2018年09月11日

Caetano takes in David Byrne

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カエターノ ヴェローゾがディヴィッド バーンの「アメリカンユートピア ツアー」を訪れた。

カエターノ ヴェローゾとディヴィッド バーンは金曜のニュージャージー州マンマウス大学でのバーンのアメリカンユートピア コンサートの楽屋にいるところをカメラに収められた。カエターノが観客で来ていて、楽屋を訪れたのだ。彼はインスタグラムでショーへの賛辞を発信している。ポルトガル語からのラフな訳ではあるが以下に付け加えておく。

ここからカエターノが語る:

【ディヴィッド バーンの(アメリカン ユートピア)のステージは信じられないほど素晴らしかった。いつも言っていることだが彼は最もシックなロッカーである。今回もまさにその通りだ。だが今回のショーには生命が、自由が、そして世界に蔓延する沈んだ魂の感覚を和らげる力を持ったエネルギーの輝きがあった。ディヴィッドの音楽とステージを前にしてその会場にいることはトランプのアメリカにいることとブラジルからのニュースを受け取ることなんかの真逆である。キミの友人でいることがさらに誇らしくなったよ。ショーの中で、それぞれの曲は非常によく練られたステージ要素だった。コレオグラフィー(振り付け)のクオリティは全体がひとつの有機体のように構成され、ポップミュージックのコンサート構造における重要な要素になっていた。ブラジル人ならそれを見た誰もが私の意見を理解してくれるだろう。ここでこれを見たことは例えようがないほどの体験だった。ミュージシャンたちは、みんなワイヤレスのアンプリファイされた楽器を持ち、ダンスし、ディヴィッドとのいいコントラストになっていた。それぞれの曲において、リズム・メロディを伴って歌われるフレーズがより良く歌われるようにである。それは真の喜びと美、そしてわたしたちを押しつぶそうとのしかかり脅かす利己や卑しさを許さない精神性を生み出す。そしてグスタヴォ ディ ダウヴァ(10代の頃から知っているバイーア出身の天才パーカッショニスト)、マウロ ヘフォスコ、ステファネ サン ジュアンが参加していた。友人たちだ。それはこれまで行われた中で最も美しいロックあるいはポップ コンサートの一つであり、他のどれとも似ていない。】


拙訳ながら、この2名だから。
posted by 浪速のCAETANO at 21:18| 大阪 ☁| Comment(0) | CAETANO VELOSO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月06日

@NHK Hall (mid)

1. Um indio 
2. Os passistas 
3. Luz do sol 
4. Meu bem, meu mal
5. Esse cara
6. O leaozinho
7. Menino do Rio 
8. Minha voz, minha vida 
9. Cucurrucucu paloma 
10. Reconvexo 
11. Love for sale
12. Bahia, minha preta 
13. Coracao vagabundo
14. Abracaco
15. Odeio
16. Enquanto seu lobo nao vem 
17. Forca estranha
18. Terra
19. Sampa
20. Sozinho
21. A luz de Tieta

22. Tigresa
23. Miragem de carnaval
24. Como 2 e 2
25. Desde que o samba e samba

26. Odara 

という選曲。

深いとこは「専門家」にお任せすることにして、長年の1ファンのおれは「セー」のひとりヴァージョン、前回はその合唱で終わったテハ、ジルと2人でやってるのをyoutubeで見て、うんこれなら1人でもできるね、と思ってたチエタ、どうしても聴きたかったサンパなどが印象的だったな。

そして照明が実に美しかったね。

おれなりの深いとこはまた後日。

素晴らしい一夜だったと思う。音楽のチカラを痛感した夜だった。











posted by 浪速のCAETANO at 16:47| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | CAETANO VELOSO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月05日

@NHKホール(before)

そろそろ会場入りしただろうか?

思えば2005の改装前のフェスティバル・ホール、トドムンド・チーム10数名を率いて行ったな。あれが自身は2度目のカエターノ・ヴェローゾ。その数日後、名古屋にも行ったから、実質今回で4度目になる。1度目は花博の時。IMP HALL。パーカッションはカルリーニョス・ブラウン。メイア ルア インテイラを2度演った。

フェスの前にはTOKYO 5Diasというのがあったが、それは行けなかった。ジャキス モヘレンバウムが同行してた。残念。店長はカエターノ、ジャキスご両名とハグしてきたそうである。

時代は変われど「世界最重要ミュージシャン」の1人であることに変わりはない。古希を過ぎ、今なお健在のカエターノ・ヴェローゾを本日ナマで聴ける。

4回見るアーティストって、RTが3度、NYは2度、dbも3度、ノーマンワットロイも3度、時代だし、過去の人にならずにいるカエターノだからこそあり得る話かな。上記の人々も全然終わらないけどね。

某お店で、やりそうな曲を全曲覚えましょうといった催しをやっていたが、うん、覚えるのはいいと思うよ。だが、一緒に歌おうと、カエターノが言わん前に、下手な歌で歌うやつおったら殺すで。

鼻歌程度にいていただきたいね。

おれならハモるけど。

あの写真、どこだろう、ホテル。ニューオータニがロケーション的には近いが、あの映ってたタワービル、梅田みたいな気もするけどね。どっちでもええか。

東京のウンコフェスでウンコに混じってやらされるのを見るより、ということで全国からフォロワーが集結しそうな本日。一緒に来る彼女もまたいいのね。いくらでもおるな。マリア・ガドゥも見たかったな。

一回目の時、真ん中にお一人様コーナーがあって、そこでベレーザ プラ、ナッシング バット フラワーズも演ったのね。You've got itで目、クルクルさせながら。dbとの遭遇後ね。タイミングとしては。ベレーザ トロピカルは既に出てた。

今回はお一人様延々だから、アンコールは∞になる気もしてる。おれもチケットは人に頼んでたから、そう1ヶ月前から盛り上がっちゃなかったが今になってジワジワきてる。本日仕事のエアポケット。神は我の側にいた。

円熟のカエターノ・ヴェローゾを瞼に焼き付けたいと思う。








posted by 浪速のCAETANO at 15:07| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | CAETANO VELOSO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月20日

ほんとにスゴい人

 まさに反響は凄まじい。ある一部だけかもしれないが、みなさん、涙にむせばれておる様子がいろんな人のブログから伝わってくる。ミーツに書いた通りだったたでしょう。彼のパフォーマーとしてのピークは<今>だって。声はほんとにほんとに素晴らしかったよね。本当にカエターノ初心者にもわかる、そして熟練者も納得のカエターノの素晴らしさ・凄さ。しかも一旦好きになったら、もう決して嫌いにはならないからね、彼のことは。名古屋では大阪と寸分違わずなshowだった、と。東京での3days曲変えてくるんじゃないかな、特に東京フォーラム。残念だけど、行った人々に聞こう。カエターノのルックス・天使性ともに大きいとは思うが、初めて生で聞いた人の衝撃って、それは日本人が聞いてる(聞かされてる)音楽の貧しさの裏返しではないのかなあ?それを全部やってくれた気がしています。しかし、日本人そこでほんとに「全反省」するかなあ?なんだかそんな気がせず、底の浅いパクリとか(M沢くんもどきのね)、アルバムに一曲カヴァーいれるとか、CMソングとして使うとか、そういう消費活動が横行する気がします。当たってくれるな、と切に願う。ただ、これからカエターノを知らずして音楽を語るというのは犯罪的行為と言っちゃってもいいでしょうね。もう次来るかどうかわからないしね。ロベルト・バッジォがイタリア・サッカーの至宝であったことと寸分違わない意味でカエターノ・ヴェローゾはブラジル音楽の至宝だから。ただね、ロベルト・バッジォが突然現れたのとは違うようにカエターノも突然現れたわけじゃないことは自明の理だけど、カエターノ個人の魅力を否定するものでは決してないけれど、その背後にはブラジル/ラテンアメリカの膨大な音楽や、ジルやガルの存在や、カエターノの故郷の音楽環境が余りあるほど存在し、そしてその後の奇跡のサバイバル劇があって初めて今のカエターノがあることも忘れちゃいけないと思います。時代のムードもあるし。覚えておいてほしいのは、15年以上前のカエターノは日本の音楽メディアから「線の細い、もう終わったアーティスト」とレッテルを貼られていたということだ。当時の非ロック系の音楽雑誌はアメリカン/アフリカンブラックの骨太のサウンドにあらずんば人にあらず、みたいな感じだったんだもん、すごく雑に言うと。今回、カエターノに大感激の涙した人々も、そんな時代のカエターノには見向きもしなかったかもしれない。しかし、今回やった自分の曲はほとんどがその15年以上前に発表された、日本の音楽メディア曰く、線の細いとされた時代の曲だった。ムードって怖い。本当に音楽を見極めることの難しさはカエターノの例をあげるまでもなく、操作されうるものだとということかな。しかし、そんなことがどうした、というぐらいの今回のカエターノの出来。今回もっとも個人的に印象深かったのは、カルメン・ミランダのくだりだった。ご存知のようにアメリカにスカウトされていった彼女は「お笑い」みたいなことをやらされ、精神を病んで失意の帰国をしたわけだけども、以前のライヴでもカエターノはミランダの歌っていた曲「私がアメリカかぶれに・・・・」をやっていたが、今回のミランダが録音できなかった曲を若いバンドが録音してそれは「永遠のものになった」と言ったときの「永遠に」って言葉としぐさに何かブラジルの音楽家としての他のブラジル音楽家の誇りをすべて背負ってその誇りのためにおれは歌うのだ、というような「感情」が垣間見えた気がした。一瞬、カエターノともあろう「自律の天才」が感情的になってくれたことが(自分にはそう見えただけかもしれませんがinOSAKA)とても嬉しかった。あまりにも完璧な美意識を持つ人なので、さらにステージは映画であるとするなら役者は監督には従わなければいけないし、あまりにもそれを完璧にこなしているVTRばかりを見せられてきていたので、そういう些細な破綻めいたものを覗いた気がして嬉しかった。変にきこえるかもしれないですけど。これから東京ですが、最終日ぐらいで、ガラッと曲目を変えて、「ハッケンハウル」ぶちかますぐらいの「乱れ」を見せてくれるとみんなももっとさらに深いところでカエターノ・ヴェローゾにめろめろになるんじゃないでしょうか?カエターノの存在が必要のないアーティストもどきの存在を浮き上がらせてくれればいいなと思うんですが。かっこいいだけじゃない凄みにも溢れたカエターノを東京の後半では期待します。だってそんなことおちゃのこさいさいな、全体性を回復しているグランジ・ムジコだから。
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2005年05月15日

幸せとは

 リーガグランドだろうか?晩メシは新地にでも行ったのだろうか?2:00a.m.だがもう寝てるのだうか?世界最重要ミュージシャンが今この街にいて、同じ空気を吸っていて、多分セルフコントロールが完璧なひとだから瞑想でもしているのかもしれないが、明日初日ということもあって英語圏とは違う訳で英語の通じない唯一のライヴ開催国なはずだから、逆になにか奇妙な昂りもあったりすれば嬉しいことだ。

 きっと素晴らしい夜になると思うし、これから10日間ほど彼はこの国に滞在するわけで、京都なんか行ったりするんだろうか?今のこの国は彼の目にどんな風にうつるんだろうか?自分が書いたミーツの記事は果たしてどれほど明日の動員に貢献できたのだろうか?そしてこれが最後の日本公演なんだろうか?離婚してプレンダ・ミーニャのライヴとはどんな違いがあるんだろうか?

 O MELHOR IMPORTANTE MUSICO NO MUNDO,CAETANO.インタヴューできなかったことが心残りである。
posted by 浪速のCAETANO at 02:10| Comment(0) | TrackBack(1) | CAETANO VELOSO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする