2015年03月22日

マルタニ塾で/から

昨夜は今年合格の新大学生・新高校生とその母たち、およびその妹さらにその兄たち(マルタニ塾卒)も交えて、TODO O MUNDOお座敷にて宴会。みなさん、吹田の人たち。

それだけでなく、10年ぶりぐらいに来てくれた妙齢の女子2名。そして後輩2名を含むフラメンコ・チームで賑やかだった。豊中の人たち主に。世は連休だったのね。

ホンマに、客に「格差」がある。現在住んでる街のことをどうこう言いたくはないが、もーほんまに、、、、、である。

ビンボー人が消費者マインドに晒されると、もうサイテーの人種になるというtypicalなsample。精神的・物理的ビンボーが同時に体現されるのは実は稀ではないみたい。おそらく、それは同時進行するものなのだろう。

i miss 北摂である。北摂にもVARIATIONあってさ。知らんやつは知らんと思うが。豊津って街はバランスがよかったな、と思う。もちろん、過去の話であるけど。

末娘が新大学生になったうちの上の兄貴がインドネシア留学を終えて帰ってきて「なんじゃい、これ」なお土産などを貰ったのだが、もうインドネシア語はペラペラになっていて、おお、いいねえ、ダンドゥットやんけークロンチョンやんけーと、脱国境音楽家の顔を持つ先生は喜ぶわけだけど、意外と先見の明あるよね、お前、とか思ったりもするわけ。価値観の多様性、そこを重視してるよ、おれは。知ってると思うけどね。言うは易し、だけどね。「偏差値」的なるものはこの世に蔓延していて、実は偏差値が必要ないところでそれが幅を利かしてる。

そんな余裕ないと思うんだけどね。学者は「お遊戯」。脱構築。もういいよ。そのうちエライ目に遭いましょうね。

ま・どうでもいいです。関係ない人たちのことは。がんばってみて、その方面で。

おれはもうすこし、地面に近い人のためにがんばる。

最近、後輩によく出会う。中には産業界どっぷりなヤツもいるが、そうじゃないヤツも多い。阪大とかちょこちょこっとの勉強で通るからそこがいいんじゃないかな。東大はもう少し緻密なものが要る。なにかに揺らいでたら難しい。そんなことが高校生でできなくてもいいんじゃないかな、とおれは思う。自分を律することって立派だとは思うけどね。自分がそこ、苦手じゃん。だから余計にそう思う。

そして過度の達成感はもう少し「先に」取っておいてもいいんじゃないかな。

そんなわけで、今年もうちの塾は「楽しい」ことだけをして面白いまま、みなさん受かっていった。おれといっしょにお勉強して、おれの店で親子でおめでとう、なんて、なかなか理解できないと思うが、そういうことだからしょうがない。これに眉をひそめるか、理想の一つと思うかそれはその方のハートの問題かな。多様性を内在した人間っているのよ、意外に、身近に。

マルタニ塾もまた少数精鋭ゲリラ第五部隊なのだったね。おれの周りはそればっかり。


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2011年05月20日

順序・ってある

 連日の朝帰りで、さらにソファ寝でカラダのあちこちが痛い。自業自得。

 しかし週末も、反省なくそんなことが続きそうなのだが、空気の爽やかさがヒトを救う。中間テストはヤマが終わり、本日・明日と新高一の子が、スポットで教えてと来るだけなのでお気楽人生だ。

 しかし、突然なんだか難しくなるよね。お勉強のことですが、高校生になると、論理性がいきなり要求されるとこがある。そこに戸惑う子たちも多い。しかし、そろそろそんな時期でもあって、そうであっても良いかな・という気もする。

 基本、子供というのは、自分もそうだったが中二の夏ぐらいまでは「リアルに」子供だったりする。そんなやつらも中三ともなれば、いっぱしに高校談義というようなものを始め、紆余曲折の一年を経て、めでたく新高校生となっていくのだが、おれが思うに「高校受験」ってのが、ヒトの成長過程においてはいいポイントだな・と思う。カラダ先行で、アタマが後からついて行く・そんな気がしているからだ。

 オトナのカラダへ近づくとアタマもややオトナに近づいてくる。不思議なことだが、ナチュラルでもある。中二ぐらいまで「うんこ」とか言ってたヤツが突然男女ともちょっとした「憂いのかけら」を表情から感じさせ、どきっとするのもそんな時だ。

 だから、高校受験ぐらいのタイミングって15歳だけど、そこがもっともそんな「ちょっとした試練」にはベストだと思えるわけ。

 おれはそんな理由もあって、中学受験には関わり合いたくない。小学生にお勉強を詰め込む際に(ほんとに詰め込まないと受かんない)、なぜこんなことをやらんといかんのか・ってのを自分が決して説明できないと思うからだ。

 それは完全なる「アタマ先行」の出来事で、実感に乏しいままに知識を詰め込んで行くということだけど、結果オーライであってもなくても「イヤなガキ」が出来てしまう・と思う。

 豊津時代にたまに電車に夜乗ると、十三から「子供集団」が乗り込んできて、車両をまたいで走り回ってチョーうるさかった。いわゆる「浜ガキ」だが、そこから分かれた「希ガキ」というのもいて、あ〜あ・だったのだ。今は両校ともあっちこっちに出来ているから「各私鉄沿線」に分散されているが、当時は十三が「中学受験」のメッカだった。

 やつらにしてみると、そこしか「遊ぶ場」がなかったわけよね。家帰るとすぐ「塾」であるし、それが夜の10・11時まで続くとなると、きつい仕事のサラリーマンみたいな拘束のされ方をしてたということだし、解放されて泥酔しつつ、OLのケツ触るの子供版が、その車両またいでの大騒ぎだったわけよね。

 中学受験での燃え尽きのバカたちいっぱい見てきて、そしていっぱい救ってもきた・と思ってるのだけど、「かつての秀才」の思い出
が変なことにならずに生きていっていただくことを祈るばかりだ。

 さて、そろそろだ。


 順序・
順序
posted by 浪速のCAETANO at 15:01| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月01日

んー・何かが違うのだがうまく言えん

 元生徒が来てるから、店に出頭すべし・RIGHT NOWという電話が店長から掛かってくる。そいつらとは4.5年ご無沙汰していたので、ワインの空き瓶15本を伴って片手チャリで店へと向かう。普通ゴミの日は覚えたのだが、資源ゴミの日がいつやったかな? というのがわかんなくなって、それ以来、店のワイン置き場に置けばいいぢゃんってことにあるとき気付いて以来、だらしなさはそのまま。普通ゴミもたまに店に早朝やってくるおにいちゃんの世話になっている。だらしないことこの上なし。

 K応のSFCを今春卒業し、H神・H急百貨店に就職が決まっているやつと京都D大5回で実質2年の2名がおこたにいた。

 20余年塾をやっていると、7・8回アホみたいに盛り上がった年がある。そのハジケ度はまあいろいろで、80's後半〜90's〜0'sと時代を変遷し、同時に映しながらのそれらなのだけれど、豊津時代の最後から2番目のまあ楽しかった年代のアホ2名なのだが、そいつらのパパは同じ同い年/2つ下・という、なんとなくこちらにある種の自覚を促す、そんなビミョーな年である。

 2名とも中学受験経験者で、もっとも切れていたのは小六のとき・というよくある話ながら「やや残念」とも言える・そんなタイプ。

 中学受験ていいのだろうか? 

 曰く、公立には行かせられない。ちゃんとした教育が受けられない。受験対応もダメだし。こんな話で、みなさん中高一貫あるいは大学まで付いている・そんな学園を目指すわけだが、もちろん親の経済的負担もハンパではない。それが「できる」ことが立派な親の証し・という意味もこの20年間の日本人の心象風景を鑑みるに、否定できない。多分にそれもまた「新自由主義的」である。

 その傾向はおれたちぐらいの年の親から始まり、普通になったのは今40代の親たちだが、それは教育に対してコストパフォーマンスでもって評価するこころを持った、ということだ。言わばコンシューマー・マインドに目覚めてしまった・ということなのだが、それはお金を使う際にコストパフォーマンスを考えるという、まあ言わば当たり前のことなのだが、しかし、それをこちらへ適用するとそれはどうなのかな・などとおれは思いながらも単に呟いていただけだったのだが、そうしているうちにあれよあれよ・という間にそんなセンチメントが支配的になってしまった。

 そしてそのほんとのベネフィットを測定することは難しく強いて言うなら「合格率」みたいなことしかぱっと見ぃ・ないんだもんね・目に見えることが。

 「競争」と「勝ち負け」というあまりにもわかりやすいが、ものすごく単純な世界へと移行していくことになる。親子ともに「新自由主義的」であればそれでよかろう。とりあえず、その現場での葛藤は極小かと思われる。しかしいきり立った親といまだ洟たれた、あるいは競争とかが厭な平和主義者な息子/娘だったら。

 昨日来たそいつらにも確認してみたが、中学受験の現場にいる際には「なぁんにも疑問持ってなかった・というかなぁんにも考えてなかった」という情況だ。しかしやる勉強量はその年にしてみたらハンパではない。小学生の算数ってなかなかむずかしいんだよね、これが。論理性をそんなにつきつめずに「○×算」をやらされる・そんな印象がある。今年面接に来たノゾミ学園出身の子の塾ノートを見せてもらったが、国語にしても「オトナの言葉」による回答が満載だった。それって果たして「いいこと」なのかな。疑問が残るんだなあ。いつになっても。

 例えば、微積の難問を解く、空間ヴェクトルの難問を解く。そんなときに6年も7年も前に詰め込まれたことが「好印象」のもとに甦るのは「一般的」か・ということなのだ。きっつい塾の小学生がやっていることをよく見てみると、結局それは中学生の問題だったりする。平行四辺形ベースの辺の比なんてのもモロにそうで、まあ一貫の進学校なら高二で高三までのカリキュラムは終えるから、まあ進むことはついていきさえすればやれる子に負担はないだろうけどさ。

 しかしである。あの15才の時にグランプリ・ファイナルで楽勝の優勝をした浅田真央ちゃんでも、「オトナ」になるにつれて「波」も出てくるわけである。早熟は必ずその後の停滞をもたらす。まして、強要された早熟・ってのはどーなん? と言いたいわけ。いや、おかーさんにしてみたら強要したつもりはなく、「本人」ともちゃんと話しましたけど・と言うのであろうが、でも小学生に「オトナ」な判断なんてできるわけがないのだ・そもそも。

 おれは自分が公立出身で「できるだけ勉強せずに」をモットーに生きてきたので、そんなちびっこが、勤勉を根拠に「将来のことを語る」という現場に立ち会うと「へー・ほー・おー」など驚いてしまうのだが同時に「ほんまかー」と斜視にもなる。

 うちの塾には伝統的に中学受験成功して「身元保証」されときながら、「ぬけがら」と化したD大・K大・K学大付属高校生が多く在籍した。そうではない一貫高で大学は外部というパチパチな人々もいたけども。しかし、それなら公立高校でもそれは「可能」だったりする。しかもこれから「タダ」だ。

 15才で「初めての受験」ってわりとその心身の成長ってこと考えると「ちょーどよく」ないだろうか。

 今、必要以上にお勉強ができて、とりあえず、目の前の競争に勝っていくことを至上命令として少年少女時代を過ごすことは、なにかその時代にしか感じることの出来ない「コドモ」としての感覚をその代償として差し出す・そんなことにならないのだろうか。

 15才当時の天才浅田真央ちゃんでも苦しむわけである。エリート中のエリートである。安藤美姫ちゃんだって同じく・である。苦しみは安藤美姫ちゃんの方が質・量ともに上だったと思う。荒川静香さんにしてもそうだ。必ずスランプというものは存在し、そんなときこそ、周りの「新自由主義・後」の世の中の意味を理解したオトナが一旦競争から身を引かせて、精神をリストアさせ、チカラと自信を回復させることが必要かと思う。親の「無責任」なとこは、そこんとこフォローできないくせに「焚き付ける」だけはするってとこかなぁ。そこまで予想しながらコドモを焚き付けた親には今まで誰一人出会ったことはないなあ。先って見えないし、まただからこそ「可能性」に賭けたい・という気もわからんではないけど。

 しかし、ほんとに鬼畜なのは「受験産業」である。あんまり親を脅迫しないで欲しい。そして絵に描いた餅で親のコンシューマー・マインドを刺激しないでいただきたい。そのノゾミ学園にせよハマ学園にせよ、中には所謂「アホクラス」もあったりする。それって「存在矛盾」である。アホな子たちの月謝はカシコイ子たちのために・とは今や常識だが、それはあまりに「あからさま」ということだ。

 行き着く先は「つかえない東大生」を量産してな〜にがうれしいのだろう。お勉強とかそれは受験でも構わんのだが、ピークに向かって徐々に盛り上がっていくのがいいに決まってるわけで、それは時間とともに「納得」や「覚悟」がオノレの内部由来のものになるからである。高校生で早熟なら社会の矛盾とその中で「生きていかねばならん」という決意はまだ可能かもしれないが小学生にそれは100%無理である。

 灘中○○人、東大○○人というパンフ広告がどんどん入る時期になって、マイナー塾としても広告しないといけないのだが。時代は逆風である。

 しかし、必要以上に進学塾といわれているところ、そんなところに「結果」以外に、生徒の事を考えているオトナは誰一人いないのよ。受験「産業」と言う言葉がすべてを語っている。おれんちは「進学塾」ではあるが「産業」ではないので。

 
 

 

 

 
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2009年09月19日

塾HP

 T瀬くんとこないだの新郎のおかげで新しいHPが出来ました。

 秋の連休は「定番化」するみたいですね・どうも。

 ふーん・という感じ。
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2009年06月10日

ということは必然的に

 と・いうわけで、「マルタニ塾」も梅雨入りとともに移転しております。豊津to中津です。

 駅前・というのは変わんないですね。北摂の住民で学校が大阪市内なんてヒト、帰りに寄れたりして。そして中津という土地は御堂筋線で考えるなら北は千里中央から南は中百舌鳥まで一本。阪急ならば神戸・宝塚・そして吹田・茨木・高槻さらには京都までカヴァーします。意外に便利なのかも。

 近くに予備校も多いですが、マルタニ塾はまた全然ノリが違うので。

 21世紀の寺子屋・マルタニ塾です。すべての受験に対応します。06-6375-4660
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2009年05月22日

元塾生と

 なんだか切れてしまった。もはや、繋がってなかったりする。

 いいのかわるいのかもよくわかんないが、繋がってないのだからしょうがないの。

 何が・何と・あるいは・何に繋がっていないのかも「?」なのだが、とにかく・繋がっていない。

 昨夜は元生徒のU原が何度も曾根崎時代から足を運んでくれてたのだけど、いつもおれが行けないときを狙って来てくれてたみたいで、それが、やっとタイミングが合い、「おー久しぶり」ってことだった。

 関学の総合政策を出たが、企業と肌が合わず、で・今回公務員試験に受かった(それも本日)ってことで、「おめでとう」ということになった。

 草津の市役所だそうだ。昨今の社会情況を反映して「すんごい倍率」だという。青年は安定を目指す。

 帰りしな、おれのタバコをごっそり盗み、人のチャリを糸田川に捨てていた「アホでヤンキーのN」も今では関東で「フツーに」サラリーマンだという。もう一人の「アホでヤンキーのM」は今NYCでフリーランスの不動産業でなかなかうまくやってる・という。まあ・それぞれ、なんかやっとるな、と安心した。

 ヒトの年と順番がなんだかよくわかんなくなっちゃってるのだが、昨日確認した。やつらの一つ上が「アホのナガイたち」の年代で、やつらの一つ下が「Mグたち」だった。と書くと「アホばっかり」かい・と思われるかもしれないが、まあ・そう。しかし、毎年、昨日も言っていたが「聡明でかわいい」女の子たちもいたね・ということなのだった。まあ、それぞれ、関関同立なり産近甲龍なりのどこかに入ってねわけなのだった。うちの塾そういうのってそれはそれでちゃんとやるのである。

 かつては、もっとみんな生徒たちも「無自覚」だった。それがおもしろかったのだけど、最近は「自覚的」過ぎる。受験産業め〜。もっとぼーっとさせといていいのだから、そんな学生たちを若い頃から追いつめないでね・と言っておきたい。言ってるだけじゃなんともならんが。

 ここんとこも「過去の中の回復したいもの」の一つだったりする。


ミルタォン。浪速のカエターノの重要なレパートリーの一つだったりする。サンバやボッサ・ヌォーヴァとはまた異なったムジカ・ブラジレイロ。出発点はあんまり変わらなかったりする。少しヨーロッパ的とも言えるかもしれませんね。美しいのだった。


 
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2009年04月27日

漢検の背後に透けて見える

 そもそも卑しいからそんなことになる。

 漢字検定協会のことは、言っておきたい。なぜそんなに儲かっちゃったのか・というと漢字検定を受けるヒトビトが増えたからだ。

 こんな商売をしていて、にもかかわらず、興味なかったからものすごく疎かったのだけど、数年前から「漢検」受けるねん・というコドモたちが増えてきた。

 「何のために?」と思ってた。「英検」ならわからんでもないが・と思ってた。英検は各級が、つまり準2級なら高二程度・2級なら大学入試程度・というようにレヴェルとして対応していて、力試しというか自分のレヴェルの確認と言うか・まあ受験勉強の目安にはなってた。そして高校在学中に2級を取ってると公募推薦に役に立つ・という話だった。どの程度役に立つかは知らない。

 で、いきなり漢検なのだが、「漢字」を知ってるなんてことは「悪くない」が、そんなに盛り上がってるなんて思わなかった。でも考えるに英検を取るより、ずっと、特にオトナのヒトビトには馴染みもあり、気軽に受けれるな・そういえば・など思ったが、特にやっぱり関心はなかった。

 ベースには文科省の推奨があったのだろうね。国を挙げての「右カーヴ」とも関係しているかもしれない。クイズ番組もそんなことに対応してるし。「学校的なお勉強」が今もまだ流行り・でもある。そんな表層的に教養齧ってもブームが終わるとぜーんぶ忘れてしまうくせにぃ・と思っている。一問一答形式とは「それだけで終わるなら」もっとも愚かなお勉強である。

 世の中の一般としては、そんなに勉強ができなかった・と思っているヒトが大半であろうかと思われるから、何かの補償的行為という意味合いもあるのかもしれない。

 そんな流れの中の漢検・だったのだが、「ちょっとでも得を」「おいしい」なんて言葉にオノレの息子・娘の進学に関して常日頃反応する親たちはものすごい勢いでそれに飛びついたみたいだった。

 その背中を訳の分かった顔して後押しした教育関係者などもいたのだろう。そんな輩は次から次ぎに出てくるのだけどね。

 教育産業ってそんなパターンだらけであって、新自由主義的精神にどっぷり浸ってしまっている。しかし上位の子をより伸ばせば下位の子も引き揚げられるなんてことは「経済」がうまくいかなかったように、お勉強でも上手くいくはずがないのだ。みなさんものすごく利己的である事を強いられてるからなのだけど。しかし、最近、大手の塾・予備校でも下位の成績の子の月謝が結局は上位の成績の子たちのサーヴィスの根拠となっているなんてのは塾・予備校関係者の中では「暗黙の了解」である。それがわかっているのかいないのかおかーちゃんたちはそれでもやっぱり「権威」に弱い。残念ながら。

 システムでお勉強を教えるとそんなことになります。結局はヒトとヒトの2時間とかの関係だから、ヒトとヒトの間にシステムがあるなんてのは良くない。どう良くないか・なんてことを検証する以前に「良くない」のである。お勉強を伸ばす・なんて時に「科学的」なことを強調するのも良くない。それではオウムに騙されたヒトビトと同じことであったりする。

 コドモは一人一人、ちゃんと扱われることが必要なのであって、それは勉強が出来るできないとはまた別の価値観に依らなければイケない。そいつがいいヤツであるかどうか。今はいやなヤツかもしれないが、いいヤツにきっとなる・と信じて付き合えばいいヤツになるのである。不思議な事に。それはある意味、自分と他人との関係への気付きの視点を持つ事であって、そうなるとこれまた不思議にお勉強への理解も高まってくる。それをマニュアル化しなかったおれも悪いのだけれど、マニュアル化することへのためらいがあった。誤解・曲解が必ずあるからだ。もっとそれは根本的なところで「柔軟性」を必要とするものだったりする。

 おかーちゃんに「あんたんとこの息子・もつといいヤツになれば、志望校通りますよ」なんて、まったく説得力に欠ける。しかし、これは事実で、こうしか言いようがないのであった。

 多分またまた「早過ぎた」のだろう。今おれが言っている事をシステム化した塾がそのうちぽつぽつ出てくるんだから。いろんなヤツ(成績の善し悪しだけじゃなく、年齢も)がいるのが社会なのであって、そんな中でみんなでそれぞれ進歩する。教え合いもする。自分の有り余っているものを分ける。アンチ・グリーディーな精神もそこで養われる。

 教える側も自分の仕事を「報酬」に換算する癖をなくさないと。そのためには世間の目もそんなテイストから少し離れないとね。

 結局、「新自由主義的精神」をどこかでみなさん超えないと。とっても残念なのである。でもまだ終わったわけじゃないけど。

 早い時期からの競争は良くない。良くないのだが、それが必要悪であるなら、最終的な結論まで出さずに終わっとこうよ・と思う。ヒトの能力とはその開花に「時間差」もある。

 さて、「ハダカで何が悪い!!!」
 おれもそう思います。ヒトは服着て生まれてこないものね。
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2009年03月15日

早起きDAY2

 朝まで@店だったので、2時間ほどしか寝ていないが、大丈夫だ。

 店の方は昨夜はまあまあ面白かった。サカキバラが来てくれたし、真ん中の「朱赤の部屋」にはたまたま阪大の後輩たち(と言っても22年ほど後輩であるから面識も何もあったものじゃないが)が9人来て、曾根崎の2階と3階が合体したようなノリを醸し出していた。後輩たち、アホでした。自分の事を考えるにさもありなむ・であるが。

 A美シェフとミーティングをして朝帰り。朝日が普通のメガネには眩しいわけであった。

 出だしは「カオス」であるから、さまざまなトラブルが降り掛かっても来、湧いてもくる。それはいいのだ。トラブルは解消するためにある。Trouble over here,Trouble over there、なのであってひとつひとつツブしていくしかないのだが、やっかいながら、その作業には充実感も伴う。個性と個性は「当たる」こともあるし、各人の思惑も異なる。しかし、その背景の異なる他者との共存とは開店したての店でも中東のとある地域でも、それが克服すべきKEY ISSUEなのであって、そこに能力総動員しないといかんわけである。能力総動員といっても、それは「ただがんばる」ではアタマ悪いのであって、そこには「棲み分け」という高度な社会性に基づくバランスが必要なのね。

 さすがにその名は「TODO O MUNDO=ALL OVER THE WORLD 」でもあったりするわけで、世界の課題が12坪ほどの中に集約されてるわけだった。智慧もまたそういう時に「湧き出て」くるものなのである。自分でトラブっといて、自分で解消する。物事の道理とはそんなものなのかもしれない。ヒトは生まれながらに「原罪」のようなものを背負っているからかもしらんね。

 さて、奇蹟に向けてのDAY2であるが、本日は店も休みであるし、こちらに集中。もう一時間ほどでアタマも冴えてくる予定である。おれがパーじゃハナシなんないのよ。朝起きたときはパーでした。

 
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2009年03月14日

早起きDAY1

 早起きファイナル3DAYSのDAY1だ。

 奇蹟に向かって早起きしてます。まあ、めったに起こらんから奇蹟なのだけど、結果はともあれ、本人の「充実」が値打ちである。その小さな成功体験の欠片が彼・彼女の次のチャレンジへの微かな自信となってくるのである。がんばれ、すばしっこい小太り。
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2009年03月13日

間に合った!!!

 昨日今日と蕎麦食い過ぎ・のある意味幸せ・と言えるかと思う。

 おれは基本的にお店などで自分のことを「名乗ってどーこー」しない人間なので、顔は知られているが、今回みたいな事があると「それは誰・きっとあの人かも」なんて思われていたみたいで、その通り正解・みたいなことで、「あ・やっぱり」なんてことになってた。

 積み残しになっていた高三・見事後期で受かった。良かった。東大京大阪大だけが受験じゃないのよ。そんな大学ならばもう既に生徒たちの潜在能力もストックがないほどに今なら小学時代から掘り起こされているはずなのであって、その中での仕上げみたいなものだと思うが、うちのやつらなんてぽーっとしてるのである。競争が嫌いでおれんちに来てる訳で、その中で和気あいあいと勉強して、バカ話して、それで大学受からそうとしてるわけなのである。そんなやつらがみんな(総勢7名)それなりの志望校合格である。誰にも無理はさせなかった。だからみんな受験生特有の「病んだ感じ」がない。それがおれの「誇り」である。

 受験に病まずに合格させること、これは受験産業には無理な話なのであって、それはなぜかというなら、塾のHPにも書いているが、産業となれば業界なのであって、成果の競い合いになるからである。最近は特に、予備校そして大手塾ともにやっぱり○×大学(高校)に・・・人、それがご父兄にわかりやすいからだと思うが、そのご父兄のムスコムスメが少し努力すれば前述の○×大学(高校)のレヴェルにあればそれもよかろう・と思うが、そこから果てしなく遠い場合でも、そういう集団の末席にくっついてる方が「メリット」だと思うのだろうか。またその成果の競い合いの集団の中では、末席に近づけば近づくほど「蔑視」とそれに伴う「自虐」もあるわけで、そんなことが病むことの一因でもある。ご父兄にアピールしない大学(高校)に何人受かろうが、それこそ業界内ではあんまり意味のない事ではないだろうか。

 そんなものを「教育」の一環の中に入れちゃダメだよ・と思う。塾が教育か産業かで捉え方は変わってくると思うが、産業オンリーではやってられんよ。そして必ずこぼれる人々が出てくる。受験においてもある種のセーフティ・ネットも必要で、しかも、再生可能性はかなり高いのである。なんだかんだ言ってもコドモだし、先が長〜いのであるから。

 だから病ませるような勉強のさせ方は絶対にいけない。高校受験期になるともはや名実共にコドモは親の所有物でもなくなってくる。見栄や世間体が根拠の期待もねえ、される側も大変である。問題なのはそういうことが本人のヤル気を削いじゃう事なのね。当人のヤル気が「自然」に出てくるような状況が望ましいですね。親の側がコドモを相対化できるか・ってことかな、とも思います。しかし、難しいね、これって。愛情とおせっかいは裏表のものだし、おせっかいも一概に悪いとも言い切れないから。

 大学受験は結果も出、すべて終わったが、あと公立高校の後期試験がある。もうひとつの「奇蹟」を起こさないといけないのである。

 大阪の公立は内申の「持ち点」+「入試の点」というのが大まかな合否判定の基本である。ただ、学校毎に、内申の比重が異なる。更にその合計で90%の合格者を決定し、その後の序列で110%までをボーダー・ゾーンという枠に入れる。その20%の半分が最後の合格者となるのだけど、そこでの選考方法が各学校毎に異なる。入試の点だけ・とか、内申だけ・とか、その合計・とか、中には、副教科(美術・音楽・技術家庭・保健体育)の内申の合計なんてとこもある。あと、面接に「見るべきものがあった」とかね。

 そうなるとなかなかブラックボックス化してくるわけである。やや手探り・ということにもなる。

 そこを志望校選定の際に、持ち点をおれに教えずに決めたアホがひとりおって、受ける高校はそんなに一般的には難しい高校ではないが、なんといっても、こやつは12月の五木の模試で英語12点国語6点数学に至っては0点という栄光の持ち主である。それで持ち点があればよかったのだが、それもその学校受けるヤツの平均からも20〜30足りない。だからこやつを受からせるためには、みんなより20〜30点点を多く取らんといかんわけである。あったりまえだ・な話しながら。

 誰しも「無理ぢゃん」と思うだろう。しかし、この1ヶ月。めきめき賢くなって来た。なんだか、脳のニューロンが思い出したみたいに活動を始めて、増殖しながら、お互いと結びついている様子が想像出来るのね。で、「勝負できる」とこまでやってきた。どの教科も五木と同じ換算で行くなら50点・50点・50点な感じなのである。12点・6点・0点が・よ。顔もややきりっとしてきた。生まれて初めて「思索」を正に始めた人間のその瞬間の顔の変化って見た事あるヒトいますか。なかなか興味深いものがあります。

 かように人には個人差があり、最後の最後まで諦めずにやることが大切なのだ・ってことなのね。冷静にね。

 大学受験で最後に残ってたやつも「間に合った・ふー」という感じだった。最後の高校受験もそうであることを願っているし、現場を知らない人にはそれはどちらも「奇跡的」に見えたりするものだった。

 受験・を知らない第三者にはトップ高合格なんてことしか反応出来ないと思うが、それに勝るとも劣らないダイナミズムが、うちの塾にはあったりもする。ジミだけど、しかし、どちらが値打ちがあるかなんてことはおれは知ってるけどあんまり公言しないのね。言っても受けないから。

 でもね、本人と関係者のヨロコビは同等の値打ちなんですよ。
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2009年03月03日

発表の日のいろいろ

 朝帰りで、ちょっと寝て昼間に食材買って、中津へ届ける。

 今週はサカナ充実してますね。

 トンボ帰って、本日公立前期の発表でそれを待つ。

 結果は一勝一敗。前期試験は「力試し」な意味もあって、みんなギャンブルで受けたりするのだが、一勝一敗。少し残念だった。もう少しだったんだけどね。

 しかし、後期に向け、切り替える。志望校の確認と設定をして、カルく勉強・自主的にしてる、オトコマエな中三女子である。

 しかし、ここで問題が。受かった方の女子、やや太めなのだが、心ない中傷を試験の時も、今日も、よそのバカギャル・バカ男たちからされ、泣いて帰ってきたと言う。今のバカ中学生のバカ度はやはり、数年前よりも進行している。新自由主義が原因である。

 それを校長に訴えたところ、「前期試験に合格したら必ずそこへ行かなくてはいけない」の一点張りで、それはキマリだから仕方ないのだけど、その話ぐらい聴いたってもええやんけ・おっさん、などとつっこみたくなるほどの官僚主義的+威圧的な態度だったみたいで、それにその子のおばあちゃんがキレ(かなり「騒いで」過去にさまざまな実利をゲットしてきた方みたいである)・校長室怒鳴り込み・と相成り、そこで本人混乱してしまって、そんなことがあり、一年生も明日まで期末テストなのだが、そこは年の順で、まあ我慢してもらって、その子の精神を落ち着かせ、「そんなやつがすべてではなく・さらに今日はそいつら異常なウカレポンチ状態であり・先輩たちの意見も確認しよう・と過去の2名に電話をし・しかしほんとに行ってツライ事だけしかなけりゃその時は自分の精神を守ることを第一に考え・しかし実際行ってみる事の中で周りと自分を客観的に見・耐えれるか耐えれないかを自分のこゝろに訊いて・逐一おれに報告してくれて・でもほんとにアカン場合はヤメてもいいじゃん・でもその前にイヤじゃない事がどの程度あるのかを確認しに行ってみよう」と話をしていた。

 いろんなことが起こる。しかしこんなの初めてである。その子はかなりここに書けないような「酷い事」を言われた。

 しかし、考えるに、そういうことをツルんでヒトに面と向かって言うようなバカ男・バカオンナたちの精神・って、ほぼTVしか見ていないだろう事が想像されることから、結局「お笑い」と「JPOP」で出来てる事にならないだろうか。最近は「JSOUL」などというカテゴリーのでっち上げも完了しつつあるらしい。お前らみんなキリスト教に改宗したんかよ・など、突っ込んでも、きっとものすごいバカたちなので、それが如何なる冒涜感溢れる事なのかきっとわからず「ハナたらしている」わけだからきっと会話にもならんわけで、「んーー・もうっ」だと思う。

 いや・だから、「お笑い」と「JPOP」で出来た精神は公人の「バカの開き直り」にも「勇気」を得・身もフタもない領域へとすでに突入していると思われるが、それが集団でいる限り、接点は持てないし、持ちたくはないもんな。

 奈落の底でもエンターテインメント・それも安いの・に依存してる・と昨日書いたが、そんなやつ大量生産されていた。寒い話である。

 あと2週間・自由になるのが延びた。延びても延びなくても諸般の事情でなんもできないんだけどね。
 
 
posted by 浪速のCAETANO at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月08日

マルタニ塾HP

 ここであんまり言っても、どうか・と思うのですが「マルタニ塾」のHPリニューアルされて、まだ装飾はないのですが、おとーちゃん・おかーちゃんにかかわらず、読んだ方々の感想なり、批判なりを頂き、さらなる改良を・など思ってます。

マルタニ塾

 コメント欄にどしどし容赦ないご意見を。
posted by 浪速のCAETANO at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月05日

やさしさが強さにならないと

 朝、起き抜けにらっきょをつまんだら、カレーが喰いたくなって、カレーを作ってる。

 根菜のカレー。味覚の連想力ってすごいね。カレーとらっきょが一般的かどうか・それはわからないが、おれの場合は福神漬けよりらっきょかもしれない。

 塾のHPの原稿をずっとやってたのだけど、書いても書いても翌日になると、「なんか違う」と思えて、書き直したり書き足したりしていた。しかし、もうアップしちゃってからも訂正も更新もできるから・と思い、今アップ待ち。

 世の中がどう思ってるとかではなく、こちらがこうである・でいいじゃないの・と今は思う。無理なことはできないしな。

 お勉強業界・音楽業界、ものすごく遅れていると思う。人の幸せとごく近いところにあるはずのその二つの社会は、人を孤立させ、アホにさせ、無益な競争を煽り、恫喝し、という意味で「遅れている」と思っている。

 非常に、新自由主義的だ。優れた者を伸ばせば、それが牽引力になって劣った者も引っ張られ、あるいはその恩恵を受ける・なんてのが正しくその考えが働いたときのスキームだと思うが、もちろん働かない。「必要以上」の二極化を招くことになる。なってる。

 そこで現状批判もいいが、現場としては、そこからまた別の方向へ状況を向かわせたい・と思うわけだから(まあ・おれは)そうではないコンセプトをアピールするのだけど、ここまで新自由主義的な世の中でそんなことが果たして耳に届くのか・という懸念がある。

 日本人というのがよくわからなくなることがある。まあ・ワンパターンではないということなのだろう。しかし、子供たちはどうか? 意外とワンパターンかもしれない。わからない。

 わけわからんままに競争の枠に入れてはいかんよ・ということを延々その中で言っている。現状の競争って、「他人より先んじる」つまり、ピストルが鳴るよりも早くスタートすることによって第一コーナー・第二コーナーのカーヴでインコースをゲットするようなものだからである。地力に勝る子はバックストレートでやっぱり出てくるのだけど、地力がなく、しかし、親によって先んじさせられた子はそこで息が切れる。子供はなんだか自分のチカラをそこで自覚するのであるが、そんなことはおかーちゃんはユルさないのである。競馬ならばそこで鞭が入るわけである。競馬の鞭はホームストレートまで取っておくのであるが、そんなことおかーちゃんは考えてくれないのである。そこで必要以上に鞭を入れられた子供に鞭の痛さは残る。そのレースでかろうじて上位入賞しても、それはまだ予選だったりする。第二次予選・準々決勝・準決勝・決勝と先は気が遠くなるほど長い。おれが提案しているのは、いきなり予選とか参加せんでいいから、もっと気楽にプレッシャーかからんとこでトレーニングをして地力がついたな・と思えた頃にレースに参加したら・ということなのね。

 新自由主義のもとではやさしさは弱さと捉えられていた。やさしさがしなやかな強さになること以外のパラダイム・シフトは意味がないと思うひとりだった。

 さて、どうなることか?

 中津TODO O MUNDO NOVOもなんか本日進展がありそうである。行けないのが残念であるが、任せた。
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2009年01月17日

さて、オトナのアホはSurviveできるのか?

 本日2.5階建てで忙しい。

 高校生はセンター試験へ行っている。あんまり関係ないんだけど、腕試しみたいな感じ。

 このころになると中学生がプレッシャーに潰されそうになってくる。毎年のハナシなのだけど、「生真面目」なやつほど、そうなる。

 メンタルのケアがなかなか大変なのだ。うちの塾のように「距離」が近いとよけいに「何かをしてあげれる距離」だから何かをしてあげることになる。

 偏差値崇拝という考え方はうちの塾にはないから、チャレンジするならチャレンジもいいが、無理しないでね。こんなところでエネルギーの源を傷つけちゃいかんよ・しかし、無理じゃない場面では自分の限界値を自分で確認してみてほしい・というところである。成果も上げなきゃいけないが、何かを犠牲にしてどこかに手が届くことが、その人の人生をホントに幸せにするか・という疑問はやっぱりあって、学歴と将来のひらけ方が比例するのかどうか、これもアヤシいものだから。

 その根底には「人の評価」ってムヅカしくもめんどくさ・であるし、レーベルが貼ってあった方が、評価する側も思考停止できて「楽ぢゃん」てことがある気がする。

 もちろん高学歴で能力と人格を兼ね備えたりっぱな方たくさんいらっしゃるが、それはそのヒトがそうなのであって、そのヒトからさかのぼって見た時にそうであったという十分条件なのであって、逆は真なり・は必要条件に過ぎない。よって逆は偽。そんな実例パターンがクローズアップされがちの現代でもある。

 だからといって、パーではいけない。ここらへんから、あーでもないこーでもない・と思考はループしていくのであるが、こちらも思考停止してしまえばヒジョーに楽なのだけどね。

 塾のチラシの2009年度版を考えているからこのような話になってしまうわけだが。

 できれば、殺伐としたデータの中に呑み込まれないでもらいたい・といつだってそう思いながらやっているのだが、親だってそこまで余裕を持って息子娘を見守るなんてのはまれで、なんだかおとーさん・おかーさんのリヴェンジのニュアンスも多分に有り、そんな方々はまあいわゆる「消費者」なのね。そこから先はこちらも「殺伐」のフィールドへと誘われることになるのだが、「お得」「おいしい」なんて言葉が親子から今平気で会話の中に出てくる情況であって、なんだか自戒の念を込めていうとするなら、おれたちぐらいの年から下の世代はやっぱり子供など作るべきじゃない・と「一般論」として言ってみたい気もするわけである。そんな子供のおかげでメシ喰えてきたわけだけど。

 しかし、子供を育てるというのは余裕が要る。絶対に要る。経済的な余裕から始まって、もういろんな余裕が要る。

 自分は幸か不幸か子供はフォーマルには作ってはないが、子供らと付き合うことにより、その親としての役割に関して「代償行為」を延々してきたのかな・という気もする。はなはだ無責任な立場ながら、無責任であるからこそ言えることやれることというのもあったりする。

 子供が育つに不可欠な親以外の「近所の・かつてはにーちゃん、今ならおっちゃん」としての役割。そんな人間がいるかどーか・って大きいのよ・いや・まぢで。

 オトナのアホって今とっても生きにくいんだけども、これこそがもっとも社会に必要って気もしてるわけよ。
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2008年06月12日

おかんのロマンはちょっと

 「お勉強ができること」と「そいつといて不愉快ではないこと」との相関関係が崩れだしたのっていつ頃からだったろう・と考えている。

 もちろん、例外ってのはあって、「例外的」なヤツばかりがうちの塾にはいるのだけど、それを「例外的」と感じれるだけの感覚はおれにもあって、そこからかなりの確度をもって「非例外的」つまり一般の情況を推測できるのだが、おれんちの塾はなぜか奇跡的に「精神の疲弊」を対人関係において体現するという不愉快なやつがいないので、また仮にそうであってもおれみたいな「オトナのアホ」と付き合ってるうちに不愉快度合いがどんどん減少してきたりする変な場所なので、ただ、新自由主義的価値観とはどうしても根本的に仲良くないとこも最近はおれの側に顕著で、それを敏感に感じ、対応する中高生とはどうもソリがあわないみたいで、最近はそんな中高生は北摂を牛耳る大手のR塾をはじめとする「北野高校・茨木高校153人合格!!!!」などという垂れ幕で世のおかあちゃんたちの自尊心と虚栄心をくすぐるそっちの塾や予備校に「なんの逡巡もなく」行っている。それは別に構わない。そして、おれんちは、その環境にちょいと適応するのに時間がかかる・またはぼーっとしていておいてけぼり・みたいなやつのシェルターの役割を果たしているみたいなところがある。

 基本的に今の学校においては「アホ」に人権はないのではないか・と思う。昔以上に。しかし、コドモとしての面白さを追求していると「アホ」になっちゃうのである・必然的に。コドモとしての面白さを如何に速く脱皮するか・が新自由主義への適応度とコドモたちは無意識のうちに考えているフシがある。コドモは体制に敏感だから。それはお勉強ができるできないに関係なく、それぞれにある種の圧力がかかる。もちろん、その時期は「ワル」とか「エロ」とか誘惑も多いのだけど。そこんとこ普通のおかんたちは視野に敢えて入れていない気もする。はなから、ないものとして振る舞うと言うか。だから余計に歪んだカタチでそれらに接触するなら接触することになる。

 なんかね、おかんの、自分のお○んこ裂けそうになったり、実際に裂けたり裂かれたりすることから始まる「ドラマ」がおかんの数だけあって(コドモの数でないとこがポイントかもしれない)、そして多くのおかんはそれを相対化できていず、コドモとわたしの関係に夢を見てる・としか思えないときがある。それは「オンナのロマン」というべきもので、「オトコのロマン」が大抵は周りにメーワクなことと同様、「オンナのロマン」は確実にオノレのコドモ(息子がメイン)を巻き込むだけに現実にはもっとタチが悪いんぢゃないの・と言う気がする。

 立派な母もおりますよ・もちろん。ただ、オンナの常として、いまだ自分に未練がある方なら必ず上の定理の範疇だろう・と思う。コドモを媒体にしたオノレの「欲望」の体現だ・なんてかなり「ヒドい」こと言ってるのかもしらんが、コドモはやや迷惑してると思うのだ。さらに「おばちゃんも欲望全開してええんや!!!」ということになったから余計に事態は複雑化する。

 関係ないが、おれは「母親」になったオンナの方・まったく興味を覚えない。こわすぎるのだ。モンスター・ペアレント(ツ)という言葉が造られる前からおかんは「モンスター」だった・と思います。やはりお○んこ裂けそうになる体験がそうさせるのだろうか・わからない・わかるすべもない・わかりたくもないかもしらん。

 今まで、コドモを意のままにしようとすると、同等の「復讐」をされますよ・と何度も仕事柄忠告をしてきた。「放っといて」「自分で考えさせ」「痛い思いをして」わかっていくことだらけなのに、なんかわけわからんうちから「ノウハウ」を叩き込まれ、それがよくできると報酬を与えられ・なんてことを幼少のうちからやってたら、ロボットの脳とヒトの肉体の噛み合わせの悪さにきっと困るはずだもん。

 「勝ち組」「負け組」なんて言葉、ほんとに「品」がないと思うが、それを最初造って得意げに、そしてある時期から当然のように使ってるマスメディアの皆様、もちろん、自分は「勝ち組」の中にいる・って思ってるわけよな。そこがもっとも品性に欠けるとこだけど。「生存競争」という言葉があるが、競争しないと生存出来ない社会って「自然」となんら変わらない。「弱肉強食」なんて言葉もよく使われるが、それはこの社会が結局「自然」です・という意味よね。何もかも「アメリカ」を模倣する必要はないはずだが。

 コドモたち、勉強が出来なきゃいかん・という呪縛から自由にさせてあげたい・と思いながら、「負ける」のわかっていながら、お勉強教える「オトナのアホ」もいるわけで。

 アキバの加藤くんの罪は罪として、思いつくまま述べてみた。あいかわらずまとまらんのだけどね。

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2008年03月14日

Over&Over Again

 もうセーターを着るほどじゃない。まとめてクリーニングかな。

 月曜が公立の入試であるから、もうひとがんばり・という感じ。晩メシ用の煮物を火にかけながら色々考える。直前になって風邪ひくヤツとかいて、やや心配である。うちの塾は高校生主体で、そっち方向に向かってもいるのだが、中学生も何人かいるわけで、そこんとこまあ中学生にはノリも必要で、その兼ね合いは受験期になるとスイッチのON/OFFがまあまあ大変なのである。私立大が終わると大学受験は大体終わるのだが今年は国公立のコがいたから、なかなか長引いた。どんな受験にも対応するのが我が塾のモットーなので、ここはしんどいがやりきらないと、いけない。結果はもちろん大切だが、受験はそれだけでもない。「受験なんて」と思ってしまうのは勝手で自由なことであるが、そういう「受験批判」の考え方と「受かれば何してもいい」という考え方のハザマでカンペーするというか、その両方から批判とその両方への批評の中でやってるのはなかなか「狭い道」である。

 わかりやすいものが求められ、そのわかりやすさの「極致」である「合格」という現実は何よりも訴求するものだが、目に見えないそこまでの過程とか、シミュレーションとか、そこまでの精神的苦悩なんてことが実は更なる財産でもある。ただ、そこんとこ「ウリ」にはならない。言葉にできず、何よりも第三者にはわからない。精神的には苦痛を与えずに、結果を出したい・とこれは常日頃思っていることだが、ヒトは楽な方に流れがちだから、そこんとこ、だらけずに少しずつ物事をわかっていき、そしてなによりもその関係性が信頼に溢れ、楽しい。そんなのがいいのね。でもそんなのが最もムヅカしいのね。

 どんな場合も理想と現実の間には大きな川が流れ、その川に小舟で漕ぎだせば、「けっこう流れ・きついのね」これが、そこで引き返せばなんにもならず、しかし、向こう岸は遠く、この流れでこう漕げばそのベクトルはこっち向くから、とりあえずやっといて、流れが弱いとこ来たら、一気に漕いで、ああしかしまだまだ向こう岸は遥か彼方、しかし、少しは進んだぞ。今はある意味、俯瞰はヤメて、目の前の小ちゃな進化に集中して、そして、ふと気がつけば少しではあるが向こう岸が近づいてることを実感するのだった。みたいなこと・よね。

 なんにしても現実から始めるにしても、「理想」を幻視しておかないと、つまんないわけで。現実だけではさほど心躍らないからね。理想が存在してるから、何度も同じことが出来る。その同じことは、同じことではないのだ。一見同じことの、実は内容のヴァリエイションを工夫しながらクリアしていくことからしか、理想へと近づく道はない・ような気がする、春雨じゃ・濡れてゆこう・の本日である。
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2007年08月31日

八月末日

 おー、8月も終わりだよ。昨夜は曾根崎へ。珍味王が来ていたのでしばし歓談して、珍味王はサカナフェチでもあるから、なんか旨いサカナを喰いに久美浜にでもという話になり、珍味王はチンダル現象により腹回りが揺れ、いささか太ったな。おれんち卒業生としては「構成作家」ならまあ上出来なのであるが、あんな成績でな。

 本日で夏期講習も終わりである。すべての科目のすべての分野を網羅しようなんて思わなかったのがよかったな・と思う、今年の場合。週五日ペースの約四週というのをやめて、TUTORもあったから週四日ペースの約五週だったから、いいように言えば無理なく、悪く言うならだらだらと過ぎたこの夏休みだった。オトナになっても中高生への感情移入が少なからずあり、やつらが夏休みならおれも気分はそうで、なかなか成長せんな・なのだが、仕事と必要以上に割り切ってお勉強おしえるのはなかなかこれもまたしんどい話なので、これはこれでいいのだ。基本は「遊びながらのお勉強」なのである。

 一番つきあいの長い女子二人組が、ことしは社会がまあまあ好きなので、平安から鎌倉そして南北朝時代への流れの中での、最初は貴族と天皇、次は武士階級の台頭と天皇、そして天皇のリヴェンジから敗北、みたいな流れでの社会のダイナミズムがもっともよく表れる時代の話を時間を忘れてしていて、なんだか楽しかった。昨日は1979の冷戦時代のソ連によるアフガン侵攻に対抗した勢力をアメリカが後押しをし、その中にビンラディンがいて、そのビンラディンが2001の9.11を起こしたわけよ・皮肉だねえ・みたいな話で盛り上がった。中学生にそんなハナシ・どうかと思うんだが(試験に出るかなあ・という意味)、歴史をスポットで年代で覚えたりすることの不毛さを考えるに、リアルさのないお勉強ほどつまんないものはないわけで、おれにモノを教わるなんてことはそんなことなんだよね〜、と開き直るのだ。紙の上だけの納得ならせん方がマシ・である。

 時間によっては、いろんな学年が混在してしまい、おれが難問にかかってる場合など、高校生がアホ中学生を教えてたりする。その横でぺろがプリントを敷き布団にして眠ってて、時々イヤーっと伸びて70センチぐらいになって、また伸びたまま寝てしまう。それを「もうー」とか言いながらそおっと押して毛だらけのプリントの見えてる部分だけを解いてたりするわけよね。Y部にたばこ買いに行かせて鍵閉めて閉め出ししたり、ADHDのやつとかがどうにもこうにも睡魔に負けて寝てしまったら、シャーペンやら消しゴムやら筆箱やらリモコンやらをアタマに乗っけていって起きた時に「うわー」ってさせたり、まあまあ楽しんでいるのである・おれも。

 そろそろマジにならないといかん時期になってきた。それでも笑いが絶えることはないのである。今年も・きっと。
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2007年05月19日

WORK HARD→REBORN

 あ・いそがしい・だ。いや・ほんまにいそがしい。物理的にいそがしい。これからマル一週間は激務である。まあ・しかし、メリハリがあっていいのよ・これも。母親の手術のことも一瞬忘れられてさ。店のことも忘れられてさ。音楽のことも忘れられてさ。忘れたあげくの果てにそれぞれの場に戻ってくるのがアンチ・スペシャリストの「リフレッシュ」というものである。
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2007年04月09日

塾生たち

 さて新年度である。準備をしなくちゃいけない。

 募集はしなかったので今年は人は増えていない。でもTutorもあるしこれでいい。他のこともやんなきゃいかんからだ。

 桜満開の中、始業式というのはその後記憶として残り、その後・ずっと後になってからのコドモたちの精神衛生に少しは効果があるだろう。

 ワカモノはばかだから「自分に未来しかない」と思っているし、メディアの論調・Jpopの歌詞、すべてそれを後押ししていて、それお金儲けのための大いなる「欺き」なのだが、そんなことを言っても「キンタマ」「お○んこ」ぎんぎんなワカモノには「ふ〜ん」だし、それはなぜかというなら、あまりにも当たり前に薄っぺらい「若者文化」なんてものの末端・つまり消費者としてガチガチに彼らが位置づけられているからなのだ。

 しかし、そんな時期は「あっ」という間に終わってしまう。10代はすぐ20代になり、10代のころ、あんなにちやほやされていたのは「消費者」だったからなのだ・と気づく。20代になって少々モノを考えるようになれば、「ばかな消費者」ではいられなくなる。と・なると世間って冷たいのよね。そんなことに気づく。

 仕事をするようになると、その仕事の「枠内」がひとつの限界となる。あのオールマイティな全能感はどこへ行っちゃったんだ? あれは錯覚だったのだろうか?

 そう・錯覚です。残念ながら。そこからは自分で試行錯誤しなくちゃいけない。

 最近のワカモノかなり老成しているから20代でも「ノスタルジー」が成立するみたい。それは良くも悪くもあることでどうこうは言えないけれど、まあみんながんばれよ・とおれは思ってて、チビの頃におれと出会った人間ならその「面白く生きる」なんてミームのかけらを感じとっているわけだからさ。それがどこかでなんらかの「豊かさ」につながればよいですなあ・と思ってる。人生の「一回性」にこだわる身としては強烈な個性との出会いというのは事故みたいなものだけど、大きな事故の方がいっぺんにいろんなことがわかる。そんな意味で経験から学ぶことしか出来ないおれたちは、身の程知らずで刹那的で無責任なメディアの言説に惑わされずに足元見つめるしかないのよ。ま・お互いしっかり生きましょう。

元塾生たちへ。

 
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2006年09月01日

この時代にこんな塾?

 北向きの部屋の窓用エアコンの隙間から入ってくる風が・ひんやり。

 これから暑い日もきっとあるのだが、もう大勢は決定してしまってる。涼しくなるのだ・これから。不思議と「夏バテ」というのはあまり経験がない。そんなもん・してるばーいじゃない、という事情もあるけどね。

 公立の中学校のチビたちがさっき帰っていたが、なんか嬉しそうで元気そうだった。豊津界隈はまだ「昔」のニュアンス残ってる。これってエアポケット的で今となっては貴重だ。街のもつ性格は建物一つ変わるだけで変わる。以前からあったもののリニューアルはさほど影響がない。しかし
何年もの歴史がある・たとえば木造の建物が潰され、高いビルが建つとなるとどうだろう。文字通り環境の変化である。ついこないだ、自然=環境、環境=人工よって人工=自然ということを書いたけども、もちろん時の流れの中での話だけども、近辺で生活する人間には以前の環境が慣れもあって平穏であったなら、新しい意味を持つ建物が建てばそれはストレスがかかることになる。

 江坂なんて街は見事にその失敗作で、学生の頃、通学するのに北千里線でも御堂筋線でもどちらでも行けたからたまに乗る御堂筋線から見る江坂はただカイトという今はもうなくなってしまったホームセンターのハシリがあるだけであちこちに田んぼが見えた。降りてどうこうする気に全くならない駅だった。そこに東急ハンズが建ち、まだそれくらいは良かったのだが、その頃に隣の豊津に住み始めたのだが、東急ハンズは便利だったが、そのうちマンションが建ち・オフィスビルが建ち、ゲーセンができ、パチンコ屋ができ、ガキとサラリーマンの街になった。さらにCATSができ、勘違いしたミュージシャン志望のバカが集まり、そいつらのカッコときたら、ギターもロクに弾けんくせに、「これからライヴ?」みたいなカッコで江坂公園でたむろしたり、うんこ座りして通るやつにメンチ切ったり、やたらツバ吐いたり、「ココロの底からバカか・お前らは」なんだけど、最近はアニメーション学校なんてのも出来、もう一体どーすんのよ・である。

 そんな悲惨な江坂駅界隈からほんの徒歩15分というから1kmぐらいのところに我が街豊津はあるのだが、北東には山手町・南西には泉町・西には垂水町1丁目・2丁目、そこいらはまだ路地が残りチャリンコで走り回れる。山手町の先の片山町になると、そこは新興の最近出来たマンションとスーパーの街で、そこの住民は気持ち悪い。地縁がない人たちがほとんどの街というのは最近とても気持ち悪い。コドモにそれは顕著に現れる。しかし、犯罪として伝えられる日本の現在の一部を象徴するような、地域共同体が崩壊というより、もとからそこにはなく、ただ買えそうな値段のマンションがそこにあったから、という親の動機を感じるコドモなりの「経済第一主義」な解釈で生きなければいけない「悲惨」を感じたりする。

 うちの塾に合う・合わないというのは統計的に路地の残っている界隈の子たちかどうか・みたいなフシがあって、まあ最後まで残るなんてやつは、その親も最終的にはおおらか・というか塾をサーヴィス産業視してない人たちということになるのだろう。そして「アホか・お前はー」というおれのスタイルをその言葉の周りを囲んでるさまざまな要素とコミで理解できる中高生と、楽しくも実のある時間を過ごせてるわけだけどね。そんなやつの割合はさほど変わらないと思うが絶対数は全集合が減れば減るよねそりゃ。

 絶対にムリをさせずにカシコクする。余力をもたせながらカシコクする。勉強を苦痛に思わせずにカシコクする。自分も勉強でツライ思いをしなかったから、それなのにコドモに辛い思いをさせるのは間違っとるでしょう。見守ることしか出来ないわけよ・それとアドヴァイスとね。コドモはオトナのおもちゃでもモルモットでもないわけ。相も変わらず集団競争原理の中で落ちこぼれるコドモたちが必ずいて、その一面的な評価をすべてと思い込む子も中にはいる。そんなことはないのだ・と言ってあげたいが声はなかなかそこまで届かないし、いつだって自分の声が自信に満ち溢れているとも限らない。ただ、何かの縁で出合った人たちとは仲良くできれはいいよね。最初なんやこいつー・みたいな嫌悪感を覚えるようなモノの考えをしてたやつが、少しずついいやつになっていく・というへんな塾でもある。

 忘れとったが本日金曜日だった。豚肉の生姜焼きをナンプラー風味で、ちょいと酸っぱめの卵サラダでも添えて、それにオイルサーディンにバゲットでええか。ザ・手抜きの巻。

 
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2006年03月23日

結果はっぴょー

 ばか全員合格ー。一番心配だったY部も「ヒョエッハー」かなんか奇声とともに合格を言いに来よった。ほんとにほんとに今年度これで終わりだ。ま・TUTORあるけど、仕事したくない。お金もないが今は意欲もない。お金がないのはやや問題ではあるが。ちょいとカラダもココロもオーバーホールしないといかん。いや・いかんよ。
 天気が今イチだったのはちょいと残念だったかなぁ。その、一瞬の幸せを増幅させる大道具だったんだけどね。まあしかしそのう、昨日なんかよりはずっと温かいし。さくらももうすぐ咲くだろう。
BCP021-52.jpg「良かったな」「うん。で、あんたいったい誰なん?」
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2006年01月11日

何かが終わったけど何かがまた始まった

 いろんなことを同時にやってると落ち着く。「腰を据えて」ってのが出来ん体質なのね、きっと。

 今日やっと早起きの刑から解放された。そのかわり銀行まわりの刑が待っていた。新しく買ったプジョーの代わりのホイールの径の小さなチャリでたらたら銀行まわりの刑をこなす。クロスバイクとは違って体重がやや後ろにかかる、いたってヤル気のでないチャリである。ちんたらムードが漂う。ひょーひょーなんていう表現が似合う。

 晩メシの買い物をして帰ってきたら、電話があった。しまった、また忘れてた。すばしっこいでぶだった。しょうがないから高校生の時間に来てもらうことにした。

 基本的に「アホ」(おべんきょうができるできないとはちーと違って)が多いのだが、それはちびから浪人生まで同様である。今二人浪人がいるのだが、そいつらのアタマん中は「おまんこだらけ」である。こないだも潮吹かせ用の指は人差し指と中指か、中指とお姉さん指かでもめとった。で、こっちにフられるわけだけど。潮吹かせなんて通常のセックスでするかよ。かと、思えばひとりのやつなんてこの冬休みの間4回フーゾク行ったらしく、もーぎんぎんである。

 まあそのよーな、高尚から低俗までのさまざまな質問に瞬時に応えながら塾やっとるわけでしたけど、やつらは予備校にも行ってて、やっぱりその中でもおもんない先生のことなどぼろくそに言ってる。ただ、お勉強できるだけじゃ昔からそうだけどもう完全に通用しないね。

 現実に理想を合わせていくなんてのが最近の世の風潮のメインストリームだけど、それは「身もフタもない」と同義であって、そんなことに過剰反応しているオトナの影響をモロにかぶってるのが子供たちである。現実に負けずかっこいいオトナになって欲しいとは思うが、現実は乗り越えない限り自分のクビを真綿でじわじわ絞めにかかってくる。ムヅカしい。ムヅカしいがそこに生きる意味があるんだけどね。安易なもの・そして自己責任この相反する二つのベクトルをどうクリアしていくのかってそれこそ一大事だからね。ただ、うちの塾に来るなんてのはまだまだ理想・のよーなものが少しは機能している兆候であるから、みんなのこと大事にはしてあげてるんだけどね。

 今週末はセンターである。
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2006年01月05日

塾生その後

 自分はまるっきり年賀状など出さないので当然どんどん来る年賀状は減っていくのだが、それでも殊勝に毎年数十人のヒトビトが書いてきてくれる。かつての塾生もその中にいる。
 
 彼が結婚したのは知っていた。数年前に円満なカオで制服を着た彼といささかそういう写真にはそんなカオでいいのか?と突っ込みたくなるようなひょうきん表情なヨメの姿があった。彼は自衛隊勤務でたしか救急救命士の資格を持っていたと思う。
 
 もう数千人いる卒業生の中でまあベスト5に入る「おまえなあ」なやつだった。デコトラ好きで高三の時、塾の女の子にしつこく「なあ、トラック見に行けへん」というキマリ文句によってデートに誘う、「ちょ、まてよ」なやつだった。

 同学年のやつが店にきて昔話になるとかならず彼と「のだっち」の話題で関係ないやつまで大爆笑となってしまうのだが、まあ、そのぅ、「あいたたた」なり「あ〜あ」なりのニュアンスがその周囲には常に漂う彼だったわけ。塾を始めた前のマンションの時からいたからかれこれ8年間ほど教えたかなあ。

 その彼から今年も年賀状が来た。まあ、律儀なやつでもあって毎年、年賀・暑中見舞いは来てた気がする。徳島の駐屯地(自衛隊)勤務だから、大阪とそれにまつわるもろもろが恋しいんだろうなということもわかっていた。
 Sくんということにしよう。それは厳密には年賀ではなく、喪中であるための寒中見舞いだった。祖母が永眠したため云々と書かれてあった。そして徳島の住所が書いてあり、「ん?」と思ったのはその次の次の行だった。
 
 夫婦二人の名が列記してあってその次の行;
 そこには亜鶴砂・由紀・愛・夢乃・美波と連打で書いてあった。
 結婚後2年ぐらいのはずだった。ということは;

 「五つ子」やん。びっくりしたー。それとも「双子」生んで年子で「三つ子」か?あるいは「一人」生んでやっぱり兄弟欲しいね、で大当たりの「四つ子」か? 真偽のほどはよーわからん。わからんがしかし。
 カラダ張って笑かすやつではあった。しかしあのひょーきんなヨメ、やりよんなあ。「五つ子」ってなあ。しっかし、突然こんなに家族増やしてどーすんの? 排卵誘発剤飲みすぎたかな。たしかに高校生にもなって真冬でも半袖Tシャツの特異体質であったことは事実ではあるが、厚生労働省から表彰されるぞ、キミら、この少子化の折り。

 しばし絶句したわけだった。

 戦争起きてもキミ自衛隊やめられんなー、しかし。
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2006年01月04日

仕事初め

 店の方は1/2から始めてるが、塾は今日から。

 受験生の春とは四月のことだから、こちらもそれに付き合うことになる。正月休みは束の間である。もっとも予備校の先生などは31までやって2からなんてパターンだからそれよりは幸せなんだろう。

 ここから二月・三月ってほんと、あっという間に過ぎていく。二月(逃げる)三月(去る)ってこの業界のまさに実感だ。そして業界の正月(四月)に環境がガラッと変わってしまう。

 その頃にはさくらも咲いている。会社も新会計年度となる。レーベルのHPもいい加減動き出しているだろう。何か他の仕事を始めているかもしれない。しかし今は今進行中のことを無事終えることしかできない。少しずつ考えていこう。アンチ・スペシャリストなのだから。
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2005年11月29日

今日でちょびっと一段落

 なんだかずーっと働いてる。そのおかげでうちの中三のばかたちもだいぶ賢くなってきた。明日で期末テストは終わる。終わるが、終わるのは公立中学だけで高校生の期末テスト・後期の中間テスト(前後期制の学校も多い)公募のB日程にTUTOR、それに中三の進路決定に関するおかんたちとの懇談と気が抜けない。最近は必ず時事問題というのが社会や理科のテストに含まれ、「当ててやー先生ー」ということになり、社会は皇室の女性天皇・女系天皇容認の話。まさかさーやの結婚相手の名前なんかは出ないとは思うが一応「黒田さん」も押さえといてみたいな、ね。理科だと小惑星探査の「はやぶさ」と「イトカワ」かなあ、と無責任に言っておいたが当たるかな、当たれよ。
 生意気で斜に構えとったようなやつが、わからんやつに「こういうことやん」などと教えてたりするから、そういうときは今年もまあ無事に終わりそうだとやや安堵って感じ。今年も雰囲気は良かった。それに貢献してるのはいまだにだいぶアホだが、前の日騒ぎすぎておれからしばかれて当たりどころが悪く鼻血出て泣いとったくせに、次ん時「ひょ〜」などと言いながら入ってきて「せんせー、なんか食いもんないー」と全然応えとらんY部の存在が大きい。こいつだけは延々アホのままだが(数学だけはできる)、学校でも先生にはまーまー好かれてるらしく、内申がいいのにびっくりした。大阪の公立高校は内申重視のところもかなりあるから、こーなると性格も強みである。
 毎年のことだがこの時期は何かのピークに向かっておれとの距離もものすごーく縮まるなかなか素敵な時期で、期末が終われば冬期講習だし、たまにピザとってやったりとか、言葉の掛け合いもなかなか高度になり、「ちゅーとぱんつ」も一般的になり、あんなにアホだったやつらも何事かに真剣になってきている様子が伝わってくる。なんだか、そう簡単に諦めなくなってくるから不思議なのね、これがまた。
 こんな気持ちを延々味わえる(た)なんてことも根本的なことで人生厭にならない要素でもあったと、振り返ってみて思う。ヒトにモノを、おれの場合は原理的なことを教えるのがまあ好きだったのね。そして肝心な瞬間のために普段はバカみたいにしておくことも大切なことなのだ、ということも、ね。この時期になるともうほんとにいろんなことをやつらが吸収しているのが手に取るようにわかるからね。うちの塾の感じってなかなか言語化が難しくて、それが外部につたわらないのが難点なんだけど。かなりカルトな塾ということになるのかな。カルトなんていうと誤解されるか。マニアックな、でもないし、やっぱり難しいか。
 まあ次の生徒募集までにゆっくり考えることにしまして、まあなんとか今年度いっぱいは生きていくことができそうです。
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2005年08月10日

夏期講習前半戦

 あー今週でやっと前半終了。予定通りにはなかなか進まないけど、ひとつひとつツブしていかないといけない。あれやこれや無理矢理詰め込んでも、下痢しちゃ終わり。週末にはその週の復習テスト。勉強に直接関係なくても、おれが言ったことも問題に出る。金ちゃんヅラ疑惑とか中国人食人疑惑とか根毛は水と無機化合物を( )吸う、とか(答はちゅーちゅー)。たとえ答間違ってても、おれをくすっとさせた間違いには、プラス5点。でね、各人の現在の学力に相応する目標点を設定して、それに向かってがんばる。到達したら、はい、おつかれさん。到達しなかったら、あー、残念だったねー、ハイ、こっち来てくださーい。コピーセットOK。毛布をかぶせて、と。目開けてた方がおもろいよー。顔面コピーである。
 最初はいやがるが、2回3回とやってるうちにおもしろがって自分でビミョーにアングル変えたりしてやがる。戒めになっとらん、ような気もする。今週は何人の犠牲者が出るだろう?
posted by 浪速のCAETANO at 12:11| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月20日

夏期講習準備

 夏講習用のテキストの準備に追われる。中の方はなんとかなったが、高の方がなかなか問題で、もう11月には公募が始まるし、これがまたひとりひとりやること違ってアタマ爆発の季節だ。この時期はもう本当に「これ一本でやってます」にならないと手に負えない。受験というのは「言うても基礎力」。その積み重ねの分厚さで勝負決まっちゃう。

 自分が暑さと忙しさに狂う時期、何かに寄りかからざるを得ないわけで、過去のこと考えてみても、それがパチンコだったり、焼き肉だったり、マッサージだったり、ウォッカだったり、そのどれかとどれかだったりしてきた訳で、今年は一体どうなるのか?決して予定できないとこが楽しみでもあり、おそろしくもあり。

 店の一階のクーラーも気にはなってるんだが、ちょっとどーしよーもないかんじ。泣いてくれ、店のものたち。どなたかクーラーの修理屋さん知りませんか?
 とか書いてたら、また忘れてた。すばしっこいでぶだった。
posted by 浪速のCAETANO at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月24日

一週間前

昨日から中学生の中間テスト一週間前に入って、うちの塾も対策授業なるものをやっている。中三ともなるといよいよ受験の年なわけで、いくら勉強させない塾とはいえ、そうも言っていられなくなる。まあ、そうは言ってもよそと比べるとむちゃ楽だとは思いますが、昨日は国語の範囲と確率をやったのだが、その国語のテキストが「女流歌人の某俵・・」のものでこれがまた読んでてムカつく文章でいやんなった。確率は、今まだゆとり教育の末期だからなんでもかんでも樹形図でやらしよるからこれもまたこまったものである。中三ならもうちょっとシステマティックに教えてもいいじゃないか、と思う。

やつらは修学旅行帰りでアタマの中「大ぼけ」かと思っていたらさほどでもなかった。こちらの方がライヴ明けで脳内にいろんなものが分泌されているはずで、その余韻でアホでした。塾前にも税理士から電話かかってくるわ、置き薬のおっちゃんから電話かかってくるわ、でその対応に追われる。今月は会社の申告月で、消費税の心配やらでドキドキする。消費税払えんよ。これが19%ぐらいにもう10年したらなる可能性が高いわけだから、もーどうなることやら。

今日は天気と現在完了で責めて、余った時間は歴史の暗記だろうか。飽和水蒸気の計算、修学旅行で忘れてるだろうなあ。ハラへってるチーム用のお菓子は買いました。お茶忘れてるな。掃除機もかけなきゃ。
posted by 浪速のCAETANO at 16:05| Comment(1) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする