2018年06月23日

素晴らしい、が彼には理解できないだろう

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、草の匂いを鼻腔に感じ、遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

私は今、生きている。

私の生きるこの島は、何と美しい島だろう。

青く輝く海、岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、ヤギの嘶き、小川のせせらぎ、畑に続く小道、萌え出づる山の緑、優しい三線の響き、照りつける太陽の光。

私はなんと美しい島に、生まれ育ったのだろう。

ありったけの私の感覚器で、感受性で、島を感じる。心がじわりと熱くなる。

私はこの瞬間を、生きている。

この瞬間の素晴らしさが、この瞬間の愛おしさが、今という安らぎとなり、私の中に広がりゆく。

たまらなくこみ上げるこの気持ちを、どう表現しよう。

大切な今よ、かけがえのない今よ、私の生きるこの、今よ。

73年前、私の愛する島が死の島と化したあの日。小鳥のさえずりは恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、光り輝いていた海の水面は、戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から噴き出す炎、幼子の泣き声、燃え尽くされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。魑魅魍魎のごとく、姿を変えた人々。阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

みんな生きていたのだ。

私と何も変わらない、懸命に生きる命だったのだ。彼らの人生を、それぞれの未来を。疑うことなく思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手を取り合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。無辜の命を。当たり前に生きていた、あの日々を。

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島のすべて。

私は手を強く握り、誓う。奪われた命に思いを馳せて。心から誓う。

私が生きている限り、こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。もう二度と過去を未来にしないことを。

全ての人間が、国境を越え、人種を超え、宗教を超え、あらゆる利害を超えて、平和である世界を目指すことを。生きること、命を大切にできることを、誰からも侵されない世界を創ることを。平和を創造する努力を、厭わないことを。

あなたも感じるだろう。

この島の美しさを。あなたも知っているだろう。

この島の悲しみを。そして、あなたも、私と同じこの瞬間を一緒に生きているのだ。今を一緒に、生きているのだ。

だから、きっと分かるはずなんだ。戦争の無意味さを。本当の平和を。

戦力という愚かな力を持つことで得られる平和など、本当はないことを。平和とは当たり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

私は、今を生きている。みんなと一緒に。そして、これからも生きていく。一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

posted by 浪速のCAETANO at 19:56| 大阪 ☔| Comment(0) | 世界・地球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月08日

ホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領 interview

私はもうすぐ81歳になります(1935年5月20日生まれ)。単に観光目的で、長旅をしようなんて思いません。ここに来たのは日本から学びたいと思ったからです。日本でしてみたい質問がたくさんあります。人類はどこに向かっていくのでしょう。世界の将来はどこに向かっていくのでしょう。日本は、世界でも非常に優れた工業先進国です。ですからこそ、そうした質問をしてみたい。どんな世界を夢見ているのか、それを考えずして私たちに未来はないのでは」

−−本には世界中の指導者と会談したエピソードが紹介されていますが、特に印象に残っている会談は

 「私はかなり年齢を経てきました。背負ったリュックのなかにたくさんの思い出が詰まっている。有名な人物とたくさん会ってきたが、1つを選ぶのはとても難しい。

 (しばらくの沈黙の後)

 圧倒的な印象を残しているのは、チェ・ゲバラです。彼はラプラタ川流域に大きな影響を残している人物だと思います。ただ、私が知った人物の中で、最も聡明な人物は、みなさん名前を知らないかもしれませんね。スペインが共和制だった時代の大学の先生です。文化大臣も務められました。すばらしい先生に出会うというのは、弟子の心を永遠に持ち続けることだと思います」

 「フィデル・カストロにも会いました。年は取られていましたが、頭脳は明晰でしたよ。オバマ大統領とは3度会う機会がありました。すばらしい人だという印象を受けました。頭のいい人です。おそらくアメリカ政府よりも大統領のほうが頭がいいでしょう(会場から笑い)。若いときには、毛沢東とも会いましたよ。写真を撮るためにほんの一瞬でしたが」

 〈著者ヘの質問などを挟んで、質疑応答に〉

−−ネクタイを用いない哲学について聞かせてほしい。個人的には世界はネクタイを使わないことでよくなると思っています

 「同感です(笑)。世界を変えるために闘ってきましたけれど、私の目指しているのは、ネクタイを使いたい人は使えばいい、使いたくない人は使わなくていい。そういう世界です。私は個人的には質素な暮らし、抱え込まない人生というのが良いと思っています。でも、同じ考えを誰かに強制したいとは思いません。自由のために戦っていますが、自由というのは他者がしたいことを妨害することではありませんよね」

 「質問に感謝します。ネクタイをしないというのは、ネクタイよりも大切なものがあるということを象徴しています」

−−アメリカとキューバが国交を回復した背景にムヒカさんのご尽力があったと聞いている。どうして両国の間を取り持ったのか

 「私は、オバマ大統領からラウル・カストロ評議会議長宛の小さなメッセージを伝えました。キューバの刑務所に収監されていたアメリカ国籍の囚人の健康状態を、オバマ大統領は非常に心配していると伝えました。当時すでに、秘密裏にではありますが、両国間の交渉は存在していました。交渉中にアメリカの囚人になにかが起こるのはよい状況ではないからです」

 「私たちは常に平和を導くように、物事を解決しなくてはいけない。平和でなければ被害を受けるのは常に弱者だからです。いまだに人類は先史時代を生きていると思います。戦争を完全に放棄することができたら、人類はやっと先史時代から脱却できるのです」

−−リーダーとして最も大切にしていることは?

 「私たちは矛盾をはらむ時代に生きています。多くの富を抱え、科学は発展し、技術も進歩した。そんななかで、私たちが考えなければならない大切な問題は、じゃあ私たちは幸せに生きているのかと言うことです。ひとつの側面ではすばらしい効果がもたらされました。たとえば150年前に比べて私たちの寿命は40年長くなっています。でもその一方で私たちは軍事費を毎分200万ドルも使っています。人類が持つ富の半分は、80人から100人の人が握っている。そういう時代です。つまり、私たちはみんなが生きられるためのリソースは持っている。でも、富の不均衡、あるいは格差をつくった社会的ルールに支配されています。若い人たちには私たちのこうした愚かな間違いを繰り返さないでほしいと思います」

 「命、人生ほど大切なものはありません。世界について考えるときも人生について考えるときも、あるいは貿易について考えるときも仕事について考えるときも、どうやったら幸せになれるのか、ということから考えないといけない。人生が重荷になるような、苦悩に満ちたものになるようなことではいけない。若者たちには、毎朝起きたときに、鳥がさえずりたくなるように、喜びが沸き上がってくるような世界をめざしてほしい」

 「誤解しないでほしいのですが、貧乏になるべきだとか、修道士のような厳格な生活をしなければいけないと言っているわけではありません。私が言いたいのは、富を求めるあまり絶望してはいけないということです。人生にはもっと大切なことがあります。愛情を育むこと、子供を育てること、友人を持つこと、そういう大切なことのためにこそ人生の時間を使ってほしい」

 「そういうことを意識化すること、それを文化とすることがすごく大切なことです。そういう生き方ができるような文化を醸成しなければならない。たとえば自分のエゴを満足させるために他者と競って、他者を破壊するような文化であってはいけない。みんながチームの一員として協力できるような教育を、奪い合うのでなく持っている物の価値を高めていくような教育をすればいい」

 「エゴイズムは競争を助長して、さまざまな科学的発展、技術的進歩をもたらしました、でも危険なぐらい激しい野心もあって、それを実現しようとすればすべてを破壊してしまいます。何度も言いますが、人生より価値のあるものはありません」

 「私たちには戦争を終わらせる義務があると思います。もちろん簡単ではありません。でもこれは世界の若者が達成しなければならない大義です。よりよい世界を目指すことは可能です。試行錯誤も必要でしょう。間違いはありますけれど、それがテロのような行為になってはいけない」

−−ムヒカさんのメッセージのどういう部分が多くの人を惹きつけるのか自己分析を

 「答えてみますが、あっているかどうかはわかりませんよ。私がさまざまな場で提言してきた考え方は、もしかしたら日本で伝統的に引き継がれてきた文化と、根底で通じているのではないでしょうか。日本の良い伝統文化というものが、いま、西洋化された文化によって埋もれて見えなくなってしまっている、そういう状態なんじゃないですか」

−−ウルグアイはマリファナが合法化されているが、見解を

 「私たちが目指したのは、マリファナを管理することです。ドラッグに賛成しているわけではありません。取引が存在して、消費者もいた。闇取引があるという現実は見つめなければならない。それを管理するためのメカニズムをつくり上げました。非合法組織を排除することができました。中毒者の健康問題にも対処できるようにしました。中毒者が目に見えないかたちになっていたら、手をさしのべることはできません。なにより、若者を犯罪集団の手に渡してはいけない。麻薬自体よりも麻薬を取引している集団の方が悪い。中毒からは脱却できても、組織からは抜け出すことはできないのです」

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 〈休憩時間をはさんで、午後から別室で合同インタビューが行われた。長机を挟んで数人の記者と向き合ったムヒカさんは、リラックスした様子。記者1人1人の目を覗きこむようにして会釈する。いきなり質疑応答が始まる〉

−−テロについて。ムヒカさんの考える原因と対策は

 「テロリズムは疫病だと考えている。熱狂と閉鎖性から生まれている。熱狂というのは、スポーツであっても宗教であっても政治であっても同じように危険なものです。健全なナショナリズムというのも存在しますが、度を越すと危険です。なぜ熱狂というのが危険なのか、それは盲目であるからです。信じるものだけが正しいと思い込んでいるからです。熱狂というのはすべての疑問を消し去ってしまう。熱狂は賢さの対極にあります」

 「弾圧を受けた若者たちが熱狂的な行為に走ってしまっている。この現象は増殖を繰り返しています。ヨーロッパでは恐怖が差別を生んでいます。イスラム教徒の人々は仕事を見つけるのに苦労していて、社会も底辺に近い仕事に就かざるを得ない状況にあります。これは恐怖からきていて、差別を受けた人々の中では熱狂が増幅する。深刻な現象です。感情を操作することは非常に難しい。誰もが学ぶべきことですが、違うものに対して寛容であることが大事です」

−−会見で日本人が進んでいるとおっしゃっていましたが、具体的には

 「現在工業先進国で起こっている革命というのは、マンパワーを高い知能を持った機械に入れ替えるということ。テクノロジーはすでに存在しています。月や火星に機械を置いて、遠く離れた地球からそれを操作するというようなことまで可能になっています。私はそうした技術や知識を社会的に役立てていくべきだと思っています。資本主義は、常にコストを下げ、生産性を上げることに力を注いでいます。私たちは厳しい戦いを強いられます。ロボットにはメーデーも定年退職もないですからね(笑)。ロボットは人生に役立つものでなければなれません。人生を阻害するものであってはならない」

−−戦争のない世界というお話がありました。日本には憲法を変えていく動きがありますが、どうお考えですか

 「憲法の解釈を変えるというのは、日本が大きな過ちを犯しているように私には思えます。問題は世界的なものです。一方で武装放棄をする国があって、他方では武装を拡張する国がある。経済的な観点から見ても非常に深刻なことです。世界では、毎分200万ドルの軍事費が費やされています。軍事費を半分に抑えることができたら、そのお金でサハラ砂漠に居住地を作ることだってできるでしょう。人類は素晴らしい事業を行うための資源をたくさん持っているにもかかわらず、それを無駄遣いしている。はっきり言えば、和平というのは素晴らしいビジネスなのです」

−−和平はビジネスですか

 「軍事費として無駄に使われているお金を、貧しい人や水、環境といったさまざまな問題をケアするために使うことができるということです」

−−日本国内にも政治不信の声がある。国民と政治家の関係はどうあるべきか

 「世界全体で政治的な問題が起きています。それは人類が世界的レベルでの決断を下す段階に来ているからです。一国で解決できない問題がたくさんある。ですが、世界全体の合意というものは存在しません。たとえば気候変動の問題ですが、私たちの小さな国ウルグアイでは環境を汚染しないために火力発電所は作らないようにしています。でも中国のような大国が2カ月にひとつ火力発電所をオープンしているようでは、私たちの努力は何の意味もありません。あるいは、日本が環境を汚さないために電気自動車の使用を始めたとしても、インドで化石燃料を使った自動車が使われているようでは何も解決しません」

 「グローバリゼーションというのは金融や通信といった分野で起こったことですが、政治的な面ではグローバル化しているとは言えない状況だと思います。日本だけでは解決できない問題というのがあるのです。たとえば海の汚染。これは日本だけでは解決できませんね。ですから寛大な心というのが必要なんです。そうでなければいつまでたっても私たちは内輪もめするばかりでしょう」

−−ムヒカさんのスピーチは多くの人の心を捉えているが、示唆に富んだ言葉はどこから

 「私がしていることは、考えの種をまくということです。そのなかのいくつかは芽ぶくかもしれない。そうでないかもしれない。価値のある考えというのが道を開いてくれるのです。私の言葉は私のものではなくて、古い時代から言われてきたことばかりです。たとえば、キリスト教にはこんな言葉がありますね。〈幸福な人間は服を着ていなかった〉。この人が熱帯のリゾートに住んでいたというのではないですよ(笑)。人間の幸せは物質的なところには存在しないと伝えてくれているわけですが、そうした考えというのは古い時代から存在しています」

 「歴史と過去は私たちに文明というものを授けてくれます。たとえば紙があってものを書くことができる、写真を撮ったり、病気を治すことができる。それは私たちより前に大きな努力をしてくれた人々のおかげなんです。火が消えないように番をしていた私たちの先祖、そうした人々のおかげなのです」

−−滞在中に京都と広島に行くと聞いていますが、その理由は

 「広島についてはいうまでもないでしょう。世界で起こった最も大きな悲劇の記録がそこにあるからです。人類がいかに残虐なことをできるのか、広島に行くことで見えてくると思います。日本に来て広島を訪れないというのは、日本の人々に対してリスペクトを欠くのではないかと思っています。京都に関しては、私は歴史を愛していますから、訪れざるを得ない。政治が大好きであるのと同じように、歴史に対しても大きな情熱を抱いています」

−−日本はいい国と言っていただけるのはうれしいですが、あなたが批判している「働いて捨て去る国」でもあります

 「それは日本のせいではありません。資本主義の美しき悲劇であります。この言葉は大事です、私は『美しき』『悲劇』といったんですよ。野心と技術の発展によって世界は大きく進歩しました。人類の平均寿命も40年も伸びたわけです。ですが資本主義というのは盲目で、誰もそれを止めることはできません。資本主義という文化の中で、何かを買い続けなければならない状況に陥っている。そうでなければすべてが止まってしまうからです」

 「ギリシアの古い考え方として、ほどほどにという考えがあったはずですが、資本主義は自らを止めることができず、どんどんと消費を続けてしまっているのです。私の小さな国ウルグアイでは、公共福祉の仕事をしている人たちは6時間労働を長い闘争の末に勝ち取りました。ですが彼らが何をしたかというと、空いた時間でもう一つの仕事をするようになったのです。結局8時間働く代わりに12時間働くことになってしまった」

−−日本でも「ワーキングプア」という言葉があって、経済格差が問題になっていますが、どう思いますか。改善策は

 「それも日本だけの問題ではないですね。各国で起きています。なぜなら世界の富は日に日に一点に集中しているからです。格差は日に日に大きくなっています。ビル・ゲイツ氏は1日100万ドル使い続けても、持っているお金を使い切るには220年生きなければならないと言われています。それでも彼は、世界一裕福な人というわけではないんですよ。こうしたことが起こっている一方で、さきほどおっしゃったような状況が生まれている。人類の富には何らかの上限が設けられるべきだと思います、いったい何のためにそれだけの富が必要なのですか」

 〈質問をしないのに突然しゃべりはじめたムヒカさん〉

 「私はウルグアイで、ウルグアイ生まれのタカタさんという日系人と知り合いました。彼は素晴らしいサッカー選手でした。地元のチームのキャプテンを務めていましたが、地元の貧しい子供たちとプレーをするようになりました。私は日本の人々には素晴らしいサッカー選手の素質があると思っています。小さいスペースというものにそもそも慣れていらっしゃる(笑)。ウルグアイは広大なのでピッチのいたるところに穴を開けてしまう(笑)。サッカーというのはボール一つあれば始められるスポーツですので、子供達には最適と言えると思います。グラシアス。グラシアス(ありがとう)」

 〈質疑応答を自ら打ち切るが、退場したりはせず、記者たちの名刺を受け取ったりニコニコと握手に応じたりする。記者も名刺を渡しつつ〉

−−ムヒカさん、幸せに生きるコツはなんですか

 「モチベーション(目的意識)を持つことです」

posted by 浪速のCAETANO at 05:53| 大阪 ☁| Comment(0) | 世界・地球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月14日

はじまったね。

 カメルーンのことを「カメ、カメ」言うたらあかんわ。ずっと前の世界陸上で「美尻のスーパーアスリート」なんてのもあったけど、ほんと・バカ過ぎる、メディア。

 前回・前々回のようにみなさんが「世界をあんまり知らない」状態から知識が増え、コドモでも(コドモだから)日本のショボさもよくわかってる時代になり、ちょっと様子が変わった。W杯を「消費」にかかろうという意図がミエミエだ。ナショナリズムで盛り上がるより、W杯そのものを消費するという態度が、その変遷を考えると不愉快だ。ものすごーく軽薄な視聴者への視線が感じられて。

 なぜそんなメディアのメンタリティーが出来てしまったのか・って研究の余地があると思うが、でも「カメ」はあかん。アメリカ人に「アメ公」なんてのと同根で、それも面と向かってよう言わんくせにというセコい内弁慶のオマケつき。なさけない。

 昨日は4試合見てしまったが、その日本メディアを媒体にしなければ、こんなに楽しいスポーツ・イヴェントは、ない。イングランドやアルゼンチンは爆発の予感みたいなものが垣間見えた。いいチームだなあ・と思ったのは「ガーナ」。「ガーナ」と「コートジボアール」は強いと思う。コートジボアールはブラジル・ポルトガルの死の組という不運はあるけど。

 つまらない試合もある。やはりチカラはじーっと見てるとよくわかる。攻撃の起点としての誰か一人の中盤のジョガドールの存在は大きい。ナショナル・チームはどうしてもそんなことになる。弱小チームほどそうならなくてはいけない。日本は誰? ポジションから言うと遠藤ということになる。メディアの視点があまりにシロート臭くていやになる。それでは見る側は成熟しないよ。成熟させない方が「カネ」になるって? あ・なるほどね。遠藤でコントロールできるかなあ。延々ガンバ大阪のひとである。松井は通用するはずだ。やっぱり海外のクラブのスピードと様々なジョガドーレたちをカラダで知っていることは強いと思う。

 勝っても負けてもおれはどっちでもいいので、面白いゲームを見たい。その前にあるオランダ戦はもっと興味があるけど。

 カメルーンはDF、穴があるよ。日本もあるけど。だからオフェンスの決定力の差になるでしょう。

 

 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 10:25| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界・地球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月15日

Haiti E Aqui, Haiti Nao E Aqui

 HAITIの大地震のその後が心配だ。

 起こったものは仕方がないのだ。それはどこに住んでいようが、同じような確率で災害には遭う。しかし、その後の二次災害は、その社会の民度の成熟やインフラ復旧のノウハウの蓄積でかなり防げる。阪神大震災がもう一度起こったとしても、おれたちは前回よりも落ち着いた対応が出来るはずだから。

 政府がそういうことに脆弱なのも街のアナーキー化を招く。確か軍事政権ではなかったか。いや軍事国家ではなかった。一応選挙による大統領はいる。しかし、イスパニョーラ島という名前といい、キューバ同様、アメリカによる支配といい、植民地主義によって翻弄されてきたことは自明である。

 カエターノ・ヴェローゾは「haiti」において、「ハイチはここにある・ハイチはここではない」と歌っている。ハイチは北朝鮮よりも「大失敗国家ランキング」に於いて上位を占める。

 イスパニョーラ島の東半分はメレンゲの故郷・ドミニカ共和国でその国境はアフリカ国家たちのそれのように「直線」である。

 ハイチには「コンパ」というリズムがあり、タブーコムボという素晴らしい音楽家たちもいる。

 本日はハイチの人々の事を思いながら演奏してくるつもりだ。祈りはきっと届く。
posted by 浪速のCAETANO at 14:15| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界・地球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月21日

オバマへの期待と失望と・まだ早いが

 感動的ではあった、しかし、重たくもあった。

 その感動的な根拠にしかし、なんかちょっとちょっとだった。

 バラク・オバマの就任演説は、選挙中のロック・スター的なアジテーションとはトーンが異なり、ブッシュ時代からの決別と継承という引き裂かれた2つの対極の中で、浮つきのない、しかし、突出するものもない、すでにオバマ自体が手足を縛られたような状態であることが透けて見えるようなものだった。

 現実とはおそろしいものだ。

 初のアフリカ系大統領としてのグロリアスな特殊性に主ねてはこの大統領職はやっていけない。そんな分析がベースにあって、高い期待値をどこか実体のあるものに収斂させる必要がある。早い話、危機的な情況が生んだ初のアフリカ系大統領は、そうではない大統領が出会ったこともない超危機的情況からのスタートになるわけで、最初からその相反するダブル・バインド自体が「彼」の情況だった・ということだ。

 それでも、なお、シニカルに感動的と言えるのは、現実的に、後ろにいるブッシュがほんとにサルに見え、その前大統領がキック・アウトされるに値するサルであることを世界に示すために彼の演説が使われたことだろうか。サルにサルと言うためには、サル語で充分。なのにそのサルを世界は最高実力者として仰がねばならない8年間を過ごすしかなかったのだから。そのおかげで日本だって「派遣村」なのだから。サルを退席させるにあたってあのオバマの一語一語が「立った」演説はもったいないな。

 新聞の見出しになるようなキーになるセンテンスは特になかったが、オバマの言葉はやはり、すばらしいと思った。お祭り騒ぎを求めてやって来たヒトビトにとってはしかし物足りなかったと思う。

 イラクからほんとに16ヶ月で撤退出来るのか。
 アフガンはヴェトナムのようになってしまわないのか。
 市場経済に監督が要る。
 政府は大きい・小さいではなく機能するかどうかだ。
 資源を使うことにより、それを利する勢力の存在。
 自然エネルギーへの傾倒。
 イスラムへの対話の呼びかけ。
 貧しい地域・ヒトビトへのシムパシイ。
 国民に向けての団結と責任の呼びかけ。
 共同体としてのアメリカをリビルドする。
 建国時の原理原則に立ち戻ること。

 異常な盛り上がりこそなかったが、そんな課題(それも緊急の)が演説には盛り込まれていた。

 しかし、歴史とは興味深い。おれたちは、ものすごいオプションを目の前で見ている。9.11がなけりゃ、ブッシュは一期でゴアに取って代わられ、そうなると、今日はゴアの2期目の就任演説だったかもしれず、オバマは民主党の泡沫候補で終わっていたかもしれない。

 その9.11の自作自演説に対してはオバマは懐疑的・と見るが、問題は、ブッシュのその背後にいた超利己主義な誰か・その誰かがアメリカをそして世界を未曾有の混乱に陥れたわけだけれど、そこに対する批判・反省が演説の中になかったことが、すべての上に挙げた問題をうやむやにする可能性を持つ。

 その発語の一つ一つが「立って」いて、その言葉がヒトビトの胸に届く・そんなインプリントがすでに完了しているオバマの演説であるから、こんなことをもっといって欲しかった。

「私たちはこれまでやってきた戦争と言う大量殺人行為を止める。なぜなら、それは軍人のみならず、多くの市民の命を奪うからである」

「そしてイスラエルを無条件で支持することも止める。ガザの市民を殺している戦闘機・爆弾、それらをイスラエルに供給することを止める」

「キリスト教の教えに従い、聖書に手を載せて宣誓した以上、アメリカに比べあまりにも国力に差のある国々に対する制裁は止める。さらにそこで使われる「効率の良い=より残虐な」兵器はもう科学者には作らせない。軍需産業にもう武器は作らせない。世界に武器は売らない」

「世界を「民主化」しようとしない。民主主義の適応がオールマイティとは思わない。これまで独裁国家を「民主化」してきたが、皮肉なことに統計を取るなら、独裁国家の下で殺された人々よりずっと多い人々をアメリカが殺してきていた。「他国」の「民主化」が不可能であることを「学習」した」

「金融工学という名のギャンブルは止める。ヘッジファンドやデリバティヴも、実体のない融資もすべて止める。制度を悪用して巨額の富を得た者はどこまでも追求して罰を受けさせる」

「CO2排出に関する、世界のコンセンサス・つまり京都議定書を受け入れる」

「国連主導を受け入れる」

「日米同盟の重要性は理解するが、日本の平和憲法の趣旨も充分尊重する」

 このようなことをもっと言って欲しかったのだ。言えるのはあなたしかいないのだ/いないのに。

 


 
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2008年08月28日

NGOなのに

 アフガンでNGOの伊藤さんが射殺され見つかった。

 アメリカ追従とは、こういうことが起こっても「しかたない・平和のためなのだから」とハラを決め、そしてそのあともそれまでの活動を続けるということなのだろうか。アフガンはイラクではなく、自衛隊は派遣されていない。しかし、タリバンにとっては日本人とはアメリカの「家来」である・という見方をしているのだろう。

 だからといって、誘拐していいとか、射殺していいとか絶対許せない話なのだが、日本がアメリカ陣営にいるということが、この国のトップによって「正式に」なされたアナウンスメントである限り、「敵」と見られても仕方のないことかもしれない。だけどNGOやで。非「政府」組織なのになぜ殺す。クソタリバンであるし、クソアメリカである。すごくもどかしさの残る事件だし、こんなとき「国家」が疎ましい。何故ばか政治家の決断により、たとえば旅行者だとして、日本人であるからテロの対象にならなきゃいかんか・なんてことを考えるとものすごく腹が立つ。

 国は決しておれたちを守っちゃくれない。一番保護が必要である人間を真っ先に見捨てるのだから。

 それにしてもこのバカの緊張感のなさは一体なんなのだろう。http://ichita.blog.so-net.ne.jp/index/3

 これ・外務副大臣。だみだ・こりゃ。志しのある人間に対してあまりに目が届かない、犬死にかよ。あきれてしまう・緊張感のなさであった。

 タリバンと言っても伊藤さんを殺したパキスタン・タリバンはちょっと理屈が通じないとっても卑劣・集団のようだ。ほんとのアフガン・タリバンは「恩を仇で返すようなことはしない」らしい。いや・そうじゃなきゃ9.11の正当化もできない。正当化なんて出来ないと思うが、少なくとも、資本主義とは異なるロジックによって生きているのだから、その正当性は主観的であったとしても、その主張は堂々とするべきだから。

 無条件に「ニッポンニッポン」と声援を送った方々、その声援はこんなところへと吸収されていく可能性が最も大きい・という自覚も必要かとおもいますが。たとえ、意味が違うと言ったとしても、アメリカに追随する日本と、みなさんが応援したニッポンは重なる部分が、たとえアナタが違うと言ったとしても対外的にはある・と言わざるを得ない。それはあなたが「ニッポンニッポン」と応援する様子が無邪気であればあるほど、相手も実に無邪気にその国をアメリカの手先と見なすからなのだ。

 「自由」の意味を60年以上もはき違えたまま、もうそれはいわゆるひとつの「ワガママ」と同義となってしまったこの国で、それは全人類的なネガティヴだと思うのだけど、世界はそれに追随しつつある。日本のようになりつつある。新自由主義を解釈しようとするとそうなる。そんなときその内部にわがままをゆるさない・というか、ワガママが憚れるような自主規制を促すような教えがあることは別に悪いことではないような気がしてくる。束縛と拘束はごめんだが、全員が糸の切れた凧ではやっぱいかんでしょ。

 パキスタン・タリバンこそが今的であり、そんな考えは日本人よ〜ッく理解出来るんじゃないかな。これって不幸なことなんだけどね。
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2008年08月09日

北京の開会式をぼーっと見てた

 オリンピックは「巨大なタテマエ」である・と思っている。

 タテマエであるから、イスラエルとイラン選手団が、ロシアとグルジア選手団が同じ場にいる。プーチンとグルジア大統領は目を合わせただろうか?

 タテマエであるからこそ、ブッシュやサルコジがやや善人に映る。

 タテマエであるから福田首相も本日午前の長崎の平和式典に間に合う。

 しかし、タテマエだから全部ダメなのだ・というつもりではない。そのタテマエの場は「貴重な場」だと思う。コマーシャリズムに毒されたオリンピック・とはもう耳にタコもできている。しかし、大きなイヴェントにはカネが要る。人も要る。中国の世界に誇れる「資源」って第一には「人」だったね。

 タテマエの貴重な場に「世界の200いくつの国と地域のアスリーツ」が集まる・とはよくよく考えるなら、大したことだ。確かに、人にも・民族衣裳にも(ということは文化にも)多様性があるということを一番よく分からせてくれるのはオリンピックの開会式だと思う。多くのコドモたちが見ていたらなあ・と思った。それとホンネの殺し合い(この時もロシアとグルジアは戦時だ・だが、ロシアが悪いのか?ちょっと調べてみる)とは別の話だ。そちら方面からオリンピックを眺めるなら「偽善」と映るのもしょうがなかろう。

 でもおれはそれが「タテマエ」でも「偽善」でもどうでもよかろう・と思ってきた。オリンピックは「民族の祭典」と言われてきたが「多様なる人類の祭典」と言いたいところだ。オリンピックにはなんだかチーム競技が似合わないと昔から思っていた。チーム競技は国vs国というマッチメークしかできないからね。そういうのってサッカーのW杯をはじめとしていろいろあるし、もうええやん・と思っていた。個人競技の場というのが好みだ。国を背負うなんて背負う方も背負わせる方ももうなんだか「古い」でしょ。チーム競技はどうしても「疑似戦争」のニュアンスがつきまとう。ただ野球とかで、ジャパンで闘う時の選手たちの面白さはわかる。特に野球はあんまりそんなことなかったしね、これまで。でもメジャーのすごいのでないよ。あんまり入れ込まれるとなんか違うんだけと・とついつい言いたくなる。でも個人競技ってそうでもなくない?

 そのフィールドでの第一人者がフルパワーでのパフォーマンス中に、この現代においてナショナリスティックな情緒の入る余地はないのではないか・と思う。そうでないと勝てないんじゃないかな。情緒的なナショナリズムが必要なのはメディアであり、一部の国民にしか過ぎんような気がするから。この場で素晴らしいパフォーマンスを行えるアスリートはもっとも「普遍的な個人」に近づくような気がする。

 タテマエを「理想」と置き換えてみよう。最近は理想を現実の方に引き寄せる「下品な」な人々・手法、共に多いが、近づこうとするベクトルを持つのはやっぱ「現実」のほうからぢゃん。変容出来るのは肉体化された方でしょう。

 開会式は「中国をプレゼンする」という意味で言えば、とても良かったと思った。閉会式のようなだらだらな各国選手団の行進も良かった。

 おれとしてはイスラエルとイラン、あるいはロシアとグルジアの選手間で「ホモ・カップル」が誕生する・なんてことを期待してます。その障害の多さを乗り越えるのが現実を理想に近づけることなのだ・なんちって。

 

 
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2008年07月05日

サミットみたい

 暑さで目が覚める。夏だ。

 ただ、変な話、汗かいてるから、深酒しても顔とかむくまない。

 サミットだからかな・だからだろう。そんな特集が多い。今もやっているが、NHKの各解説委員の討論はバカワイドショーなどと比べると数段質が高い。

 やはり温暖化の議論が大元になっている。人間活動が原因というコンセンサスは「異議」を唱える意見もあるが、これはもう動かし難い流れになってしまっている。おれは仮にそうであっても、「しょうがない」という立場である。ヒトの欲望に散々スイッチ入れといて、その後はしご外すみたいに「地球環境を・・」というマッチ&ポンプに反感を持っているからだ。たとえば中国の一般の方へ、だれが説得力を持ってそんなことが言えるのだろうか・と現実的に思う。

 モノを買わせる。このことに対する不信感もある。大量消費へのベクトルはもちろんわかりやすく「モノを買わせる」ことの奨励だったが、翻って「地球環境を・・」というベクトルも家電製品の最近の省エネ対策の成果を強調するのもよくわかるが、「環境ビジネス」で必ずぼろ儲けしている誰かがいるはずだ。これは「ムード」である・という気もする。儲ける誰かがいて、それをメディアで煽れば、そこに大きなマーケットができるわけで、なかなかその手法は巧妙で洗練されている。いまや「環境にやさしい」は錦の御旗であるから、というのになにかうさんくささ・を感じるのだった。

 たとえば電気を作る時、火力発電は大量の「化石燃料」を燃やし,大量のCO2を排出する。これダメね。水力発電はダム建設だからわっかりやすい環境破壊。これもダメね。そこからなのだが、じゃあ今稼働してる「原発」しかないでしょ・という、環境に「やさしい」しね、という「倒錯」を正論になんかすぐできちゃう・という話である。そんな時に風力発電や、波力発電や、地熱発電、太陽光発電なんて「メジャー」な手法としては扱われないわけで、「うーん・ま・いいと思うんだけど、ショボ過ぎてさ」という話になるのだ。ひとつの例だけど、この「環境・CO2・温暖化」というセットでわかりやすく、電力会社はぼろ儲け間違いなしだし、「原発の可動」が「正しい」という刷り込みもできるという一石二鳥をゲットだ。

 これだけ欲望を喚起し、煽っておいて、地球やばいから「我慢してちょ」とはその合理性に於いて「は?」だと思う。だから、欲望で血管膨張しているたとえば中国の方々に、何をどう抑制してね・と言うのかという話なのよ。お先に贅沢してしまってる人が言うわけ?
途上国は今・消費に目覚めてしまったわけで、目覚めさせたのは先進国な訳で、その不公平感を解決しないまま、次は「シブい生活を目指せ」ってのは「通用せん」という気がするわけよ。

 先進国をおじいさん、途上国をワカモノと戯画化してみたら、さほど外れてないと思うのだけど、やっぱ一通りやることやりたいよね・ワカモノとしては。再度言うが、それを煽ったのは先進国の資本なんだからね。

 ひとつ思うことは「地球それ自身のオートノミー(自律性)」だ。おれたちの身体もそうだが、有機体はそれ自身病気しても自然治癒力ってあるじゃない。地球はそういう柔軟性を必ず持っていると思うのだ。核戦争の後でも何百年かしたら自浄作用によって回復する・みたいなね。人間がいなくなった後のシミュレーションなんか見たら、人工物だけがどんどん崩壊し、動植物が繁栄し、あっという間に、ジャングルになる。地球をなんとか・という議論がどうもかいいところに手が届かないニュアンスを持ち続けるのは、今生きてるキミがボクがエラい目に遭うから・・・という危機感ではないかというパラドックスを感じる。キミがボクが邪魔かも知らんわけでしょ、地球にとって。ここまで悪知恵もっちゃったキミとかボクとかほんとは排除したいんじゃないかな、地球は。そんな考えもあるのが「フェア」な気がする。迷惑かけた分、みんなで責任取ろうぜ・ということかも知らんからね。その後で地球は「たまらんなー、でももうオッケー」なんて呟いてるかもしらんからね。でもすぐ忘れるんじゃないかな。46億年を一日にしてみたらキミやボクの「迷惑」って数秒のことだからね。

 まあそれでも、自分としては、「BACK TO 70〜80s初め」という心のムーヴメントを展開してる身としては、TOO MUCHの便利さ・快適さは人間の本質を脆弱にさせる・って気が直観的だがしているから、少しぐらいの不便さはかまわない。おれは、自分で料理もするし、洗濯もする。掃除は苦手だが、クルマもマニュアル。一般的ではないんだね。だから平気。

 ヨーロッパはものすごく好きだが、ややひっかかるとこもある。今CO2対策にものすごく厳格に取り組んでいるヨーロッパだが、やっぱ地球に対して「上から目線」なのだ。対策・ということからもわかるように、自らの姿勢・行動によって地球を変えれるという「思想」があるわけよな・そこには。それは裏を返せばそれまで地球をいらってきたということでしょ。一見して合理的ではあるが、やや人間と地球の乖離といいますか、そこにも「やや殺伐」を感じるものである。アミニズムの気配がなんにも感じられない。地球はそれと一体化するものではなく、彼らにとってぱやっぱり常に「対象物」なのかな・と思う。

 そこには「地球の意思」を尊重してるフリしてやっぱしてない・とこがあるんじゃないかな。「現実的」にはヨーロッパがもっとも今地球のこと考えてそうなのだけど、実際そうなのだが、ほんとのとこ最初のボタンの掛け違いの遡っての修正はなされていない。

 実は「ジミ」な生活、非アメリカ的な生活の伝統があるから今のそんな政策を実行可能なんだと思う。日本は一周してなんでもアメリカ経由で入ってくるから、ものすごくストイックに見えるけどね。

 だから日本人も自分の足元見つめてみたら、アメリカの顔色うかがわずに自分自身を見つめてみたら、ヨーロッパ人たちとその末裔のやり方とは「哲学的」に異なる、地球との付き合い方が自ずと「編み出せる」はずだと思うが。おれは決して右のヒトではないけど、日本の伝統や個性や食べ物は好きだ。なぜかというなら、独自のものだから。そして、その中で自分の祖先がもまれてきたという事実に反応してしまうから。

 過去のことを考える際に、その過去の人々の試行錯誤のおかげで今おれたちがあることを忘れてしまってはいけないと思う。言葉・食べ物、その他いろいろ。そこに愛おしさを感じるのだが、今もめてる曾根崎のことも、街・というにはちっちゃすぎるが、露地だけど、そこを「過去の歴史をふまえてその、財産とも言える文化やら伝統やらひとの体温やら息づかいやらが何層にも蓄積した場を最大限自分と他人のために活用する」ことに関しては、ねえ、地上げ関連でおれを困らせてるみなさま、あなたたちよりおれの方が100万倍エラいからね。エラいから勝つとは限らんけどね。

 

 
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2008年05月17日

アジアの試練

 たとえば愛媛の高校の訓練船がハワイで米軍潜水艦に衝突されて沈没した時、当時の首相の森はゴルフをし続けた。阪神淡路大震災の反応は、当時の首相のまゆげボー・のおじいさんは、おじいさんゆえか、残念ながら鈍かった。

 温家宝首相は地震発生の一時間半後には動き出している。そのことに対して「パフォーマンス」とか言わない方がいいのでは、日本のメディアと右方面の方々。温家宝が例えばゴルフをその時し続けていたらどうなのだろう。そんなことは普通有り得ない話で、それをやっていた日本のバカがどうしようもないバカだっただけで、首相が被災地に飛び陣頭指揮をすることは「メディア的な効果」だけじゃなく、「実効」も計り知れないほどあるとおもうのよ。

 なんか少し悲しくなるような話だ・日本て国は。それが12年前には同様の惨事に遭った国のメディアのすることかい・と思う。現場で不眠不休で陣頭指揮をとる温家宝首相は、そしてそれを指示したはずの胡主席も「立派」だと思うのだ。

 なんだか、そんな心ないことを言う人々の心情の中には、「被害者にはごめんちゃいだが中国ざまあみろ」という本音があるやろ。正直に言うてみなさい。あるくせに。人でなし・である。

 何遍も言うが、人の痛みがわからない・というのか、ヴァーチャルに慣れ過ぎて精神が畸形化しているというのか、そんな方々、ここぞとばかり中国を非難するが、大惨事の際にはそれが一番不毛なことなのだから、ヤメましょう。そんなヒマがあるんなら中国へ飛んで、崩壊した山路を一晩かかって歩き,現場まで言って素手で瓦礫をかきわけ、人一人でも外へ出しなさい・と言いたい。

 あの現場に行った「人命救助の精鋭たち」は困難の中きっといい貢献をするのだろう。同じ日本人として誇りに思える。それと無駄遣いしている国交省の役人のこの落差ってなんなんだろう・と思うが、まあそれと同様に中国人の中にもあったり前田だがさまざまな種類・ランクの人がいる。だから中国は・とか日本は・とかいう物言いが元々成り立たないわけだ。困った時の友人が真の友人。

 例えば考えてみよう。阪神淡路大震災の三ヶ月後に東京でオリンピックがある・としたら。時の首相なら「放って逃げ出したく」なるはずだ。あちこちでいろんなパニックが起こるだろう。

 同じ極東の・アジアの国として、さらに言うなら、40年前に「国威発揚」と「近代化」のためのオリンピックを開催し、大地震の経験もある隣国として、乞われればいつだって「何か」言える・やってあげる、そんな姿勢こそが今必要なのであって、それを中国が「乞う」かどうかは中国の問題。それを「乞わない」からと言って、あの国は「独裁だから」なんて非難するのはちょっと違う。いずれは中国も民主化への道を歩まざるを得ないのだが、あの広い国土とあの膨大な人民とあんないろんな民族と急激な資本主義化による弊害があった場合に、これは日本人の歴史的能力を超えているわけで、そこも言うなら、アメリカ・日本に続いて、未来への「実験」の過程と思うべきなのだ。

 震源地近くの風景はかつての日本の・というかアジアの原風景と言えるかと思う。どう考えてもヨーロッパの「村」とは違うでしょう。それが酷いことになってる。今中国を非難することによって得をする誰かが日本国内に必ずいるのだけど、でも例えば、リポートに行っている特派員なんかにその意に沿ったような報道はなされない。現場・の悲惨さがそこでわかるのだが、それを「中国・独裁独裁」と叫び続けるK谷医院の息子なんて大馬鹿者だ・と思う。今・それを言うなよ・ということだ。ていうか、その髪型やめろ。

 これもほんとうに簡単なことなのだが、阪神淡路のときに「だから日本の政治はだめなんだよな」なんて言われても・ダメだけど・「言うてる場合か」だろ・ってことだ。「心情的に」という言葉があるが、体制批判は棚上げにするべき時もある。今は「心情的に」被災者の、もう現実的には命がなるべく多く救われること・そして二次災害・三次災害を最小限に食い止めることに何かできれば、ということを考える以外にない。まあおれたちにできることは「募金」ぐらいなのだが、よその国なのだから今はしょうがない。あとは祈るぐらいしかできないのだ。

 ミャンマー(ビルマ)と四川省が意外に隣接していることに気づいて、そして死者の膨大な数を考えて戦慄・なことがある。これから夏になることを考えると、伝染病が発生するだろう。ミャンマーではコレラが発症した人がいると報じられた。人が耐性をもたない強力な「鳥インフルエンザ」の鳥も四川の近くにいっぱいいると聞く。中国の国内問題にすまない可能性がある。そうなると北京オリンピックが開催不能になる可能性も考えられるだろう。

 「アジア」が試されている・としか思えないのだ。
 
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2008年05月15日

カタストロフは極大化する

 明らかに今苦しんでいる人がいて、そこへ、こちらの事情・そちらの事情・あるいはこちらとそちらの間にある事情で手が差し伸べられないことの空しさ・である。

 災害においては現場・しかないと思う。カタストロフそのものが現場だからだ。事故や病気は世界の至る所に有り、虐殺さえも「いまだに」なくなってはいないが、それにくらべて「災害」とは、人間の意思とはもっとも遠いところのものだから複雑だ。災害に伴う人災以外に関して責任を問えないから。超弩級のサイクロンとマグニチュード、きっとだれも悪くないのだ。

 だからこそ、事が起こった後の人為に関しては最善を尽くすのがマストなのだが、それが見えないところに別のいらだちがある。

 ミャンマー・中国どちらの政府にしても大なり小なり、「起こってくれなけりゃ良かったのになあ」なんて思っているフシがある。こんな場合「なんでやねん」とは思ったり言ったりすることはその後の「人災」を拡大することになり、人間がその大災害をまえにしてできることは所詮「そこ」にしかないにもかかわらず。

 危機管理に対して、ものすごく懸念していることがあって、それはアメリカのルイジアナのハリケーンでも明らかになったことだけど、「小さな政府」という志向は、いざという時に役に立たん・ということだ。民営化という志向も同義。確率的に低いことにまず「コストカット」するからね。だから、なかなか起きないけれど、一旦起きた大災害にはものすごく無力になる。それはまちがいなく大惨事となることを宿命づけられている。

 上町断層が動いたら「えっらいこと」になる、と報じられたけど、おれの住んでる豊津も、その上町断層の北端に乗っかってるが、もしそうなったら諦めるしかないみたいね。というか、その現場でみんなでなんとかするしかないみたい。生き残ればするよ・するけどね。例えば橋下くんが知事の時代にそういうことが起これば、悲惨かも。彼だって「そんなこと起こってくれるなよ・たのむから」と思っているに違いない。でもmayorってのはそんなことでいいのか・という気もする。危機管理のためのコスト・というよりも「気持ち」を持ってないといかんでしょ。持ってるのか・持ってないのか、今正確には計りかねるけど。

 ただ新自由主義にストップをかけないと、悲惨なものはより悲惨になることだけは確実で、さらに自分が名実共におじいさんになったときのこと考えるのが厭になる。簡単なことだと思うのだけど、役人の無駄遣いや政治家のちょろまかし、ヤメるだけで、「災害にも強い福祉国家」になることはできるはずなのになあ。そういうモデルを世界に示すことぐらいしか今の日本には存在意義ってないのになあ。高齢化のピンチをチャンスに変えるってことはそういうことだと思うんだけど。

 このテクノロジーの進化と人類の自意識の過剰化から考えるに、悪くするともうこの10〜20年ぐらいでこの世界は「生きるに値しない場」になると思う。それは例えば現在が、将来振り返るに値しない時間帯になりつつあることから考えても想像出来る。このすべてにおけるサイクルの短さは20年の時間的距離をもって眺めてみるなら、たぶん荒れた粒子みたいにしか見えないだろう。荒野のようにしか見えないだろう。そしてみんな思うのだ。「あの時代って何があったんだったっけ?」と。

 今だってもう80年代がぎりぎりだもんね。振り返ってまだ面白みがあるっての。

 ミャンマー・中国に対して電話募金するぐらいはできるかな、やっぱ関西の人間としてはそれくらいはしないとね。

 
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2008年05月14日

ほんまに進化なのかい・そんなんで

 いつだって犠牲になるのは「弱き者たち」か。

 ミャンマー(ビルマ)のハリケーンに四川の地震と大災害の頻発で、まあ地球の暴れ方もすごくなりつつ・なんて傾向で見たりしがちだが、同程度の災害はきっとおれたちのしらないところでこれまでも起こっていたのだろう。46億年というとてつもない長い時間の中でおれたちが知っていることと言えば、たかが10000年にも満たない歴史だし、文書化されたものなんて1000年ほどなのだ。

 おれたちが知らない(予測も出来ない)出来事が無数に有り、それが例えばおれならば50年ほどの歴史しかなく、その中での「経験」など、人の精神・肉体・関係に関することな
ら過去の人類の寿命を考えても「使いもんになる」かもしらんが、こと自然現象に関して言うなら「未知な事だらけ」とするのが妥当だろう。

 たかが50年にも満たない経験のヤカラが46億年を把握したような物言いをすることが「傲慢で不遜」なのだろう・と思ったりする。たとえ「科学的に」理解出来たとしてもね。

 そんな、わかったような物言いに溢れた現代で、コトが起こった「後」の「後づけの理由」をあれこれ言われても・なんだか興ざめな感がある。だからその「後づけの説明」が一体何になる・というのだろう。なるほどそういうことか、じゃぼくも気をつけよっと・か? でもわけのわからんことは「起こる」わけで、明日例えば地球がパッカンと二つに割れて、中からハクション大魔王がジャジャーンと出てくるかも知らんのだ。「気をつけて」どーするよ。

 なんかさ〜ぁ・現代人の特に先進国と言われる国々の人々の「ミョーな全能感」が、ものすごく気になるのね。それがかなりの範囲・程度で「人工物」によって守られた中での特異な出来事を基盤にしてるからなのだ。それを進化というなら進化なのだろう。ただし、進化は進歩ではない場合もあるっちゅーねん。

 人工物に庇護されながら個体としてはどんどん「こざかしく・ひ弱」になっていくわけ
だが、すくなくともそんなことを進歩とは呼べない・という感じがする。

 オノレの延長としての自己増殖する人工物もコミで一個体とし、そこでの「進化」を考えるというなら、オノレ自体は「退化」していっても、個体全体の収支は「プラス」のままだろう。そこに不幸を見る。

 人が人を好きになる・なんてのは、その「オノレ本体」であるはずだからだ。そりゃ、付属物として何十億の現金とか、あったりすることもあろうが、まあ・青いことを言っているのだが、その本体の魅力というのが固定化されないのが、なんだか不幸だ・と思ったりする。

 しかもその付属物は進化とともに平準化されていき、「おれだけ」が持ってた物はあっという間に「みんなが」持ってる物となる。となると、明日の天気をケータイの天気予報でちゃっちゃっと調べることより、雲の動きを見たり、湿気を鼻で嗅いだり、風向きを調べたりして当てる能力とかの方が実は「カッコいい」。今回もガマガエルたちが前日に中国で大移動していたみたいだが、その様子を想像するに、個人的事由でそこはおれは鳥肌なのだが、しかし、そのいう能力には「敬意を表す」。利便性の追求によって能力が弱体化する例はいろんなところにある。

 変な話だが最初の月面着陸に使われたコムピュータの能力はウインドウズ98ぐらいのレヴェルだったらしい。なんとなく、「えっ」という気がする。かようにリニューアルされつづける(運命の)テクノロジーとはあとで考えると「そんなぐらいのもん」なわけである。でもそれでうまくいくためには人的リソースの活用も大変なレヴェルだったのだな・と想像に難くない。なんだか・これ・自分が新ツールを使いこなせてないエクスキューズみたいだけど。

 災害時に人命を救う為に最大限の努力をする・という「人類の基本」ができていない・まずはミャンマー・そして多分中国も、CIAとかの潜入を怖れているのだろうが、現場と為政者の温度差が人が人である意味に於いて、最も「退化」しているポイントだと思うよ。これだけ情報過多の時代に。ある意味「人」ではなくなっている・かのような。
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2008年05月11日

米粉のパンも悪くないってことだが

 寒い。気候が不安定。

 食べ物がヤバいんじゃないか・と思っている。中国産野菜等に代表される農薬過多とかもそうなんだが、食べ物そのものが手に入りにくくなるんじゃないか・という気がしてる。

 またぁ・そんなことばっか言って〜・と思われるかもしれない。思ってもいいのよ。

 ただ小麦・大豆・コーン・米といった穀物の急騰が凄まじいのね。確かに小麦製品の値上げ・最近始まったな・という気はするでしょう。原油の急騰に遅れながらあるいは歩調を合わせながらこの一年あまりでぐいっと値が上がってきた穀物・なんかいやな感じがしてる。現にソマリアやエジプトで、小麦が高くなり過ぎて暴動が起こってた。そして小麦の最大の産地のひとつオーストラリアはまた干ばつみたいだ。

 まあさほど変わらない値で、スーパーには豊富に商品並んでるからね・日本では。

 しかし、思うんだが、輸入に頼っているコモディティはさほどストックないと思うのよ。ストックを極力少なくしてかつかつの輸入ってのが・コスト削減のポイントだからさ。倉庫代カットってことね。

 ということはこれから値上げラッシュになるんじゃないかな。

 市場原理主義の限界・とは最近よく言われだしたことだ。新自由主義とほぼ同意であるが、究極の資本主義が作り上げた世界は非情で冷たいものだった・という、も一つ言うなら「進歩はそんなに進歩じゃなかった」というような・さらに言うならヒトは個人としては永遠に幸せにはなれないみたい・という結論がそこにはありそうなわけよ。

 単純に歴史が繰り返されているだけのような「デジャヴ」がそこにはあり、国家主義の方がうまくいくかのような印象さえうけるのだが、この場合は「新・国家主義」と言えばいいのかな・最近の中国・ロシアというかつての帝国がもういまや・ぶっちゃけ「帝国で〜す・が・何か?」みたいな開き直りというかそれはある意味アメリカの一国支配・それも抜きん出た軍事力と新自由主義・グローバリズムと言う名のアメリカン・スタンダードで世界を覆うというどちらも暴挙と言えるやり方の「アンチ」としてそんなのが説得力を持ってきているわけで、アメリカも絶頂期にすでにその衰退の芽はもうちょっと成長していた・みたいな・まあ「よーある話」の枠を出るものではなかった・ということみたい・どうも。

 一世紀前とさほど変わらない。ただ一世紀前とは持ってる武器が違い過ぎる。あ・いま話だいぶ飛んだけどね。飛んだままで行くけどね、そのミサイル作るお金で農産物作ればもっと「世界の、人為的とも言えるカタストロフ」を先延ばしできるのになあ・と切に思うのだけど、そうはイカのキンタマなのであって、やっぱ・ほら、ネイション・ステートの幻はいまだしがみつくには安定してる風なのね。対抗するの・みなさん好きね。チカラVSチカラ。オトコの世界である。

 チカラでなんとかする・って時は自分で言うなら「感情的」になってるときなのだが、とすれば、ロシアなどの軍事費拡大などはその根拠に女々しさがある・とおれは思う。女々しい軍事拡大・なんやそれ・と思うが、なんだか周囲の変化(それも悪い方への)に対して、なんか日本の政治担当者・ぼんやりしてる印象を持つ。気をつけるとことそないわーわー言わんでもええのにと思うとこがまるで逆・って気がする。

 しかし地政学的に言うと、「えっらいとこ」にあるね・日本ちゅう国のロケーションて。なんだか先がうすぼんやり暗めなのだ。
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2007年12月08日

WAR IS REALLY OVER?

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2007年06月21日

朝からダブル・ノック・アウト

 無性にインスタント・ラーメンが喰いたくなるときがあって、今がそれで、困ったものだと独り言言いながらも喰っている。チキン・ラーメン世代としてはしょうがないか。

 カラダに悪いことはわかりながらも、散々他にも悪い事しながらも、そこんとこだけ気をつけてもねえ・なんて思うのよ。

 カラダに悪いぐらい何だ!!!これからはヘタに長生きしたってしただけ悲惨な目に遭う確率が高まる。まあ・そのう・その確率が現実になった際に「希望」がほんとうに大切なことを実感するのだろうがね。

 関係ないがこの気候・よいですなあ。ラーメン喰ったあとには汗が出るが、爽やかな風によってすっと退いていく。今年・なんかすがすがしい日多くないかなあ。いやそのあとにどんな灼熱地獄が待ってるにしても・よ。先のこと考えるほどおれたちは余裕がないはずだから、これはこれとして体感するすがすがしさを享受するしかないしね。明日は雨でじっとり・な予報である。

 悪人の罵倒よりも善人の沈黙の方がコワい。

 本日起きた一分後から「ルワンダの虐殺」に関する映画を2本連続で見てしまって、精神はガタガタになっているわけだった。その一本「ホテル・ルワンダ」はご存知の方もいることだろう。半年ほど前に少々話題になっていたから。もう一本の「ルワンダ・流血の四月」もショッキングで、どちらも、その現場を忠実に再現した映画だと思うが、内戦(CIVIL WAR)というのが怖い。隣のおっちゃんがいきなり殺しに来るわけだからね。

 今日本では東京がすべてを支配しているわけだけども、快く思わない大阪人がいて、なぜかというと、以前は都は関西にあったからね、そしてその二者が混在した街があるとする。ある日東京・大阪間で諍いが起こる。その仲裁に入るはずの首相が暗殺される。そして無秩序状態に陥る。メディアを牛耳っている東京が「大阪人はゴキブリである。踏みつぶせ」というメッセージを何度も何度も発信する。そこで東京人が民兵組織を作り、この民兵というのが最悪で、要は武装化した一般人であるから、軍のような規律もモラルもない。そしてその街にも民兵組織ができて、粛清と言う名の集団リンチが起こる。その集団リンチはあるときから組織的な虐殺へと過激化する。当然ダンナは東京人だがヨメは大阪人というカップルも多く、民兵組織は大阪人をリストアップして処刑を始めるが、もちろん、東京人のダンナは妻・コドモを守ろうとする。しかし情況は悪化し大阪人を匿おうとしている東京人にも処刑の手は伸びてくる。民兵は銃も所持しているが、中国製の「ナタ」のようなもので殴り斬り殺すことを好む。その方がより残酷だからだ。東京人は大阪人にある種コンプレックスを持っており、それは大阪人の方が背が高いことだ。だから大阪の女にスタイルのいい・いいオンナが多い。「高い木を切り倒せ」というのが粛清の合い言葉であったりするのだが、男はそんな場合すぐに殺されるが女は殺される前に凄まじい性的暴行が待っている。「殺す前に大阪女をじっくり味わえ」というのも合い言葉である。ものすごい地獄絵である。

 その東京人をフツ族・大阪人をツチ族に置き換えると、それが10数年前のルワンダの現
実になる。その時に欧米諸国はその現状を見て見ぬふりをした。国連軍が400名PKOとして入っていたが、あの内戦状態のPEACE KEEPING OPERATIONというのは、結局イラクに行った日本の自衛隊と同じく、こちらから発砲しちゃいけないわけで、民間人を守るというコンセプトからはほど遠く、その人員も含めて、ほとんど役に立たない。

 しかもそんな情報は、日本のバカ歌手がだれかと破局!!!とか、アメリカの富豪のバカ娘が禁固刑とかのニュースとかに紛れて・というかまず報道されない。これが20世紀末から21世紀初頭のおれたちの世界だったりする。報道されない世界は存在しない世界であり、罵倒よりも無視が・沈黙がより悲惨なことになったりもする。アフガン・イラク・レバノン・パレスチナ・北朝鮮・・・現状悲劇が進行中の国・地域、ざっと数えただけでこんなにもある。ヴェトナム・カンボジア・ソマリア・旧ユーゴスラヴィア・・・ざっと思い出しただけでもルワンダと同様の内戦をつい最近経験した国もこんなにある。そのそれぞれ・またはどちらかの勢力の後ろには欧米の国が必ず存在する。旧ユーゴでは「民族浄化」という名のレイプが数多く行われた。悲惨である。それらの背後にいたいわゆる先進国でも、戦争ではないが「殺し合い」が多発する。日本でも家族・恋人・知人同士の殺した・殺された・をニュースで聞かない日はない。なのにTVCMにはあたかも「経済」というのはまったく別の独立した世界であるような光景が流れ続けている。当時のルワンダの人々にとってはそれが「セカンド・ライフ」に映るだろう。

 そのジェノサイドから生き残ったヒトが「決してあきらめないで」と言っている。敵がはっきりと分かる中でのサヴァイヴゥルを成し遂げたヒトの言葉は地球よりも重い。が、甘ちゃん・平和ボケ・他人が邪魔・な日本人にはどの程度その重さが届くのだろう。
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2007年04月21日

世界は憎悪と暴力と血に・よりはじめて

 世界は憎悪と暴力と血に溢れかえっているが、例えばうちの歴代ネコたちのように生きられないものか。

 怖がりのネコが・「タマ」というネコがいたが、怖がりであっても自分からは何も攻撃はしない。他のネコたち・マリー・キキ・うーちゃん・そしてぺろにいたっては
ただただおれを信用し、その毛の感触や運動能力や我が娘であり母であるような甘えてんだかこっちが甘えてんだかわからないようなじゃれ合い・うーちゃんはあごひげを舐めるのが好きでぺろは耳たぶであるが・さらには深夜のどこかセクシーさのある関係・などとにかくおれは楽しんだ。

 ネコとクルマは自分にとって一緒に生きていく内外の相棒だが、それぞれが個性的でその個性をこちらが理解することにより、自分も個性的になっていくようなイムパクトのある相互関係だ。だからもちろんこちらのこともわからせる。無理なことはそれが無理じゃなくなることもあるのだけど、そうでない場合は長くは続かない。そうではないお互いの領域と、重なり合う部分が自然にできてくる。

 それが「関係」であって、「関係」ができればさほどヒトは暴力的にならないと思うのだが、そんなこともないのかな・最近は。

 ヴァージニア工大のあの彼もどこでどうこんがらがっちゃったのかわからないが、
情報を総合してみても「関係」というものが見えてこない。同年代の人間たちの中でブラックライトがそこにだけあたる・ような印象だ。アメリカの学生も日本のワカモノ同様バカ化しているとは思うのだが、どちらがどうバカかはよくわからんが、ただただ「関係」だけはなかったことがわかる。

 「お前らはおれとはちがう」「おれはお前らとは違う」前者なら疎外感・後者ならカルト的な優越感。たぶんそれが混ざっていたと思われるし、どちらかがどちらかの原因みたいなものだったと思うが、違う・で終われば、関係・はできないもんなあ。違ってフツーで違わないと「キモい」わけで、違うものの軋轢の中から関係・を作っていくしかないのだけどね。それができない訳は、日本でも見られるような、「億病さ」が根っこにはなかったんだろうか。安易に共通項だけで「群れる」ような。そんなオタク化も世界的な兆候だとは思うが、放っておくとヒトは何かから「攻められる」ような感覚を持つんだろうと思う。ヒトはヒトの存在がうっとうしくなってきてるのだなあ・と思う。イノチに対する尊重もそこにはなない。余所でそんなことをやっている国の中でそんな事件が起こるのが大層皮肉に思える。イラク戦争を始めた時の外向きのおせっかいが今では、ものすごい「内向」へと変化しているアメリカも見える。殺された側はもちろん・殺した彼も「哀れ」である。
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2006年08月02日

やめろ

 イスラエルは直ちに空爆をやめろ。直接の同盟国ではない日本は一回ぐらい仲裁に入るなんて「いいとこ」を見せろ。レバノンのオンナ・コドモ・老人の命が消えることをを消極的肯定している日本はそのうち同じ目に遭うかもしらんだろ。因果応報という言葉もあるぞ。ビズボッラーもイスラエル兵帰して、すぐに停戦交渉に入って・お願いだから。日本のメディアも女の子がプールで死んだのに大騒ぎするのもいいが、レバノンでは分単位でコドモが死んでるぞ。バラエティ番組とかクソみたいなドラマとか亀田の世界タイトルなんかどーでもええから、レバノンの特番を組もうよ。
 おれたちが同じ目に仮に遭ったときに世界が今の日本みたいに無関心であることを想像してみてよ・たまらんで。
 イスラエルは今すぐ空爆をやめろーーーーーー!!!!!

LI BEIRURT(愛しきベイルート)
  ベイルートよ 心から平和がお前の上にあらんことを
  古い街並や港 そこに住む人々 そして彼らの心
  それらは火と硝煙に消えていった
  ベイルートに平和が戻らんことを
  ベイルートよ私の許に戻っておくれ
posted by 浪速のCAETANO at 17:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界・地球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月23日

抱擁オークションてか

 日本人がさも新しい言葉・態度みたいに「ハグ」というのには、違和感がある。抱きしめる、でええやんけ、と感じているひとりである。そんな抱きしめる値打ちのないものを抱きしめたりするのっておかしいし、だからといって、「ハグ」などという、エーゴにすればする側もされる側も、その主体性をキズつけることなく照れずにできるなんてことは、先っちょだけ入れるのはOKみたいな感じで、なんやねん。

 スキンシップが心理学的・病理学的にも効果があるというのとは別の話だけど。抱擁オークションとはカンケーなくなってしまいましたが。抱きしめたくとも抱きしめられない、というパターンだってあるでしょ。ハグなんて概念は日本人には似合わんよ。いやまじで。それ、何かをごっつい曖昧にしてる。みんな温もりを求めているのはわかってます。社会全体に温もりがないことの証明みたいな風潮だろ、それ。
posted by 浪速のCAETANO at 03:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界・地球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月14日

夏・爆裂直前。

 こんな時、日本の宗教者の方々はいったい何をなさっておいでか?イギリスにおいてはユダヤ・キリスト・「イスラム」教徒が テロを批判する共同声明を出している。
 
 どうやら、自爆テロの疑いが強いらしい。ただ、今回の大英帝国の衝撃は被疑者が「born & bread」といわれる、国内で生まれ育った人間である可能性が高まってることだという。
 
 テロリストたちの「宗教戦争化」の思惑をイスラムの人々のすべてが歓迎してはいない。間違った解釈を正すことはやはり内部、すなわちイスラム教徒自身の手に委ねる他ないと思うが、たとえば、仏教界の方々もテロは道義的にいけない、というメッセージを発してみたりしたらどうだろう。当事者ではないから「ナイーブ」を決め込んでいるのだろうか?

 梅雨ももう明ける。今年も猛暑だ。日本の夏はやっぱ特別あついですね。この時期から8末までは、ぼくの場合はなんだか「ぶわーーっ」と過ぎていく。何を頼りにやっていこうか、思案中。
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2005年07月10日

テロの進化、テロリストの学習

 ロンドンのテロは、この国のニュースとしてはJR西日本の被害者より犠牲者少ないわ、ぐらいの感覚なんだろうな。次は日本かもしれない、という話はさほど一般レヴェルのそれではないみたいな気がする。
  
 イギリスの意味ってぼくらがコドモだった頃はアメリカと並んで外国の代表みたいなことだったのが、今じゃフランスやスペインぐらいの認知度になってる感がある。日本人の意識の中でもアメリカは突出してるってことかな。

 見えてきたことがあって、それは手法のマルチ化と、手段の目的化と、アルカイーダのネットワークのグローバル化だ。

 自爆テロじゃないことがひとつにある。伝統的イスラムの方法ではない。今回は誰かが殉教して英雄になるわけでもない。明らかに以前のイスラム原理主義者の手法とは異なる。そして地下鉄の複数箇所同時爆破。日本人なら地下鉄サリン事件をすぐに思い起こしたはずだ。

 世界のテロリストが手段にこだわらずにこれからはテロを起こすことになるんじゃないだろうか。テロを起こして成果があがって初めてビンラディンに認めてもらえる、というシステムができあがっているという。これからはイスラムに限ったことではなくなる気がしている。今回もIRAの関与が示唆されている。

 大きな流れとしてはなんだろう。お金持ちvsびんぼー人だろうか。

 ビンラディンがどれくらい日本を憎んでいるかは計りかねるところではあるが、宗教的な憎悪はそこにはないはずだから、お金持ちvsびんぼー人という構図をもっと鮮明にクローズ・アップしないことには、大義がなりたたない。あるいはアメリカに与したことに対する「見せしめ」の意味なら少しはリアリティがあるかもしれない。

 そういう意味では、ヨーロッパのキリスト教徒を狙うより先に日本に何かがあることは予想しづらいが、ある意味予告されている、イタリアやデンマークでテロが起こってしまった後には少し怖いことになる。

 マッチョのふりして、外に対してカッコつけて、自衛隊まで派遣してしまった小泉くんは、自分の任期が切れるのとなんか起こるのとどっちが先よ、と内心びびっていると思うが、反発を強める韓国や中国のこともあるし、北朝鮮の核開発のこともあるし、北の核が開発された後に韓国と統一がなされるなんて悪夢も現実化することも可能性あったりするわけで、そのうしろには21世紀の超大国中国がいたりしたりするわけで、政治も芸能ニュースも音楽も文学も閉じきってる日本のばかばかしさにヤル気なくなってるほくらをさらにヤル気なくすようなどーでもいーよーな、郵政の話なんかより、もっと大事なことをやってよー。

 テロリストたちは過去のすべてのテロをデータベース化完了しちゃったんじゃないのかな、という感想をもった。ロンドンのテロのことを考えてて。
posted by 浪速のCAETANO at 12:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界・地球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする