2008年11月16日

デッド・エンド・ストリート近況

 昨日、TODO O MUNDOに塾終わりで行き、この金土はまあまあ賑わっていたが、ハイボールのマスターとちょうど入れ替わりで、
「ご無沙汰してます。お元気ですか?」
と、お元気ではないのわかっていたが、言ってしまった。電動車椅子に乗ってる人に「お元気ですか」もないのだが。彼はもうひとつ病気も抱えている。

「ここらへん・全然動かへんやろ」

 お客のことを言っているのだ。ハイボールも根強い固定客がいるのだが、おれが行った時間はまだ9時過ぎで宵の口である。やっぱり、新御堂側のあのバイクの放置に顕著に見える、ここら辺の荒れ方には参る。おれをしてTODO O MUNDO を「廃墟の中のパラダイス」と言わしむる根拠だ。自転車を合わせると4・50台にもなろうか。

 もう一つ北側の露地を見に行ってみたが、3軒ほどしか開いていない。もちろんお初天神商店街からはぱっと見、そこまで詳しくはわからない。しかし、露地の中の灯りの数は極端に減り、入るの一般人なら躊躇うだろう・と思う。たよしの横ね。

 わんわんランドの筋はもとからあんなぐらいの暗さで、寿司恵の横の壊れかけだった塀も補強はされた。おれたちや、何度か来た方には、熟女倶楽部やカップル喫茶は日常的な風景で、まあそんなものは全然悪くないのだけども、却っていいぐらいのことだけども、ニュー・ミュンヘンとたよしを含むそのブロック内で営業している店の数はもう1/3ほどになっている。

 廃墟の中のパラダイス・と開き直るしかなかろうて。

 その寿命の決定はもうおれの手の中にないが、だから、皆様方には非常に不誠実に映ると思うのだが、できるだけ営業を続けるよう努力します・ぐらいしか言うことが出来ない。

 ただ、店に一歩入れば、そこはほら、やっぱりいつものトドムンドなのであって、そこがまた「泣ける」部分なのね。なぁんにも変わっていないのに・というのにさ。

 店の寿命もヒトの寿命も周囲を不確定・流動的要素に取り囲まれ、何かが動くときは、そっち方向に「流れ」ができてしまいあっと言う間に結果が出てしまうことが多い。流れを決定づけるのは最後は気持ちの萎え・だろうと思う。

 入れたから、と言って何の保証もないが、店のヤツにも「喝」を入れた。真摯に最後までやんなきゃな・と言う意味で。

 トドムンドのユルさっていうのは「買い」なんだけどなあ。おれたちあんまり声でかくないけどねえ。

 今週も木曜とりあえず行きます。失禁予告です。今月はワインが質・量とも充実してるから、一緒に飲みましょうよ。

 デッドエンドストリート延命委員会会長より。

 
 
posted by 浪速のCAETANO at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月20日

また新たな展開@デッドエンドSt.

 て言うか・「何なの?」である。

 デッドエンドストリートの持ち主がサイトーくんからまた替わった。どなたに替わったのかはいま確認中。ローリング・土地である。キープ・オン・ローリング「土地」。これじゃ歌にもならん。よくやるね・と言っておきたい。

 いや、歌にもならんこともないか。「キープ・オン・ローリング・土地・プルーズ」長いな・しかも説明的でいかんな。転んで転んでそしてどーすんの? せっかくサイトーくんに家賃払い出したのに。また新たな「家主ちゃん」に・生まれて初めまして・である。

 今回の家主ちゃん・果たしてどれくらい「こわもて」なのかなぁ。今回は親和性を持って接しようと思っている。「アナタ」にはなんの恨みつらみもないからね。

 ただ、マジメな話、家主が替わることは、何か大きな変化になって現れるかもしれない。デッド・エンドの土地・建物は曾根崎コアが最終的整理をすることで「上がり」なのだから、今回の家主もそれを期待した上での「ワンポイント・リリーフ」に違いないのだ。

 今・土地の値段が曾根崎界隈で上昇している気配はないと思う。この辺りは「エアポケット」だしね。だから逆に今回の家主も曾根崎コアにかつがれてなきゃいいのに・と思う。あの土地が何億するのか分からないが、買った値段以上で売らないことには「土地で儲ける」ことはできないわけでね。当たり前でしたね。

 まあ・ほんとに今回の家主とは、いがみあう理由が何もない。ほんとはサイトーとだってなかったのだ。すべては曾根崎コアのテキトーさが諸悪の根源。高田純次のテキトーは「芸」であるが、曾根崎コアのそれは「迷惑」極まりないわけだった。

 すぐに新・家主が判明し、また契約の更新だけど、けっこうそーゆーのもう飽きてる。ただ、TODO O MUNDOの環境がいままでのどっちつかずから何か動いたことだけは事実であって、多分月イチのライヴをやれる限りやろうと思っているおれの勘はきっと正しい。

 まあ今回の家主ちゃんも例に漏れず、あの露地のありえなさやトドムンドの社会的意義や音楽の場としての貴重さなんてよくわからないだろうし、理解もしようとしないと思われるが、まあ一杯カイピリーニャでも飲んでユルんでみたらいいと思うんだけどね。アリエン・ロッベンですかね/でしたね。
 

 
posted by 浪速のCAETANO at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月17日

ダレがやっていただけるのかなあ

 迷惑メールの嵐なのだが、バイアグラの通販やペニス増大(enlarge your cockなんて書いてる)方面のが間違いなく毎日2通づつは来てる。

 無感情に「削除」「削除」「削除」なのだけど、みなさん「セックス好き」なのだなあ。ま・そういうおれも、大好きだったんだけど。

 セックス好きな時というのは「ヒトは元気」である。まあ人生を謳歌していただきたい・と他人事として終わっとくのだった。

 今度の日曜にミタキがTODO O MUNDOでDJするみたいなのでよろしければ。ま・それもいいけど、中津を日曜だけ開けるなんてのもいいかな・と思ってるんだけどね。インテリアそのまま・鉄板使いまくって、「何かの練習」とかそういったことではなくて営業。そんなこともよしかな・と思ってる。月〜土が「定休日」の店・なんちって。

 まあ冗談言ってるばかりじゃあかんのだけど、上記の事に関しては「まあ・そんなこともあってよいのではないか」という風に思ってる。

 それとデッドエンドストリートを「守る」なんてのは別のハナシ。「出て行け」〜「ちょっと待って」に至る理不尽なこれまでの相手方の要求と態度の変容には呆れてモノも言えんが、こないだもJTB(だったかな)から発行された露地特集の雑誌に2ページほど書いたが、新御堂側の更地が哀愁を漂わせる今のデッドエンドストリートはブラックホールを内蔵したクエーサーのように、新御堂側から眺めるとその光が閉じ込められた空間にも思えたりする。その光は重力によって外へは出ていかないが、内部の熱さがほのめかされる・といったところか。おみつ・のところがよりわかりやすくデッドエンドに感じられる。

 しかし、以前の風情はもうそこにはない。おれが11年前に始めた頃の露地のわくわくするような・ガタは相当きてるが人間の血が確かに流れているような・こわさと好奇心がないまぜになるような・さがせるもんならさがしてみろよと開き直れるような・秘密の薫りでむせ返るような、そんな面影は・もうない。

 どのようにオトシマエをつけていただけるのだろうか? かように貴重な露地をなんのヴィジョンもなくつぶしておいて。行動には「責任」が伴う。これ・世の中の「常識」である。楽しみだ。
posted by 浪速のCAETANO at 12:57| Comment(0) | TrackBack(1) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月30日

露地の終盤

 ナチュラリズモだったのだが、やっぱりナチュラリーは狭い。しゃーないといえばしゃーなくってそれがナチュラリズモなんだが。

 まあ、サカキバラが参加できなかったこともあって、おれは一足先にゴーイング トゥ 中津だが、もう一回やれば?

 今日二日酔いのまま、家賃を払いに中津へ行ったが、こないだのちらかしがそのままになっとったのでちょっとカルく掃除して帰ってきた。中で音出せないかなあ・と大家に相談すると、まあおっちゃん・おばちゃんはその音の「でかさ」にはやっぱりピンときてるわけでもなく、一回やらはってそれから考えたら・等というのでまあそれもそうかなあとも思うが、やっぱ爆音はねえ・どうかねえ。

 それにしても友達ガイのないやつらよの〜・ミタキのツレたちよ。お前ら次の店で客で来ておれの前でえらそーなことほざいたら鉄板あぢあぢの刑に処すぞ。

 共同体にはホームが要るのである。そのせっかくできた共同体のホームが消滅させられかかっている・という現状があり、おれはそこで「不毛の闘い」をすることよりも「新天地」を求めることを選んだ。その新天地はピューリタンたちが大西洋を渡って新大陸に行ったようなものだ。オーバーな・とか言うな。類似点があるのよ。行った先に「荒野」のニュアンスがあり、おれたちの動き次第では、これまでになかった楽しいことの現場・に変えることができる可能性を中津に見るからなのだ。

 中津はこれからの街だし、その色もまだはっきりとはしていない。特におれたちの行く「三丁目」はね。周りのヒトたちも少なからず「楽しみ」にしてくれていることがわかった。曾根崎の多国籍ダイニング・バルのHP等を見て、想像を膨らませてくれているみたいなのだ。地元のヒトたちと曾根崎からついて来てくれる人々との新たな繋がりみたいなことを漠然と理想みたいに思っていて、そりゃそう簡単に上手く行くこともないとは思うが、軋轢も起こると思うが、それでもなお、そんな新しいことに惹かれてしまう自分があって、街に乗っかるということではなく、街をそこから創っていくというか・そんな大それたことなぁんて思われるかしらんが、気負わずやれたらそんなことの方が面白いと思う。

 8日に地上げ屋氏と会って話をするのだが、今考えられる、TODO O MUNDOの
終了は19日か・と思う。状況は変わるかもしれないけどね。と・なると露地祭りはもうできないか。やや悲しいが「それが人生」でもある。
posted by 浪速のCAETANO at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月17日

明日は露地春祭りよん

 今頃になってなんで寒いのよ・変なの。

 さて明日は「春の珍味祭り@曾根崎デッドエンドストリート」だが、もっとさむいのだそうだ。「西高東低・冬型の気圧配置が強まる」ってさ。露地祭りも残すところあと3回やれるかなあ・やれないかなあ・というところ。一度はファンダンゴが終わってからおれたちが花見に行かない日曜とコールデンウィークの最後の日なんかどうかな・と思ってます。後の日曜はミタキにDJしていいよ・と言ってあるからやりよるでしょう。

 明日の露地祭りは構成作家「チンダル藤田くん」がまたまた珍味を持って厨房独り占めの模様です。珍味にワイン・そしておれとおれのかわいい弟子のミナサマたちの演奏を楽しんでください。ちょっといろんなものがてんこもりで、まあユルフンコックのノーミソではそこをどう仕切るかなんて考えられないまま、やっとるはずなので、停滞あるいは混乱が起こることがふつうに予想できるのですが、それもまた露地およびトドムンドの楽しみというか、まあ客もある場合は店員化し・みたいな「ざっくばらん」度が魅力のひとつであり続けてきた・とおれは振り返ってみると・そう思います。まあ・なんとかなるのね・たいてい・いつだって。

 そんな露地祭りもも50回ほどはやったかな。この露地祭りに代わることを「次」では何か創造しないといかんなーとは思ってる。しかし、きっと何かがあるのだ。 

 珍味とワインと浪速のカエターノに耽溺してください。
kazinho.jpg脱国境ねっ!!!



 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月15日

楽しかったね・いやまじで

 みんなよくやったぞ。課題も見えたが。

 と・可愛い弟子のみなさまがたにはこのような言葉をかけたい・と思う。またやろうね。
 客観視しようと思いながらもなかなかそれも現場では「感情移入」のヒトとしてはそうもいかず、またその現在共にプレイするツレとしてほんのちょっとだけ頼もしくも思えてくる瞬間もあり・まあほんのちょっとだけね・しかしながら、彼らにしてもおれとプレイする楽しみを覚えてくれたとするなら、それは嬉しいことだけどね。

 まあ浅い付き合いならば必ずと言っていいほど「誤解の嵐」のなかに放置されることの多いおれを・そしてわけのわからん暴れ方をすることもあるおれを温かい目で見守ってくれているわけである。こちらこそ感謝したい。

 トドムンド及びデッドエンドストリートの近い将来なんてことが被さってくるから余計なのだがこの「ありえない時と時間」を体験したら、みなさんいろんな周りのことを見る目が変わる機会になるのになあ。疑心暗鬼とか人間不信とか・つまり「個人」なんていう概念が希薄なとこにもってきて、「自己責任」を強制されるような世の中で、緩やかな連帯などという個人の自律・自立がなくてはありえないような理想的な場が、その個人の自立・自律をも少しずつ促す形をとりつつモノ事が進行して行く・という実験の舞台なんだから。それをアホというならアホと言うとれ。おれたちは「濃いい時間を共有」して次のステップへと物語を発展させていくのだ。でも「来るものは拒まず・去る者は追わず・去ったけどまたやっぱり来ちゃったものも別に拒まず」なのよ。

 二月はラフレシアン・コムプレックスの本編もあり(2.22)、録音の段取りもあり、なかなかかもしらんが・でもやるかもわかんないが・三月にはまたやりたいと思います。
posted by 浪速のCAETANO at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月07日

進行しつつあるもの

 昨夜デッドエンドストリートを訪れると、えのもとの手前まで破壊されていた。廃材の山が暗くてよく見えなかったのだがうずたかく積まれている様子はデッドエンドストリートにすぐ訪れる未来の図か・と思えば、哀しみと怒りで誰かを殴っちゃいそうになるのだが、それ自体なぁんにも意味がないことで、ここは抑えるしかないのも現実なのだ。その情況と今やってる曾根崎の記事のダブルバインドにやや引き裂かれるキモチをミーツの西村さんに言ってみた。

 まだ「コア」のおっさんとは話をしていないが、えのもとの様子を聞いても、ハイボールのマスターと話をしても、条件闘争にしかならないんだろうな・というムードしか漂ってこないのが、これまた「んーん・もう」なのだ。聞けば,ナチュラリーなどの管理をやってる曾根崎不動産も「コア」に「協力体勢」を敷いているというじゃないの。なにをかいわんや・である。そしてミタキらには何の一言もいまだない・っちゅーのも、礼を失した話だよね。

 おれはヒトのいないとこでは「目が潤んどる」のよ。情けない話じゃないの・いや・ほんと。おれらは「場」「生活」「自由」「解放」「友情」なんてコンセプトをも失おうとしている時にオノレの無力が原因なのだけど、話が社会性をどーも持てないというか、ヒトを巻き込めないと言うか、麻酔されて手術を受けるというか、ヘルメットの上からアタマ掻いてるというか・コンドーム3枚かぶってセックスするというか、あえて冷静を保とうとするとその熱が誰にも伝わらないことへの「んーん・もう」感がもどかしすぎるのだ。では、わーわー騒げばいいのかっていうとそんなことでは決してなく、そう思えばどっと疲労してしまうわけなのだ。

 今週はきっと考えても考えても答えなんか出ないんだから、最後のゆったり感を味わっておこうか・と思う。あ・ちがうちがう・試験中や・そんで試験が終わりかけの頃に「コア」との話やんか。そして結局ココロの安まるヒマはなし・とくるか。うまくできてること。たのむでしかし。
240x320.jpgたのむでしかし? その言葉は非論理的ではないのか。
 
posted by 浪速のCAETANO at 14:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月04日

そろそろ・なのかな

 なんだかもどかしい。こんなにデッドエンドストリートへの愛おしさの中にいる自分を発見するのだが、その最中の酒の席でも最重要課題ではない方へない方へと話が進む。そんなどーでもいいことにエネルギーを使ってる場合じゃないのだ。ハイボールのマスターによると2月までの「整理」をコア再開発は目論んでいるとのことだった。え・2月? びっくりするっちゅー話だよ・それ。

 なんなのだ? と思う。そんな時に、普通の店みたいな感覚でクレームをつけてくるやつもいる。なんなんだよ。
 おれは「露地」がものすごく好きなだけなのだ。その露地の地場としての値打ちをわからずして何を言うとんねん。
 あの露地でおれたちが得た自由というものの恩恵を受けてきた人間達の意識の低さにも愕然とすることもあるのだけど、情報がそこまで届いていないかもしれないし、正しい情報をまずこちらが整理してからの話だから、そこへの非難はまだちょいと置いとく。

 まあとにかく、落ち着こう。落ち着いて、コア再開発とも話せんとあかん時期が来たということなのかな。
 
posted by 浪速のCAETANO at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月02日

曾根崎デッドエンドストリート住民へ

 1/1'07発売のミーツに「入魂の一文」を今書いとるからな。外部はどうあれ、中でしっかりやれ!!!年明けとともに何かを変えるぞ。

fellini_prof.jpgすべてがある。そんなものしか興味がない。とフェリーニもいう。
posted by 浪速のCAETANO at 17:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月30日

イタむこと

 曾根崎の記事原稿を書いていたが、なんだかやっばりツラいものがある。

 チンダル藤田に突然思い立って電話をし、TVは動かんか・ということを打診してみた。50:50な感じではあったが、やれることはすべてやる・これが今後のポリシーなのだ。なんとかヒトを巻き込みたいと思う。みなさん、最近はもう気分は「戦前」だから、長いものには喜んで巻かれ・大きなものにはできるだけ楯つかず・というこれもポリシーだっちゅうのはよーわかっとる。わかっとるんだけどね、そんだけじゃなんかサミシーくないのかね・ないんだろうか?

 大きなものに対して表立って批判できないなんだか空気がある・それが「戦前」とまるで同じなのであるが、戦前は「国家神道」という国を挙げた宗教をでっちあげて「戦争」へと持っていきたかったわけだが、今そんなことになってしまったのは「なんのため?」戦争できないでしょ・今は。「なんのため?」

 答えは、置いとく。それは歴史が答えてくれるからさ。
 今みんな息苦しくないのかな? とB型魚座のおれは思う。息苦しいのをやり過ごして生きているんじゃないの・みなさん。おれもある場面はやり過ごして生きれるようにはなってきた。これは年の功の成せるワザ。でも肝心な・自分の生き方の根幹にかかわるところところでは譲れない。

 ワカモノのズレとるとこは、そこキレるとこちゃうやんというとこでキレて無駄なエネルギー使っちゃってるとこだ。アホやからしゃーないけど、そのうちすぐにキレるエネルギーだってなくなっていくのにね。エネルギーが有限であることがわかっとらん・アホだから。いつまでも元気・とか思ってる。日本のポップありがたがってるようじゃ先が知れてる。ごくろーさん。

 久しぶりに今日はトドムンド及びデッドエンドストリート及び曾根崎界隈に出動しようかなと思ってる。
posted by 浪速のCAETANO at 15:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月21日

昨日の続きよりはじめて

 昨日の続き。

 デッドエンドストリートの問題は、別にストリート内の店に何も変化はなく、普通に営業しているにも拘らず、その周囲が廃墟化してきつつあることで、その様子が、味のある鄙びた路地からある種の絶望感漂う雰囲気を醸し出していることなのだ。その姿は再開発がどんどん進むこの梅田の中において古い昭和を引きずった時代遅れの一角にも思えるし、ええように言うなら廃墟の先にぽっかりと浮かんだ桃源郷の島の様相を呈している・と思うのだ。

 北側の路地もどんどん店が閉まっていく。ニュー・ミュンヘンは立ち退かないことが決まっているという。お初天神商店街に面した店までは手は付けないみたいである。

 そんな情況の中での営業努力とはなんなのだ・と思う。お初天神(露天神社)と曾根崎という固有名詞にものすごい集中力で反応したおれの中の10年前のセンティミェント・もうそれは0.1秒の間にテラバイトほどの情報量がアタマの中を駆け巡ったのだが、元禄の世の大坂のあの躁状態を継続的に再現するという思惑はまあ5年ぐらいはありましたかね。

 そう、その元禄の世の大坂のにぎわいなのである。「天下の台所」といわれすべての物産が大坂に一旦集められ、それから全国(含む江戸)へとディストリビュートされていったわけである。大坂には全国からあらゆる出汁材料が集まったわけ。自由にどんな出汁でも使えたわけね。例えば大坂うどんの出汁さや京都料理の繊細さの秘密はこの時代にある。

 もう一度初心に戻って、次の言葉を噛み締めてみよう。
「 高いビルに囲まれて、トドムンド及びデッド・エンド・ストリートの店が営業を続けてて、昼間は廃虚みたいに見えるんだけど、暗くなるとどこからともなく人が集まって来、世界の音楽が流れ、料理が出され、ワインが何本も抜かれ、賑やかな歓声がこだまし、歌が歌われ、さまざまな言葉が飛び交い、それはさながらパリ5月革命の自治解放区のようでもあり、怒るやついれば泣くやつもバカ笑いするやつもおしっこ漏らすやつもいて、横ではネコたちが勝手にくつろぎ毛繕いをしながら、人間ってやつは・・・なんてクールな視線を投げかける」

 廃墟に見えて上等じゃん。さほど自分の理想とは変わらんぞ。違いと言えば、オープン度だろうか。やはり、放置ではなく「かるいおせっかい」ぐらいでいいわけね。その押したり引いたりの人付き合いの妙・ってのが大切なんだね。

 おもしろおかしいことをやり続けるのってエネルギーが要る。そのエネルギーもちょいとどっかで補充しないといかんよ。まあね・おれも最近ちょっとパワー不足だけどね。

 第四コーナー回って最後の直線ってつもりでムチ入れようよ。お客のミナサマにも一言:
「いつまでもあると思うな・親とトドムンド」という言葉を送りたいと思います。

map.jpgここよん。
posted by 浪速のCAETANO at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月20日

路地のピンチはチャンスになり得るか

 TODO O MUNDOやNaturallyのあるデッドエンドストリート界隈が最近ちょっとやばい。危険とかそういう意味ではなく、新御堂側からの路に面する店がどんどん曾根崎コア再開発の手によって退いていく情況はぼくらにとってもありがたいわけはなく、どんどんシャレにならない廃墟感が漂ってきてると思うのだ。いつもクルマを新御堂の東側の駐車場に停めて横断歩道を渡ってTODO O MUNDOに向かうのだが、平成管財(これもまたなんちゅう名前だ!!)のビルを折れて路地に入るのだが、そこからデッドエンドストリートまでが滅入る。だってなんにもなくなりつつあるんだもんね。デッドエンドストリートの中にはいってしまえば体温を感じてなんだかほっとするのだが、そこまでがキビしい。逆にお初天神商店街側からは以前と変わらないニュアンスで、ただ寿し恵の横のデッドエンド入り口の柵がびよ〜んと曲がってなんかそこだけヤバい。

 全体的に言えることは、周囲の場末感がちょっと増してきて、以前の自分ならまあ喜んでいたと思うのだが、ちょっと最近笑い事じゃない気がする。なんだか、例えるなら「陸の孤島」化しつつある印象があるのだ。そういうのを面白がる人間が減っていると思うことも「ちょっとな」なのだ。まあいまだに深夜に迷い込んでくる人たちもいるこたいるのだが、でもなんだかそれ以前の段階で秘境みたいになっていくのはどのよーなものか?

 今三階がさらにアヤシくなりつつあって、自分が思っていることは、その廃墟・な路を通ってトドムンドまでなんとか辿り着き、さらに上まで上れば「なんじゃこりゃー」なパラディッソ感なんだけどなあ。それが通じなけりゃしょうがないんだけどね。そろそろ2階おこた入ります。お初鍋の季節だね。ワイン・スパークリングと・ね。

061018_2256〜0001.jpg3F・秘境・進行中

1f.jpg1F・この灯りの中ボーッとするのが。
posted by 浪速のCAETANO at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月13日

一周して・よりはじめて

 もともと一般的な、朝起きて昼仕事し夜は酒飲んで寝る、なんて生活からは約5・6時間ズレて生活しているが、店の朝までコースが一度あるとさらに5から10時間ズレ、そしてさらにむりやりもう一度酔っぱらい、さらに5から10時間オセば一回りして、本日爽快な朝を・というか一般人にしてはややだらしない・ぐらいの生活サイクルに戻ったのだった。

 ヒトの体内時計は25時間なのだから、放っといてもズレるっちゅう話だが、みなさん無理矢理一時間圧縮しながら生きてらっしゃるわけですね・そーなると・ね。おれもお勉強教える仕事さえしてなかったら更に無頼な生活を送ってしまうだろうから、3日に一回ぐらいの調整で済んでるし、それでちゃんと戻ってくるから、まあこれでよし・なのだろう。

 デッドエンドストリートの周りも「立ち退き」の話が具体化・というか現実化し、第一路地(デッドエンドストリートの外側)はもう新御堂側はすべて「退く」という決定がされたようだ。迫ってきたねえ。いったいどんなおっさんがどんな物言いどんな態度でどんな日にどんなやつを連れてやってくるのか。楽しみである。昼間などたまに行くと、どう考えても「不動産・金融・あるいは<ヤ>関係としか見えない風体の若いオトコがえのもとの前とかでどこかに電話していることがよくある。そいつらなんだろうけど、向こうからアプローチしてくるまでは静かに待つ以外にはない。

 間違いなくモルディブとかが30年後には水没するであろう・と言われるように、トドムンドも10年後はそこにはないのだろうが、モルディブの人々が「明日の生活」を問題なくイメージできるように、おれたちも「明日のワインの在庫」なんかを気にするのである。それは例えて言うなら「ヒトはいつ死ぬか分からんが、きっと死ぬ。がしかし、明日はまあ死なんやろう・というか、そんなこと考えてちゃやってらんないから大抵そんなことは忘れて生の営みは続く」ということなのである。普通のことだった。運命は確かにあり、どんなんが待ってるかはドキドキなのだが、それも見てみたいと思ったりもする。その無常観を肯定することと、明日のワインの在庫を気にすることは全然次元の違う話に見えるがワームホールで繋がっているのである。

 関係ないがミーツ・リージョナル誌11/1発売の号からまたバカクルマ話書き始めることになりましたので。第二回にはカオリーニョ藤原も登場します。

3f1.jpgもうすぐ模様替え・3階泡宇宙
posted by 浪速のCAETANO at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月04日

出会いがしらの夜

 ナチュラリーに深夜行くと、お満席だった!!!

 お満席・ぐらいで「!!!」はいささかオーバーなのだが、いやぁ・ミタキ・ごめんごめん。しかし、デッドエンドストリートにヒトが来ていることが嬉しいじゃないか。トドムンドへもOSホテルに滞在中のドイツ人カップルが迷い込んできた。いいじゃないか・迷い込みって。そのお二人・アーキテクトで、OSの12階から眺めた曾根崎界隈の風景に興味をもって、角を曲がって・曲がって・さらに角を曲がって・もひとつ曲がって(He said,)トドムンド前に立ち尽くしていた(N井 said,)という。

 ベルリンから・だそうで、こちらも少し興味があったから、話していたら、彼女の方は、オハイオに2年・イギリスに1年仕事で住んで、今この路地の立ち退き話をするなら、彼女は過去の建物を全廃して立て直すのではなく、その建物を残しながら悪い箇所なんかを直し、また別のものとして復元する・といったプロジェクトをやっている・と聞きこちらもそこには興味を持ち、今のベルリンはやはり東西ドイツの統合の後、その処理が完結しているとは言い難く、旧共産国の大使館などは立派な建物だけが残り、人っ子一人いないのよ、今土地及び建物なんかものすごく安いから、投資してみてもおもしろいわよ、トルコ人のムスリムコミュニティがいまだに閉鎖的で、ばかブッシュのおかげでドイツもなんとなくピリピリしてるわ、ところで「OE」はどれくらいビッグなの、吉本ばななや村上春樹に比べて、ドイツの作家でお勧めは・HEINRICH BOELLが素晴らしいわ、さっきあなたが言ったKENJI NAKAGAMIも翻訳があるかチェックしてみるわね・・・・・。
heroesjk.jpg「クリスティーナF」を思い出すわけだった。

 なんてことを話している傍でa美ちゃんの酔っぱらいパワーに負けてPETERの方はディヴィッド・バーンで踊らされ、そのうちに本人も楽しくなってきたみたいで、まあ旅行者にとってみるなら、変な出合いと変な時間を過ごしたみたい。自分が旅行者でこんな目に遭うとするなら、そんな嬉しいことはないわけで、そーいった意味も含めまして、まあ・当たりの日だったのだろう。

 その後ナチュラリーの繁盛ぶりを見に行くと、いつものナチュラリーに毛が生えたぐらいの中庸の繁盛ぶりの店がそこにはあり、ちょっと作業をさせてもらったのだが、さっきちょっとワイン飲み過ぎで実はもう使い物にならんという自覚があったのだが、一応このためにタクシー飛ばして来たんだから、なんかして帰らないと、もう来る時間ないぞ・かんばれ・うーんそうは言っても目ぇ瞑ればな〜んか・ぐるんぐるんするねんなぁ・これ一番あかん情況やん・こんなときギターならおもしろいフレーズ出るねんけど、鍵盤はなあ・それにこの体勢・なんでおれとキーボードの間にミタキが入り込んどんねん・なんがごっつい、腰伸びて不安定やし、こんなアクロバティックな体勢でなんで弾いてるわけ・おれ、ヒトが見たら絶対おかしいはずなのに、なんでみんなふつーなん・見てて違和感ないわけ? な〜んかやるせない・こんなんじゃあかん・ムリや。
「なー・ミタキちょっとそこ・のいてくれへん」

 まあその作業は大した成果もなく、だったのだがBTっちの親戚のなんちゃらかんちゃらのなんちゃらかんちゃらというおっちゃんが連れてこられてて、聞けば「キャプテン」だという。外国航路の船長さんだった。4ヶ月休みなんだって。その代わり8ヶ月働き詰めよ・という本人の言葉はこんなときなんだか無視されるのね・おかしいね。いーなーいーなー、みたいなことになっとった。
順風満帆の時は好きな時に酒飲んで、たまに甲板ジョギングしたり、その代わりイザという時の責任はすべてこの肩にかかってくるんだよ・なんて言葉は無視され・いーなーいーなーが増幅していくわけなのね・酔っぱらい間で。で聞けば同い年だったわけで、ぐっと親近感が増すというわけだった。最近同じ年齢のヒトで「遊んでる」やつに出合うことがほとんどなくなった。キャプテンが遊んどるっちゅーわけではないんだけどね。管理・にあいつづけている人のおもんなさも40s後半ともなるとそれはしっかり身に付いていて厭ーなアウラとなり、喋ってても疲れるのだ。相手もこちらには疲れとるだろうが・ね。マ・そんな意味でも相手にラクな思いをさせる人間になりたいですね。まだまだである。

 明日はシトロエン2CVに乗れる。雨なのだろうが、楽しみ。雨漏りするだろうか?

 
posted by 浪速のCAETANO at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月22日

Tchao tchao? TODO O MUNDO

 I'm upon the tightwire.

 曾根崎デッドエンドストリートとTODO O MUNDO そしてNaturallyは一体どうなるのだろう・これから? Naturallyのことはよくはわからんから推して知るべしなのだが、TODO O MUNDOの寿命はもういくばくもないだろう。この路地のおもしろさに惹かれて店を始めたりしたわけだったが、自分が面白がるほどヒトは面白がっていないということが10年近く経ってやっとわかるなんて、おれ鈍感 ?

 まあ・酔狂の営業もいい加減にしとかないと、とは税理士の客観的発言である。
「いや・ほんまに値打ちのあることはなかなかもうからんことになってるんすよ」
「そやけど、社長、音楽で損する。店で損する。塾も生徒減ってきてるがな」
「そら全国的に少子化やからしゃーない。その分こっそり家庭教師やってるし。あ・これ内緒ね」
「わたしもあんなとこで店やるて社長言うた時・え〜思たんやけど、他がまだしっかりしてましたがな・そんときは。いや景気回復したいうてんのはね、東京と名古屋だけでっせ。大阪はまだまだあかんよ。普通の店でもひーひー言うてんのに、あんな路地裏だれが来まんの」

 ボロカスである・曾根崎デッドエンドストリート。

「社長たまにはカオ出してんの?」
「いやー、最近行く回数減ったなあ」
「よけ・あかんやん・それ。人任せが一番あかんもん」
「そやけど、まあぼくのことも分かっとるし、信用してやらしてんねんけどなあ」
「若いこですか?」
「まあ・若いな」
「社長おらんの、これ幸いいうとこちゃうの?」
「うーん、そうかもしらんなあ」
「ひまなときナニしてはんの? その人ら」
「いや・はっきりは知らんけど、酒飲んでんのんちゃうかな」
「社長・あのね、それあかん店の典型やんか。そら社長が行って飲まはんのはええよ。従業員に仕事中に飲ましたらあかんわ」
「飲んでんのは夜中ちゃうかな」
「それお店の酒でしょ」
「はい。まあ酒の味も自分がわからな、客に説明でけへんでしょ」
「そらそうやけど、そこらをきっちりやれてない店は絶対つぶれるよ。それにそれやったら最後は酔っぱらいだらけの店やん・それ」

ボロカスである、TODO O MUNDO。

「それはそれでおもろいっちゃおもろいねんけど。がんがん音楽かけて踊っとんねんな」
「それ、その人らは楽しいやろけど、お客の身にもならなあかんのんちゃいます?」
「いや・客もたまに巻き込まれてるみたいやけど」
「そんなん毎日やないんでしょ」
「毎日ではないわね」
「毎日そんなんやったらそれはそれで楽しいんちゃうかとわたしでも思いますけどね」
「そういうのが理想やねんけど」
「そのためにはもっとお客呼ぶなんかがないとあかんわ・社長」
「ぼくはある・思とったんですけどねえ」
「10年一昔ですわ」
「そうねえ」
「あの女の子でしょ? 料理つくってはんの」
「いや、あいつが辞めよって、その時いっぱい店の子引き抜かれたんですわ」
「あ・もう辞めはったん。いつですか?」
「先生には言うてなかったんですけどね、もう3・4年なるかなぁ」
「その頃から落ちとるねえ・売り上げ。味変わるもんねえ、人変わると」
「もうそこからは脱皮した思てたんやけどね。でもこれ見るとまだ引きずっとるかな」
「社長・なんかカンフル剤要るんとちゃいますか? なんか。わたしら数字から見たことしかよう言わんけど、これあきませんよ。こんなんやったら奥さんかわいそうやわ」
「・・・・・・・」
「ただ・このままずるずるやっててもラチあかんでしょ。そーか、期限切ってやらはるとか・ね」
「そうやなあ」
「思い切って人替えてみるとか」
「そうやなあ」
「でも、なんか決めてやりはらへんことには、これあかんもん」
「そうやなあ」

 猶予期間が切れつつあるのは充分わかってはいるのだけど、TODO O MUNDO・楽しいときは楽しいんだけどなあ。まあ時代の移り変わりとともに何かがフィットしなくなってきているのは間違いなく、まあ・毎日「自然にばか騒ぎ」なんてのは無理なのかもしらんなあ。それに今の人間のライヴ感のなさ・気の付かなさ、性格やし直らんかな。それに危機感のなさには確かに呆れること多しだけど。なんとなく結論が出ている感じがしていやだなあ。そのなんとなく感ちゅうのがね。

 大体いつも税理士帰りは「あ・そんな方法があったんだ!!!」と元気になって帰ることが多かったのだが、今回はダウナー系の中間決算だった。みんな、もっとしっかりやれよ。

posted by 浪速のCAETANO at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月19日

フライング秋祭り序章よりはじめて

 なんでそんなことをしようかと思ったのか、よーわからん。忘れた。CDとアナログが満タン入ったバッグを持って店から出て「電車で帰ろう」となぜか思った。マッチョな行為やなあ・それ。なんと似合わん。しかし、そうすると決めた以上、酔っぱらいであっても・であるから?・実行したんだった。結構遠いのね・梅田駅まで。ていうか、重いのよ・そのバッグが。はなくそぐらいDJ尊敬しそうになってあぶなかった・こんな重いもんを持って移動してるというただその一点に関して。

 なんだかひとときもシラフでいたくない一日で、そんなバカが中心のお祭りにみなさん・ようこそなのだけれど、そこは何と言ってもトドムンドはチームだからばかを補う人材には事欠かないわけで、お客・スタッフ一同どうもおつかれさまでした・とねぎらう気持ちにウソはない。伊丹くん・純ちゃんのサポートもツボを得てて・毎度のことながら、弱っていた人間にはありがたいわけよ。

 素敵な出合いもあり、不思議な夜だったね。不思議とかいうのは早くから酔いの回った人間の主観かもしれず、だがしかし、他県のヒトが二組も迷い込んでくるとは、やっぱ不思議でしょう。

 夏は終わったとは言え、動けばアツい。汗も出る。最近イヴェントからの立ち直りに時間がかかって普通の生活までの復帰にジタバタすること・多しなのだけど、カラダにはコタえるが、こんな楽しいこともないわけで、生きている証としてなんの権力もその中に介在しないことが誇りに思うわけであって、デッドエンドストリートではそんなもんは要らんのよ。

 自分の目と耳とカラダで感じることだけを信じれば「邪心」は見事に消えて、目の前のものがホンモノか偽物かが判別できる。先入観もすうーっと消えていく。アタマ悪いやつがその悪いアタマで考えることなんてたかが知れてる。幸せなどという概念はどこまでも周りに浸透していかなければ・局地的なとこで終わればそれはエゴと同義なのである。デッドエンドストリートにはその幸せの芽がいっぱい出ているにもかかわらず、その芽は小さ過ぎて看過されることも多々ありおっきな幹に育つことがなかなかないが、最後に巨大な一本グソ・じゃなくて一本幹を育ててみたい。どんなものになるかわからんがね。

 10.8のピカデリーアモナイト、10末の日曜デッドエンドストリートほんとの秋祭り、11月上旬に伊丹くんとこで音楽合宿、そして11.21ファンダンゴのラフレシアン・コムプレックスVol.3とイヴェント続きます。立ち直りも大変なのだが、それを待ち望むワクワクにはかなわんでしょ。
posted by 浪速のCAETANO at 01:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月25日

復活できるって?よりはじめて

 柵(壁?塀?)はなんとか補修が可能ということをハイボールのマスターから聞き、ほっとしているとこだ。

 いや、解体と再度製作となると100万近くかかるという話だったから6軒で割ってもこりゃどえらい金額になるな・だったらなんか他のこと考えようと思ってたとこだったからね。しかし、あの柵が「おれたちのもの」であったとは・・・。それがわかって「くそう」と思ってることがある。壁面を使うときとかも結構遠慮があったのだ・これまで。さらにアホの客が店出しなに、「ちくしょー」とか叫びながら正拳ヅキで一枚板を割りやがったこともあったのだ。自分らのもんと分かっていたら「ちょ・にーちゃん・こっち来てごらん」なんてこともあってもおかしくなかったわけなのだ。

 トドムンド周辺ジャングル化計画はタレントには事欠かないのだが、まあ続いて一週間。自分の飽きっぽさ・ってすぐ忘れるのね。元に戻す・という「正論」の偉大さはその事態に直面してネガティヴを反転させ、可能性を限界まで考えた者にとって、その重さがまた格別なのだった。

 腕の皮が剥けてることを発見。長崎の海岸の日焼けが原因みたいだ。なつかしいようなちょいとうれしいようなはずかしいような。同窓会会場の写真をアップロードしているドメインの告知が同窓のある男(非友人)からメール来てたのだが、「大好きな木村佳乃のDVD見ながら書いてま〜す」だってさ。難しい「年頃」である。

 この時期になるとも駆け込みの受験生からの電話がよくかかってくる。ていうか、もっとはよ来いよ。不当におれだけが忙しくなる時期である。時間割も再編しないといけなくなる。夏が終わるということは、毎年のことだけど「受験のフェイズ」に入ることを意味する。マジメなふりをしなきゃいかんのが「肩が凝る」。今年は短大から外国語系大学の編入するやつもいて、それもまた大変なのだ。かなりのボキャブラリィが必要になってくるからね。そう考えると大学入試問題のなんといたいけいなこと。高校生が受験生・ばか高一併せて10人超えるとさすがのおれも目が回ります。てんでばらぱらなことをやっとるわけだから、その現場はしかし、おれはかなりシブいのよ。見たら絶対「瞳にハート」になるんだから・ほんとなんだから。でも見せることはないのだ。このように世の中は矛盾に満ち溢れているわけでした。爆笑あり・涙あり・ビンタありのマルタニ塾だった。
posted by 浪速のCAETANO at 12:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月24日

ワイルド・ワイルド・ライフ

 ジャングルの木陰のようになっている曾根崎デッドエンドストリートですが、いかがおスゴしでしょうか・みなさん。

 森の中の小径、大雨・雷雨で横にあった大木の幹が裂け、しかし完全には裂けてしまわず枝もろとも頭上から降り注ぐ、そんな感じを少々楽しんでいる自分を発見するわけだった。建造物であったとしてもその場に50年おったらある種の「自然」化してしまうものなのだ。ヒトの秩序感覚から言うなら、それは惨状を呈しているのだが、その自然・化したものが本家・自然のチカラによってベローンとなってるのもまた自然なり・と禅問答もどきのことをアタマの中で想ったとしても、情況の打開にはならず、かといって業者に一度見てもらわないことにはどの方向に進展させてよいものやらさえ、明らかにならず、となればやはり、このいずれ近い将来には撤去されるであろう、そのべろーんとなった板による柵を、森の大木の災難として見ることはまあ悪い妄想でもなかろうという気がしてくる。

 かつては環境=自然だったはずなのだ。それが環境=人工となり、その人工は置き換え不可能な環境となってしまうことから、都市生活者の自然・となる。

 そうなった瞬間より、おれたちのワイルド・ライフが始まる。おおー、虎かと思えばきじこ・じゃないか。サファリ・パークかと思えばわんわんランドかよ。ン? 洗濯するオランウータン!!
年期入った人(男)喰いヘビ!!!あっきみが伝説の海ボーズか!!!!うわ・こっちやってくるのは・・・
デッドエンドストリートにはもうちょいと居たいから、これ以上は自粛いたします。
posted by 浪速のCAETANO at 12:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月23日

ちょっとした災害というか

 ちょっとした災害というのだろう。昨日の集中豪雨だと思う。

 我が・曾根崎デットエンドストリートの前は寿し恵と某金融屋の背面にあたり、その表面を隠すためか木で作られた柵が一面に立っていた。高さは10mほど、幅はデットエンドストリート全店をカバーするから30mほどあるかな・その柵の右半分が倒壊してしまいました。朝a美ちゃんのメールに気づいて行ってきたが、どえらいことになってて、あいたたた。

 その柵はもう50年ほどになるかな(推定)・多分そこいらの家と同じ年代か少し新しいかぐらいの「古さ」である。北区役所に電話し、大家に電話し、ニュー・ミュンヘンのおっちゃんに尋ねたが一体誰のものかがわかんない。こんな場合どうしたらいいのかよくわからない・わからないが、なんとかしないといけない。と書いてると、ミタキから連絡であの柵はなんと「おれたちのもの」であることが判明!!!!

 ストリート住民が過去にお金を出し合って柵を立てたということがわかった。あ・そう。そうか、だったらもう崩壊してるとこは解体して、なんかおもしろいこと考えるかしかないな。ストリートのコミュニティの質が問われる事件だなあ。でもこういうの誰に作業頼めばいいの? 解体屋さん? 大工さん? おれたちだってやれることはやんでー。マイナスをプラスに、もう一度「吉凶相半末大吉」というおみくじを思い出す本日だった。
posted by 浪速のCAETANO at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月06日

夏祭りおつかれ・よりはじめて

 夏祭り@曾根崎デッドエンドストリート後半も無事終了したみたい。ナチュラリーも3周年ってことで、ミタキも40ageってことで、これはあくまでも一般論だが、とりあえず40年生きたってことはそれでまあ幸か不幸かこの世に生まれ落ちて(成り行きで)そいでもってようわからんままなんだかんだ刺激をうけ(それも成り行きで)、それに反応し、そしてそれなりに何か語るべき事をもち、誰かに影響も与えつつ(これまた成り行きで)なんてことを考えるとほぼそのヒトの生きるスタイルというかな・そんなことはもう大筋決まっとるわけで、そこからの路線変更なんてのはなかなか難しかったりするわけである。

 これはもう一回いうけど一般論なのだが、そこまでのやり方をここから変えなさいという強制力が働くことはなかなか不幸なことみたいな気がする。最近は自分もなかなか混乱すること多くて、かつてのカミソリのようなアタマの切れなんてことには、とんとご無沙汰だから何言うとるかわからん向きもあることとは想うのだが、時々は賢くなりたいが基本・ばかでいたい・と想うのである。というか少々賢いぐらいでは物事・好転しないと想うからなのだ。

 今は信じるものをもっているバカが一番ブレない時代なのであって、逆に言えばすべてを疑うくせのついたちょこっと賢い人間がもっとも生きにくい時代なのだ。逡巡は自信のなさに外からは見え、そんなやつのぼそぼそっと言う事にはだ〜れも反応しないのである。つまり、神ではない限りすべてを把握することは(たとえどんなに偏差値高いやつだって)不可能なのであって、すべてとはどこまでも広がる地平の先にしかないのだった。それはヒトをして現状の中をみっともなく「もがかしむる」こと意味し、それはどこかで納得し「手ぇ打とう」という話になるのであるが、そうなっちゃうとそこで思考停止という・あとはTV見て「あははは・・・」などというチカラない笑い・な人生が待っているだけなのであって、あいつは終わってるなんて話になるわけだった。

 もう一度生物学の定理に戻ってみるが、あまりに世の中に適応しすぎるのはよくないわけ。現在の「適応」とは「声がでかい」「迷いがない」だと思うが、それはモノ事の単純化なんてことが社会のベースにあり、あと「キャラ」などという言い回しもヒトの全体性をなんや思とんねん・と怒っているのである・個人的には。過度の適応は次の時代への適応に支障をきたす・まあそれが10年単位で起こるかどうかはまた別の話だとは思うが、生物学史における何億年をマクロとするなら、ヒトの一生なんてその単位は「ナノ」みたいなもんだが、しかし、個体発生は系統発生を繰り返す・ではないが、大きな歴史の流れを集約した形がヒトの一生の中で起こるなどと思ってみる事もある意味「ロマンチック」だと思うが果たしてどうだろう?

 小さいものの中に宇宙がある。小さい大きいなどというのは相対であって何を基準にするかによってなんぼでもどうにでもなる。おれたちはその基準をあまりにも人間単位にしてしまっている傲慢の中を生きる傾向があり、最近の余裕のなさからそれを増長させる傾向にもあり、しかし、よくよく考えてみるなら、宇宙のでかさが今イチほんとのところが想像できない(これは相対的に考えてる限り永遠にムリ・なのだけども)ことから考えるに虫の世界や細菌の世界というあまりにミクロなこともほんとはよくはわかっていないのであって、それは結局何もわかってないのと同義・と言われてもしゃーないのだ。

 「経済」という一側面からの強制的なものの見方が唯一であるような、それこそ強制力がさらに増しているここ最近なのであるが、滅びつつあるもののなかから何か新しいものが生まれるなんてことが社会の正しい新陳代謝だと思うわけ。ナチュラリーもがんばってね。
posted by 浪速のCAETANO at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月04日

ミタキ・サカキバラへ

 TUTOR帰りにデッドエンドストリート寄り道してナチュラリーにて一曲ベースの音入れをするが、今回2曲参加させてもらったのだが、ミタキ・サカキバラ、上達しとるよ・キミら。いや・まじで。弾く時にモニターから流れてるキミらの曲と一体化する自分の音聴いててキモチよかったもん。a美ちゃんの声もキミらの曲にはハマる・と思った。ええトシになって肩の力が抜けてしかしやっぱりオトナのシブさというわけでもなく、ちゃんと「青い」。まあ・青いのがええかどーかは知らんが、例えばニール・ヤングは今も「青い」。「青さ」が成立するためには、周りの人に恵まれなきゃいかんが、けっこう恵まれてる・キミら・これがまた。ま・甘え上手なんてこともあるが・ね。まあ芸風やからね・それがキミらの。

 ベースというのはまだ自分に取ってはフレッシュでやってるうちにまたいろんなアイデアが出てきそうな気がしてて、あのメグの安もんのベース(ダン・エレクトロ)もなかなかいいし、あの録音環境もカジュアルすぎるぐらいで、これまた肩の凝らんもんだし、パルティッタなんて行かんでもええな・ことキミらに関しては。リラックスってのはキミらにとっては・参加する時のおれにもだが・大切だと思った。なんか一本リラックスというスジが通ってる方がいい。

 いやしかし、曲というのはヒトが出る。曲を好きになるというのはヒトを好きになると同義である。ヒトは人格をその器用さに基づいて使い分けて生きているのだが、同じコムポーザーとして曲を作るときの自分を見直す気持ちとか・自分に驚く気持ちとか・未踏の地に足を踏み入れる感じなんてものは・まあ言わんでもわかると思うが、ま・早い話・それが一番気持ちよくって、極論・それ以外のことはどーでもいいんやもんね。カタギじゃないよ。それが共感できるとこまでキミらやってきたな・という感慨を受けた・ということ。

 ラフレシアン・コムプレックスの同僚でもあるわけだから、路地の存在と音楽はこれは可能な限り世間に対して主張していかんとね。というわけでもないが、一度ナチュラリーで録音してみたいな・思った次第でした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 NATURALISMO あるいは 曾根崎デットエンドストリート夏祭り後半戦・あと周年記念
       @Naturally 8/5(Sat.) 20or 21時ぐらいから(ええかげん)
             チャージとかは特にないと思う。
       LESS THAN ZEROのCDも発売・今ミタキ寝ないで製造中
お誘い合わせの上どーぞ。食い物は大したものはないですが、TODO O MUNDOからの出前可。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ミタキ君・サカキバラ君、お礼は味楽園にしといたろ。ごっつぁんです。
 


 

 
ラベル:LESS THAN ZERO
posted by 浪速のCAETANO at 14:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月28日

路地の効能

 もうカンカン照りである。午前中で。

 ゆうべは寝苦しかった。ついに本格的亜熱帯の夏がやってきた。もうクーラーは欠かせないし、そしてそのクーラーの外気がヒート・アイランド化する最悪の時期である。さっきところてんを久しぶりに食べた。なんか喉ごし重視に走っちゃうわけだが、今年は冷麺(冷やし中華)をよく喰っている。薄焼き卵にハムにきゅうり・トマト・レタス・煮しいたけなど上に散らせばこの季節よいですなあ・ということになる。ビールでも泡盛でも。

 なんか「酢の季節」だと思う。酸っぱさ・酸味を、妊娠はしていないが求めているのがわかる。その酸っぱさによって・酸っぱさがあればなんでも喰えるという気がしてる。というか酸っぱくなくちゃ「いやっ!!!」って感じ。

 だから餃子なんて夏ウマい。ヒラメなんて夏ウマい。水茄子やきゅうりの漬け物なんてウマい。ちょっとしたお刺身と水茄子の漬け物なんかで特別本醸造を凍る寸前まで冷凍庫で冷やして飲めれば幸せだ。

 昨日TUTORが早く終わったので新世界に寄り、例の激シブパチンコでこんな台で勝てるの・っていうようなクラシカルな台で時間はかかったが、BGMに70's歌謡曲なんかが流れてて気分良かったからか勝っちゃって、ふらふらジャンジャン横丁を歩いて立ち飲みに入った。生ビールとどて焼きとゲソ天でふーっと落ち着いて、土佐鶴があったから気ままに2杯ほど飲んだら酸っぱさが欲しくなった。で春雨サラダが「当店自慢」と貼り紙にあったので、頼めばこれがなかなか良かった。となりのおっちゃんの阪神への愚痴に耐えられなくなって長居はしなかったが、時間的にもまさにほろ酔いのええ感じ。

 ジャンジャン横丁は希有な路地だ。来た人はみんな階層がなくなる。底辺に近くとかではなくノン階層になる。新自由主義からは最も遠い路地だ。そこから新自由主義から2番目に遠い曾根崎デッドエンドストリートへ。ホームです。ここもシブい。しかしその決定的な違いはTODO O MUNDOとNaturallyというなんともラジカルな店の存在だろうか。二軒とも・というかデッドエンドst.の店は全部なのだが声がでかくない。ヒトを押しのけて前に前にと自らをアピールする店はひとつもない。えのもとなんて取材拒否である。東通りとかお初天神通りに面した店ならば、声の大きさは必須科目だ。必須科目であるからその声の大きさによって(物理的な意味だけではないけど)客はそこを選ぶ。デッドエンドst.内の店たちは「お誘い」をしない。しないことがいい事かは別として、お客各自の意志によって選んで頂戴ね・という表通りの店からすると「非常に消極的な」態度だ。

 ただ、来てくれた方々に対してはいろんなことをしてあげるし、教えてあげもするし、ナチュラリーのおっちゃんに甘えたり、運がよけりゃマルタニカズに怒られて泣かされたりという特権も享受できる。浪速のカエターノや曾根崎キッドに出会える可能性もある。店と客の50:50をどう実現するか、ってことを考えてたらそんな風になっちゃったわけよ。これはそう言ってしまうことはある意味タブーなんだとは思う。50:50なんてことはね。別に店のモノたちに「いばっとけ」とも「お客様は神様です」なんてことを両方指導しているわけではないわけで、そんなことを通り越したあげくの50:50なお互い肩凝らない関係。決して自分の家としては「ありえない場所」で「だらだら」しなさい・どーぞだらだら、と言ってるわけなのね。それは一般的な感覚では「なんやこのきたない路地」を実は「この貴重で自由に溢れた路地」とぼくが「読み替え」たことから物事は始まっているわけ。

 路地のよさは「隠れる」ことだと思っている。ほんとの話だがかつて某バカ男がタクシーの運転手と派手な喧嘩をして逃げてきて「かくまって」とほんとに隠れにきた事がある。もちろん「売ったり」はしませんでしたよ。

 たとえ誰かにアナタが追われていたとしてもまず二階のジーナのいる部屋に隠してあげる。それが見つかりそうなら三階まで導いてあげる。それでも追っ手がしつこい場合は窓を開けて逃がしてあげる。三階の窓から出ると、そこは軒が密集した日本家屋の瓦屋根がどこまでも続いている。まず誰にも気づかれずにその逃避行は完了するでしょう。そこからはお初天神通りの人ごみに紛れ込めばだいじょーぶ。そうそう冬ならおこたの下の堀ゴタツの中なんて完璧よ。ジーナに引っ掻かれるぐらいは我慢しろよ。

 夏のトドムンドはクーラーの効きが・なんてこともかつてはあったけども、今年は各階絶好調で、ナチュラリーは寒いぐらいに効くからね。お客がいないとホント寒いからね。

 この夏は猛暑が予想されます。梅雨明け遅かった分、太陽も短期集中講座で日本列島集中放射するわけだね。その気合いはわかった。もう午前中でわかった。だから昼間のハードな仕事の後はぜひ曾根崎デッドエンドストリートに「隠れ」においで。そしてだらけた後に、目からウロコ・な体験をしてみてください。世間の常識からちょっとずれとるからね・ここの路地は。治外法権とまでは言わんが。

 夏のカクテルで自分の好みは「カイピリーニャ」「モヒート」「ピーチラムのフローズン」ですが、泡ワインともどもココロを緩めるために肝臓元気なうちにぜひいっといてちょうだい。社長の好みとぼく/あたしいっしょやねん・と店の者たちにいっていただければ、一杯200円ほどディスカウントさせていただきましょう。コノミが一緒な人たちとは「連帯」できるような気がするじゃん。隠れるには平日が穴でしょう。
posted by 浪速のCAETANO at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月18日

第六回路地祭り前半

 世間は3連休だったのか・そーかそーか。今知った。

 「世間」のことなど本質的に興味がないからそういうことがままある。ほんとにどうでもいい。
梅雨は終わると見せかけといて明けるのはちびっこの夏休みの開始と同時か。

 7/16は我がデッドエンドストリートの夏路地祭り前半戦@TODO O MUNDOだった。あ・後半戦は@Naturally on 8/5(土)ですよ。

 ワインが何本も抜かれ、食い物もふんだんにあり、どんだけ飲んで喰っても上限\4000の「もうこれ以上はいただきませんの愛と友情の良心価格」。パラダイスである。でしょ。前日自分は波瀾万丈の人生でほとんど寝ていなかったのだけど、最近はなんだか自分の中に「音楽的充実」というものがあり、なんかそういうのって久しぶりだなあ・などと、他人事のように感じつつも、「やれることはやれるうちに」「If I don't do it, somebody else will」なんてのがモチーフな日々なのだから、文句なしにやるのである。多分それには誰も文句ないはずなのである。

 「浪速のカエターノ」の気分が40%ほどあり、ラフレシアン・コムプレックスでは「過剰」を押さえざるを得ないから、いや、それはそれで良いわけであって「本日おれにはこの場がある」と思える幸せを感じるわけだった。不安はあるがやってみる。それは、次につながるもので、100回の練習よりも本番の1発主義の集中力で何事もやるわけである。歌いたい歌があることの幸せも噛み締めるわけだった。「過剰」も「過剰でふつー」なやつらが客なのであるから何の問題もないわけである。

 だからそのことだけを考えてても大丈夫な前日は久しぶりに「非常に幸せ」な一日になるはずだった。なるはずだった・などと過去形なのは先ほどの波瀾万丈が待っていたからなのだけど、自分は「キング オヴ 器用貧乏」@西川で、しかもヒトにあーだこーだ言われるのが大っ嫌いであるから、自分がやっていることはさまざまあれど、それはすべて自分が責任者なわけで、しかし、その場のとっ散らかり方は、というとほぼ多重人格を肯定せねばならぬほど(病理としてのではなくだけど)精神のモードだってさまざまなわけである。

 ヒト様の目に映るものというと現象としての「社長」なり「先生」なり「マルタニカズ」なりなのだが、そこはほら・現象のベースになる精神のモードといえば多少のカブりはあれど、その大モトのモードはまるっきり異なるわけである。例えば物事をヒトが学ぶというてんに関してはこれはその大モトではどれにもあてはまるわけだが、その手法となると「社長」と「先生」と「マルタニカズ」ではかなりの違いがある。まあ簡単な話、よりどのヒトが本体のコアに近いかと言うと、そんなものは言わずもがなの世界で「マルタニカズ」以外にないわけである。もっと正しく言うならば最も自然なペルソナである。ペルソナに関して「?」と思われた向きは「曾根崎キッドの日々」のなかの「マスクマン」というバカ短編を参照していただきたく思う。
http://blog.goo.ne.jp/monile1780/d/20050608
 やっぱりトシとともにおれも「ややお疲れ」なのか、そこらへんの切り替えが、その前の精神モードの余韻の強さからうまく行かずに「ひきずっちゃう」ことも多くなってきた。それが意外にこの土曜日、うまくいった。今日から明日までは「音楽のことだけ考えてればいいのよ」と、この場合はそーですねえ、カウンセラー・トロイのオフィスにカウンセリングという名目で来て、ちょいとヨリを戻すきっかけを作ったライカーみたいなキモチになってた。やや有頂天・しかし、感覚はなかなか研ぎすまされて、アタマの中では何チャンネルも音がアンサンブルとして鳴っている・という理想的な情況。よく考えたら、この有頂天に最近ほんとによく起こることがある。そうじゃない立場における失態である。世間はある一つのペルソナに耽溺することさえもほんの一日たりとも許してはくれないのだった。つらいなあ。人間くささを理解するには自分の足で立っているなんてことが前提などということも忘れていた。パラサイトにはパラサイトの理屈はあると思うが、自立している人間にもそれなりの理屈はある。自立している側の人間の理屈が軽視されがちなおかしな社会だが、それはとりもなおさず、選択の余地の有無から来ているのだが、つまりバイトならなんぼでも仕事変われるが店やちゃんとした仕事はそう簡単に辞められんでしょ。社会的責任というわけだが。

 それにしても路地祭りはやはりチカラ抜けた楽しさがあり、専属DJユニット・アオミタキの選曲も冴え、久しぶりのフォホーまで飛び出す有様で、最後は熱と脱水・酸欠により自分もふらふらだったが、しかし、そのあとの白赤チャンポンは五臓六腑にぎゅいーんと染み渡るのだった。そういうとき全然酔わないのね。肉体労働者系統なのかね・おれ、意外に。でもなんというか、どこのライヴハウスにもないトドムンド独自の雰囲気というものがありまして、それは途中で電車気にして帰ったんじゃ味わえない。身もココロもユルしてしまったあげくの快感プラス解放感なんです。体験者には「みなまで言うな」だが未体験者には「想像もつかない」と思う。これすべて「過剰」の成せるワザ。もうひとつの楽しみはライヴ後のバカ空間なのであるが、今回もおれは見ていて楽しかった。これはとんでもなくって言葉にできないが、いやー「身もココロも・・・」というのがやはり条件になるかなあ。バイーアだね、その時トドムンドって。しかし、開けっ放しであんな音出しても誰からも文句が来ない。まあ、これは見捨てられた・忘れられた路地だからなのか? そんな好環境はひょっとしたら都市の中では日本中どこ探しても見つからないはずだ。でも、これ梅田の真ん中の話よ。それだけでもびっくり!!よく考えれば考えるほとびっくりだ。理想的なアンダーグラウンド・と言える。

 いやー楽しかった。やはりこれは「秘密めいた情況」をキープしといた方がいいのかな。

iPhoto.app「From 曾根崎デッドエンドストリート」

 では後半戦、たのんだぜ、ミタキ。

 


 

 
posted by 浪速のCAETANO at 13:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月08日

ワイン会だよ〜

<<<ワインと料理w/酔っぱらいDJ対決>>> 
 来る2/12(日)3:00p.m.〜@TODO O MUNDO on 曾根崎デッド・エンド・ストリート
 charge \4000ポッキリ ワイン:いろいろ(社長セレクション)、料理:いろいろ、
DJ:浪速のカエターノfrom The LABEL Rafflesia/ミタキユウイチロヲfrom Naturally
img10342207143.jpeg
 スパーク・白・赤といろんな料理を食べながら、徐々に酔っぱらっていきながらの選曲合戦。どんなアホな情況が待っているのか? 楽しみですね。
 老若男女白人黒人インディアン中国人インディオムラートメスヂーゾ士農工商イヌイット貴族華族皇族資本主義者社会主義者ロリコン海苔コン脚フェチ胡麻フェチアイリッシュスコティシュイーディッシュジューイッシュムスリムヒンディーカトリックプロテスタント真言宗浄土宗浄土真宗サディストマゾヒストパラノイアスキゾフレニーADHD治療可能なSADPTSD年金生活者年金未納者ニートフリーター学生OLサラリーマン未決囚板さんシェフコックディックユヴェンチーノミラニスタアルフェスタFWMFDFGKサードで四番ライトで九番卓球マニアポリネシアンミクロネシアンメラネシアンバリニーズフィリピーナタイワニーズコーリアン関西人東京人九州人四国人カリオカパウリスタバイアーノお誘い合わせの上どうぞ。お待ちしてます。
posted by 浪速のCAETANO at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月08日

お祭り後

 まあなんとか「路地祭り」も終わりまして、まあ旧友との再会もあり、バラエティに富んだ出し物・客層もまあ良しとして、そして関係者の労をねぎらいも出来たし,という感じ。
 
 でもきっとおれが一番疲れた。やっぱ、気遣うじゃない。そうは見えなくとも。

 さて、今後のことである。どうしようか。

 最近の世界を見てて思うことは、弱者が怒ってるということだ。イスラム原理主義者の振る舞いも底辺で影響していることは間違いないが、気になるのはフランスだ。かつてのワールド・ミュージック(というジャンルもどうかと思うが強いて言えば、非西欧音楽)の隆盛はパリで始まったぐらい、非フランス文化にも許容度高かった国の中の暴動だから気になる。アルベール・ヴィルの冬季五輪の開会式の素晴らしさとか、バリで乗ったアフリカ系タクシー運転手が自国の文化を普通に誇りにできていたこととか、アラブ系フランス人たち(例えばカルト・ド・セジュールやレ・ネグレス・ヴェルト)の音楽に昂揚したこととか、パトリス・ルコントの「髪結いの亭主」に挿入されていた、劇中歌とダンス。どれをとってもかつてのローマ帝国ではないが、他国の文化を自然に取り入れ共存することはフランスが一番と思っていたからその現状の報道は時代の変化を感じさせた。同じく移民を受け入れてきたイギリスとは違って、コミュニティを作らない・作らせないというのがフランスのポリシーだからこそ、まだ自然に本国人との共生ができているのか、などと思っていたからちょっとショックだ。

 あの、サルコジだったっけ内相の「ゴミ」発言。国内が右傾化してくるとあのテの発言が出てくるのはやっぱどこの国でも同じだったね。フランスが(でさえ)寛容ではなくなってきていること、これはなかなか問題なことでね、EUの国の移民たちはアラブ・アフリカ系の人たちがほとんどだから、これがまたイスラム原理主義者の温床になることも考えられ、邪推と邪推が絡み合ってベースの関係がとげとげしくなることが恐いなあ。

 ネットの影響も、中国の反日デモ同様指摘されているが、実感持って思うことは、コミュニケーションには「体温」が必要ではないか、ということ。コミュニケーション・ツールの発達はどんどん「言い訳」だけがやりやすくなっていくだけじゃないかな。

 そんな世界の様子を考えてみた時に、初めて思うこと。それはデッド・エンド・ストリートであるとかトドムンドであるとかナチュラリーであるとか、その、なんというかクールさがウリではないものが存続できればなあ、ということです。
 切れば血が出るし、痛い。そんな感覚を取り戻せないのだろうか、と切に思うダメ社長の日々だった。
posted by 浪速のCAETANO at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月04日

デッド・エンド・ストリートのお祭り

ただ、だらだらとやってるだけかもしれませんが、11/6我が・路地<<<デッド・エンド・ストリートのお祭り>>>を(秋祭りか?)開催いたします。トドムンド周辺が会場となります。周辺といってもそんなに周辺は周辺にありませんから、トドムンドの中と店の外ぐらいでしょうか。主な決定済みの出し物はDJ:ミタキユウイチロヲ/軟体・中華鍋PERFORMANCE:権野氏/ライヴ:キング堀内ブルースバンド・浪速のカエターノです。DJタイムには飛び入りOKです。屋台:おでん・手羽・グリーンカレー・ピタパン、ドリンクはごっつ旨いワイン(赤白泡)等なんでも用意されております。まあムヅカしいこといわん場で、普段とは違う精神の翻弄をされに来ませんか?来ませんかっつってもなかなかむずかしいけどね、これが。

では行き方です。梅田花月からお初天神商店街へ突入していただき、お初天神へ向かって南下。わんわんランドまで来てください。その角がヅラ屋の路地を左折。熟女サロンに入らず、やり過ごして15歩進む。その間5歩目ぐらいのところにその道ではかなり有名な曾根崎のカップル喫茶がありますが、そんなとこには入らない。15歩目で寿し恵というお寿司屋さんに出合うから、そこの路地をさらに左折。かなりアヤシく、心細くなってもかまわず突入。ほらこういうのって勢いが要るでしょ。するとそこがキタの隠れ家、曾根崎デッド・エンド・ストリートでした。灯りを頼りにふらふら乱入してください。でもみんなには内緒。お祭り来れなくてもまた普段の日にね。でもみんなには内緒。
posted by 浪速のCAETANO at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月28日

曾根崎デッドエンドストリート

<<去年の今頃のヒトリツウシンから。路地の再開発情況に特に進展はない。変化があるとすれば、自分か?>>
「2005年の11月6日、最後のデッドエンドストリート祭りです。ちょっと早いが忘年会的な。屋台・DJ・踊り・ライヴ・ワイン」

 いわゆる仲秋というもっとも気候のいい時期になってきましたね。
 お初鍋始めますからね。2F/ 3F要予約です。
 梅田の再開発。そんなもんしなくてもいいと思うが、金儲けしたい不動産・土建屋多いみたいね。やっぱり。そんなひとたちが考えること。「ビル建てよーぜ」
 トドムンド界隈も水面下で進行してたことが顕在化してきつつあります。沖縄そばもなくなっちゃったしなあ。新御堂側はどんどん切り崩されてきてる。この露地の1本北側のピンク系の店も多い露地は立ち退きが決まったみたい。もうすぐニュー・ミュンヘンとデッド・エンド・ストリートの店だけになるのだろう。この露地とかトドムンドの「ありえなさ」がひしひしと身に滲みますね。いつまでも、とは思っても時の流れには逆らえない。デッド・エンド・ストリートの土地を持ってる方がトドムンドの大家さんでその情報は前々から聞いていたんだけど、このデッド・エンド・ストリートだけはまだそんな話になっていなくて現実的に言っても最後まで残りそう。ただそんな時のことを考えると、けっこう興味深い。高いビルに囲まれて、トドムンド及びデッド・エンド・ストリートの店が営業を続けてて、昼間は廃虚みたいに見えるんだけど、暗くなるとどこからともなく人が集まって来、世界の音楽が流れ、料理が出され、ワインが何本も抜かれ、賑やかな歓声がこだまし、歌が歌われ、さまざまな言葉が飛び交い、それはさながらパリ5月革命の自治解放区のようでもあり、怒るやついれば泣くやつもバカ笑いするやつもおしっこ漏らすやつもいて、横ではネコたちが勝手にくつろぎ毛繕いをしながら、人間ってやつは・・・なんてクールな視線を投げかける。そんなことになればよろしいですなあ。

 街を面白くするには、これって案がおれにはあって、それは何かというと一時間に1本でいいから深夜にすべての電車を走らすこと。そういう署名活動をしてもいいと思ってるぐらい。私鉄・JR・地下鉄すべてに対して。街に活力が戻ると思うし、深夜の時間に限ってはきっと赤字にはならないと思うがどうか?
 赤ワインが美味しくなってきたね。それもそーだけど、赤でも白でもない「緑ワイン」を入れました。興味ある方飲んでみてくださいね。あとグラッパ。そしてシングル・モルトも是非秋にうまい酒だね。焼き牡蠣にタラモア・デュ−を垂らしたのを肴にね。プレモダンでモダンを、トドムンドおよびデッド・エンド・ストリートで越える試み、あなたもいかがですか?何のことかよーわーらんって人にはおれが今度説明したげるね。
posted by 浪速のCAETANO at 19:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月11日

告知、その他

 9月は連休多くて嬉しいですが、最初の連休の月曜日・9/19、ブルース・ナイトしましょうか。今回は「Blues & 脱国境ナイト」南部をめざせパート 2 です。おれも少し気合い入れてやろうかな。8:00〜。チャージ等特にありませんから、連休の最後の日は近場でノっときましょうか。どー?

 そのタイトルにもある南部をめざせという言葉の「南部」これはまさにカトリーナが暴れ回った地域でもある。惨状を伝える様子をVTRで見ていても、あの映像はもはやアメリカには見えない。中南米かアフリカの政情不安な内戦下にある国であるかのような印象を持った。ぼくらはBLUESやR&Bといったアフリカン・アメリカンの文化的遺産を当たり前のように消費している(個人的にはそれだけではないと信じるが)がそれを生み出した風土はその原点ともなった貧困もそのままに依然として残っていたことに衝撃を受けるべきだ。

 小泉くんは明言は避けているが、今回の「彼の」争点である郵政民営化とは中途ぱんつではあるが「小さな政府」を目指す第一ポイントである。「官から民へ」と自分の言葉に酔ってさらにヒートアップする小泉くんの演説のさきにある現実の選択肢の結果のひとつが今回のカトリーナによるアメリカ南部の悲劇でもあることはぼくらは覚えておくべきなのだ。郵政の職員を民間に、とは大した問題ではない、というのが与野党ともにの意見である、とぼくは解釈している。(与党は、こんな程度の改革できなくってどーすんの?という姿勢だし、野党はそんなことよりもっと大事なことがあるだろーという姿勢だから、結局そーなんない?)ただ、そのずっと先にある「小さな政府」という概念がもたらす悲劇の典型のひとつが自然災害に対する準備不足である。小泉くんの路線は安倍くんとかに継承されていきながらまた形も変わっていくのだろうけど、その小さな政府という考え方がブッシュの共和党の考え方とリンクしていることもぼくらは忘れちゃいかんのよ。アメリカの民主党(クリントンのヨメが次期大統領候補最右翼といわれてる)はそれに対して大きな政府という考え方である。その大きい・小さいて何の違いがあんの?とハナたらしてるキミは言うかもしれない。
そーね。確かに疑問かもね。ごく簡単に言えば、小さな政府とは大きな政府に比べて、自分の事は自分でやってよ、国はキミらのことはあんまり助けんよ、老人だとかビョーキの人とかもなるべく自分でやってよ、先に民間の保険かけとくとかさ。政府はキミらの生命ぐらいは最低限守ってあげるけど、あとは勝手にどーぞ。予算ないし。という意味合いが大きな政府に比べてずっと高くなる、ということね。すでにその傾向は保険料・年金掛け金引き上げなどに見え隠れしています、日本でもね。小泉くんの政策が「アメリカ化」であるというこれが理由である。正確にはアメリカ共和党的な、ね。アメリカって健康保険てないのよ。

 ブッシュの支持率は不支持率を下回ってしまった。連動していた小泉くんはどーなのかな? 日本人は世界一のばか民族でしたー、というお墨付き果たしていただけるのでしょーか?
posted by 浪速のCAETANO at 13:17| Comment(0) | TrackBack(1) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月19日

第一回ブルースナイト

 いやー、なんとか終了してよかったですね。しかし、なんかちょっと気使いました。慣れんことするとちーと疲れるね。先輩たてたわけやね。珍しくも。

 やっぱり、ちゃりんこ乗ることや泳げるようになることと同じ(かな?)く、若くして身についたものはそう簡単には抜けんものですね。先輩たちなかなかシブいプレイでした。11/6のむーちゃん仕切りのファンダンゴ、かおるちゃんとおれの間に出てもらうことにした。

 こんなことができたのも、こんな路地の中に店があるからで、それにはこの小枝のような路地(曾根崎デッドエンドストリート)に感謝しているわけよね。また何か企画してやりましょう。できればおれは企画だけにして、どこまでも酒飲んどきたいですけど。

 第二回は9月にやろうと思うし、パーカッションナイトなんかもおもしろいんじゃないかなと思っています。ナチュラリーのマスター&ながいおつかれ!!!ありがとう。
 
posted by 浪速のCAETANO at 15:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月30日

ミス・トドムンド前

 曾根崎デッドエンドストリート、TODO O MUNDO前で撮影会をしてはいかがでしょうか?植物と花とフェリーニに囲まれ、一瞬ですが日本ではないどこかへ行ってしまう。毎月「ミス・トドムンド前」というのを開催してみようかな。来店の女子とおかまの方の植物と花とフェリーニに囲まれた写真を撮らせていただいて、ミスを決定しワインをプレゼントしようかな。
posted by 浪速のCAETANO at 13:01| Comment(1) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月29日

<嗚呼、曽根崎デッドエンドストリート 2>

<嗚呼、曽根崎デッドエンドストリート>
 「雨池十八丁目の淵の中」という映画、HEP NAVIOにて上映されました。我らがデッドエンドストリートやうちの2階とか3階でフィルム回す、なんてのは知ってたんだけど、すっかり忘れてた。ナチュラリーのミタキも出演してて本人曰く「迷演技」らしく。「迷演技」だった、確かに。トドムンドの3階、絵で見ると雰囲気あるよね。そしてこの露地=曽根崎デッドエンドストリートだけど、妖しいぞ。雨が似合う、とおれは思いました。「曽根崎キッド」の映画を撮りたくなったね。この露地だけでシューティングが完了するよな映画。低予算でVTRで。i movieで編集してね。もちろん、サントラも作って。
 
 カップル喫茶をちょいときたところにナチュラリー・おみつ・トドムンド合同の電飾看板を出してます。これはミタキがんばったんやけど。よくやった。
 
 もう一度曽根崎デッドエンドパラダイス倶楽部の主旨を。
 
 この露地の保存と妖しさは残しながらの発展を目指す、たまたまこの露地での営業をしている人々の有志的な集まり。というものである。なんの強制もないが、たとえばこれまでも下水対策なんてのは一緒にやってきてたりもするわけで、共同の問題には共同で対処しましょう、ということである。未だ声をかけてはいないがハイボールや駒芳やえのもとにもいづれ声はかけようと思ってる。仲間はおおい方がいいじゃない。

 この露地と付き合い出してもう早8年になる。いろんなことがあったのよ。泥棒に入られそうになること三度。実際に入られた、一度。ハイボールのマスターが暴漢にあったり、下水が詰まること数え切れず。バカの客が前の塀正拳突きで壊したりね。でもこの露地にワカモノたちが来るようになったのはTODO O MUNDOができてからだ、という自負はある。もっとイメージ暗かった、ほんとに。おれがやりだした頃はね。
 
 まあこの露地の余命もいくばくもないような「噂は真実」なんてのも存在しているんですが、この露地のアジ、わかんないかなあ。わかるヒトたち、最後まで仲良くしましょうよ。8/1発売のミーツのトップページ飾る予定です。
posted by 浪速のCAETANO at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月12日

嗚呼、曾根崎デッドエンドストリート(失われいくものへのまなざし)

 曾根崎デッドエンドストリートという路地がある。大阪は梅田、御堂筋に平行に走るお初天神商店街を南に下ると、わんわんらんどがある。そのわんわんらんどを左に入る。路地である。「熟女サロン」があり、呼び込みのにーさんがいる。ま、男子ひとり、あるいは、ふたりなんて場合はそこで終わりって場合も考えられます。ではまた来週。
 
 その熟女サロンを無事クリアいたしまして、さらに奥へ。そこにはその道ではかなり全国的に知れ渡った「曾根崎のカップル喫茶」がある。内部はかんなりみなさん「おはじけ」になっておられる模様です。カップルで歩いてて、その、内部から突然湧き上がるおはじけ欲求に「もうええわ!!!」ってなっちゃった方はそこで終わり。また来週。
 
 さてカップル喫茶もクリアしまして、さらに進む。寿し恵という和食屋の屋号が見えてくる。それに気を取られたあなたはそこに更に小さな路地があることを見過ごしてしまう。そうなった場合そのまま歩いていってしまうのが普通でして、そのまま新御堂側まで出てしまって、この場合、また来年って感じかな。印象としては梅田のアダルトな路地ということになるのでしょう。女子なんて「二度と来るか〜」と思われると思います。

 ポイントは第三段落。寿し恵の左にあった更に小さい路地です。ちょっと立ち止まってその路地を覗き込んでみる。ん?なにやらポップというかキッチュというかそんなアイテムにデコレイトされた壁が?その奥には暖色系の明かりが?気がつかなかったけれど、足下には「曾根崎デッドエンドストリート」と読める電飾看板が?好奇心の方が勝つという方は一歩足を踏み入れてみてはいかが?

 何もないと思ってた路地のそのまた奥に路地があり、そこには5・6軒のお店が営業しています。左からおみつ・Bar Naturally ・駒芳・ハイボール・Todo O Mundo (トドムンド)・えのもと、と並んでいて、アジアン・イタリアン・しっかりした和・ちょいとつまめて歌えるスナック・ええかげんなバー・ちゃんとしたバー・異常な日本酒/焼酎の品揃え・絶品のハイボール・ブラジルのカイピリーニャ・世界音楽が流れる店・赤のスパークリングが飲める店・ニューウェイヴな店・変な二階/三階のある店・超美人のママがいる店・アホのマスターのいる店・話のわかるおねえさんのいる店・クーラーの効かない店・ねこのいる店・等々、いずれも一癖あるお店が世間の動向とは関係なくそれぞれのペースでやってはります。曾根崎デッドエンドストリートです。曾根崎キッドなる謎の人物も出没しています。
http://www.todoomundo.com 
posted by 浪速のCAETANO at 19:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする