・ということだ。

 もちろん、相手を目の前にして「言いたいことがすべて言えるか」という問題も残る。

 しかし、日本の伝統でいうなら、言葉は言霊(ことだま)である。

 おれはこれまで不特定多数の人々に対して、「失礼」で「不適切」な言葉を吐いてきた・と思う。しかし、それの何倍もの「人を勇気づける」言葉や「理想」も語ってきたとも思う。大体10のプラスに対しても・1のマイナスがあったら人は怒る・って感じである。それはしょうがない。時間が解決する問題とも言える。

 そうではなくて、ちゃんと時間と場所を設定した「会談」で発せられた言葉・店の運命を左右する言葉・言霊が乗せられた言葉・の「有効性」が「ゼロ」だったのである。法律的には。

 おれは「最初っから」大間違いをしていた・ということになる。法律的には。

 人の言葉なんて信用しちゃだめだよ・なんてクールに構えてられる人がいるとするなら、それは幼少時からけっこう「ハード人生」を歩んできた「ニヒル」がカラダとこゝろに染み付いた人だと思う。

 曾根崎コアは「地上げの話」はしたが、「条件・期日」に関しては一切やってません・と言う。

 荻野・というおっさんを遣わして、時間を決めてトドムンドで会った。一時間ほど話をした。ただ「地上げしたいんすわー」「あっそう」だったら5秒で済まないかい・ハナシ。

 「条件」も「期日」も言ったよ・ちゃんと。条件は敷金の250万をそっくり返し、合わせて一千万。期日は遅くとも2007年の三月。条件に関して言うなら、「これで飲んでいただきたい」と先に立ち退き済みの「あん」の例を出して言った。おれは言霊の乗った(と勝手におれが思った)おっさんの言葉を信じたわけ。

 それは「世の中の仕組み」というものを「無批判に全肯定」することから物事に取り組む東大法学部へいくようなタイプの人間から見たら「ばか」ということになるのだろう。しかし、おれは阪大人間科学部人類学専攻元5回生である。グレードとも世の王道ともハナっからちょいズレとるのである。

 基本的に人を信じたい・という自分のポリシーもあった・思う。それまでも人は平気でおれを裏切ってきたけどね。でもすぐ忘れるのね・そこらへん生まれつきのバカだからさ。

 人を信用することがその人に不利益をもたらす世の中とは如何なものか。曾根崎は現代のバビロンである。
 
 この件、続きはまた。疲れてきたから、お知らせでも:
TODO O MUNDO
および
RAFFLESIA NEWS


 トドムンド最後の一ヶ月が進行中ですが、本日は月曜定休ですけど、ここから30日までは多分休まないと思います。できるだけ多くの方々にあの場を共有していただきたいしね。そして次の日曜、久しぶりにライヴをやろうと思ってます。

 14(日)マルタニカズライヴ、DJミタキユウイチロウ@TODO O MUNDO
               19:00START Charge 1000円
 25(日)DOIS VIVO por KAZINHO e KAORINHO@十三クラブウォーター
    w/岩田XOU 北林JUN 19:30スタート Charge 2000円(need500円 1Drink)
    カオルちゃんとの久しぶりの2人ライヴ、晶ちゃん純ちゃんと。
 31(日)年越す寸前サヨナラライヴ   19:00スタート@FINAL TODO O MUNDO

 14日はまだ今のトドムンド、しかし、31日はどうなっているか。予想も尽きませんが。 
 

 

 

 
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2008年12月07日

本日も曾根崎行脚

 昨日は橋本くんがへろへろで来てくれた。

 呉ちゃんも東京から電話・と、あの場には人の自然な出会いを促す何かがあるかもしれない。まあ大したことではないが。

 自然にそういうことができればいいですなあ。

 今日も、そうだなあ9時ぐらいには行こうと思ってます。

 VAMO LA!!
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2008年11月30日

MUITO MUITO OBRIGADO POR TODO O MUNDO

 今日は覚悟して仕事。もうすぐみなさんやってくる。

 おっと明日から12月だったね。

 では。

  TODO O MUNDO

憎からず思っていただいていた
皆様へ


 曾根崎デッドエンドストリートのCafe Rafflesia 和洋中現古未来折衷酒場(長い!!!) TODO O MUNDOはこのたび、2008年12月末日をもって閉店することとなりましたことをここにお知らせいたします。
 
 何の展望もないままの地上げ・立ち退きのスキーム、10億で買ったものを12億で売る、そして更にそれを買った者が15億で売る、この土地はそんな汚らしいマネーゲームの素材に過ぎないという現実を突きつけられる一方、「曾根崎コア再開発」の担当者の無責任な(恣意的な?)発言と、前所有者がこの土地を売ったその後の土地転がしに翻弄され、その中でもスタッフ共々最大限の努力をし、強硬な姿勢の現所有者とも折衝を重ねて来ましたが、合意に達することなく、法律にも見放され、デッドエンドストリートを去ることとなりました。

 デッドエンドストリートを去る・自分が名前を付けた場所を自分が去る・これは不思議な気分です。その感覚は年末に近づくにつれてどのような変容を遂げるのか興味のあるところです。

 建物自体は残り、立ち退きもまだ未完了ですから、この場でまたどなたかが営業をすることも充分考えられます。その際は、また「新店」として訪れていただき、贔屓にしていただけますようお願いいたします。「ハコ」の中身は変わっても「ハコ」自体は変わらない。ということは2階のおこた部屋も3階の妖しい部屋も、それはそれとしてそこに「在る」と考えられるからです。

 TODO O MUNDOが開店する前の数年間はこの場所はまさに見捨てられていたわけですが、その前は「初心」という和食屋でした。ここにこのような雑誌の記事があります。
 「●初心(キタ) 8/10点
 曾根崎センター街東入る/06-6311-5344/17〜22/日休/7000円
 居酒屋。とてもわかりにくい路地を入っていくとある。佇まい良し。肴うまい。2階に上がると時間を忘れる。---震災でなくなってしまった(?)94年2月。」

 事実関係の勘違いこそあれ、過去においても、訪れた人はこの「場」で今と同様の感覚に浸っていたことを強く示唆する一文です。

 どこまで浸透したか、あるいは浸透にこちらがどれほど力を尽くしたかは自信のないところではあるのですが、ここ「曾根崎」という土地は、その名に歴史とロマンチックな悲劇を内包しています。江戸時代・元禄文化が花開き、それは大坂の町人文化だったのですが、その中で商人たちによるライヴリィなやりとりがそこここであり、人々は「色や欲」に生き、そして死んでいった。その象徴的な「場」がお初天神であり、その近くの曾根崎という地名の場に店を構えることになった時、心の中で何か熱いものが騒いだことを記憶しています。これはごく個人的な情緒であり、店の者でさえそこまで理解していたとは言えないけれども、いくつかの雑誌にそのことは書かせていただき、いかにこの場が「意味」を持つか、それも現代人が忘れてしまったパラダイムにおける意味に溢れているか、についても一部の人々にはよく理解いただけたかと思っています。

 そしてその曾根崎には露地が多かったことは、この11年間あまりの時間、TODO O MUNDOがディレッタントたちの隠れ家で在り続けたことと深く関係しています。今はもう見る影もないけれど、新御堂から物外館の並びがまだあった露地・それだけでも充分妖しく・雰囲気に溢れていたのだけれど、さらにそこからもひとつ奥に入る「小枝」のような露地、それをぱっと見、行き止まりに見えることから「デッドエンドストリート」と名付け、面白がってきたわけでしたが、最近ある一般人から、「デッドエンドストリートの名付け親やろ?」など訊かれたりすることもあったわけで、やっと名前が浸透してきた頃にこの露地を去らなければいけない・というのはしかしなかなか複雑な心境と云えます。

 というように、未練がないといえば嘘になる・ということを正直に認めつつも、やはりこうする以外に方法がないという現実を受け入れざるを得ません。

 11年5ヶ月の間、TODO O MUNDOに関わってくれたスタッフと、この露地に知らぬ間に・または敢えて迷い込んでいただいたお客の皆様に感謝します。

 では最後の一ヶ月、TODO O MUNDOらしく、ユルくも・有り得ない楽しさに満ち溢れた
 時間空間作りにご協力ください。

             TODO O MUNDO店主 マルタニカズ
             曾根崎デッドエンドストリートより。 

  
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2008年08月17日

一般的になんとなく憂鬱でしょ

 世間は今日まで休みとかだろ。ざまあみろ・サラリーマンの皆様。
 
 こちらは毎日酔っぱらいである。

 昨日はXOUちゃんちにお邪魔して、家の隣のお寺の本堂でカルくリハ。しかし、箕面トンネル、生活道路なら片道600円て高すぎんで。往復で金麦なら10缶買えるし。

 むちゃ田舎である。ほえ〜となる。これで酒飲んだら気持ちよく昼寝ができてしまう。そんな環境。ついついバカ話により長居してしまう。農村の暮らし・田舎の暮らしについて色々話を聴く。自然保護という考えはわかるが、田舎では自然は人間の(生活)においては味方というより、克服すべき環境である・という話が印象的。確かにいいイメージだけを持って住んでしまえば、おれたちのようなヤワな都市生活者にはハードな現実も待ってる・ってことね。動物が攻めてくる・ってさ。イノシシ・シカ・サルそしてクマ。

 ムシもやはり大変みたい。そこんとこ困る。よく冷えた桃と梨をいただく。ごちそうさまでした。おれの漁村移住計画はどうなるのだろうか。

 帰ってシャワー浴びて着替えて店へ。いろんな人が来て「自分主催」の「不憫さ」はやや緩和されていた。ところが、主催者・途中で寝やがった。最後まで「そんなやつ」だった。

 さて本日はトドムンド月イチ恒例ライヴである。あと何度できるかな。まあできるとこまでやるしかないんだけどね。いい時間をもちましょうね。「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ宣言」@鈴木清順・あるいは「おれがやらんでも誰か他のヤツがやる」@Dr.JOHN・ということである。

 いろんな「再会」の場になればそれだけでもいいけどね。


 

 

 
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2008年08月16日

街がほわっとしてる

 昨日は店で失禁ではなく店に出勤予定と広言しておきながらもバタンQの有言不実行オトコだった。

 なんだか知らん間に「睡魔」に襲われ、なんだか知らん間にベッドに「反対向き」にゴロンし、あとは一瞬で夢の中へと。みなさん、ごみんちゃい。カタいこと言わずに生きていこうね。

 ところで、誰も言ってくれないから自分で言うが、今日明日とTODO O MUNDOはイヴェント・デーが続きます。ま・そのぅ、イヴェントとは便利な言葉で、イヴェントつて言っちゃったらイヴェントになる・というぐらい便利なわけで、「えー・それイヴェントー?」と訊かれた時に「そ・イヴェント」となんの心の揺らぎもなく答えることが出来たらアナタは立派なイヴェンター・というほどのものである。

 というわけで、内容はともあれ、本日明日とイヴェントです。本日はこの19日に日本を発つ・すっぽんぽん'ズ・めぐの「自分主催」の送別会です。「自分主催」というのがやや不憫である。まあしかし、しょうがない。もうこれでしばらく会えないと思われますので、大阪の「隠れめぐファン」いらしたらカモ〜ン。

 明日は明日で月イチの約束を果たしにギターもって行きます。ミタキがやらしてくれ・と言うておるので、バックでギターも弾きましょう。おれはいつもよりオリジナル多いか・と思われます。明日はさらっと密度濃く・ね。

 また「アホの週末これ一本でやってます」でカレーを作ってしまいました。今日のはフツーのカレーですが、隠し味あり。玄米を炊いて。

 これから純ちゃんとXOUちゃんちに行ってきます。XOUちゃんちは箕面トンネル抜けたトドロミというとこです。

 なんとなく街がほわっとしてて殺気立ってなくよいですなあ。

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2008年08月02日

シャンパン11本よりはじめて

 11周年のバカむき出しシャンパン11本開けるしな宴会は無事終了。

 まあおれ自身はそう無事でもなかったけれど、まだあっちこっちに切り傷・擦り傷・矢がささったまま・弾の貫通の後・いろいろありますが、いろいろあるのが人生でもあった。

 しかしだよ、周年はこれで終わりになるのかどうか、よーわからんままでいうなら、そこら辺に漂う不穏な空気をとりあえず忘れて関係者集まれてよかったのかな。

 まあ儀礼的なことはそんなに好きではなく、しかし、店に行くことが昨日は待ち遠しかった。宴も終わり、前述の傷だけならともかく、ルワンダのフツ族みたいに大ナタで斬り殺されそうだったから、朝方放ったらかしにして一人帰って来たが、なんと言うのだろう、トドムンド包囲網がじわじわその間合いを詰めて来てるのは実感する。それは決断も同時に迫るものであって、ちょっと胃が痛い日々の始まりかもな・と予感させる。

 ただね、おれもようわからんのよ。わからんのだけど、何かを清算しないといかん時期なのかな。気持ちがなんか晴れんのね。そのようにしてロング・ホット・サマーは進行していく。

 今年の夏は南部のブルースをよく聴く。スコーンと抜けがあるわけでもない、この音楽は出口のないデッドエンドの中でも人が生きていることをよく分からせてくれる。延々繰り返されるその12小節のなかで山あり谷あり、しかし何も変わらないのだが、なにも変わらなくていいのよ・そのままで、それを何度も繰り返していいのよ・とその12小節は教えてくれて、哲学的でもある。その12小節はもうカラダに沁み込んでしまっていて、バックがなっていたら、いつまでも鳴っているかぎりギターを弾けるのだが、不毛のうぶ毛はうぶ毛のままでそれは値打ちなのだ・と言っているようにも聞こえ、心地よい気怠さの中にどこまでも堕ちていく。しかし堕ちても堕ちても底がない。麻薬的である。それだけでよかったのかな・ひょっとして、と思わせるものがある。ヤバいね。ビートを割るのも伸ばすのも弾く人の裁量に任されるわけで、びちびちに管理されているようで実はもっとも自由の幅が広い音楽であるよね。しかし、ああー・気怠い。単に二日酔いという噂もある。
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2008年07月22日

ややぐったり

 なんかばたばたでしたが、無事7月のお店ライヴ終了。関係者おつかれさま。来て頂いた方々ありがとう。次は8/17です。

 ばたばたしたまま明日から夏期講習。まあヤルしかないのだ。夏は働くよん。

 精神的にちょっと今弱っていて、まだちょっと開き直るわけでもなく、中途ぱんつのうじうじくん気味なのだが、それはあまりに周囲に不確定要素が氾濫していて、どれから手を付けてええやら、もうっ・わからん。そんなときだから、確実にやんなきゃいかんこと「こなす」のだが、それがろくでもないことだったりするからメゲる。「なんでこんなこと、おれがやらなあかんねん」とブーたれながらそれでもやっているおれはお笑いなのだけど、周囲に氾濫する不確定要素を一瞬忘れることができるという利点とは言えんような利点でさえもありがたかったりするわけで、アウトプットの出ない日々というのはこういうことだったなあ、と遠い目をするわけね。

 そのうち周囲に氾濫する不確定要素がじわじわ間合いを詰めてきて、ひとつづつ・あるいは同時に複数が目の前に迫ってくるのだろう。しかし、想像するより、対処に追われる方がまだマシである。その前段階の「うーん・もうっ!!!」な日々。

 生楽器のライヴはもう自分が「ビート」とならないとグルーヴが出ないのだが、厳密な意味でもそんな瞬間があるのね。おれはビートにもリズムにも、自分にも他人にもキビシいのだけど、それでも厳密に言って、その崇高な瞬間というのはあるのね。どんどん酔っぱらいながらその酔っぱらい曲線の上昇と自意識曲線の降下がクロスする辺り、の座標近辺一センチ四方ぐらいのところでそれは起こるのであるが、達成感と至福感で全身が満たされるのだけど、トドムンドにそんな日に集合するヒトビトのアウトロー感がまあなかなかそれを包んでくれていてナイスなわけ。ギターの高音がものすごく今イチだったのだが、そんなこともまあどうだってよくなったりするわけよね。ほんとはよくないんだけど。

 よく知らないヒトビトがトドムンドで合流する・なんてのが結構理想なんだけど、それはあの狭い空間だからかろうじて成り立つみたいなこともある。店が「メディウム」になる瞬間と言うかね。理想の一つである。

 この暑さもコミで今日は身体がややぐったりしている。そのクソみたいな雑用を終えて、バタンQしたいのだった。
 
 ほんとにトドムンドの有り得なさと良さがわかる夜というのはそうそうないから、また来れなかった方も次の機会にほんとにどうぞ。あれを知らずに死ぬのは惜しいよ・いや・まじで。疲れ甲斐もまああるっちゅーことよ。


 

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2008年07月21日

告知など

 言うの忘れてました。

 本日19:00ぐらいから曾根崎デッドエンドストリート・トドムンドにて、マルタニカズライヴです。「裏」で読んでいただいてるかもしれない・ように、大変情況が緊迫してきました。主張は平行線を辿り、なんだか妥協の余地・落としどころが果たしてあるのかしら・という気がしています。まあ・だから、できるだけTODO O MUNDOのフリーキーなフリーさをみなさん味わえる機会を持てるようにと思っております。

 それとまたあらためて告知しますが、8/1(Fri.)はTODO O MUNDO 11周年です。11年間ようやったよな・おお・ようやったで・と思われる方、スパークリングを開けにいらしてください。ほんとは10周年はあるが11周年はないだろう・と思い、そう発言してきた経緯もあるこたあるんだけど、もうさすがに今裁判一歩手前まで行ってることを見るなら12周年はないでしょう。どー考えたところで。いや意外に長引くかもね・って? いやそれが、こればっかりは初体験でほんとなんとも言えないのね。まあなくなる時というのは突然なくなるのでしょう。時期についてはよくわからないけど、そしてどれくらい近い将来なのか、ほんとにわからんのだけれど。

 ただ言えることはこちらの主張していることが認められなければ「TODO O MUNDO」の存続はない・という新たなフェイズが今っちゅうことで、立ち退きの申し入れから始まって今は様相の異なった展開となっている・ということなのです。あるひとりの人間が組織の意向を受けて、おれにそのことを言いに来た。そのときにはかなりの具体的な「提示」があった。そして期限の具体的な提示まであった。そこから物事はすべて始まったにもかかわらず、そんなことは言っていない・とこう来た。そこの嘘を覆すためのこちらにも証拠はある。それが証拠と認められるかどうか・そこは勝ち負けの世界だから、今回の存続の危機はまあシリアスと言ってもいいか・と思います。まあ・法律が相対的弱者に対してどんな対応で臨んでくるのか・そこをおれとしては注目しています。

 おれとしてはみなさんと出来るだけ、その場を共有したいと願うだけなのね。

 ではSEE YOU @ TODO O MUNDO TODAY OR SOME OTHER TIME!!!
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2008年06月10日

理想的

 なかなかハードな週末(おれの場合は日・月)だった。

 ソフトボールのために早起きして、豊津中へ。みんなまじめに来ていた。でも若いの、あんまりうまくないのね。おれも3年ぶりだったが、ゴロが一発来たら勘戻った。でも毎回思うのだけど、一度ちゃんとやりたい。

 その後、広芝公園で昼メシ・ビール。「クルマで来てない?」とこんなところにもヒトを解放しない日本の道路交通法が幅を利かしてる。つまんないことこの上なし。おれはチャリだったから、ってチャリもあかんのか・そうか。さらにつまらない。が、カラダ動かした後のビールを辞退するほど野暮ではないからね。

 家に戻って、シャワーを浴び、金魚運動でクールダウン。夜に備えるのだが、こっちも大変である。本日の予定は約60曲。アホでした。7時に行くとミタキがDJ始めてた。まあミタキなりのベストな選曲だ・という。やや小賢しいところもあったが、大枠OKってことで。

 15分押しで始まり、途中2度ほどカルいワイン・ブレイクを挟んでやっぱそれでも50曲ほどはやったと思う。アホです。5年ぶりに来たという岩手県立大の講師くんやお初・の一期生も喜んでくれていた。ま・よかったよかった。事前に少しでもギター弾く日があると、やっぱりキレが違う。そのあったり前・なことが出来たり出来なかったりするのね。指がさすがに50曲やると、弦の型がついて戻らなくなる。指先拷問に限界を感じ、「飲みタイム」に突入するが、まあ相変わらずのトドムンドの夜だった。Mグもいたら良かったのに。まあ伝統的にタイミングずれるやつなのであった。

 世は間違いなく女子の方がドミナントな立場にあり、その夜もあちらこちらで女子が男子を「とっちめる」図が展開され、そして酔った女子の突破力はクリスチャーノ・ロナウドのドリブル並なのであって、並のディフェンダーには止められんわけであって、堪えきれずに「わかりやすいファール」を犯してしまうわけで、男子は退場寸前の憂き目に遭い、女子の優位はさらに揺るがず、その結果、ワンサイド・ゲームとその場は化すわけだけれども、まあがんばれよ・男の子たち・ともう男の子ではないおれは思うのだ。

 ポルトガルは初戦・トルコに快勝していて、そういう気分の良さも手伝ってか、かなり出来の良いライヴ&トータルとしての夜だったかな。残り僅かなのか・長いのかよくわからんトドムンドではあるが、この空間がどちらにしても永遠という曖昧な時間・そこに存在することはない・ということによる、みなさんの協力溢れる状態での「ライヴ感」はおれも充分楽しんだ。来てくれた方、この場をお借りして「感謝」の意を表すわけでした。ありがとう。

 その朝までコースで、しかし、終わらんのが、おれたちの「究極・アホ」なとこ。月曜は「中津マージナル・ヴィル」での鉄板リハ。イカトマト・ホタテ・甘鯛・野菜焼き・揚げ焼き・バゲット・お好み焼き・広島焼きなんかをがしがし喰いながらのワイン・芋大会でそんなに大層にするつもりじゃなかったのだけど、気がつけば朝だった。一人力でこけずに帰る。

 あー・疲れたけど、おもしろかった。仕事から遠く離れて・の週末でした。関係者ごくろーさん。

 さあ・おシゴト&本日から「闘争モード」突入である。あ・忙しい。
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2008年04月18日

SHELTERとしての

 TODO O MUNDOはシェルターである。

 それを認識するには雨の日にデッドエンドストリートを訪れてみられたらいいだろう。高い塀とこちら側の長屋チームとの間の露地がガラス越しに見える。シェルター感が増すのは雨の夜だ。激しい雨の夜がさらにいい。一度あんまりひどく降ってキャッツ&ドッグズになって露地に溢れた水がドアから入ってきて「床上浸水」したことがあったが、それもよし・だ。各自箒やらモップやら持って水を押し戻すの・大変だったけど。

 「隠れ家的な」とは近年よく使われる・ちょっと込み入ったところにあるお店への形容(多分いい意味の)だが、どーもそれがウザく思えていた。紹介される店の「余裕」みたいなものがひどく予定調和・な感じがしてて、何と予定調和なのかというとちょっと小金もった男とお●んこを武器にした女・との予定調和ということである。お○んこではなくお●んこであるところから、ワタクシのなんらかの意図・を汲み取っていただきたいが。

 なんだか「のっぺり」した空気感に終始するのが・好みではない。元パンクとしては「切実さ」のないものには基本「FUCK!!!」という姿勢でやってきた。

 お店(特に現代のね)なんてそんなものだよ。という意見はあるだろう。わかる。人は何かを演じ、どこまでも演じ、その流れの中に「営業」なんてものがあるわけで、この世はすべて幻・ただただ狂え・そのような姿勢を好まないわけではない。

 ただその中でも、「のっぴきならない」ことだってあるじゃない。そのような情況を関係者が抱えている際に、心情的にそこにはすり寄っていってもらいたい・と思うだけである。行為はいろいろよ。べたべたすることを善し・とするわけでのないからね。

 TODO O MUNDOの2階は雨の日に窓開けて、窓の桟に肘かけてあまり通らない人を上から眺めたりしていると、ここは梅田の真ん中であるにもかかわらず、「甘美なる場末感」に満たされる。そこに布団でもあれば、紛れもないかつての「女郎屋」である。布団は敷いてませんが、おこたならあるけどね。着物はだけて、キセルでタバコ吸う女をそこに幻視することもできる。キセルの吸い口には真っ赤な口紅が・・・なんてね。襖とかカルく破れてたりするのがいいのね。

 3階はほぼ密室と言っていい。はっきり言ってあれはエロい。特に2階にお客がいず、その喧噪がなかったりしたら、This is the very 個室・だ。男女2人で注文もそこそこに長いこといるやつらいるもんなあ。「なにしてんねん」と下で話題になってることを忘れずに。まあセックスはきこきこ音するからアレだけど、いらい合ったり・舐め合ったり・そんなことはこれまでもあっただろうな。「延長されますかー」って電話せい・っちゅうハナシで下で盛り上がってることもお忘れなく。抜き足・差し足で階段登ってるスタッフいたりしてー。フェラチオのための部屋ではないからねー。ディープなチューとかはしょうがないと思ってる。でもそんなやつきっといた。別に責めてはいないのよ。

 ほんとうに「隠れ」ることもできるし、「逃がす」こともできます。追われている方いたら、ぜひ。TODO O MUNDOは「シェルター」だからね。
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2008年01月11日

新年早々

 早くも起こった身内の災害。

 A美ちゃんが、階段から落ちて辺りは血の海だったという。後頭部を4針縫う大怪我だった。一旦店から戻って電話があって天六の救急病院へと急行したが、アタマ縫われても「酔っぱらい」のまま。救急隊員や医者に絡む絡む。看護婦の言う事は聞かない。これってどーなん?

 イノチには別状ないことになっているが、アタマってコワい。安静にしとかないと・というても、ドイツから帰ってきたMグと今日遊ぼう・などほざいとった。

 AIUに電話して事故の事を言うと、「また西田さんですか」だった。こないだチャリを「押していて」こけてカオからいっとった。保険屋に馴染みのA美だった。さすがに起きたら痛むだろう。アタマ4針って。

 おかげで眠たい。今日は生徒が全員来る日なのだ。ゆーうつである。
 病院は厭なのだ。今年はこんなことがもう起こってほしくないわけ。お願いしときたい。

 店の掃除機がインだというから家にあるやつを持って行かせると家のヤツがなくなるわけで、サイクロン掃除機(ダイソンではなくて)を買った。送料コミで5300円也。安いでしょう。新品なのに・だ。かような価格破壊・消費者としては歓迎だが、売り手としてはどーなのよ・である。選ぶ側の圧倒的優位なのだ。「資本主義」とはおそろしい。
 
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2007年12月22日

TODO O MINDOは健在なのよ

 ドイツに行っているMグに大変久しぶりにメールを出すと、すぐに返事が返ってきてた。ねんざして松葉杖だったそうである。と・いうと、ここから話は広がっていくのである。ルーモアというのはそういうもので「松葉杖で踊ってるらしいで」であるとか「Mグは松葉杖スペシャリストとなっていて一歩が2mぐらいの超ストライド歩きをしている」であるとか「もう松葉杖が恋人である」とか「なぜなら松葉杖オナニーにハマってしまったからである」とか流言飛語が飛び交うわけである。

 ま・そんなブレ方もないだろうけど、所謂「社会的伝言ゲーム」とは迷惑なこともある。カオルちゃんのヨメのヤスコちゃんから、「まだ・曾根崎に店あんの?」と質問されたり、江坂界隈のヤカラらはもうTODO O MUNDOは「消滅」したと思われているらしい。いやいや・あのね、元気にやっています。年も越せそうです。2008を満了できるかどうかは「ナゾ」だが、2008には行けます。

 「また〜、そーやって思わせぶりな事言って〜、ヤメなさいよ、そーゆーヘタな営業」
と思われていたら不本意なのでこの際言わせていただくが、この一年地上げ屋に怒ったり・呆れたり、まあわかりやすく言えば「翻弄」された・という事である。

 最初に話があったのが2006年10月。早ければ2007年の3月に「取り壊して更地」と一方的に宣告されたわけだった。前の土地所有者兼大家が突然曾根崎コア関連会社へと土地と建物を売ってしまったことがその発端だった。デットエンドストリートは、土地はトドムンドの大家のものであって、建物に関してはトドムンドのみがその人のもの・他の建物にはそれぞれ別の家主がいて、そして店子がいる・という三重構造になっていた。地上げにしても、そんな場合は段階があり、土地を手に入れた後、家主に交渉し、まとまったら、店子への交渉という手順になる。だからトドムンド以外のどの経営者も曾根崎コアとの接触はいまだにない。ただ、うちの店だけが一瞬土地も建物も曾根崎コア関連会社へと売り渡されたので、担当者がいきなり店子であるおれんとこに来れたのだった。いま一瞬と言ったのは、買い取ったデッドエンドストリートの土地は転がされてしまったからなのだ。二転・三転し、もうおれの知る由もない会社のものとなっている。誰のものか調べようと思えばそれは可能だけど。

 曾根崎コア担当者は「その土地をもう一回買い取らないことには交渉も何もないんですわ〜」とナメたことを言う。「オマエらが転がしてアブク銭儲けようとしたんちゃんうかい」と言いたい。2006の10月には「具体的な金額の提示」まであったのだ。

 10年という区切りでもあったし、おれもなんとなく煮詰まっていたし、もっと煮詰まってるやつも周りにおったし、「ここはひとつディヴィッド・ボウイではないが、「「新しい土地で新しい仕事を」」という気」になったのだ。

 で中津を借りた。

 気持ちとは一旦切り替わらないと行動として現れないし、一旦行動として現れた以上、そっち方面へと加速度かかるものなのだ。

 で、この日記にも書いた。書かなきゃおれも「やってられん」わけだった。

 ところが事態はなんだかヘンテコリンな方向に動き出す。コドモの言い訳のようなことを突然担当者が言い出した。「おカネ・ないんですわ」だって。最初に「具体的な金額」の提示までしておいて・である。そのあげく、このおれが「ほんまに「立ち退き」させる気ぃあんの?」なんてターキーな質問をせざるを得ないことになる。さらには「ほんとにここ立ち退き区域に入ってんの?」なんてアスホールな質問をすることになる。

 「今んとこ入ってます」だって。なんなのだ・それ?

 総合的に考えると、「そこは放っといても自滅しよる可能性があるから「未必の故意」で歯抜けみたいに倒れていくのを高みの見物や」だと思う。

 さて・どーするか? 道は二つある。年末年始・冬休みのおれの宿題である。
jolene_blalock014.jpg「宿題忘れはお仕置きよん」
 
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2007年12月21日

ついでの連鎖

 HONZI追悼に関しての話し合い。早起きして、トイレタイムもそこそこにサンホールへと向かう。アンツ元木が時間厳守で来ていた。カオルちゃんはいるはずだが姿が見えない。テーブルの下やゴミ箱の中や、葉っぱの上なんかを探すがいなかった。トモノは欠席。

 かおるちゃん・いた。厨房でなんかしてた。

 不確定要素が満載ながらも少しずつ前進している。次は29深夜にトドムンドにて。

 店のデロンギが壊れたというから自宅で使ってるやつを持って行く。こういうついでに物事を過不足なくやることが好きなのである。つまんないことはできるだけ合理的にすませたい。ついで・というのは時間が限られた人間にはものすごく訴求するのである。

 そして吹田の税理士んとこまで年末調整用の資料を持って行き、銀行に寄り、5年分の領収書の段ボールを持って帰る。この美しい「ついでの連鎖」に自画自賛する。

 昨日・ココロに痛い事があったが、もう忘れている。なんでこんなにアホなのか・とも思うが、忙しくしていることは良いな・と思う。かつての盟友たちと意味ある事を話するということも何かをきっと救っているのだろう。

 さてもう今年も10日である。去年「もうこれが最後よ」と言いながら年末にライヴをした。そして店はおれの意思の及ばないところで、存続し・するしかなく、次の年末を迎えようとしている。解決の糸口も見いだせないまま。

 で、店の責任者としては、移転すると言いながら移転もせず、一年やってきたオトシマエをつけないといかんな・と思う。今回は「これが最後になる」かどーか・言わないでおこう・と思ってて、それでも年末みんなで騒げればいいかもしれない。

 31日大晦日、年越しライヴをやることにしました。カオリーニョ藤原もゲストで来てくれます。ですので、できれば多くの方いらっしゃい・と思う。そしてできるだけ長くトドムンドが存続することを祈りたい・と思う。
VFSH0111.JPG「近未来へのまなざし」
 
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2007年11月28日

おばあさんとしてのTODO O MUNDO

 地上げ屋氏へ連絡するもTHINGS REMAIN UNCHANGED. であって、そんなことにもう怒れなくなってる自分にもちょいと呆れる。怒りを継続させ続けるってムヅかしいのだ。慣れっこってのもこわいですね。

 しかし、TODO O MUNDOも黙っちゃいられないわけで、未だ廃墟未満のあの場所がいつ終わるかはもう言わないことにした。廃墟未満な状態で何が出来るかを考える。年末に向けて、遊び場としてもう一度生命を与えようと思ってる。

 前の壁はだいぶ「遊んどる」。それはそれでよしであり、アーティストの子たちもっとなんかしにおいでよ・とオーナーが言っておこう。ライヴもよし。ナチュラリズモやってもいいで・ミタキ。家賃もよろしくだけど。どう?

 あの夜の「治外法権度」はこの世知辛さが等比級数的に増大しているこの21世紀初頭には、一度なくしたら、二度とは手に入らないものだから。まあ、おれたちはそれに甘え、誤解し、それってここではあったり前〜などと思ってしまってたもんだから、ただそれは「特異な経験から来る思い違い」なのであって、そんな場所なんて何処探してもなかったのだ・イマドキ。

 曾根崎デッド・エンド・ストリートはその晩年期に於いて、もう一度変容するでしょう。どーなるかは具体的には言えんが、もう一花咲いときましょう。

 最近おれの周りでは、みなさんご存知のようにヒトがどんどん死んでいく。そして周りにはおばあさんたちがものすごく多い。自分の母親も含めて。参加型ねこもデッド・エンド・ストリートもおばあさんだとするなら、おれはおばあさんには「優しい」のだ。

 おばあさんを大切にコキ使おう。

audrey1jpgおばあさんになっても本当に美しかった方である。
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2007年10月24日

秋から

 秋物を着ると「すこしはまっとう」な人間になった気がする。そんなにだらしないか・おれの夏の装い。いや・たしかにだらしない。が、みなさん大抵だらしない。

 だらしない季節は完全に終わり、秋ど真ん中なのであるが、秋はアタマが醒め・冴えてくる。この覚醒と言ってもいい状態であるのに、考えねばならぬことは「結構しょーもない」ことが優先順位でメゲる。考えるべき(勝手に思っとるだけか?)崇高なおれにとっての「ポアンカレ予想」は、いまちょー冴えているにもかかわらず、雑事と電卓たたくその指の先から、その冴えの鋭利さは摩耗していき、気がつくとそこにはおっちゃんがワインがぶ飲みしてるだけではまったくもっていかんのであるが、その解明はまたもや先延ばしになるのだろうか。

 ダメぢゃん。

 ということで、地上げ屋氏へ電話をしてみるが、珍しく出てくれたが、話の内容はまったくもって珍しくなく、情況は変わらず。今デッド・エンド・ストリートは駒芳のおばはんが、電気代かかる・かなんかしらんが、ストリートの街灯を消してやがって、トドムンドからほのかに洩れる灯りでぼーっと鈍く光っているだけだ。どうしてそーゆうことをするのであるか、まったくわからんのだが、ほんま・自分の事しか考えてないやつばっかりで、今日もトドムンドはユルフンに泊まらせて早朝より、下水づまり解消作業に立ち会わせたのだけども、こんなことじゃいかんでしょ。露地のファイナルは延々続いているが、なんらかの対抗策を考えないといけないのだけど、露地がなくなるのはまあしょうがないとしても(もはや・びんぼっちゃまなのでね)、露地の住人が、地上げ屋の見通しの甘さとええ加減さによって「不当に」経済的損出を強いられるのはいかがなものか?

 中津もいい加減かからないと、と思い、方法を考えている。曾根崎の営業日を予約以外は週末中心にしようかとも思う。週初めはみんなで「大工に変身!!! 」なんてね。で録音して、何べん録ってもあかんやつには、壁塗りの刑とか床掃除の刑に処す・とか。

 もうちょっと現状ただただ待ってるだけじゃあ埒があかん・ということは明白だ。行動に移ろう。

 それでも消えていく曾根崎の露地への思いは捨て難い。まだ今なら楽しむことができると思う。

 最近・夜が冷える。2階おこた入りました。

 

 
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2007年09月26日

あ・忙しい・忙しかった

 ネットもZAQに変える工事・保険屋が来て保険の更新・終わったかと思えば、メールが使えない。慌ててZAQのカスタマー・センターに電話したが窓口のオンナのコでは埒があかず、のちほど技術の方から電話させます・というから、今のうちにメシくっとこうと思い、半分喰った頃に電話があり、もぐもぐの状態であーせーこーせー、うーんうまくいかんなー、こまったこまった・の時に地上げ屋氏から電話だが、優先順位はメール回復であって、無視していたら、鼻の毛穴がちょービッグなおばちゃんがコーヒーの宅配・ちょっとすいません待ってね・と電話を置き、こんな時に限ってコマかいお金がなく、えー・五千円ですかー、って娘みたいなその喋り方・やめなさい・その鼻の毛穴つけたまま、なんてことを言わずに思っただけだったのだが、しょうがないから500円玉で支払い、電話に戻って、やっとこさ開通して、メシの喰いかけを喰って、よーし電話や・地上げ屋ー、とかけるなら出やがらない。バタバタな人生。

 気がせくと疲れるでしょう。疲れるよね。コンピューターって何かを変えると何かがおかしくなる。まあ・充分予想できたことなのだが、やっぱりね。外はさわやかだが、おれの精神は極めてさわやかではなかった・本日・ここまでである。

 昨夜は「中秋の名月」であったが、こないだ買ったよー見えるメガネで見てみるなら、どうも「球」ではなかった。で調べてみたら今日明日十六夜十七夜の方が「球」である・ということでした。ヴェランダの季節である。夏は・終わった。

 今・中津が遊んじゃってて、わかっていることはトドムンドが本格的に移動しないことには物事は始まらない・ということである。で・中津を始めるにはヒトが足らんから、あちこちに声をかけているのだが、ここでも言ってみるけども、トドムンドのバイトを募集してみたい・と思ってます。19:00から23:00の4時間、時給は750円か1000円、750円から1000円ではないとこがミソなんだけど、世界の音楽とかに興味があれば楽しいと思うし、お酒作ったり飲んだりするのが好きだったらもっと楽しいと思う。晩メシは喰い放題・酒もまあ飲んでかまわない。クミンの香りが平気なら、さらに良い。3階まである階段の昇り降りはダイエットにも最適。深夜のトドムンド・露地の「アジール性」がわかればもっと深く楽しいはず。週一回でもかまわないので。老若男女犬猫美醜問わず、いいヒトならば。トドムンドに直接TELか・monile1@yo.rim.or.jpまで、お待ちしてます。
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2007年09月05日

またなくなった・よりはじめて

 ポテトサラダを作っていて、よし仕上げだ・と思ったらワインヴィネガーがなかった。またブラックホールや。

 しょうがないから、酢とガラムマサラと醤油を隠し味にした。最近タッパウェアをよく利用する。今までそんなことしなかったよなあ・よく考えたら。明日は明日の風が吹く・だった。しかし、作り置きというのは便利だ・とやっと気づいた。最近は「漬け」にもハマっているから、今、冷蔵庫にはブリカマの粕漬けがある。粕はエラい。ひいては発酵がエラい・ということになる。

 料理は楽しい。ほんといい奥さんになれると思うんだけどなあ・おれ。まだメドは立たんのだが、中津の店でどんなものを出そうか・とすこし考えている。鉄板だから、焼くなんてことは当たり前だが、イタリアンな要素やエスニックな要素はないとさみしい。酒もワインから焼酎経由でカイピリーニャまでないとさみしい。居酒屋的なフランクな感じも悪くない。しかし、小型のワインセラーも置きたい。早くやりたい。地上げ屋の方・頼むよ・ってずっと前から言ってるんだけどね。と、おれ自身がダブル・バインドなキモチを持たざるを得んから、「イイイイーっ」てなる。

 ナチュラリーもコミで4部屋用意したい。2階はないとやっぱりこれもさみしい。階段現トドムンド以上に急だけどね・へへへ。木が、落ちると痛そうな質感だけどね・へへ。関係者にはもう少し「現実」に強くなって頂いて、冬にはオープンしたいものだね。

 曾根崎も有終の美を意外と長期間飾っていますが、それはそれで、あの「失われゆく場」を楽しむしかないでしょう。いい店なのよ・トドムンドって・やっぱり。関係者の方々がんばっていただきたい。
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2007年08月29日

浪速のカエターノな時間

 トドムンドのユルさって独特のものがあって、そこで行われるライヴというのも、独特のリラックス感があって、そこではマルタニカズも「浪速のカエターノ」化ができるわけであって、こないだのお祭りん時は「浪速のカエターノ」度・かなり高くって、いやー・楽しかった。

 カエターノ・ヴェローゾを歌う・ということは、なんて言うんだろうなあ・一気に意識が地球の裏側へ行くというか、中間地点のメラネシア辺りで、落ち着き場所を見つけるというか、ココロを浄化するというか、善き人になる過程と言うか、何を言うとんねん・と思われるだろうが、なんだかそんなの。

 まあ現在の日本・欧米の音楽情況とはまるでカスリもしない行為だと思われるが、それはそれは崇高な体験なんですよ。それを歌うのにもっとも適した場がトドムンドであるってことは、まあちっちゃくガッツ・ポーズである。音楽とかにうるさくない(うるさくても歓迎だけど)ストレートなソウルの持ち主に次は来て頂きたいですね。きっと何事かを感じることでしょう。

 あの日のデッド・エンド・ストリートとトドムンドはかつての熱の溢れていたそれらから邪念をすべて取り去ったようなストレートな美しさに満ちていた。

 ヌノくんの布も名残として置いてある。ハートビーツ・マイナス2・プラス1のこれまたリラックスした演奏も花を添えてくれていた。また、やろう。
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2007年08月28日

おれがデッド・エンドなのか・もしかして

 地上げ屋氏に電話。2回コールで出るから、ちょっと焦る。

 こないだ曾根崎不動産からの情報として聞いたことをぶつけてみる。「ありえない」というが、よくよく聞いてみるとデッド・エンド・ストリートの現在の地権者と価格のことでモメているらしい。しかし、その決着には1・2ヶ月かかる・という。もっと早いかもしれない・などと、おれの気を迷わせるようなことも言う。

 ちょっとこちらの方が「デッド・エンド」に迷い込んだ感がある。何かこの情況の打開策を考えねば。最大のネックはヒトかな。ヒト・だな。

 市役所の法律相談はいつだったかな・と電話すると、たまたま今日でたまたま空いているというから予約をしたが、いったい何を法律的に訊けばいいのだ? と思ってしまう。まあとりあえず、行ってはくるが。何か見えてなかったことが見えるのかもしらんしな・と思って。

 やっぱ、ちょいと発想の転換が必要かもしらんなあ・と思う。そのココロは・・・「曾根崎は終わらない」かもしれない。地上げ屋性善説なんてのはやっぱり「幻想」か? 当たり前か? どんだけお人好しやねん・ちゅうことみたい。とりあえずはヒトは信じてみる主義なんだけども、そうも言ってられんような情況だもんね。ちょっと別のスキームが必要なのかもしらんなあ、と思う。

 カンカンでりの猛暑は去ったみたいで秋雨前線(梅雨前線の逆)が南下してきてる。狂う・なんてことに逃げ込めない季節に入ることである。なんだか急にシラフ化するのは調子狂うのであるが、環境には翻弄されるぐらいでちょうどいいのかもしれない。しかしまだムッとしてるね。焼かれることはないが蒸されてる感じ。シュウマイや肉まんのキモチがわかる。

 
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2007年08月26日

さあさあお祭りだよん

 デッド・エンド・ストリートの「露地祭り・残暑を楽しめ@TODO O MUNDO」

 7:00pm〜トドムンド専属DJミタキユー1ロー。8:00pm〜浪速のカエターノちょっとしたライヴ。4000円以上はいただきません価格(食いもん/飲みもん)。

 時間はそれを守らなかったからといって、誰にも怒られないので、まあしかしジョーシキの範囲で。トドムンドタイムはしかしブラジルタイムでもあるけど。

 という、「自由の弾ける・パリ5月革命時の自治区」のようなデッド・エンド・ストリートへ、おいでよ。

 では、準備が多少ありますので。
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2007年08月24日

露地祭りにおけるワタクシ事

 ギターを持って歌うことは楽しい。リハビリに20分ほどかかるが、20分のリハビリはリハビリとは言わんだろう。で、ギターを抱えて20分後には「本調子」になっている。

 トドムンドで歌うということは、トドムンドの性格上、自分の脱国境音楽の師匠たちの歌をみんなと共有してみたいわけだった。あるいは師匠たちの歌をマルタニカズのフィルターを通して再現することなわけだった。歌は生き物であるから、それはフィルターとの
相性・フィルターのメンテナンス度・その歌の現代性なんかにものすごく左右され、いい時・悪い時、551のある時・ない時、結果はさまざまである。

 とっても一人じゃできないような楽曲を一人でやるのが好きである。「楽団ひとり」なんちって。
 自分のカラダの中にはさまざまなリズムがもう既に内蔵されていて、そのプリセットのリズムを取っ替え引っ替え使うこともあるし、その場で即興的に「その歌に合う」という制約の下で作り出すこともできる。カラダと精神が「その高み」にあれば出来る。

 その高み・とはまあ「純粋体験」のようなもの・とでも言っておこうか。それは束の間・ほんとうに自由なのである。人前でやっているが、そこでは音による支配・被支配という関係もない。やってる側がエラくてなんて意識も存在しない。逆に聴いてる側の視線を神経症的に感じることもない。朝青龍でもない。能力と経験と機転の限りを尽くしてそこで遊べるわけである。歌とは一見関係のないようなリズムとフレーズが右手・左手で奏でられるわけであるが、その時々で意識が歌に行くか・ギターに行くかってのは刻々変化するのだけど、チョーシいいときは、ほんとうに音楽的解離性症候群になれる。この国では何かに集中することや・これ「一本」でやってます・しかも長年!!!なんてことに重きをおかれてしまう傾向があり、それが各業界の閉鎖性を導いていると思うが、そんなこともその場ではどーでもよろしくなるわけで、その快感を知っちゃうと、自分独自の自由は理解されにくいな・と結論づけられ、他人に説明する気もハナっからないものだから、そこはほら・「孤独」なんていう心象になる。しかし、みなさん・「死ぬときは別べつ」。どんなにキズやらケツやら舐め合っていたとしてもだね、「死ぬときは別」よ。「生まれてきたのも双子でなけりゃ」一人だったわけでさあ。などという見たくない・知りたくない・思い出したくない「真理」がそこにはあったりしたりなんかしちゃったりしてえ。

 TODO O MUNDOも終わる終わると言いながらも「まだ・ある」。おれのキモチとしてはだね、まあ中津で音を出すのはかなりきびしい。今でも、深夜にBTっちとかが、バカおんな化して大声でしゃべったり泣いたりしているだけで、となりのおじいさん、かなりキレてるみたいだから、音楽の現場にはならない。すると、現在のデッド・エンド・ストリートの貴重さが浮かび上がってくる。いずれ近いうちになくなることだけは間違いない。だけど、あるうちに、ありえないことに使っておくのは、なによりもおれのためによいだろう・ってのが結論ね。
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2007年08月23日

露地祭りファイナルPART 2

 来たる8月26日、夏休み(誰の?)最後の日曜日、曾根崎デッド・エンド・ストリートの「露地祭り・残暑を楽しめ@TODO O MUNDO」があります。

 あのね、北の方ではね、短い夏をそのように表現するらしい。別に北の方ではないけどね、ここはね、どっちかというなら南よりもその体感温度においては南・もう亜熱帯化しとるけどね、そこんとこ現実に負けちゃいかんのよ・おれたちは。メイク・ビリーヴしないとあかんのよ。石川五右衛門だよ。心頭滅却すれば火もまた涼し・なのよ。

 ミタキによるDJ・浪速のカエターノao VIVO・ヌノくんによる布を使ったアート・そして、でたらめ盆踊り、の豪華四点セットにプラス・フード・ドリンク、どんだけ喰って飲んでも4000円以上はいただきません・のこちらはナミダナミダのお客様第一主義的ご奉仕価格で、みなさまご来店お待ち申し上げておりますから、来なさいよ。

 時間は19:00〜。浪速のカエターノは20:00〜ぐらいからでしょうか・でしょうね。猛暑の8月ももう終わり。終わったからつって、まだこの猛暑はしばらく続きそうなのですが、そこは・ほら、9.23のラフレシア秋分ライヴや10.5のファンダンゴ20周年の前に、ばか騒ぎしてこのバカ8月にイッパツキック入れとかなあかんちゃうん。

 露地祭り最終回PART 2でもあります。そんなこと言ってパートいくつまであんの?とか訊くのは 野 暮。おれにもわからんのだよ。ですから、そんな崖の上、片足で立つ・みたいな情況を一緒に楽しんでみようよ。神は自ら助ける者を助く。そーいうわけ。
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2007年07月25日

7.29騒ごうぜ

 なんだかんだ・あるいは・あーだこーだ言いながらも曾根崎TODO O MUNDOは10周年を迎えてしまわれましたよ。

 10年一昔。早いと言えば早い・長いと言えば長いこの流れて行きよった歳月を懐かしみ、愛おしみかつ笑い飛ばすという言い訳で7.29(日)8:00pmより、シャンパン・ポンポン大会を開催しましょう。シャンパン開けに来る義務もあるよね・キミならびにそこのキミ。

 この10年に縁がなかった方も知らん顔して開けにおいでね。本日天神さんですね。うちの家からは毎年花火が遠くに見えます。お勉強を中断してみることになってる。

 夏・って感じが増してきましたね。この夏がみなさまに「良き夏」でありますよう・祈りながら、7.29来た方がいいよ・とお勧めしているわけなのだ。
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2007年07月13日

中津のナチュラリー/曾根崎のトドムンド

 ややこしいけど、中津マージナル・ヴィル、トドムンド(まだ全然できてない)の一角に於きまして、ミタキがナチュラリー@TODO O MUNDOを明日7/14(土)オープンさせます。

 曾根崎トドムンドはまだ地上げ屋とのハナシ、見通しが立たず、うじうじ・ぐずぐず・しているのだが、この梅雨のねとねと・しとしとと相まって、煮え切らん擬態語的様相を呈しておりますが、一足先に移住した先発隊ナチュラリーとジーナ&きじこは、早くも中津住民としてなんとかうまくやりはじめたみたい。ネコたちもお互いを「同居人」として認めたみたいでまずはそれが一番嬉しいのだが、まあ曾根崎〜中津への緩やかな移住は徐々に進みつつあるということかな。トドムンド本体は未だどーなることやら「?」だけども、確実に拠点はできつつあるわけで、あとは・・・・たのむで・地上げ屋・しかし。

 というわけでどちらもディープで奥まった土地で、まあ2つ店をやっとると思えばええか・という気分にシフトしようと思ってる。そうはいっても夏の曾根崎トドムンドなかなかよろしいからね。ユルフン・コックも最後ぐらい横からだらしなくベロンという情況ではなくきつきつでやってみろ!!!一回ぐらい・と喝を入れておく。

 梅雨〜夏がヴェランダから終わるまでは「恒例の泡特集」やろうと思ってます。@曾根崎トドムンド。夏の冷たい料理もね。失われゆくものの中でいっとき外気の湿度と熱帯夜を忘れ、緩んでみてくださいね。
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2007年06月20日

ハロー・どろぼうくん

 todo o mundoにドロボーだってさ。

 何故貧者は貧者のものを盗むのか。
 
「お前はワタシの金を盗み・ワタシのたばこを盗み、
  しかしお前がワタシに経験させるこの変化にもかかわらず、
  何故このようにお前を愛すのか。
  まだワタシはお前の痕跡を見てはいない。

  教えて欲しい。どうすればお前と一緒に居れるのか。

  川へ連れて行って、そして突き落として、そしてワタシの魂をあらって。

  抱きしめて、愛して、ギューっとして、からかって。ワタシが死ぬまで」

 浪速のカエターノも歌っています、AL GREENのテイク ミー トゥ ザ リヴァーの一節だけど、まあALは牧師さんでもあることもあり、この不条理極まりない情況を受け入れ、右の頬を張られれば左の頬を差し出すかのような、キリスト的なニュアンスに満ち満ちた歌ですが、若いバカオンナに翻弄されるおっさんの心情にも取れん事もないが、そんなことはしないものなのである。

 ドロボーされる側のキモチを例えてみた。

 別に3万ぐらい惜しくはないが、何故、玄関が閉まっているからとはいえ、二階あるいは三階からそんなにがんばって侵入するのか。こんな店に大量の現金があると思ったのか。キミまだまだやな。そしてそのがんばりは3万円の値打ちに値するのか。そこんとこおれにはよくわからない。わからないが、キミにとったらそれが一番効率よく、リスクを冒す値打ちがあったということなのだろう。ヒトの数だけ考えはある。

 しかしだよ、もういいからさ、とった3万のうち1万ぐらいトドムンド来て飲んで使えよ。いまなら白・赤・カイピリーニャと飲んで腹一杯食べてもおつりくるよ。

 
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2007年06月19日

空が暗い・よりはじめて

 本日空が暗い。社長の仕事=雑用なのだが、朝から家の電話に留守録5件も入っている。人気者だ。

 ほんとは人気ではなく単なる用事・しかもお前らの営業に関わる用事で別におれはあってもなくてもそんなもんは構わんのだよ・と電話の主に物申しときたいぐらいの話である。

 言った仕事をちゃんとやる。そこにマニュアルがあれば「ラク」ではあるが、必ず、その範囲に収まらん出来事は起こり、それがまたマニュアルに追加され、ある種の躁状態で一日の営業が始まり終わる。そういう有名チェーン店の一日を追った映像をTVでやってたが「すごいなー」と思う反面、「なんかヤだなー」などと思った。なんでヤなのか・と思うのだが、はっきりくっきりとはおれもバカだから言えんのだが、店の者や客に「人格」みたいなものを感じにくい・とでも言ったらいいか。すべての人間がREPLACABLEに思え、世の中はどんどんそんな方向に一つの流れとしては強力なドライヴで動いてるな・やっぱし・といった感じ。

 ただ、ヒトは人ごみに紛れたいときもあれば、オノレを主張したいときもあって、そのものすごく、ハラはいっぱいになり・酔いもするが、店と客の距離が縮まらないではなんとなく、みなさんツラくないのかな。ワカモノはそれでいいのかな。仲間がコミュニティだからそれでいいのかな。それ閉鎖的かもね。わからんうちは放置するしかないのかな。

 トドムンドは売り上げにして、その1/10にも及ばんが、もうちょいとお客の方々もお店のヒトビトも意識が通い合っていた・と思う。中には2・3階の個室目当ての不届きなやつらや団体で来て2階の冷蔵庫開けてワイン只飲みなんてファンキーなやつらもおられましたが、ネット等で閲覧するトドムンドに関する反応は10人に1人ぐらいの割合で「とってもスキ?」なんてことが見え、うれしい限りである。

 あの雰囲気は曾根崎だけのものだし、あれを中津で出せ・と言われてもちょいとムリ。また外見は別のものながらその味わう雰囲気が相似なようにはなんとかしたい・と思ってはいます。店の形態も変わるわけでそれはしゃーないのである。しかし、やっぱり「ユルむ」こと・これは大変重要なことなのではないか・と思ってる。リラックスは大事な事で、しかし終盤トドムンドにおいては客より先に店のものがユルユルになってしまうという事態も発生し、それもなかなか匙加減よのう・と思うわけだった。ユルい中でのモチヴェイションなどというムヅかしいことをやっとったわけね。そりゃ失敗もします。もう6月も明日で二十日である。月末になると地上げ屋氏との折衝が待っている。待っているんだが、またおれ、テストやんか。時間を作るのが大変な時期である。今回は長いぞ〜・これがまた。本日から始まって7/18迄である。一ヶ月とは・とほほ・であった。2学期制とか3学期制とかどっちでもいいから統一してよ・お願いだから。

 7月入っても曾根崎はまだやっていますので(これはほぼ確実)、木とか土とかはおれも失禁ではなく出勤している確率高いですので、ではみなさん、その節には「旨いサケをくみかわしましょうか」


 ていうか、昨日トドムンドにドロボーに入った誰かは知らぬがそこのアナタ・もっとたくさん現金があるとこ入んなさいよ。3万円ぐらい取ってなんか嬉しいのかよう。
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2007年06月05日

う〜ん・もうっ!!!

 久しぶりに吹田の「STUDIO YOU」に行くと部屋は広いわ・いっぱいあるわ・駐車場もわんさかあるわ・で至れり尽くせりで曽根のデュークよりも安かった。もうこれからは吹田の時代だ。

 ミタキが今週・辺境村へと先に引っ越す。おれも早く行きたいのだが、地上げ屋との交渉が暗礁に乗り上げている。次回は6末である。ということは多分中途ぱんつなままで、TODO O MUNDOは10周年を迎えてしまうだろう。お客への責任として、いついつまで・ということを宣言したいのだ。したいのだが、それができない。すべては「地上げ」である。遅くともこの数ヶ月で「立ち退き」が決まっている場所・つまり「曾根崎コア」が担当している場所と、その他の場所では事情が大きく異なる。それにデッドエンドストリートは元は「見捨てられた露地」だったのだ。トドムンドが出来て活性したのだ。建設的なご近所意識もそうなって初めて具体的にできたわけなのよ。

 いくいく・でるでる・と言いながら、なんでまだおんねん? という疑問持つ方いらっしゃる・と思う。行くのだし出るのだけど、交渉が交渉にもなっていない。言い出した方が今交渉を避けているという信じられないことになっとるわけよ。

 あまり具体的な事はこれ以上言えないし、ことがすっきりしたら、この心理戦のことはゆっくり説明したいと思ってます。それよりも今は二人と二匹が路頭に迷わないように辺境村への移住が開始されたところである。

 そしてTODO O MUNDOは幸か不幸か最低でも8/1までは営業する事になるでしょう。喜んでいただける方まだ若干名おられると思いますから、このじっとりの似合う・最後のデッドエンドストリート楽しみに来られませんか?

 この時期になると、いつもよくかけているブラジルもいいんだけど、アメリカ南部の音がよくなる。マリア・マルダー、ボビー・チャールズ、ジェシ・ディヴィス、マーク・ペノ、レオン・ラッセル、Dr.ジョン、ミーターズ、アラン・トゥーサン、イヤン・カーサン(こんなんおりません)、リヴォン・ヘルムのソロ・リック・ダンコのソロなんてのが聴きたくなる。ほぼ条件反射なのだけど梅雨前または梅雨時の湿度はもう確実にそんなムードにさせてくれます。梅雨が開けたら、カリブのズークやらソカやらメレンゲやらコンパやらがびったしハマるトドムンドだった。10年間の想い出は尽きないのだけどちょうど10年前の今頃工事はいっとったなあ・と思い出す。当時はミーツの姉妹紙のサヴィに「時のゆりかご」というタイトルで「地域限定バカ話」なるものを書いておったなあ。まだ野田が編集長でラッキー(FPM田中くん)もおったなあ。ミルクマンも映画書き始めだったかなあ・それでもよう書いとったなあ。この10年間でさらにどこにも行かなくなってしまったおれはより一層社交的ではなくなり、しかし、トドムンドの良さはそんなに一般的には理解されたとは言えんなあ・などと想い出や後悔などいろんな感情が渦巻いているが、10年曾根崎であっぷあっぷながら営業してきたという事実は関係者の中にそしておれの中に残る。

 トドムンド・ファイナル・ステージという言葉も自分の中で使い古されてしまった。だからトドムンド・ザ・ヴェリー・ファイナル・ステージと「まさにその・なんつって」副詞添付っとくが、なんかかんや・言うても2ヶ月だろう・と思います。それより延びるなんてことはなんぼなんでもないと思うのだけど・・・・・。亡くなりゆくものを大切に愛でときたいと思われる方、一緒におれと飲みましょう。

 
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2007年05月29日

一体何なのだ?

 すっぽんぽん'ズの来襲を受け、肉2枚・ビール一本・ワイン一本が消滅したのだった。

 新曲のデモを録ってみよう・ということだったのだが、新しいテレコを使い出すいい機会になった。

 聞けばナチュラリーは昨日フェアウェル・パーティをしたと言うではないの。ほんとに曾根崎コアのええ加減さによって、おれたちは途方に暮れ、路頭に迷う者が出るなんてことになるのか・と思えば怒りが込み上げてくる。

 約束の期日の電話の対応も「なんなのよ・それ」である。極力紳士的には振る舞っとるのだが、「こわ〜い地上げ屋の本性」も垣間見えるから、こちらもキレたら負けであるから、暴言は吐かない。

 しかし、もめればもめるほど必然的にTODO O MUNDOの寿命が延びるというこの「皮肉」。まあおれが、事情知らんヤツらから「あーだこーだ」言われるのは別に構わんのよ。内部の人にしか分からん事もあるしね。内部の人間が理解してくれさえすれば、おれは別に構わんよ。

 それにしても、なんだか「ハマりこんだ」のかな。外部の事情わからんひとにはいずれ説明できると思うが、今はもめればもめるほど豈図らんや、トドムンドはそこにまだある。いいのか・わるいのか? いったいなんなのか? 地上げ屋氏とのハナシが昨日だったから、ややおれもコーフンが未だ醒めん。冷静に冷静に・と言い聞かせてはいるのだけど。
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2007年05月26日

残り少なきOpportunity

 本日わたくし・TODO O MUNDOに「失禁」じゃなかった「出勤」いたしますので。

 宙ぶらりんは「もうほんまにええ加減に」していただかないとこまっちゃう・のよ。

 では、C U @ TODO O MUNDO>
 
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2007年05月17日

最後のひと月

 なにやら嫌な感じである。なにやら。「漠然とした不安」のような。

 芥川ならそこで自殺なんかしちゃうのだが、知恵遅れ故、そんなことはなく、メシ喰って酒飲んどるのだが・おれのばあい。

 ヒトを嫌〜なキモチにさせることをなぜみんなそういとも簡単に言い・書き・する・のだろうか。「小さいぜ」キミら。何が不満やねん。塾生なら「ボケか!!!」でビンタで終わる話だが、ええオトナがそんなんではね。「甘え」か。アプローチして欲しいのか。おれもいそがしいっちゅーねん。ギヴ&テイクの概念はないのか。最初は利用はしたいが自分らがチョーシこいたら「もうええ」のか。

 かようにつまらん・自律していないヒトたち多く、なんだか疲れるねえ。

 トドムンドの火災保険を継続した。実はこの19日で切れることになっており、しかし、一ヶ月先まで営業するわけで、ここは邪魔くさがらんほうが、いいと判断した。一応年契約でなんかヘンな感じ。6/17でカットアウトしたい・と思ってます。ねえ・みなさん、最後に一度デッドエンドストリートを訪れ、雰囲気を酔いの中でハレホレヒレ状況で堪能しておきませんか。もうすぐ梅雨入りですが、「雨の曾根崎・デッドエンドストリート」は良いのよ。そのじっとり・ねっちょり感が「亜細亜的」でこれがまたワン&オンリーですのよ。最初に下水が詰まって、トイレが使えなくなったとき、「ここはよ〜っく考えたらアジアですので、男子は(小)はお外でカモン!!!」なんてこともあり、お客はけっこうそれ・喜んどった・ようなこともありましたね。時は流れた・ね。

 曾根崎トドムンド、地上げ屋がはっきりせんのが原因で、「美しく終わり損ね」てますが、まあ、あと泣いても笑っても一ヶ月。できれば、懐かしい方、最後に想い出を語りに来ませんか。あるいはトドムンド新人の方、ギリギリガールズで間に合ったと素直に幸運を祝ってバカ飲みしときませんか。

 最後の一月、おれは別に肩のチカラ抜けて、モノ事はあるうちに楽しんどくべきである主義者なので、そのように身を処す所存です。中津では絶滅するメニューもあるからね。
seven3.jpg名残惜しいのか。

 

 
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2007年05月08日

ほんろうされてムカーっ

 本日地上げ屋氏と2度目の対面。また先延ばしして来やがった。

 今の時点で言える事は6月17日で曾根崎Todo O Mundoは終わるのではないか。なんかはっきりせんでしょう。これはおれが考えたセコい新手のマーケティングではなくてだね、地上げ屋がはっきりせんのよ。地上げ屋の担当者ではなくその上層部がはっきりしないのだ。ほんとにアタマに来る。最低のオヤジたちだ。

 その上層部のおっさんら・今年の初頭にこのデッドエンドストリートを一時立ち退きの対象から「外した」らしい。それがほんとなら、こんなに人をバカにした話もなく、おれたち店子のキモチを踏みにじる行為で、一発シバかんと気が済まんよ。

 というわけで本日より、「条件闘争」に入ることにしました。次の回答は5月末だと。おれはジレんのが一番嫌なんだって。

 でも曾根崎Todo O Mundoを名残惜しいと思っていただける方には、もう一ヶ月ちょいあることに今んとこなりました。5月の最終週になればおれも店にカオ出せます。最後の曾根崎Todo O Mundoを共に味わえればそれはそれで良しとするか・とキモチを切り替える。知恵遅れの特権とでも理解しておくれ。
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2007年05月07日

FAREWELL FAREWELL

 最後の店ライヴは楽しかった。珍しい・懐かしい顔ぶれもそこにはいて、それはそれでいいのであって、ヒトのキモチというものは刺激によってまた変化もするものだからだ。

 やっと明日、地上げ屋氏とのミーティングが持て、これで本格的に「終わり方」を具体的に考える事になる。

 いや、ほんとにみんなよくやった・と思う。特に後半の三年、苦しかった。色んな意味で苦しかったのだが、その経験は中津で生かす事が出来る・と信じたい。特にa美ちゃんとN井だ。ここでもう一息、自分の出来る事を再検証してみてほしい。きっといろんなことができるはずなのだ。ヒトの可能性なんてモノは一つの環境だけで判断しちゃダメで、変化に誘発されて化ける事だってある。

 決めつけ・がいかんのよね。定評というか。決まった評価にもまだ抜け道もある・というお話。

 自分のケジメのようなものがつけれて良かったのだ。そのケジメの余韻は左指の疼きに実感として残ってる。指ができていないときにあんだけギターを弾くとシャンプーもできないほど指にダメージが残る。2・3日続いて、一週間後に無敵のカタさになり、「今なら100曲やれんのにー」となる。何回おんなじことをしたら気が済むのか・きみは?と久しぶりに右ナナメ前方の男が冷ややかな視線で問うてくるのだが、「100万回」とふざけて応えているならやつは呆れて消えていくのだ。

 さ・今度はテーマは「継続・収束」から「創作・新規」へと移っていく。ほんとにイチから出直しなのである。おれはアタマ回り出したらものすごく速いからついておいでよ。ただしいつ回り出すかはおれもわからんのよ・これが・また。
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2007年05月05日

明日ちょいとやりましょう

 明日(5月6日)、Todo O Mundoにて、ギターを弾き・歌おうと予定しています。

 この10年弱、まあいろんなことがあって、Todo O Mundoの想い出は尽きないんだけども、まあ区切りというのもあって、ほんとの終わりはもう少し先なのですが、こちらの予定とはげしく「当たり」、どちらも中途ぱんつなこととなりそうで、さらによくよく考えてみるなら、この5月の連休の最後の日曜はよくこうやってライヴをしてたんだよね・なんてこと・思い出しました。

 それを聴いてるメンツも何周りも入れ替わり、いっぱいになったり・すかすかになったり、今が果たしてどっちなのかよくわからんのだけど、まあそんなこともどうでも良くって、自分のケジメと言いますか・まあそんな感じ。

 最初ごろはまだナチュラリーもなくってミタキたちも単なる客で聴きに来てた。まあデッドエンドストリートのランド・マークは今も昔もTodo O Mundoなわけで、Todo O Mundoがデッドエンドストリートを去ったあともデッドエンドストリートでいてちょーだい・なんてことはもうおれの口からは言えんわけ。すべておれのアタマの中から流れ出たことであるし、そこは責任はもう取れんというわけだった。

 地上げ屋氏との交渉は5月8日で、その前にそんなことすんのもどうか・とは思いましたが、前述のこちらの予定が立て込んでいてここはもうどうしようもなく、見切り発車もいいとこなのですが、そしてそれに向け何かびしっとリハやって万全なんてこともなく、指もどちらかというとふやふやで、さほど大したことはできないと思いますが、まあ何かが終わる瞬間に立ち会いたいと思われる方、Todo O Mundoへの馴染みの濃い薄いにあんまりカンケーなくどうぞ足を運んでみてください。このブログを告知に代えて・と思いました。

 次の13日(日曜)皆の者による、ライヴもあります(そこはおれはちょっと行けませんので)。まあそっちが良ければそっちへも是非足をお運びください。8時スタートでチャージはなし、営業は普通にやってます。雨男を妨げるものがなく、明日久々にじゃじゃ降り&雷みたいな気もしますが、雨のトドムンドは値打ちだしね。似合ってる気もしてる。

 まあ・みなさん・長い事どうもありがとう。SEE U @ 中津!!!

曾根崎Todo O Mundo 店主・曾根崎デッドエンドストリート班長・マルタニカズ
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2007年05月01日

気の迷いのあげくの最後の露地祭り

 「何かの終わり」に乗り切れない自分がいて、なんか一人「乗り遅れてる」というか・そんなの。

 感傷的には一瞬なるのだが・なっていたのだが、すぐに戻る。わかった。忙しいのだ・おれが。やや申し訳ない気にもなったりする。

 関係ないがタイミング悪い。絶対的な時間が足りない。困ったものだ。若い頃のあの時間のムダのツケがこうやって来てるかとも思い、それこそ因果応報じゃあないの・と自問自答であった。

 一つだけ言えることは「振り返ったなら・エネルギーが抜けていく」ということなのだ。今までこのような転機は何度かあったと思うが、そこで振り返んないから良かった・なんてことが記憶に刻み付けられているのだろう。

 おれは完全に意識が「中津」へ行っちゃってます・幸か不幸か。それとみなさんとは別で、最後の「曾根崎・トドムンド」楽しんでいただければ、と切に願っております。ほんとにいい露地でいい店だったと・ここんとこはホンネで思うからサ。

 で・気の迷い。気が迷うのがおれで、この際迷うことに歯止めをかけないでおこう・と思うのだが、よくよく考えるなら、このままトドムンドが終わることになると、タイミングとして5月の半ば。さらに伸びても5月の末・6月アタマ。そうなるとテストやらライヴ準備やら消費税やらその他もろもろで自分のスケジュールが、にっちもさっちもどうにもブルドックであるゆえ、何か事の終わりを指をくわえて見ている事になる。なんだかおれらしくないじゃないか・と思う。

 ここはおれ自身がケジメをつけないことにはフェイズが変わらんな・とも思う。ラフレシアン・コムプレックスはプロデューサーであるから、自分自身の音楽を「腹一杯」というわけにもいかず、そうなるとトドムンドという場の希少さもここで浮かび上がってくる。

 5月6日に露地祭りやろうか・という結論になる。おれもその場を噛み締めて記憶に残しときたい・なんて思うじゃないか。まあみんなトドムンドに関わった事のあるヒトたち・わだかまりは捨てて、みんなに声かけて、来るも自由・来ないも自由。次のフェイズを見据える・ということはそんなことがいいのではないか・と思います。

 ということで「最後の露地祭り」を5/6にやろうと思いました。8時からにしようか。皆の者、関係者に伝えてくださいね。
 
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2007年04月20日

不信感の欠片

 気にかかることがある。どーも地上げ屋の様子がなんか変なのだ。交渉の期限を延ばしてきたり、なんか口ごもったり、変なのだ。嫌な予感がしてきてて、なんだが「待ってる」感じがしてるのだ。まあ取り越し苦労に終わればよいのだけどね。

 昨日もエアポケットのエアーな身としては、「行っとくか」ということで店へ出向いた。パチンコでタクシー代勝てたので、負けりゃ電車で・とは思っていたのだが。なんかヘンなオンナがヘンな質問をするから最後は自分でも何を言うてるのかよーわかんなくなっちゃってたが、それもよし・であった。

 別のテーブルでは「おばあさんがカバ」である・あるオンナのことで盛り上がっていた。そのおばあさんがカバなオンナはやはり・まあ・当然と言うべきか、ルックスが「カバ」なのだが、カバであるからかどうかはよくわかんないが、ダンナへの愛情表現は「カバの母」の愛情表現である。その某ダンナもルックス身振り物言い・どれをとってもおかまなのだが、オンナ好きで、「世の中は不可解よの〜」というのがそのテーブルの結論だったのだが、ねえ・どーよ・そういうのって、ほんまわからんわ。世界は謎だらけであった。

 なんかすべての店子の方々とハナシをしたのだが、前に戻るが、なんだか最初の勢いが停滞してるのだ。地上げの。だからっつっても、おれはもう引き返せないし、次のステップへ早く行きたいのに、な〜んだか「待ってる」感じがするのだ。次の交渉は連休前後である。あと一週間・どー出てくるのか? ちゃっちゃとやってくれよ。
seven3.jpgいや・ちゃっちゃとな
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2007年04月16日

さすがにちょいと

 飲んで朝帰りが3連チャンになれば、半世紀近く稼働している我が肝臓もちょいとお疲れになり、昨日の花見のその二次会なんてのが恒例だったのだけど、「お願い・もうだめ・ユルして・いやまじで・ぢゃないと「叛乱」起こすで」とその肝臓くんが言うので、みんなにはワルかったが、ごめんしてちょ・したのだった。でも・みんなもなにかしらお疲れの様子で、それで二次会ではなんだかアトアジの悪いようなことになるやも知れず、まあそんなときもあるよ・近いうちにキャンプやな・とおれは独り言を呟いている。

 やっぱ・空の下・できることなら帰りを気にせず飲んで、バカ話の本日の究極をぶっ放し、笑い疲れて地面に寝ていた・そーかおじさんたちはこんなキモチか・それもええなー・しかし、これが毎日となりますと・背中いためるなー・など・なんとひ弱な小市民よのー・など思いながら・あいたたたなんて言いながら朝日とは言えぬような角度の太陽に照らされ少々汗なんかかきながら目覚める。こんなのが理想よ。

 昨日は珍しく11時ちょい過ぎに豊津出発・という快挙!!!を成し遂げ、アルファ155を先頭にサーブ900TurboConvertible、BMW2002、ハイエースというラインナップでさほど飛ばしもせず妙見で花見をしてきたのだけど、やはりなんといってもこのご時世、上でもバカ呑み・あげくの果てにえーかんじの酔っぱらい状態での「峠攻め」なんてのはどーもキモチ的にひっかかり・もあり、ワインディングの連続による・ええ感じに左右に揺すられたあげくの「ゲロリスト」も1名発生した事もあってそんな中でどーも「次いってみよー」という発声ができなかったわけだね。

 ただ往路は曇っとったが、復路のリフトはぽかぽかでたいへんキモチ良かった。往路は残念ではあったけど。

 春の「予定」もただ一つを残し、無事に終えた。もう新年度に入っているから、そのう・年度を跨ぐ一連の出来事というのは区切りが今ひとつどーなのよ・って感じは否めんのだがね、ただひとつを除いたすべての予定は無事に終わった。

 その残り一つってのがまあ「大問題」ではあるのだが、他者が絡むこと故、こればっかりはおれの一存ではなんともし難い。まあ今月の末まで待つ・なんてオヤジのダジャレはこの場合不可抗力。

 世間は選挙であるが、吹田の公明党のバカ市長が普通の公園に「城」を建てようとしてて(なんのために?)その費用が15億円だって。一体何を考えとるのか、ユルフンコックのおかんは一体それについてどー思っとるのか、それはSKG会のいっちゃんエラいおっさんのなんかの指示なのか、どっちにしてもそのバカ市長ヤメていただかなくちゃいけない。そのオルタナティヴはどんなやつらが出てるのか、よく調べてみよう・と思ってる。

 これからちょいと神経使う時期へと突入いたしますね。トドムンド・ファイナル・ステージまだそのままです。進行中。曾根崎デッドエンドストリートでいい夜を・ね。
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2007年04月14日

今日は酒を抜く?

 連日の曾根崎行脚だが人と会うのもいいもんだ。曾根崎行脚自体がカラータイマーピーコピコなのであるから行くときはいくのだ。

 ユルフンコックが最初は風邪かな・と思っていたら扁桃腺肥大で気管支炎も併発していて、そりゃそーだよね、アホは風邪ひかんからね、風邪ではなく、扁桃腺の「菌」をなんかそもそも持っとるみたいで、うーん・そうだったか、何かあるとは思とったが、それでおれの貸してたプジョーのハンドルのラヴァーが溶けとったわけか、なんか体内に非常に酸かアルカリかしらんがどちらかに偏ったpHの体液を絶対持っとると思てたが、そうやったか・そういうことやったかー・となんだかものすごく納得したわけだった。N井は「扁桃腺肥大」前のくみこは「のどちんこ短小」ふつーはおらんのか。

 ヒトは放っといてもこのように「個性的」である。だから必要以上に「個性」を伸ばす教育なんて「ばかかお前」である。極論すれば普通の事を普通にできるようにすることでいいのよ。放っといても「個性」は出てくるのであるから。現場では「画一」と「個」のあいだで自然にブレておけばいいわけ・ね。

 何かを極めようとする際にあーだこーだこーじゃないかそーじゃないかと試行錯誤したあげく至極単純な原理に落ち着くことってよくあると思うがあーだこーだの歴史がないとその一言で言えるような原理的な事には行き着かんわけですから時間とエネルギー・つまりコストをかけたことだけしか身に付かんってのは本当よね。日常的なことでも毎日やることによってそこに「哲学めいた何か」が浮かび上がってくることがあるようになにげない反復はそのヒトにおいて「型」を作ることがある。その「型」とは後天的な個性にもなり得る。

 さて明日はトドムンド恒例・春の妙見花見でありますが、お天気が良ければあのリフトで参加者のみなさん・ハレホレヒレ化して一瞬「生きてるんでも死んでるんでもなくって足の痛みは楽になってきた」状態を心から味わいましょうね。アルファにちゃんとついてきなさーい。

 鳥居さん・平尾くん・青山さん・トドムンドを訪れていただいてありがとうございました。その最終盤に新しいお客を迎えるということも感慨深い事でもあるのよ・これがまた。量より質でやっとります。 
 
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2007年04月11日

折衝 goes on

 曾根崎コアとの折衝は続いている。

 もうええ加減・みなさまに「アナウンスメント」をしないとあかんのだが、それも今はできない。もうすぐ「Todo O Mundo」が終わることは事実なのだが、「いつまでなん?」という質問には「はっきり言うとくけどなぁ・・むにゃむにゃむにゃ」と安尾くんになる。ついでに、「トドムンドは来月で終わります・か?」だね・こりゃ。

 「折衝」とは心理戦でもあるので、おれもはっきりしたことが言えないし、はっきりしていることがそうそうないのだ。ある日突然はっきりするのだ・こういうのって。そのある日は近づいていることは間違いなく、この宙ぶらりんを楽しむじゃないけど受け入れるしかないってことなのね・これがまた。

 あ・ひとつだけ確実に・というかオーナーの「武士に二言なし」で言うと、連休が終わるまでは絶対にやりますので。これは真実。そして連休終了と同時に店も終了ということにはならないような「気」がします。アナウンスメントをした後、一ヶ月はやらないといかんと思うしね。それが「礼」だろう。

 何事も経験で、まあこんな経験しようと思ってもなかなかできないわけでさ、「地上げ屋氏」との折衝なんて・ね。でも本当のツメは連休前後・とフンでます。

 まあそんなことはこっちの話で、皆の者、しっかり期限付き楽しい空間でよろしく頼んだ。
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2007年03月10日

次・とは、その1

 行けば朝帰りの曾根崎行脚であるが、「次」のハナシを少し進めることができた・と思う。

 二日酔いのアタマにマリーザ・モンチの張らない声が心地よい。オンナの声は張らないでなんぼ・だ。張るオンナとは、ほらほらあたしのもっと中まで見てえ〜、と同義で、その逆V字の人差し指と中指がうっとうしいのだ。見たかねえよ。そこになんの工夫もない自己顕示欲ほどオエーなものはなく、それは甘えをユルされたかに一見見える日本の社会の中では空気を変な湿度に変え、それにツッコむことがツッコむ側の恥ずかしさを伴うことによってツッコミを躊躇わせ、消極的放置ということになり、その逆V字はその角度を限りなく鈍角に近づけていくわけである。おれもお近づきにはならないから近づいてこないでね・お願いだから。

 曾根崎デットエンドストリート、ほんとにいい露地だった。この傍若無人がユルされた露地での思い出は他でそんなことはこの21世紀にはもうできないであろうという「覚悟」に繋がる。フェイズは変わってしまうのだ。しかし、ヒトは現状維持したい動物なのだ。その気持ちは分かるが変化を強制されることもある。環境というのはそれほど大きいもので、おれたちがムチャやってこれたのも、別におれたちが「超自由主義者」であったからというわけでもなく、ここのその環境がそれをたまたま許してくれていただけなのである。単にラッキーだっただけ。おれたちは別にエラくもなんともないし・あったり前だけど。

 大切なことは環境に左右されるのはしょうがないことで、その中でいかに「スピリット」を継続させるか・ということなのよ。おれは限られた条件の中でそれは可能だと思うし、それをやんなきゃおれたちは「カス」だと思うわけ。単にそれは「環境に甘えていた」だけだ。もう何べんも言っているが「良きものは常になくなっていく」のだ。そして「同じことは二度と起こらない」。だから適応していくしかないのだよ・皆の者。そして針の穴ほどの自由の萌芽を見つけ出し、それを少しずつ拡げていくわけよ。良きことの記憶というものは異なった環境・条件の下で必ず良い方向に作用する。同じであればなあ・という精神ではなく、違いがあるという前提から物事は始めないといけない。そして方向も作品としても違うんだけど、同様の感覚を持てる場にしていくことが、今のおれたちにできることのすべて・である。良いアーティストの優れた2作品の二つ目・ということなのだ。二つ目は一つ目を否定するとこから始まらないかい? そして一作目の否定というモチベーションで完成したものは性格の違う作品となり、なかなか現状維持派には受けが悪いと思われるが、(彼らは慣れ親しんだものの再現を求めとるからね)時が経ち、冷静になって考えたなら、それはその声・そのアレンジ・そのギターなんてのを注意深く聞けば見事な一貫を体現していて、それは意外な時に気づき、その二作目によってそのアーティストのアーティストとしての幅が倍に広がっていたことがわかる。そのようなことをやらないといかんわけである。難しいこと・条件の厳しさがヒトを育てるのよ。育とう。
seven3.jpgわたしも適応した

 

 
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2007年01月12日

ラフレシアン・コムプレックス小数点ライヴ(露地冬祭り)

 行けば「朝帰り」の曾根崎行脚なのだが、まだ今日は早かった。

 日曜は「かわいい弟子のみなさま」とのジョイントをやるからその準備をしたいのだが、またまたミーツ記事が「問題児」化していて、おれとしてはハイ・これお し まい、ハイ・次いってみよーっ・てしたいのだが、なかなか、ツッコマれどころ満載の人生である。まあ時間の問題だけど。

 組み合わせの面白さってある。マッチ/ミスマッチ。クルマ記事もそれでやっているのだけども、やってみて意外な発見って結構ある。もちろん予想通りのことも多いのだが、想像力を超えること・というのは現実に「確か」にある。それは「効率的」なことではなく、効率を重んじるヒトビトならまずやらないし、おれも自分が「効率」を求めている時なら決してやらない。

 今回はあまりにもみんな最近ツレだからなかなか客観的になれんところをひとりひとり「個人懇談」により客観視しましょう・という目論みである・なんていうと「たいそう」な感じがするけど
いつもはいろんなものに守られてやっとるんだけども、それじゃいかんかもしれないわけで、だからとりあえず裸になって自分の技量などを確認しようというココロミ・言わば「エヴリバディすっぽんぽん'ズ化計画」である。

 こういうことが思いつきでやれるからTODO O MUNDOは楽しい。
 他のことに追われていると音楽は余計に楽しい。自分の周りが楽しいとメディアは必要でなくなる。みんなそうなればいいのに・いいのよ。

 というわけで日曜のR.C.3.75は面白いこともありますので。トドムンドあるうちにいろんなことやっとかないと・ね。
top_rufflesia.gifセンティミエントは共通言語なんだから、いや・ほんと

 
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2007年01月10日

たぬ吉よりはじめて

 たぬ吉で6000円ほど勝ったから、まぐろのいいとこ買ってきて本日ワインと醤油のヅケで喰おうという算段。

 これから一週間ほどは晴れの日が続くみたいで冬といっても完全にこりゃ暖冬ね。ガス屋の大将とかブルーだろうな。しかしこればっかりはしゃーないのね。人はちっちゃいからね。年末ばたばたと学生時代の友人が訪ねてきてくれ、最近は懐かしい再会なんてのがままある。それだけこちらもええトシになっとるっちゅーことなのね。新しい出合いも最近はあり、よく考えるならこの10年ほどは店をやり出してからなんだか「籠って」暮らしとったなあ・という気がしてる。そろそろいろんな活動をまた始めろなんてことなのかしらね・なんて思ったりする。「凶」ながら。

 Rafflesian Complex vol.3.75@TODO O MUNDO
1.14(Sun)7:00pmOpen 8:00pmStart Charge\1000
 マルタニカズとその可愛い弟子のみなさま

 Rafflesian Complex vol.4@SUN HALL
 2.22(Thu.)6:30pmOpen 7:00pmStart \2000/2500
 King&the Heartbeats、Less Than Zero、Kato AQUI、すっぽんぽん'ズ、Orchestre Pilipili

 Rafflesian Complex vol.5@Fandango
 4.1(Sun.)5:30pmOpen 6:00pmStart \2000/2500
 King&the Heartbeats、Less Than Zero、Kato AQUI、すっぽんぽん'ズ、Orchestre Pilipili
ジョン松平とニュー・アマゾン

 いろいろライヴありますので、お誘い合わせの上どうぞ。今のうちから見とかないと「えっらいことになりますよ」

 トドムンド方面を新御堂方向から見ると「いたたた」なんですが、トドムンドから新御堂方向を見るなら、「ん?」となる。なんだか新御堂がきれいなのだ。それがブレードランナー的なので、行ったときなど「ほーっ」と耄けて見てしまうのだけど、なかなかいいのよ・これが。ミーツの記事読んでくれたかな? かけかえのないものとは「はかない」ものであるし、逆に、はかないからかけがえのないものでもあるのだけど、これから大変な状況になるとはアタマではわかっていても、なかなか現実的になれない自分がいて、そりゃそうよな・10年だもん。10年一昔。むかしむかしあるところにアホのオーナーのいるアホな店がありましたとさ。その周りにはアホがうんことハエの関係性をもって集まり、そのアホのお一人様が隣のとなりに店を出しましたとさ。予想通りそのお一人様はアホのマスターとなり、その露地にはアホアホパワーが充満し、どんなかしこいエラい人がいばってやってきても、帰りはまちがいなく、アホになって帰っていきました。めでたしめでたし。などという昔話になってもいいじゃないか・デッドエンドストリート。
seven3.jpg分裂症が進行しているぞ
 

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2006年12月28日

年末'06-3

 残り4日となった・2006、この年末をみなさんはいかがお過ごしか?

 特に変わらないというのがおれの実感なのだけど、今年は中学生の冬期講習がない分時間があり、その分しかし他のことでやることは増えているから、プラスマイナスゼロという感じ。まあ何度も言っているけどこの一年は波乱に富んでいて、よく最後(まだちゃうが)までSURVIVEできたものよのう・と殿様的な詠嘆を禁じ得ない。おれの場合バカなのでその際には「バカ殿」ということになり、いささか不本意な始末。

 なんか結構必死やった気がするのが自分でおかしい。最初の3/4は自分の絡みで、あとの1/4は実家の絡みで。なかなかそのようなインナートラブルに遭ってばかりだと、「外」へは出て行けないのだが、ただただ外へ出ることがよし・ってわけじゃなく、その前にやることというのは中の充実とまではいかないとしても、中のトラブル解決なんてことは必要条件だったわけである。

 いろんなヒトビトとの出合いや再会もあり、それはそれで良かったのだが、ある程度仲良くなるとそのヒトはその「場」を離れてしまうことも多く、結局さほど自分にはメリットもなく「はい・もっかいはじめからね」ということになるのももう慣れた。

 来年はトドムンドの去就が第一の問題で、しかし、それと平行して「録音」がある。普通考えたらなかなか大変だ。しかし、今年のヘヴィさを経験した後では、まだ生産性のあることでアタマ・カラダを使えることの幸せを予測してる。今年は放っとけばマイナス化していくことをいかにだましだましロスを最小限にするかみたいなことばっかで、さすがに元気なくなった。それに比べるとね、自分の能力を正当に使うチャレンジであるから、それはしっかりやらんとな。みんなにもしっかりやらせないといかんし。

 さて年末は恒例のオールナイト・ライヴ@TODO O MUNDOだけど、来年の大晦日にはトドムンドは更地化していると思われますので、あの「場」とあの時間を記憶の中に留めておきたい方は来た方がいいのではないか・と思います。まあ・トドムンドでのライヴは店が存在している限りちょこちょこやろうとは思っています。(現実に1/14もある)ただ、あの大晦日から元旦という特殊な空気でのそれは多分・上町断層が動かない限り、「最後」と言ってしまってもいい・と思う。最後のおれ@トドムンドon the last & first day over the yearsだから自分おつかれさまの意味も込めてCHARGEを頂こうかと思っていたら、ユルフンコックがnon-chargeと勝手に告知してしまいよったので(なんやねん・non・って)、それじゃあナニかい? おれの歌はチャージに値しないってことかい? そう思うんならそれでいいが。というわけで、今回他のヒトビトにがんばっていただいて、おれはおいしいとこだけ頂き、かる〜く流して終わっとこう・という予定です。ヒトのヤル気を殺ぐことに関してはその才能ピカイチのユルフンコックですが、最後まで自分の裁量の質を理解できなかったかな。反省もズレとるし。まあ・まだまだっちゅーことやな。

 TIME TABLEですが、
「ラフレシアン・コムプレックス3.5 2006と2007を跨いでうんこしちゃうぞ・まだ出るぞVIVO」(マルタニカズライヴではありません)
22:00 LESS THAN ZERO
23:00 スっぽんぽん'ズ
23:20 KATO AQUI
23:50 浪速のカエターノ
1:00 MCラムパンペイロ

ということになります。
 では、みなさん大晦日にお会いしましょう。NON-chargeです!!!!
jolene_blalock020.jpgフランス人だったのぅ? おーアラブ系移民ね。
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2006年11月17日

そんな夜 (SUCH A NIGHT)

 昨日早起きして本日朝帰りで疲労天国である。

 久しぶりの早起きだったが、なんとかふとんと格闘しながらも起きれた。9:30に交野市に来いって・なんなんだよ・それ。というわけで阪急・地下鉄・京阪を乗り継いで交野まで行くと・O編集者・Mカメラウーマンとも時間厳守の人たちだった。

 ダイハツ・コペンを借りて神戸製鋼のクラブハウスへ行ったのだけど昨日打ち合わせの山本選手が風邪をこじらせ、急遽代打の高森選手の取材となる。プロのラガーマンに初めて会った。

 終わって「え・おれが返しにいくの・交野まで・やっぱり」

 コペン自体はいいクルマだった。ただ、左ハンドル・マニュアル男には右ハンドル・マニュアル車はちーと疲れる。上半身の身体の使い方がまるで逆だからだ。慣れてくると余計しんどい。無意識に右手が右ドアにぶつかる。意識しとかないといけないのがまたまたしんどい。けっこう、最後は渋滞にも捕まり・へとへとになった。しかし、まだ本日終わらんのだ。

 中途ぱんつな時間ゆえ、TODO O MUNDOで一休みしようと久しぶりに行く。時間があったからパチンコに行くが、これまた久々の惨敗。あんなに入んないのも珍しい。しょうがなくTUTORへ。戻れば賑やかなトドムンドだった。今後の対策を関係者に指示して、元身内のK子嬢やピカモのスタッフたちやKATO AQUI関連の女子などをいらって飲む。

 久しぶりにトドムンドの夜だった。最後は早起きのためか眠くてしょうがなかったが、そんな感覚もトドムンド的なのだ。最後はいつも店の者と客の敷居がなくなってしまうあの感覚ね。自分が行かなく行けなくなってトドムンドを衰退させたのだという罪の意識が自分の中にある。ただねえ・身体はひとつしかないんだなぁ・これが。残念・ムネン!!!だ。

 週末楽しいTODO O MUNDOだったらよいですね。そして日曜は新酒飲み比べ・飲み足りないときはとっておきの・・・も、です。
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2006年11月14日

できることをさがせ

 入試が続く。店のことが気になるが明日・明後日は取材でまたまた、行けそうにない。自分も一杯一杯なのだ。

 幸か不幸か、店は任せるしかない。いささか頼りないが、そんなんでも頼りにしないといかんなんてのが自分の限界でもあるわけで、まあクチでは何とでも言えるのだが、では情緒的にならず具体的に何を今することが「効果的」なのか・なんてことを考えたことのないヒトビトだからさてどうしたものだろう。こうなってしまうまでにやるべきことは色々あったはずなのだ。それにはもう何を言っても手遅れだが、しかし、これからもまだできることはあるはずだ。こんな時、孤軍奮闘とはドン・キホーテである。ばかばかしくもかっこよくて好きだが、現代においてそれやっちゃうと「どひゃー」だ。

 店は社会的な存在である。お客と店のものと店そのものとで作り上げる時空である。巻き込むことが必要だろう。ただし、お客が負担に思う(そんな酔狂な客・ウエルカムだけど)ことは避けなければいかんだろう。じゃ・何があるのか・はい・考えよう。

 更に広げてメディアまでなんとか拡大できないか・考えてみよう。どのメディアに・どれとどのメディアにどんな風に接近すればいいのか? はい・これも考えよう。

 更に地方自治体がこんなことに関する救済策は持っていないのか? 地上権という話だが、敵も法律を盾に取ってやってくるわけだから、こちらも法律で応酬する理論武装も必要だろう。勉強してもいいのかも。

 要はちまちま・ストリート内で憤っているだけでは、オトナVSコドモということになる。最近は「紳士的地上げ屋」が多いわけで、そこら辺はアッツくなっちゃ負けなのだ・きっと・ムヅいけどね。えのもとやナチュラリーは契約書を読み直してみるのも何か新発見があるかもしれない。

 もひとつ・要は社会に向けて広げていかなきゃいかんわけである。例えば1万人がトドムンド・及びデッドエンドストリートの存続を望み・そして10万人がその事件に注目するなら、延命はできるはずなのだ。

 ナチュラリーのおっちゃん・自爆テロは形勢が明らかに見えちゃうからダメよ。コドモの自殺連鎖を批判できなくなるからね。パパがそんなことしちゃいかん。知恵をだそうよ。みんなで・自分のアタマでしっかり考えよう。

 とか言ってると曾根崎コア再開発がトドムンドにやってきた・とさ。
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2006年11月07日

だめだ・こりゃ

 やっぱ20℃下回ると寒いな。

 世の中は「言うたもん勝ち」の世界である・一瞬だけ。一瞬その場を「言うたもん勝ち」マナーによって言うたもん勝ちにしちゃいたくて人は大言壮語を吐く。一つの大言壮語には別の大言壮語が反応し、すると第一大言壮語はカチンと来、さらに大大言壮語を吐けばまた、第二大言壮語もなにおー・となり特大大言壮語を吐き、すると第一大言壮語はむかー・となり超特大大言壮語を吐くとそのとき今まで黙っていた第三のやつが聞いてるもんの身にもなれ・とばかりにスーパー大言壮語を吐き、普段おとなしいやつのスーパー大言壮語には一同あっけにとられ、しばし沈黙するが、じゃーごれでみなさんフィフティフィフティじゃんなんて空気になり第一大言壮語はウルトラ大言壮語を吐くとまた第二大言壮語がアルティメット大言壮語を吐き、その結果みんなが等しくぐったりすることになるのである。

 できもせんことを言うな!!!
と言いたいわけである。夢と現実の混同がそこにもあり、多かれ少なかれ現代人は「サカキバラセイト」なのであるが、どうして、そう自分を自分よりおっきく見せたいかね? 酒飲んで気がおっきくなっている時は余計にその傾向は強まる。その様子は「滑稽」ということに尽きる。

 ほんとにクチだけのやつらだらけである。つかれちゃうんだよ・おじさん、そーゆーの。もっと現実を見ろ。オマエのそのカオを鏡で見ろ。オマエのハラの肉つまんでみい。そのままでさっきの大言壮語言ってみろ!!!といいたいだけである。それは子犬の遠吠えで現実の音は「きゃんきゃん」なのだがアンプリファイされてオーバードライヴかかっとるもんだから「きゃおぎゃお」と聞こえることに例えられると思う。ノイズである。ただ汚らしいだけのノイズ系の音はおれのテイストには合わんのよ・こめんね。

 そんなこと吐いてるやつに大したヤツはまずいない・ということが不毛である。そんなことを聞かされていた時間は無駄だった。しかし、また今夜も根拠も実力もないばかたちの大言壮語の嵐が各酒場で吹き荒れることだろう。いやー・まいったまいった。それサラリーマンのうさばらし・のレヴェルじゃん。つまんね。

 時代は「オレが・オレが」なのか・実は。みんな実は横山剣あるいは和田アキ子願望なのか。70年代にタイムスリップしちゃったの? いつの間に。自己顕示欲とは厄介なものである。横山剣あるいは和田アキ子的なアピールはキャラクターを選ぶが、こっそり・しかししっかり「アピる」やつは星の数ほどいる。

 うちのばかコックが一週間以上も前に終わった珍味ナイトのドキュメントを本人おもしろいつもりで3回に分けて、まだ完結しとらんのだが、「続く」なんちゃってだ〜れもそんなもん面白がっちゃいないものを得意げに書いてる。それもご丁寧にイタリア新酒の一文をおれが投稿した翌日にそれに上書きするように始めやがった。さらにご丁寧に「珍味を何処で買ったか」なんてことまでカミング・アウトしてる。あのね、珍味がだれでも手に入れられたらもうそれ珍味ではないのよ・ばかコック。せっかくのチンダル藤田の珍味歴をそう簡単に大衆化することになんの意味があるんだろう。しっかり説明してもらおう・と思ってる。しかもそれは一週間以上前に終わった出来事を3話にご丁寧に分け、それを一週間以上かけてまだ終わっとらん。書いてるモードがなんか自分に酔っててキモい。店のブログはオマエの私物か・ばかコック。この一週間はイタリア新酒をおれはアピりたいんだけどね。自分のブログでやればいいじゃん・そんな店の営業方針に反するココロミはね。ばかにばかと言っても「バイばかなんです」で終わってしまう。あ〜おれの店がさらにばか化していく。だ〜めだ・こりゃ。

b5_03.jpgb5_04.jpgオーナーといたしましては・今週コレです。数に限りあり。ハヤイもん勝ち。「おれの」トドムンドへいらっしゃ〜い。
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2006年11月02日

新酒の季節

 昔からボジョレー・ヌーヴォーには抵抗があって、「バカがいきなりタキシードでうやうやしく解禁日に大騒ぎ」という構図がオエーだったわけだ。今もそれは変わらない。

 「初もの」珍重の感覚・風習は江戸時代から一般的になり、当時「天下の台所」であった大坂は全国の物産が集中し、それをそこからまた全国に需要に応じてディストリビュートしていたわけだけど、当時の酒処と言えば「灘」「伏見」。秋にできた新酒を5つほどの回船でお江戸まで運ぶ「競争」がとりおこなわれ、江戸の民衆は今か今かとその回船の到着を待ち焦がれ、もっとも速かった回船には賞賛の嵐で、そんなことを想像するなら閉ざされはしていたものの(鎖国だったからね)その中でのかなりの・殿様から庶民に至るまでの密度の濃い「充実」なんて感じが容易に感じられ、すでに都市となり得ていた大坂・江戸のそのライヴ感を思うとき、なんだかそれってかっこいいじゃん。

 日本酒の新酒はその味がはかなく、腫れ物に触るがごとく大事に育てられてきた深窓の令嬢を味わうみたいでぞくっとくるような快感がありつつも・うんこれがこう育ってあんなことを経験し、こんなことを悪いオトコに教えられ、途中からは自らそんなことまでやっちゃって、うわそんな積極的になって・ちょっと待ってよー・などと言ってるうちに・あの・小股の切れ上がった特別本醸造あるいは純米酒のなじみの味になっていくんだよね・そうだよね・なんてことが分かるんだが、
ワイン・特にボジョレー・ヌーヴォーはそのはかなさははかなさとしてわかるとはいうものの、それと・フルーツ爆弾ともいえるような自分の好きな濃縮感のある舌の奥から喉にかけてズカーンとくる味との間には「断絶」があった。だからハヤリもの的に、アジなんてわかんないんじゃないの・なんてバカたちがヌーヴォーヌーヴォーと騒げば騒ぐほどこちらは醒めていき、「なぁにがボジョレー・ヌーヴォーじゃ〜・ぼけぇ!!!」なんて心境の時代は15.6年続いてた。そんなある時、チリの新酒を見つけた。チリ・ワインとしてはヌーヴォーのおこぼれに預かろうとしたセコい戦略だったのかもしれない。ご存知のように南半球のチリは我々北半球人の季節とはまるっきり逆なのであって、その新酒は5月なんていう「間の悪い」時期に店頭に並んでた。おれはそのセコい戦略に当初・もち・批判的で、「ケッ・イモ」なんて思い横目で眺めていたのだけど、不当に高いボジョレー・ヌーヴォーの6割ほどの値段だったのと、好奇心と「カネパ」というチリの中でも自分内ベスト3に入るメーカーの酒だったことから・ダメ元で買って飲んでみた。

 「目からウロコ」だった。さわやかで濃い・これこそフレッシュ・フルーツ・ダイナマイトだった。清楚ないまどきこんな娘おらんやろというような姿カタチなのにもう一回目からフェラチオ名人・そして・うわ・この舌使い「なんじゃ・こりゃ〜」と思い目を開ければ、そこには澄んだ目の女子高生が・・・というどっからどう転んでも「意外な展開」に翻弄されたのだった。しかしね・それが「ラテン(アメリカ)」なのね・ということなのだ。快感のツボを教わらなくともわかっている・超かわいい娘なんてのがいるのよ・ラテンには。そのかわり浮気したら殺されそうだけど。

 そんな経験をしてしまったものだから初夏が毎年待ち遠しかったわけ・ね。3年間ほどはそんな状態が続き、そして「そろそろチリ・ヌーヴォーの季節やなあ」など店の者たちと話し、いつもの酒屋に「今年はチリ・ヌーヴォーはまだ?」など訊けば「今年からもう入ってこないみたいです」
・・・・・・ガーン・でしょ。あの黒い瞳もあの舌使いも遠い世界に行ってしまった・それも突然。「そりゃないぜ!!!」そりゃないぜ・と思うのは当然で、いつまでも良いものというのはあったり前に「そこに」あるわけではないのだ・という経験をその後それをきっかけに何度もすることになるのだった。

 だからヌーヴォーはそれ以来、また「勝手にやってろ!!!」な世界になっとったのだけど、「ん・ちょ・待てよ」と思うのだった。フランスに新酒が・そしてチリにも新酒が・と・いうことは・・・・・・・・!!!!イタリアに新酒があっても「いいぢゃないか!!!」と突然岡本太郎的コロンブスの卵風ヒラメキが突如ワタシのアタマをストラックなわけなのよ。

 で調べて発見したのがこの「ヴィーノ・ノヴェッロ」なわけなのね。このイタリア新酒もおフランスとは違って、一見清楚なOL風のねえちゃんが、あれよあれよ・というマにもうどんどん脱いでっちゃって気がつけば紐パン一丁ではげしくケツを振っている・というコルボ・グロッソのような充実ぶりです。しかもボジョレー・ヌーヴォーの解禁日が11.16なのにこのヴィーノ・ノヴェッロの解禁は11.6。10日もフライング!!!ってこれいいでしょ。TODO O MUNDOでは11.6から一週間「ねえあなたちょっとはやいわよもうイタリアン・ヌーヴォーお先にしつれいガブ飲みフェア」です。好評なら11.19(日)のボジョレー・ヌーヴォー飲もう会は「フレンチvsイタリアン新酒飲み比べよう会」に変更いたします。このイタリアン・ヌーヴォー、余所では飲めんよ・いやまじで。
b5_03.jpgb5_03.jpg
VAMOS TOMAR!!!と言えよう。
 
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2006年10月31日

「珍夜」はグー・よりはじめて

 久しぶりに日曜が日曜らしかった。「珍夜」on Oct.29。

 人数もちょっきり椅子の数。チンダル藤田氏の用意した珍味にみんなで舌鼓をうった・というわけ。ワインも赤が快調に空き、店の赤がなくなり、秘蔵のシャトー・マルゴーまで開けるハメになっちゃった。もうそれはなかったことにしよう・と思わないと、ちょいと泪が滲むわけなのよ。その様子は本日のトドムンド日誌に詳しく書かれることになってます。

 ヒトの矜持を保つためにはああいった場合はやはりワインがいいのではないか。あれを日本酒や焼酎でとりおこなうなら、一体どーなるか、やや不安である。ワイルドになること必至であろう。
また次回。珍味ではないかもしれないが、ボジョレー・ヌーヴォーを飲むミーティングも11.19の日曜にいかがか・と思っています。まあ多分飲んでるうちに物足りなくなって他のワインにも手を出すこと・これも必至。やれるうちにやれることをやっとかないと。もう・これは客観的予測ですが、TODO O MUNDOが2010宇宙の旅の2010年を迎えることがあるのか・ないのか・ものすごくスレスレな情況ではないか・と思うから。内的外的それぞれ要因があって、今はどちらもマイナスのベクトルである。

 世の中には運命というのがあるからね。むやみに逆らってもしゃあないのよ。TODO O MUNDOでは毎日曜日なんかのイヴェントをやりたいぐらいだ。ただ、イヴェント委員の脳ミソがちょいとヒトより小さいといいますか、もひとつええアイディアがポンっと出て来るかといえば出てこないということもあって、なんかみなさんやりたいことがあれば言ってください。なんでもいいのよ・言うだけはタダ。オレ的にはベリーダンスを見ながらワインを飲んでみたかったりもする。あの腰のくねくねはワインの「まわり」にすごく効くと思う。

 今11月12日・26日、12月3・10と空いています。もし我こそはと思われる方・もしくは無責任にこんなんやってやー・という消費者系の方、いろんな意見お待ちしています。

 家族の災害から今日で9日目だ。他人へのインパクトはもうない。残るのは家族のココロの痛みと克服すべき現実だ。ほんとにどうしたらいいのかわからない。わからないが、何かをしなければいけない。家族(w/子供)という単位は自分はきっと持たないであろうから、自分の両親が生きているときが家族経験のすべてだと思うと、逆の立場はなく、自分の子供という相手にこのような迷惑をかけることはあり得ないと思えば自分の人生は完結する。いや戦後・戦前でもそうだが人はあまりにも何も疑わず結婚して何も疑わず子供を作ってきたのだ。それを批判しているわけではなく、ただ・何も考えなくてもよかったというだけの話なのだ。あまりにもそれが当たり前でそれを疑うことさえ彼らの辞書にも・当時の社会の辞書にもなかった・ということなだけなのだ。子供を持つ人間と持たない人間の不毛の口げんかは今・意味がない。

 仕事もばりばりしてちゃんと結婚も出来て夫もエクゼクティヴで子供も数人いるがしかしいまだに綺麗でセクシーなオンナ。これが現在の女子の理想であり・大勝ちの人生であるならそれもよしであるが、だから何なのだ? いや・だから何なのだってことで言うと、偶像でしょ・メディアのこしらえた。そんな資本家と貴族を混ぜちゃいかんよ。人の一生なんてそんなきれい事で済むかよ。ヒトは毎日ウンコするという一点をとっても、ある意味「ケガレ」を内包している存在なのであるから、だからグウゾウでしょ・それは。みなさん・演技過剰なんではないのか・と思うこと多しだ。演技過剰は必ず保守的になる。何かを維持することに貢献することを自覚してやって頂戴よね。

 週末は連休みたいであるが、レジャーの人々の傍らで、レジャーとは最も遠い用事で実家へ行ってこようと思う。それもまた・よし・だ。
 

 
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2006年10月27日

珍味ナイト

 廃墟の中のパラダイス・曾根崎デッドエンドストリートの中心TODO O MUNDOの今度の日曜企画は「珍味研究家・珍ダル藤田氏」をお招きして、珍味の夜・略して「珍夜(ちんや)」です。10.29(日) 18:00より。チャージ1500円で珍ダル藤田氏の探してきた珍味すべてを味わえます。それに合うオススメのお酒を瞬時にこちらで選びますから、まあそちらもリーズナブルなお値段でいっときましょう。「珍五」というメニューのあるトドムンドらしい珍味の夜「珍夜(ちんや)」Vol.1です。もう盛り上がって盛り上がって宴が ちんや にまで及ぶことも考えられます。

240px-SonneNebel.jpg これもチンダル現象なのだった。
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2006年10月22日

MEMORIA Numero1

 10年前、なぜそのような場所で店などやろうなんて思ったか。

 お初天神近くの「曾根崎」という地名によるところが大きい。正確に言うと、その地名の背後に広がる歴史・文化・人物・繁栄・都市などがほんの一瞬ものすごい情報量でアタマの中を駆け抜けたのよ。旧さというのは当時は自分にとってなんのネガティヴでもなかった。これも持論だけど、新しいものがほんとうに新しいわけではないからだ。新しい意匠を身に纏って出現する「一見」新しいものはゲインだけが高くサステインが短い。さらに大衆資本主義にドライヴはすでにかかっていたが、やはり10年前は10年前だ、まだいい意味でスノッブは成立可能だった。旧さを再発見する楽しさもあり・だった。身もフタもない情況はこの10年で後戻りできないほど加速した・と思う。

 廃墟はそのとき既に存在していた。ニュー・ミュンヘンの裏の火事跡はまだ黒こげの状態で残っていたし、なんといっても、現わんわんランドの上の見捨てられた建設途上のビルである。更に、となりの老朽化した大阪中央病院も「こんなとこで死ぬのはいやだな」と思った。

 いろんな雑誌が珍しがって取材に来たが、今思えば一番しっかり書いてくれたのはやっぱミーツだったのかな。2Fの面白さにも触れてくれたしね。当時は3Fは今だクローズドだった。おみつも前のママというかおばあさんがいて犬を散歩させていた。今のビデオ屋が鰻屋でいつもそこのおばあさんがおみつまでお弁当持ってきてた。となりの現ハイボールの家主のおばあさんもなかなかキョーレツで、毎日下着姿での散歩におれたちはドキドキしたものだった(ウソ)。しかし20世紀末のそういった風景はおれにとってものごっつい新鮮に映り、その場所への愛情・愛着ともに急上昇していくわけだった。カップル喫茶などはなく、今の熟女サロンはキューピッドだったかな・そんな店だった。寿し恵はいまだに入ったことがなく営業している現場もまだしらない。現ナチュラリーであった、ギャルサンズも店名の意味もわからなければ、いつ営業しているのか・またしていないのか、わからなかった。隣の樽長のおばはんとはよくモメ、うちの店のものたちが「あの金髪によく言っときなさいよ!!!」とよう怒られた。境目から1cm出てワイン置いただけで激怒するくそばばあだった。名前も忘れたが現ハイボールの前に入ってたバーのやつもほんまに対抗意識だけのバカで、あるとき、挨拶もせず出て行った。店のやつが当日「閉めはるんですか・引っ越し?どこへ?」と訊くなら「新地」と言い捨てて後ろ足で砂・な状態で出て行った。そもそもおれとは発想が違ってた。やつは「こんなとこで」おれは「こんなとこだから」だったわけ。下水のことでモメで殴り合いになりかけたこともあった。下水もよう詰まった。もともと旧い街できっと都市計画なんてのもないところに家が建っていったと思われるから、下水は長屋状態の現デットエンドストリートの店の下に一本あるだけで、それがもう崩壊してきてて砂利がバケツに10杯ほど毎回出てくるのだ。最初普通の業者にきてもらったが、どこが「かいしょう」が全然わからんと途方に暮れていたが、駒芳の以前のママが以前の業者を教えてくれてやっとなんとかなった。そのときは廃業も考えた。食い物やで下水がアウトなら店もアウトだ、自動的に。そのときに業者の手配やら立ち会いやら集金やらをおれがやることになってしまって、もうトータル10回以上、苦手な超早起きをしてきた。ちょっと時間遅れただけで、おっちゃんら帰ってしまうのだ。

 いやおもしろいことはいっぱいあったのだ。また気が向いたら書こうと思う。
posted by 浪速のCAETANO at 14:51| Comment(1) | TrackBack(0) | TODO O MUNDO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月02日

ANNIVERSARIO

 昨夜はバカ騒ぎだったみたいである@TODO O MUNDO。

 9周年。なんとも中途ぱんつな数ではあるが、9年一昔なんちって、語呂はいいからそれもよしだろう。あ・なるほどね、9周年・したがってシャンパン9本ね。理解理解。店のモノたち本日はシゴトにならんような気がするが、おれも本日税理士んとこ行かなきゃいかんし、ま・いろいろ大変だしお前らもがんばれ・と言っておく。

 今年は高校の同窓会(20周年)もある。前回10年前はまだみんな38。この10年はなかなか老化が進んどるだろうなあ・と思うと自分の事は棚に上げて・だが、ちょびっとコワい。前にも書いたが死んだやつもいるしね。

 もうほんまに、おっちゃん・おばちゃんだろう。おばちゃんらは体型がインどるだろうなあと推測され、おっちゃんらは体型もだがなんといっても「頭部」だいぶきとるだろーなあ・と推測できる。多分これを読んでおられる方々基本的にunder48だと思うから、アナタたちにとっては高卒後20年てのは「未踏の地」なわけで、どんな「どえらい」ことが待ってるのか想像もつかん部分あると思うんだけど、ま・そこんとこ体験後にまたリポートしてみたいと思ってる。

 ところでAGAである・ハゲが。SADは社会不安障害(SOCIAL ANXIETY DISORDER)。病気であるなら直ることになる。PTSD やADHD等まあPTSDはまちがいなく外因性なのだが、あとEDなんつーのもあるが、これらを「病気」と認識する事にどんな意味があるのだろう?

 自分だってPTSDやAGA・EDは可能性ある。もう既に・・・なんて噂もあるが、放っとけよ。

 そう・放っとけよ・だ。その放っとけよ・と開き直れない場合に更なる精神の痛みを和らげるための「病気設定」かもしらんなあ。あとは一人で悩まずに・という事もある。ヒトは基本的に強くないし、自分がたとえ強かったとしてもその強さを他人に求めたりするのはまあアカンことだからそれはそれでいいんだが、少し気になるのは「フツー」の幅が狭くなってきてるのだな・という懸念だ。以前の日本なら例えば「ややハゲ・やや恥ずかしがり屋さん・ややインポ気味」なんてのも含めて「フツー」の許容範囲だったんじゃないかな。もうトシやしワッハッハ・で済んどったこともあるんじゃないだろうか。男子ならわかると想うが、手をコカンの前で広げて、親指が10代なら小指は50代みたいな、それもフツーのこととして「しゃーないな」だったと想う。極端な話,「あの子、ちっちゃい時エライ事故遭うてなあ・それからあんなんやねん」なんてヒトもそれなりになんか混じって生きとったという気がしてる。「あのハゲのおっちゃんなー」とか「あのおっさん・インポやから触るだけやで」とかな・これって社会の弾力を感じるでしょ。早い話「地域共同体」が機能していたということだろう。まあいいことばかりではなくて「なに・あの子」みたいな言われもない差別もあったが、それさえも吸収するぐらいの弾力がまだ社会にあったのだ。

 なんでもかんでも病気化するイコール言語化するってことは、たとえばそれでハゲ・インポ・シャイのヒトは救われるのかな・根本的に。なんだか精神的に「隔離」されて非フツーの烙印押されてやさしくされるのとハゲ・インポ・シャイやけど・たまにそれでイラワれるけど・まあここにいとき・という態度でそこにいれるのとどちらが幸せな社会なのだろう?

 社会の硬直化となんでもかんでも言語化による概念の創出とはその関係が「密」である・とおれは見てる。あんまり幸せな事じゃないよ・きっと。

 ハゲでもシャイでもインポでもPTSDでも挙動不審でも堂々とそのドアを開けて入ってきてください para TODO O MUNDO。10年目もイケるとこまでイクでしょう。
posted by 浪速のCAETANO at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | TODO O MUNDO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月22日

it's a long long time since・・・

 デッド・エンド・ストリートにはある種・風情(ふぜい)があって、その風情が際立つ季節の一つ・それがこの雨の時期だった。映画「雨池十八丁目の・・・」においてもよー降ってた・雨。

 9年前にトドムンドは出来たのであるが、ちょうど今頃工事にとりかかったわけだった。当時は5年ほど放置されてたみたいで、しかし工事やってくれた東西新風堂のカワゴエによれば、「造りはごっついしっかりしてる・とのことだった。大きな大黒柱と思える柱がどーも邪魔で、「これ取れんか?」と相談したところ、それは大黒柱ではないと判明し取ったのだけど、今パソコンをうちのバカたちがいらっている場所っちゅうのが半畳ほどの、実はそこがトイレだったのたけど、そこに今もあり、ムイちゃんのポスターが貼ってある柱が強いていうなら大黒柱なわけだった。結構情けないけどね。

 当時一階はとにかく暖色にしよう・と思い、現在の内装の色になったのだけど、色はさまざまな工事が終わって一番最後の仕事で、もう厨房機器も搬入してさあこれから塗るぞ・となった時にこれがまた雨が続き・梅雨の最後っ屁的な豪雨が続き、乾かない。カウンターの前の壁なんてピンクにするつもりだったのが、塗っても塗っても定着せずに「まだら」なままで、そのうち、どこからともなく、その方がしぶいやんという声が上がり、「それもそーか」などとも思って、そのまま「まだら」なまま現在に至る。

 二階に「掘りごたつ」を発見したのもなかなか衝撃的で、それは一階の天井の梁だけを残してその間に貼ってあった板を撤去した時に「発見」されたのだけど、今ではジーナの隠れ場所の一つになってる。二階にお客が入った時など「ぎゃー」あるいは「きゃー」などと声があがったりするが、店の者的には何が起こっているかは自明のことであって、要はジーナがお客の足にびっくりして飛び出してくるわけなのだが、密かにまあ・楽しんでいる訳である。この部屋は最初ミーツのやつらが取材に来た時など、「遊郭やー」と騒いどったのだけど、おれに言わせれば「そば屋の二階」なんてニュアンスだったかなあ。下で酔っぱらって、ちょっと上で寝る。そのうちに仕事終わった妙齢のお女将なんかがそっと上がってくる。おれとそのお女将は出来ていて・・・・なんて想定だった。窓なんか開けると雨が降っている。風情だ・これこそ・ね。

 三階は一年以上後だったろうか・オープンしたのって。注文聞くのが大変で迷っとったのだけど、最初はトランシーバーで「なんですか・どーぞ」「注文なんですが・どーぞ」「わかりました・どーぞ」「ピーチラムフローズンてどんなんですか・どーぞ」「どんなんですかって言われても困るんですか・どーぞ」「それって強いですか・どーぞ」「強さは調整できますが・どーぞ」「じゃあそれとカイピリーニャってなんですか・どーぞ」「ブラジルのピンガってスピリッツを使ったカクテルなんですが・どーぞ」「それって強いですか・どーぞ」「いや強さは調整できますって・どーぞ」「ああそーですか、じゃあそれと娼婦スパってどんなんですか・どーぞ」「タプナードといいまして、アンチョビとブラックオリーブなんですが、それと辛いトマトソースのスパゲティですか・どーぞ」「ああそうですか、それって辛いですか・どーぞ」「ていうか調整できるって何べん言わすねん、お前らアホか・どーぞ」「ていうか、客にお前らアホかってなんやねんそれ・どーぞ」「アホやからアホ言うとんじゃ、ボケ、連れのオンナって人間とカバのハーフか・どーぞ」・・・・・・・・・・・・・・
などという応酬をおれは期待しとったんだけど、店の者の反対に遇いまして「ていうかケータイでええやん」というジョーシキ的な線に落ち着いた。ある時鶴一以下ファンダンゴのスタッフが大挙して押し掛けて来やがって、三階色塗るからタダで飲ませろ・ああちゃんと塗ってくれるんだったらいいよ・ということになり、それが大失敗の元だったのだが飲みながら塗るもんだから、ペンキは床に落ちる・女子はつぶれて寝る・その女子の寝チチは揉む・路で寝る、などという乱暴・狼藉の限りを尽くして、知らん間に帰ってやがった。その床の汚れがなかなか取れなかったからオープン結局時間がかかっちゃった。でも、夜遅くにそこで飲んでて、これがまた、不思議な空間だということに気づくわけ・ね。時間が止まる・というか。ある時店に行って三階久しぶりに見ようと思って上ったら、ソファの上にジーナが女王様のようにくつろいでて、「ほー」となんだか感心した。ネコはいいとこ知ってるからね。中国マフィア「蛇頭」のヤバい会議などが行われる場・と最近は形容されてますが、思うんだけど、金持ちにはこんな空間作れんやろ。ビンボー人の発想のすばらしさが結晶してますね。これ自画自賛か自己卑下かようわからんけどね。

 この八月一日で9周年という中途ぱんつな記念日を迎える。7月30日が日曜だから、そこでなんかアニヴァーサリィ的なことやろうかな。

gina2.jpg「住み心地いいのだ・にゃー」 
posted by 浪速のCAETANO at 12:06| Comment(0) | TrackBack(0) | TODO O MUNDO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月29日

todo o mundo の梅雨時期の旨いもん

 TODO O MUNDOに珍五(ちんご)というメニューがありますが、各地の珍味を集めた五品なんだけども、6月はトドムンドは「梅雨だからこそのスパーリング特集」やっとりますので、まあ、そのう、そこはひとつ情報など・と思いまして。

 その珍五なのですが、これが実はスパークリングと供にちびちびやると「サイコー」のアテでして、ぜひオススメしているのですが、珍味ですから値段の割に量が大したことない。なんとなく割高感がある。それに全種類好きじゃないこともある。なんせ「珍味」だから。万人受けとは違うことから「珍味」なわけだから。

 そこで、提案なのですが、というか、これから店の者に命じようと思っていることがあって、それは珍五のバラ売り・なわけ。別にオールスター珍五でなくとも、一種類ずつでも注文できるようにしよう・と思ってます。昔せんだみつおがCMに出てた、ちび六というラーメンがあって「ぼくはちび一・ママはちび二・パパはちび三」などというコピーを思い出しまして、トドムンドにてみなさまがたに於かれましても、珍五の構成を確認していただき、そして「ぼくは珍イチ・ママは珍二・パパは珍サン」などとその言ってるクチも嬉しく、注文していただけると・よい・と思われました。もちろん珠玉のスパークリング・ワイン・セレクションとね。ほんとにバッチリのアテだからね。

seven.jpg「わたしはちんゼロだ・もとより」
posted by 浪速のCAETANO at 20:55| Comment(0) | TrackBack(0) | TODO O MUNDO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする