2009年01月26日

クライスラーがフィアットに・くくく

 ひとつ笑っちゃうのはだ、クライスラーがフィアットに資本参加されて、まあ事実上吸収合併みたいなことになりそうだ・ってことね。

 フィアットはイタリア式同族企業で身内に甘く、前近代的なクルマ会社というレッテルを貼られてた。一番経営的に遅れた・というような。

 それがビッグ3の一つを吸収合併みたいなこと・ってこれが笑わずにいられるかい・ってもんだ。

 フィアットがまぎれもなく前近代的同族経営であったことは事実であって、だがしかし、その同族という意識を国全体にまで拡大していった。どういうことかと言えば、ランチア・アルファロメオ・フェラーリ、この3社はかつてのフィアットの国内のライヴァル・メーカーである。現在はすべてフィアット傘下にある。

 これが一体どういうことかわかりる?

 経営難に陥ったその3社をフィアットは「まるで家族の枠を広げるようにして吸収してきた」わけ。現在はそれぞれのブランド付加価値を生かしたそれぞれのクルマ作りを「プラットフォーム」の共有などの合理化を図りながら実践している。

 つい最近までは、クソGMの全盛期で、どの国のクルマ・メーカーも、GMの息がかかり、さらにクルマがおもんなくなる予感がしていたのだけど、今や立場は完全に逆転である。ざまーみろ・と言いたい。

 これからはアメリカでもフィアットやアルファが売られることになる。小型化・いいんでないの?

 フィアットは更にフランスのPSAグループとの提携も進めている。プジョー・シトロエンの会社である。おれはなんといってもイタリアではランチア、フランスではシトロエンが一番好きだから、この提携はナイス・かと思う。

 アメリカの経済のシュリンクはことクルマ業界に関して言うなら「歓迎」である。クルマを雑に・つまり移動手段とか部屋とかのニュアンス・使い出したのはアメリカのバカ会社である。日本のメーカーも負けず劣らずバカなので、それに追従して、この狭い国で「ミニ・ヴァン」だって。笑わせる。日本のメーカーは欧州車に影響を受けるべきであって・アメ車じゃない。

 最大でも2000ccで充分なのだ。デカけりゃいい・なんてのはほんと単細胞の発想で、そりゃハンバーガーからクルマまでデカいアメリカではあるが、それこそグローバル・スタンダードとはものすごく距離のあるものなのだ。

 きびきび走る小さなクルマ・これに尽きる。昨日「Mr. BEANカンヌへ行く」を見てて、生まれて始めてミニが可愛いな・と思った。映画はなんつーことないのだけど、フランスやイタリアが舞台の映画の古今通じて何が楽しいかというと走ってるクルマである。タチの「トラフィック」という名作もあるが、もうほんとヨダレが出る。トリュフォーの映画に頻繁に出てくるのはシトロエンDSであるが、そのフォルム・その走り(速くないけど)から乗り心地を想像するだけで腰が痺れる・というものだ。気狂いピエロのジュリア・スパイダーも、世界て一番美しいオープンである。若かりしアンナ・カリーナを乗せ、南仏をドライヴ出来たら、まあどんな目に遭ってもいいよね・とJ.P.ベルモンドに同化する。

 上記のようなセンスはアメリカとアメリカ人には残念ながら・ない。アメリカにいいとこはいっぱいあったのだけど、これからはもう切羽詰まっちゃって、なにも生まれないのかもしれないですね。

 もう時代は今世紀になって様変わりしてしまった・と思う。もうアメリカに対しても、言うべきことを言わないと、国内が潰れちゃう。アメリカの経済復興をその国債の買い支えで助けることと、国内の非常事態をすぐになんとかしようとすることと、どっちがプライオリティーなのか、すぐに決断しないとえらいことになるにもかかわらず、何もしない自民党・である。「最悪」とはこのことを言う。離党したミッチーの息子もフェイクだと思う。それに乗っかろうとしている大阪・宮崎の知事たちも結局は目先を変えるだけで、新自由主義者だと思う。大阪府知事も「競争」好きだもんね。すぐに「本心」が見えてくる。最近はたけしもおかしい。

 産業の分野で「大逆転」が起こる・ということはどんな分野でもそれは起こりうるわけで、しかし、この国のニュアンスはなんだか違って、すべてをワイドショー的娯楽化してしまうことで、世界で起こってることと、自分の家計の収支と、スーパーで買い物するときの値段の間に連関がまったくないみたいに思わされている。ここんとこすべて繋がっている。そして、その想像力を働かせることが「タブー」みたいになっちゃってる。

 アメリカにとって日本とは「政治学」の対象ではなく「文化人類学」的アプローチでないと理解できんらしいよ。これも笑っちゃうけど。おれたちはアフリカの土人である。まあ・言わば。近代の原理で理解・対応出来ないときに人類学の対象になるんだからね。

 まあこれも「一面的」ではあるが、「不思議」であることは事実みたいである。

 しかし、オバマの演説自体の「言葉」の素晴らしさとは別に、その演説のネックは「ネイティヴ・アメリカン」に関する沈黙だと思う。建国からの「神話」の創成としては「藤原不比等」ぐらいのアタマがあるけれど、「神話」とは常に「嘘」の正史化で、歴史は常に権力の側のものだしね。そして、その後の彼の発言からは、パレスチナには決して与しない・という明言がなされている。あ〜あ・である。なんかそこんとこ「硬直」してる。残念。残念というより、本当は「奇妙」だ・と言いたいところである。「ソフト・パワー」のジョセフ・ナイの駐日大使就任とか、非常に理性的に物事を・ひいては世界を取り仕切ろうというのがオバマだと思うが、そこんとこだけなぜか「硬直」が見えたりする。人格研究に値するかも・である。

 一人の人間の知識・経験には自ずと限界がある。彼もフィアット・パンダの電気自動車でワシントンDCをドライヴしてみたりしたら、何かオノレの間違いに気づくかも。あんま・カンケーないか?

 
posted by 浪速のCAETANO at 12:13| Comment(1) | TrackBack(0) | フィアット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする