2018年10月29日

四万十川 amor

振り返ればそれは夢のような2泊3日だった。
美味いもんもあったが、食欲はさほどなく、まあ昼間はビールを飲み、夜は土佐鶴のパック入り(立山の普通酒に例えられるか、と)を敢えて店で飲み、寝る前にはコンビニワインを飲み、海を見て、チャリンコに乗り、川をいろんな角度(高さ)から見、風を感じ、暇なとき、まあ放ったらかされてるときだが、は翻訳を進め、だがそれ以外は遠くばかり見ていたから目は全然疲れないのね。

今日もどエラい疲れるだろうなと思っていたが、昨日店を早めに帰ったこともあり、さほど、だった。その後店長はエライ目におうてたみたいだが。不可抗力。

おれは「この時期のカツオ」が一番好きだ、ということも再確認した。長崎でヒラス食ったら言うてること変わるかな?わからない。

選んでもらった大方のホテルも良かったのね。南海トラフが動いた瞬間にあっという間に消滅してしまうだろうが。そのくらいの海までの距離なんだけどね。ホテルのやつに「いいね、この辺」とか言うと「うーん、しかし南海トラフが、、、」と言うてたけど。崩壊、と言う概念のリアルな象徴である南海トラフ、出来るだけ先送っといてよ、お願いだから。都会からの移住組もそこそこいたのも結構驚く。老後は漁村、というのは本当に悪くない。いざとなったらおれも実家がある。漁師にアメリカ行かずに生きといて欲しいけど。

12月でも泳げる海とか、あり得ん。黒潮エラいな。女の子たちがそっち方面カルいっちゅうのもこの期に及んで、ええな。答志島の寝屋子に象徴されるような南の海洋にルーツを持つ人たち、高知湾(土佐湾)あんだけ豪快に湾だったら大量に上陸しただろうことは想像に難くない。鹿児島、宮崎、高知、和歌山、三重、静岡あたりまで、同様のパーソナリティあるのでは。おれが文化人類学まだやってたら、女子の「カルさ」でfield workするけどな。

夢のように始まって夢のように終わった(実にactualにそうだったのだけど)四万十川周辺の小旅行だった。
posted by 浪速のCAETANO at 16:52| 大阪 ☀| Comment(0) | ツアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月04日

西の端から

 DAY 1 

 東北から帰ってきて一週間。今は西の端にいる。日本も狭いようでまあまあ広い。
??-14.JPG美しい日の出から始まる旅だった。めでたい。

 長崎は今日は「暑いぐらい」。桜もこりゃ意外に「お満開」早いのでは。旧友たちと「花見」しようよな・と言っていた。約束は守れそうだ。

 死刑囚が3人、本日死刑執行された。あのさ、被害者の「報復感情」はわかる・とは簡単には言わないし、言えない。ただ、死への恐怖と死までのおよそ15分間、死刑囚の人々を苦しませる「必要」がほんとにあるのだろうか? 逆に言うなら被害者は、その15分間の加害者の苦しみで「気が済む」のだろうか? おれは当事者ではないから、そこんとこどうこう言う筋合いはないのだが、「国が被害者に替わって」執行する死刑の・その犯罪同様の「残酷さ」には「おえー」となる一人です。国による死刑というより「国家による殺人」。愛する人を無惨に殺された・とした場合、今のようなことが言えるかという自信もないが、だからといって、「粛々」と書類にはんこで、「死刑!!!@こまわりくん」(ふざけてすいません)というのが、その現場における・おそらく「想像力の欠如」がなにかしらやりきれないだけなのだ。

 五線紙を買いにダウンタウンまで出て、ついでに昼メシは「決めていた」。ボルドー亭でトルコライスを喰う。まあまあ。ただもっと旨いのがありそう。ちょっと「トルコライス行脚」してみようかな・と思ってる。この地に神崎君と言って「トルコライス・マニアックス」というブログをやってる、延々長崎各地のトルコライスを喰っちゃー・アップしてる「トルコライス・バカ(失礼)」の方がおられまして、すごいの・彼。

 トルコライス・バカ、なんちって。面識は・なし。だはは。

 おれごときが、どうこう言うより、トルコライス マニアックス turkishrice-maniax.ks-depots.com/です。ぜひ訪れてみてください。
??-13.JPG@ボルドー亭。トルコ「風」ライスといいます、なぜか。

 さて、本日の晩メシは、鰤三昧、腹身の炙りがいかんなあ・ヤバいなあ・食い過ぎちゃったなあ・鰤だけで腹一杯ってのは「倫理的」じゃないなあ。15kgのやつなんだって。それがどう・っちゅうのがおれはようわからんのだが。しかし、炙りは・反則・タイガージェットシンの狂気凶器攻撃。

 明日は「ヒラメ」だという噂。カルパッチョに一部強奪する予定。

 DAY2

 本日・長崎市は19℃。あの・こないだまでのおれの家の「なんだかしらん寒さ」がウソみたい。しかし、もう春分はすぎてしまったのであって、これからは間違いなく「夏」へと向かうわけだし、気が早いがもう「南部・目指し」ちゃおかな・ぐらいの「気分早漏」のおれなんかはもうすでにアタマの片隅にそんな部屋を準備してしまった。

 
 東国と九州連合に対して朝廷・西国と結びつく東北、これが中世にしばしば見られる政治状況なのだけど、その際の東北の中心とはどこかというなら、それは「平泉」なのだった。奥州藤原氏の本拠・平泉はその「豊富な資源による資金力(主に金)」を背景に、約100年間の栄華を誇ったのだった。そのアイコンが「中尊寺金色堂」なのだが、その金ぴかは、下心のない金ぴかなんだね・京都の寺なんかとは異なり。金がほんとに「豊富」にあった場で、「ただあるからそれをふんだんに使いました」というようなもの。もちろん金の価値は当時も「ものすごい」というのは、今と同じだけど。

 もともとこの金色堂は葬堂である。阿弥陀堂。阿弥陀如来がご本尊。死後、人が行く世界の極楽浄土の主である。ただ、ここには今の(おそらく当時も)感覚ではかなり「おそろしい」ものが在る。それは藤原三代の「ミイラ」なのだけど。

 ミイラってのは、仏教とは何の関連もない。これは蝦夷(えみし)の信仰である。いや蝦夷というより、仏教が入ってくる前の古墳時代・大王が死んで、その際その妻が行う「モガリ」を連想させるし、一部のアイヌが行う、首長の死に伴ってその妻が毎日死者の身体を洗って、もうズバリなのだが「ミイラ」にするそのような儀式があってそれ「そのまま」ぢゃん・ということになる。やっぱり蝦夷は縄文と極近い概念でもあり、文化を担う人々というのはほぼ重なっていると言ってもいいのでは。間違いないだろうね。

 奥州藤原氏の初代藤原清衡は当時の院・白河、鳥羽とうまいこと・やりながら、朝廷と東国・東北とのパワーバランスに細心の注意を払いつつ、平泉に理想郷を作り上げた。100年も・ともたった100年、ともモノは言い様だが、その100年は、後の鎌倉幕府のプロトタイプとも言える。だって武士の政権ってまだなかったですから。

 源義経は奥州藤原氏三代目秀衡が匿い、そして秀衡は義経を大将として頼朝とも闘う気満々であったのだが急死する。四代目、泰衡はかくまっていた源義経を差し出すことを頼朝に求められ、苦渋の選択を強いられ、義経を殺しその首を頼朝に差し出すことになる。しかし、頼朝はそれで泰衡を許さなかったのである。マキャベリズムはそんなことでは妥協などしない。頼朝は平泉を攻め、奥州藤原氏を滅ぼす。

 しかし、宮沢賢治が言っているのだが、賢治は頼朝を「大泥棒」と呼び、そしてその大泥棒は平泉の文化には触れ得ていない。なんだか触ることのできない「品」に気後れしたのだろうか。おそらくそうだろう。武士ではあったが、朝廷の貴族よりもお金持ちで、絢爛豪華な文化と阿弥陀如来に包まれたその王国を見たとき、がさつな坂東武士には、なにかしらストッパーが働いたのだろう。ベースに異なる哲学をもつモノを見たとき、頼朝はそれを破壊するほどには超がさつではなかった・ということかもね。

 毎晩、晩飯がサカナ三昧で、一昨日は鰤、昨日は鰤と伊勢エビ。一昨日の酒は浦霞、昨日はガヴィ、ここはおれの担当。昨日は「また鰤かよ」ということになって、じゃあ・カルパッチョにしようか、そして伊勢エビも刺身だけじゃ芸がないなあ・じゃ二匹はボイルで、味噌部分をアーリオオーリオ仕様にして、上にぶっかけようぜ・って話になり、ここもまあおれ担当。
??-10.JPG鰤のカルパッチョ・鰤の炙りと鰤・伊勢エビお造り・いろんな新鮮すり身のおでん風・伊勢エビのアーリオオーリオは撮るの忘れる。

 チカオちゃんの寝たきりになってしまったおかあちゃんのために「浪速のカエターノ」お茶の間ライヴ。届いたのでしょうか?

 後は、親たちと「同じ空気」を吸っている。何も特別なことはせず、まあ一緒に桜を見ながら、買い物に行ったり、川沿いを歩いたりしているだけ。それをやるためにここにいる。時間はまあまあゆっくり流れています。

 DAY3
 
 急遽、レントゲン部長と番長とで花見。連れて行ってもらった場所がとても良かった。大村湾を見下ろす丘に咲く巨木の桜が7分咲きだった。海が見えるってのがかなり良く、それは長崎ならではの花見だな。生憎やや風が強く、大村湾は「ラ・メール」の凪ではなかったけれど、いや・しかし、「ここで死にたいね」と思いました。死ぬ場所・とは「最も安楽・な場所」という意味である。海と桜の取り合わせ、暖かい空気、赤ワイン、そんなコンディションでね。
??-7.JPGお見事!!!
??-8.JPGラ・メール+チェリィブロッサム
??-9.JPGMEUS AMIGOS IMPORTANTE
??-6.JPG穏やかな「うちうみ」だった。
??-5.JPGばかだった。

 そこからレントゲン部長宅まで戻り、途中牡蠣をアホほど買って、もうなんかわけわかんない宴会状態となり、「右翼がー」「左翼がー」みたいな話になり、ばかトドムンド状態におそらくおれはなっていたのだろう。幸運なことに「覚えていない」。家に帰ったら「笹川先生」の本をレントゲン部長から借りていた。なんなんだろ?
??-3.JPG喰い散らかす。

 さて「俘囚」の話。朝廷は多賀城を造り、胆沢城を造り、徐々に蝦夷(えみし)を北へと追いつめていくのだが、征服された地域の人々は「捕虜・奴隷」となる。それが「俘囚」である。そして、その俘囚がまた次の蝦夷との戦いの「最前線」へと投入されるわけである。同族に同族を攻めさせる。悲劇・だなあ。

 ちょっと時代は遡るが、まだ日本が日本ではなく「倭」国の時代、大打撃を受けたの。元寇なんかよりももっと酷い打撃。これも我が国の伝統かとも思うけども、わざわざ他所の国まで出かけていってそこで暴れる・というやつですけど。それは「白村江の戦い」ですが、もう滅んでしまった百済を再興しようとわざわざ、朝鮮半島まで船を連ねて、唐・新羅連合軍と闘った。結果はご存知のように「ボロ負け」だった。中大兄皇子とその母の斉明天皇の決断なのだけど、なんかこれ、おかしいよね。なぜ滅んでしまった百済のためにそこまですんの? って思うんだが、それは中大兄皇子とその母の斉明天皇がかなりの百済シンパだったことの証明でもあるし、百済人だった、という説があるほど。藤原鎌足もそうであった・そんな説さえある。

 余談になりましたが、それまで「倭国」というのは、いわゆる「弥生人」「渡来人」の国で、その範囲は朝鮮半島南部からまあヤマトまで、広く見積もっても今の愛知ぐらいまでだった。そのわざわざ攻めに行ったあげくの大敗北によって、もうそっち方面に領土を広げることは無理になった。それから、フロンティアは東になったわけよね。東国・そして東北、要は同じ国土に住む「別の民族=蝦夷」を攻めようということになった。その初代「征夷大将軍」(この字が「すべてを物語っているが」)坂上田村麻呂が最初に築いた前線基地が「多賀城」だった・ということです。そして、その際には俘囚が最前線に投入され、同族との戦いを強要された・ということなのだった。

 ここ長崎に来て、厭なことを耳にした。市議会は「がれきの受け入れ(福島ではなく宮城・岩手からのもの)」を決定したみたいなのだが、いくつかある被爆者の会がその受け入れを拒否しているという。「なんだ・それは?」とおれは思ったなあ。放射能に対するアレルギーは広島・長崎が最も強い。それはよくわかるのだが、この国難に臨んで、福島でもない県のがれきを受け入れ拒否ってなんやねん。長崎は、みなさんもうお忘れかと思うが長崎大水害(昭和57年)、さらにはもうそれ以降の巨大災害頻発で上塗りされてしまった感があるが「雲仙普賢岳」の大噴火もあった。そんな際に、やっぱり他府県からの善意の恩恵に与っている。被害者の・なんというかなあ・その立場からの「原理的主張」がなにかしら時代とそぐわなくなってるのではないか・そんな風に思う。おそらくその「原理的主張」による既得権益があるのかな・なんて勘ぐりたくもなる。こんなときこそ、つまんないエゴはちょっと脇に置いといてー、長崎・広島が率先して、そういうことをするなら、他の自治体にも刺激になり、おそらくもっといい国になる可能性がそこにないか・と思うのだ。今・最低なんだから。今とは違うことをしないと。ま・こんなことを言うと、橋下くんへの「余地」を与えちゃうことにもなりますけど。

 DAY4
 昨日の飲み過ぎにより、一日中死亡。赤ワインとええ肉を使った肉じゃがを作る。パパ・ママにも好評。最後は親父・メシに乗っけて喰っていた。こらぁっ!!!糖尿病。
 
 DAY5
 昨夜の早寝により早起き。
 ではあらためて、三人で花見行きましょうか・ということになる。なんやかんや買って桜を見に行く。3年前は、お袋が料理していたが、まあこれも時間の流れ。親父はエビスビール、おれはコノスルのカベルネ。まあワイン一本空けたぐらいからおれもチョーシ出てくるのであって、いろいろ寺山絡みの話の「取材」を敢行する。もうしかし、やっぱし、おれは寺山とうちのおばはんの「純愛」を書きたい。これはもう「純愛」としかいいようがない。あんたらは「平安貴族か」とつっこみたい。「LOVE LETTER」が「詩」ってなんなのよ、一体。そんなことをお袋と熱く喋っていたら親父は食い過ぎて「犬のように」寝ていました。その後、起きてアイス喰うとったが。 
??-2.JPG家族との時間を彩る花だった。

 桜から帰ろうとしているとマー坊から電話。よーし、最後の友人たちとのいい時間を過ごそう。いや・あのね、おれも普段遊んでるように思われてるが、このおよそ30年間以上、ずっとなにかしら働き続けて来た。こんなに「休み続けた」のは初めて。でも休む意味もありますね。意味は確かにある。

 DAY6
 さて、そろそろ仕事モードに戻ろうか。って戻れるのか?
 戻れるさ。ほんまにぃ?
 こっちきて、というか東北でもそうだったし、新潟でもそうだったのだが、すべての「地方紙」になのだが村上龍さんが連載をしていて、それは「55歳からのハローライフ」という小説なのだが、ちょうどおれが村上市に〆張飲みに行って、その前に佐渡へ渡るときに拾った新聞に於いて第一話がスタートしたばかりだった。長崎新聞では「村上龍」「吉田修一」という豪華な連載である。なんか、おそらく大阪や東京にいると、地方のことって見えにくいのだけど、確実に地方は地方で、それが全国版になろうがなるまいが、そこに人が生き、そしてそこにはそこの文化があり、東京発信ののっぺりした情報ですべてが上塗りされている感が大きいけれど、そんな日本っていびつだな・と思わざるを得ない。さらにいうなら、街の規模と人間との相対的な関係を考えると、地方都市の「無理のなさ」って悪くないな・と思えてくる。

 北から西まで「振り幅」の大きな休みだった。何かを学んだつもりなのだけど、それがなんなのか・今もやーっとしている。まだよくわからないが、物事を正面からばかり見ていてもその一面性しかわかんないですよね。それを右や左・上や下から見ると「全体性」にリーチ出来るようなものかなあ。おそらく、もうすぐわかるのだ。

 網元は本日から「月夜間」のために仕事は休みである。昨夜は網元、おれを拉致しつつも、あれやこれやアテを作ってくれながらも八海山の一升瓶を残して先に寝てしまいやがって、ほとんど面識のない・酒の飲めない・しかしさばけたヨメと長話をしてしまった。LAにいる娘には子どももいるから、すでに「おじいちゃん」だ。なかなか複雑な気分になるわけである。ひーおじいちゃんの可能性も大・なのだった。さらに複雑である。
??-1.JPGこんだけ作って寝やがった。

??-11.JPGMEUS AMIGOS IMPORTANTES

 うちの庭に「瓶(かめ)」が何個かあり、ひとつの瓶には金魚がいた。残りにはメダカがいた。奥の方に隠れてて、ときどき水面近くまで顔を出す。かわいい。お袋によると水道水ではあかんらしい。雨水を溜めている・と言っていた。「どこで取ってきたん」と訊けば「買うてきたんやんか」とのことだった。10匹350円なんだって。庭には幅1mで長さが5mほどの縁側があり、そこで月見がしたいものだ。金魚の泳ぐ瓶に映る月なんてのも、小さなしかし奥深い日本的洗練がそこにはありそうだもんね。

 近しい人々へのスーヴェニールを買いに長崎駅前へと行く。風が強い。そして昨日までと打って変わって寒い。寒冷前線が通過して日本全国大荒れの天気である。この風で桜は散り始めていた。いい時にいたものだ。これから大阪へ帰って「第二回花見」です。8日の日曜。今回は「目線は犬より低くはない」予定です。

 明日・というか4/4(水)は心斎橋Tentenにて、ユウミ姫とライヴ。20:00、2000円(foodあり・焼き鳥屋さんですので)。
 4/8は店の花見@中津公園ですね。お昼ぐらいからかな。
 4/11(水)は師匠・リチャード・トムプソンのライヴ@Blue Note
 そして、4/13(金)はマルタニカズ=浪速のカエターノHOST LIVE@SUN HALLです。
 カウボーイズはじめ、ボサ姫・バカテクギタリスト、インクレディブルなピアニスト、ソウルフルなヴォーカリスト、とまたもや盛りだくさんです。18:30オープンの19:00スタート2000円(ドリンク別)、「春」のフード担当は「O Leãozinho」です。

 「もう・そんなんええ」っちゅうのに、「帰りながら食べなさい」とおにぎりを無理矢理持たせられるのだが、しかし、それはまたコンビニのおにぎりとは何か決定的に違う「滋味」溢れる味だったりする。付属のぬか漬けがたまんなかった。

 朝だからかな、大阪はひんやりしている。中津公演の桜・まだまだだねえ。これから「春」ね。昨日のが「春一番」とするならね。
 

 
 

posted by 浪速のCAETANO at 06:50| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月26日

一転・奈良へ

 賢治の次は修司。

 奈良へ。

 雨が降っていたからクルマで行く。

 「コムゴン」にて昼メシ。フーティウと煮豚と高菜ごはん。いつものように、パクチーとのこぎりコリアンダーで責める。責める・って言うが自分で自分を「責める」。

 「いち」へ。

 いやー、しかし、なんというか、過去のことを「あなた・正直に話しなさいよ」と言われておれは話せるか?と自問自答してしまったのだが、「関係者がいなくなれば・・」とかいう条件付きなら・なんてことにもなるんだろうな。

 なかなか難しかった。しかし、何かを「隠している」のではないか・そんな気もまだする。「失うもの」を持っている人はそこらへん・難しい。気を悪くされると、情報源がなくなることにもなるから、「こっらぁー」とも言えない。言わんけどね。

 もう少しの時間と忍耐が要るな、と思えて、今日のところはこれで引き下がるしかないな・と思った。機会があれば次回。いや・機会はあるでしょう。

 風呂も入らず、旅館で寝る。

 旅館の朝メシが久しぶりで、楽しみにしていた。なんつうことはないものでも何か「特別」な感じってないですか、旅館の朝メシ。

 あぶなかった。アホの三杯メシ寸前で、ストップ。自制が効いた。アホ寸前の巻。

 で、旅館を出て、ひさしぶりに「あそこ」へ行こうと思った。

 天理市役所を東進すると、それはすぐなのだが。

 みなさんは、日本書紀のことをどう思われているのだろうか?

 国の「正史」である日本書紀。まさか180歳の天皇が古代にいた・なんてことを信用しているのだろうか?

 津田左右吉氏の言うような「うそぢゃ・そんなもん」という意見もある。

 どちらも「極論」のような気がしていて、ひとつひとつの真実はその両極を含むSomewhere in betweenなのかも・ぐらいのスタンスがよいのでは・という気がしている。もちろん、架空の人物多し・なのだけど。

 その正史である日本書紀(古事記でさえも)が無視している人物がいる。いや・無視ではないな。その存在を「神として」認め@古事記、またニニギノミコトとは別系統で「降臨」した物部氏の祖として描かれている。まあ霊長類の進化でいうなら「ネアンデルタール人」のような扱いをされている。それが「ニギハヤヒ」と言われる人物である。

 『先代旧事本紀』においては天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)と呼ばれ、下線部注目していただきたいが、彼こそがリアル「太陽神」ではなかったか・という説がある。天照大神は女性ですからね。オトコの陽・オンナの陰、ことわっておくが、これは古代も古代の話で、今の法律・風俗・感覚、そんなものがなかった時代の話なので、フェミニストのおばちゃんに「なんやとー」なんて言われたくないです。

 そのニギハヤヒなる人物、実は「スサノオ」もアマテラスの弟ではなく・実在の人物とする説があり、そのニギハヤヒはスサノオの末子であるという。当時は「末子相続」だったのね。

 日本書紀も「ある意味では」認めているニギハヤヒの降臨、そしてそれが物部氏の祖・なる人物で、畿内の最初の「都・的なるもの」が天理近郊に出来た・という説、そして物部氏が古代の神道・そして戦・を司る氏族であったという事実、それを考えていくなら、つまり政治が「政(まつりごと)」であったことを考えるならば、ニギハヤヒが最初の「大王」そしてその後「カミ」となった・としてもあんまり噛み合わせわるくないのね。

 古事記によれば、神武を生駒で退けた「ナガスネヒコ」の信じる神がニギハヤヒで、しかし、神武が熊野から攻め上った際には「はい・どーそ」と権力を譲り渡したりもする・なんか「人のいい神」だったりもする。ここんとこ、「お話」なのでにわかには信じられないとこだが、「お話」を作る側が記紀ともに「どうしてもその存在を無視できなかった」という事実は「ニギハヤヒ」の存在がリアルだった・ということにはならんのか・とおれは思ってて、記紀神話というのは、ニギハヤヒの系列に「接ぎ木」をして成立させようとしたのかな・とも考えられる。あまり上手い接ぎ木ではない気がするが。

 その後、本格的な「都」といってよい纒向遺跡の(3世紀初め・これがヤマト王権だとされている)・神は三輪山であったが、そこにその後神として祀られた「大物主命」とはニギハヤヒ・その人である・そうも言われる。

 神武=崇神とする説が今はほぼ常識となっていて、九州から「神武=崇神」とされる人がやってきたとしてもそれはその後のことで、さらにその後、応神・仁徳の河内王権によって再度、上塗りされるわけだから、この場合の上塗りは「征服」ということだが、王としての「万世一系」はすでに成り立ちはしない。それと、現代に於ける「天皇」という人の立場と価値はまた別であるとおれは思う。人はみんな・極論「右翼でも左翼でも」あるんぢゃ・ね?と言っておく。

 さてさて、そのニギハヤヒを「祖」と頂く、物部氏の「石上神宮」なのだが、「神社」じゃないのよね「神宮」である。こんなことから、いろんなヒントがぽろぽろ。「伊勢神宮」「明治神宮」・んでもって「石上神宮」、明らかに、これは「天皇・あるいはそれに値する人物」との関連を示唆する。そう思えます。

 そんな石上神宮へ、ぴゅー・っと。何十年ぶりなんだろう。近くにありすぎると・なんかな、ってのの典型。
photo.jpgphoto_1.jpg参道〜鳥居・見たらわかるか。

photo_5.jpg本殿はなく拝殿のみ。この後ろが「禁足地」とされ、それが本殿の代わりである。

 それから梅でも見るか・と月ヶ瀬と向かい、月ヶ瀬で風呂入り、R163を大阪まで走る。久しぶりに走った。寒かったから屋根は閉じたまま。もうすぐオープンにできるだろう。

 でも、あれですよ。R163を走ると木津川が、奈良への「交通」に多大なる寄与をしていたことがよーくわかる。当時の水上交通の価値がよーくわかる。
photo_8.jpg月ヶ瀬梅渓へ。

 月ヶ瀬への路はアップダウンが心地よく、五月山走ってるみたい。楽しかった。楽し過ぎて、ミルクマンの映画トークに間に合わず。ごめんね。

 こう考えると日本人って、過去のことなぁんにも知らずに、目先のことに追われて生きとるな〜・と思うわけだった。それが一般的と言うならそうなのだが、それでいいのかね。まあ、おれも目先のことに追われまくられてるけど。

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 13:03| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月24日

奥の細い細い路 Numero3

 
 DAY5 「賢治の街で」

 シミちゃんから、東京飲みを誘われるも、嬉しいんだけど今「フィールドの徒」であるおれは、ポジティヴに断るのだった。4日間お世話になった大沢温泉、ありがとうございました。でも帰る前に、もいっかい露天。風呂がフィールド、風呂もフィールド。
photo_19.jpg温泉人類学があってもいいぢゃないか!!!
photo_20.jpgおれたちの日常ではありえないものね。


 しかし、善き日々だった。こんなに「非生産的」で、さらに「心も痛まない」そんな日々がこれまで何度あったろうか。今までになかったことが、今あるってことは何かが今までとは違うってことだよね。まあ、個人的なことだけではなく、全日本的にも何かがもう違うわけなので、「違わないのは」ヤツらだけなので、こっち側がノーマルなのよ。

 シャトルバスで花巻駅へ向かう途中、この・今見てるものは「おとぎ話」なのではないか、とずっと思えていた。思ったのではなく、思えたのだ。おれはヴォランティアをする時間もないし(あったりして・だはは)、それは自分がやらずともと思う。自分が出来ることは、東北のハードの復旧・復興ではなく、東北のプライドの復活に末席ながら貢献することでは・と思う。それなら実に参加したい。末席を汚したい。実際に、上方の人間が「憧れ」を持っていたあの東北は別に今も・その東北なのだった。東京中心の変な「ヒエラルキー」もどきが、日本人にミョーな階層意識を作っちゃってるのだ。メディアが、その元凶だと言えるが、それを受けいれる変なお人好しも日本人の中にはある・と思う。

 花巻に戻り、本日は「賢治の日」にしようと思っていた。天気は晴れ・気温は3度(ちょっとここきびしいとこながら)、手段はチャリ・レンタサイクルである。

 ちょっとした事件・でもないけど、あった。くそ重いサムソナイトをコインロッカーに預けようと思ったが、一番キャパがあるのが全部「お仕事中」であった。そこで花巻駅の「みどりの窓口」と「検札」を兼ねてるような駅員さんの所に行く。昔のJRには手荷物預かりってのがあったよね。それがないか・と尋ねるならば、その駅員さんは「ない」と言う。では「預かってくれないか」というとその駅員は「預かれない」という。「そこをなんとか」というとそのアホ駅員は「預かれない・ということになっている」。カチンときた。「ということになってる・てなんやねん」「その官僚的な物言いが気に入らんねん」「せっかくこれから賢治記念館へ行って花巻がこんなによかった・みたいなことになるかもしらんのを、その入り口で、お前がそんなクソ官僚みたいなことで、花巻サイテーにすんのか」「ファックやファック」とエキサイトしながら言っていた・気がする。チャリだから、重たい荷物はだれか・どこかにお預けが前提だしね。
photo_12.jpgこやつがクソ重かった。

 もう、「ということになっている」に、おれはぶち切れて「なぁーにが、ということになってるじゃ・ぼけー」みたいな独り言オトコになってた・気がする。「お前みたいなボケが街の復興を妨げとんじゃ」みたいなこともひょっとしたら言ってた・かもしれない。

photo_21.jpg本日の相棒。内装3段変速・一人力。「イーハトーヴ号」なんて名付けたくなる。→ミーハー。
 
 なんとか、観光案内所に荷物を預かってもらい、チャリを借りて花巻駅から北東に向け出発した。北上川にはすぐに当たり、「イギリス海岸」でぼけーっとする。まだこの時は、名所旧跡探訪おとこ。

photo_20.jpgイギリス海岸にて(1)
photo_19.jpgイギリス海岸にて(2)
photo_18.jpgイギリス海岸にて(3)
photo_15.jpgイギリス海岸の少し上流。北上川そのもののダイナミズムがいい!!!

 そこから、宮沢賢治記念館への路はなかなか遠かった。頼みにしていた陽射しがぱたっとなくなり、雪になる。で、なんとなく方向はわかってるつもりで、会う人会う人に「どこらへん?」と尋ねると、大体のことを教えてくれる。そして最後に「坂を500m上がんなきゃ」と「フフっ」と笑いつつおっしゃる。「自転車は無理よう」とも。

 若干迷ったからか、小1時間ほどかかり、麓までなんとかきた。みなさん同様におっしゃる坂まで来た。そこをさすがに三段内装変速の一番カルいヤツでえっちらおっちら上る。「ま・そらまあまあ・きついな」「ま・チャリでは若干無理あ・る・よ・・・・な」と上ると駐車場に出、そこは宮沢賢治童話館で、いろいろあるのね、イーハトーヴ館とかさ、しかし目指す「記念館」は「そこからさらに500m」ってのが真実でした。その坂はほんとに急で、「あ・これ・ほんと・むりね」でした。
photo_16.jpgこれぜったいむり・ね。


 実は、丸4日のおこた&風呂の生活で足がイんでた。500mの出発点に「なめとこ山」というズバリなそば屋が「鴨つけざる」と看板を出している。ハラも減っていたし、はいっちゃおか・と思うのだが、「映画の前のメシ」の教訓を思い出して踏みとどまる。集中力なくなるのね。寝たりとかね。とにかく「記念館」first。でなけりゃ雪の中走ってきた意味がない。はーはー言いながらも500m上ると、手前に宮沢賢治記念館・さらに奥には新渡戸稲造記念館もある。そして「山猫軒」というレストランもある。また人を惑わせる〜。


 宮沢賢治記念館は「実に・非常に・素晴らしく」おれは1時間以上いて目を皿にしてすべてを見て回った。ものすごく刺激的だった。家にあるものをもう一回読んでみようと思うし、もう賢治全集はこれこそ「大人買い」するしかないな・と思う。これこそ21世紀のバイブルかもしれない・とまで思う。ほんとに素晴らしい宮沢賢治記念館へ、500m上って行ってみてください。まああまりにも遠いのだけどね。まあ、アナザー熊野詣でだったかな、おれにとっては。聖なる土地にはね、カルく行けちゃいかんのよ。これ・絶対に真実。


 ちょっと放心状態になって、ふらふら「山猫軒」へと吸い込まれ、知らないうちにカツカレーを注文していました。お味は、そこそこ、でもいい。山猫軒だから・と、えこひいき。でも地ビールは旨かった。いやカレーもそこそこ・よ。そこから500m下って、新渡戸稲造のことも忘れ、「なめとこ山」のことも忘れ、下って気づき、でもまあどっちでもよく、チャリでまた花巻駅まで戻るのだが、この帰路がこれがまた向かい風の吹雪で、なんかチャリが進まんのね・前に。一番カルいギアにしないと漕げないほどの吹雪なのであって、足も弱ってたのかなあ、しかし、大変な7kmでした。帰りに「羅修地人協会」を右手にちら見しつつも、寄ろうなんて気にはなれず、ただただ、花巻駅を目指した。

 雪まみれ・だったのだろう。レンタルチャリ屋のおばあちゃんが「あっらぁ・寒かったー」と迎えてくれました。100円まけてくれた。こういうのにツーリストは弱いわけよ。聴いとるか・花巻のボケ駅員。荷物を取って、けんじライナーの時間を確認し、ポケットの中のチケットを探すが・ない。「ん?」で、思い出す。宿から出るとき、こっちのポケットに入れてた紙類・全部捨てたな。あいたたた・だ。一緒に捨てたな・チケット。紙類の中に紛れ込んでたんだね。チケット捨てちゃいかんよなあ。じゃあJRで行くか。ちょっと待てよ。あのバカ駅員が改札におるなあ。なんとなく気まずい。どうする。で、「考える」。

 1)無視して改札通る。
 2)もう一回中指立てて改札通る。
 3)「わっはっは、さっきのことは水に流せ・わっはっは」と言いつつ改札通る。
 4)「お邪魔しまん・にゃわ」でにゃわ・んとこで駅員がこけてる隙に改札通る。
 5)アホの子のふりして改札通る。

 大まかに5つほどオプションを考えたのだが、1)はあまりに大人げなく、ツーリストとしてそれはいかんのじゃないか。4)は駅員が「よしもと」知らんのではないか。その場合おれの「ひとりよがり」になるおそれがあり、収拾つかないとまた暴れ・暴言その他さらなる混乱を招いたりすんのはやっぱツーリストとしていかんのじゃないか。5)は最後の手段だが、さっきあんだけぼろくそに言うといて、今度はそれかい・とおれが自分につっこみたいよ。

 で、オプション2.5)と言うか、態度はHARSHで言葉はMILD・という「高等戦術」でいこう。よっしゃ、それいただきぃ!!!と盛り上がりつつもハラを決め、東仙台までのローカル列車各停の旅2520円也の乗車券を購入し、バックをがらがら引きずりつつも改札へと歩を進める。中指を立て、チケットを改札機にスルーさせ、駅員の方を向くと「あれっ?」替わってた・おっさんが。別のおっさんだった。で、宙に舞うおれの左手中指なのだけど、しょうがない、着地は「鼻の穴」ってことで。中指楽勝である。親指だって入るぞ・おれの鼻の穴・だはは。

photo_13.jpg「生活列車・のローカル線、「鉄」ではないけどAMOR」

 あーあ・つまんないことでエネルギーを浪費してしまった。仙台まではローカル列車ゆえ、2度の乗り継ぎである。一ノ関で一回、小牛田で一回。小牛田は「こごた」と読みます。約2時間半。しかし、こんな時はその時間が贅沢だと思う。このスロウさがいいのよね。3列車とも見事にみなさんの足で学生もおばちゃんもおじいちゃんも乗っている。それでも不思議に荷物も置けて座れた。ワカモノのマナーはものすごくいいです・岩手県。本日は、ちょっとした好奇心から、ゲストハウスに泊まることにしていた。民間のユースホステルみたいな印象があって、そういうことも若い頃したことがなく、こういうの一人旅ならではかな・と思っていた。東仙台駅から歩いて15分ぐらい・ということだったから、まあすぐわかるだろうと高をくくっていたのだが、これがまた。

 着いた時間が6時廻っていてもう暗くなっていた。それでもiPhoneのマップを頼りにがらがら引きずって歩くのだが、なんだか着かない。30分ほど迷って、やっと到着。いたひとびとが一斉に「こんにちはー」と言うから、「おいおい、場違いなとこ来ちゃったかな」と最初は思った。温泉では髭も一度も剃らず、延々帽子かぶってたから、髪の毛もえらいことになってて、そしてもうどう見てもおれが最年長なんだね。しかし、最近の「アウェイ好き」がこういう場でもチカラ発揮したりする。そしてなんかみなさん、ご自由な感じなのよね。で、聞けば、北は北海道から南は宮崎、歳も10代から40代まで、国籍も日本人・韓国人・アメリカ人・フィリピン人と多彩。関西人も数人いて、すぐに「なんやおまえー」みたいなことにもなり、まあみなさんといろいろ話しているうちに、多くの人たちは「VOLUNTEER」に来ていることがわかり、おじさん徐々にみんなを見直す・の巻である。浪人・大学生・フリーター・建築士とそれぞれが、ちゃんと意識を持って来てるんだね。ある人たちなど、クルマで100kmのとこまで今日も行って来たということだった。明日も行くのね。多くの方々が、なんと言うか、非常に控え目で、必要以上の高揚感も感じなかったし、それが「英雄的行為」であるなんて自己陶酔もないし、ただただ余っているオノレのエネルギーを少しでも役に立つことに使えれば・というような印象を受けた。宮崎の女子大生は、VOLUNTEERの詰め所のようなところなら寝袋持参で600円で泊まれるのだがシャワーを浴びにここへ来てる・と言っていた。そのうちにみなさんと知り合いになり・みたいなことだった。あまりにもいろんな人がいるから、話も少しずつしか出来なかったが、帯広畜産の大学生は、イザベラ・バードに興味を持ったし、建築士の方は今まで知らなかった東北の歴史に驚いていたし、最初は「VOLUNTEER」ですか・なんて訊かれて「いや・温泉です」みたいな一人だけ非国民な感じだったけど、まあ自分がわかってることを話しているうちに、みなさんそれぞれでいいんだよね・持ち場持ち場で・なんてことになり、後は和気あいあい。いいトポスをつくられましたね、加賀さんご夫妻。今後の健闘をお祈りしています。また・機会あればうかがいたいです。建築士の藤田さんも「思っておられること」ができればいいですね。鎌倉の浪人生たちも来年は合格を。宮崎の女子大生・結婚はアセらずに。山形のバカ女の彼女・大阪貴方に合いますよ。ロバート・仕事がんばって。バスで一緒に帰るはずの彼・なんかバス二台時間差あったみたいです。みなさん・またどこかで遇いましょう。

 久しぶりの二段ベットでアタマ打ちながら寝ました。おもしろかった。@ゲストハウス梅鉢

 DAY6  「シーベルトの街」
 

 朝・出る時、加賀夫妻だけでなく、一階に居たみなさんが見送りしてくれました。ありがとうございます。貴方たちに幸運が舞い降りますように。

 仙石線の苦竹からJRで仙台駅まで行く。重い荷物をがらがら引きずりつつである。しかし、東北は駅は秀逸。おれのようなチョー重いもの持ってる人にほとんどストレスを感じないように駅が出来ている。いたるところにエレヴェーターがあり、もちろんエスカレーターもあるが、99%バッグを持ち上げることはなかった。転がしっぱなし。そして驚いたのは電車が到着してもドアは開かない。乗る人がボタンを押してドアを開ける・そんな仕組み。おもしろいなあと思ってた。さて、本日はpara福島である。おれの旅行・今回は(今回も?)イージーからハードへと移ろって行く。
photo_12.jpg本日もクソ重し。しかし、多くのエレヴェーターに助けられた。

 福島までは新快速の4人がけのJRらしい列車だ。やっぱ、これがいい。窓のとこにお茶とか置いてさ。こういうちょっとしたことが旅情にふくらみをもたせるわけよ。仙台福島間は新快速ってこともあってか約1時間。さあ・福島だし、やっぱり、比較することではないが、一番心の中にさざ波が立つのが自分でもわかる。

photo_11.jpgこのスタイルでないと切ない。photo_10.jpg

 福島駅は西口と東口がかなり遠い。地下通路を通るのだが、数百メートルある。西口にも東口にもスーパーや土産物・書店等たくさん店が入っている。仙台ほど大きくないにしても福島の街もなかなか感じがいい。東口からは碁盤の目に路が延びている。まず、本日もレンタルチャリを借りて出発・したのだが、走っているとニコニコレンタカーがニコニコで2525円で6時間という看板に出会う。発作的に「ニコニコで行こう」となる。手続きをして、チャリを預かってもらって、久しぶりの日本車である。ホンダのLogoだった。旅先ではなんでもいいんだもんね。ていうか、積極的に「頼むぜ・相棒!!!」である。
??-2.JPGFIAT UNOみたいな感じかな。乗ったクルマで言うと。「頼むぜ・相棒!!!」

 地図で見ると福島第一原発方面にはR114だということがわかる。おおまかな道筋をニコニコレンタのにいちゃんに訊いて出発する。奥州街道からR114への左折はどこかなぁ・と思っていたら、三叉路で「HOTEL114」はこっち・と←が出てる。こういうのいいね。東北の路の印象はなんとなく掲示が不親切なのだ。どうも「おれらわかってっから、そんでいいべ」って感じなのよ。いやいや・そうじゃなくってですね、初めて来た人間にもわかるようにしてください・お願いします。一度は自分のクルマで走りたいと思っている。

 そしてR114に入ると、この路がまたおれの「大好きな」路なのよ。田舎道ながら山越えあり、ストレートありのほんとに走りがいのあるっていうか、大阪で言うと「箕面」とか「亀岡」行く途中となんにも変わりなく、R168の五条から風屋ダム辺りまでとも似てて、違いと言うなら両脇に押しやられた雪の絶対量だけ・という、ほんとに走るのが好きなやつなら「たまらん」路だった。
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 その路が「福島第一原発」へと繋がる路だ・という事実に最初は複雑な、そしてしだいにそれは哀しみや怒りの感情へと移ろっていくわけだった。「南相馬」とか「浪江」とかいう、みょーに見覚え・聞き覚えのある・変に有名になった街の名が掲示板に載っている。途中には郊外の街にありがちなスーパーとTSUTAYAの入ったショッピング・モールがあり、そこはまだ「非難区域」ではないのだな・ということがわかる。小学生たちが高学年・低学年混ざって一緒に下校している。なんかものすごくいい子たちに思える。なぜ、きみらがそんな目に遭わなきゃいかんのか・と思うとやや感情的にもなる。南相馬との分岐を過ぎるとまるでクルマがいなくなった。その分岐で停まっていた時、うしろの軽には老夫婦が乗っていて、その後部座席はもので溢れていた。その老夫婦は南相馬へ向かって折れていった。

 福島から35kmということは浪江まであと15kmくらいだったと思う。そこは完全な「ゴースト・タウン」だった。移転や営業停止の貼り紙が目立つ。家には洗濯物も干してないことから、人がいないこともわかる。
photo_6.jpgphoto_7.jpgphoto_5.jpgphoto_4.jpg

 路肩に停めて、煙草を巻いていたら、前の家からおじさんが出て来て、不審そうな目でおれを見て、クルマで福島方面へと向かっていった。まあ一目見て土地の人間ではないとわかるだろうからどっちにせよあまりいい印象は持たれてないだろう。「この物好きが」みたいな。「このドロボーが」かな? パトカーが二台、浪江方面から帰っていく。他にはまったくクルマが走っていない。しかしね、そこにある風景とは、ほんとに無垢な田舎の風景なわけで、それはここがゴースト・タウンであるという事実との整合性にものすごく欠ける。だから、これが放射能の恐ろしさ・ということなのだね。もう少し行こうかとも思ったのだけど、ちょっと二の足が踏まれた。ゴースト・タウンがつづくだけなのだ・ということだけは、わかるからさ。Uターンすることにしました。
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 福島まで戻ると、大阪桐蔭と花巻東のセミ・ダルビッシュ同士のもったいない一回戦がニコニコレンタのTVでやってた。なんとなく花巻応援したくなってるんですね。そのときはまだ2-3でいい勝負だった。クルマを返して、チャリも返して、駅中にスーパー銭湯があったから、風呂入って、なんかカルく喰って・なんて思ってたのだが、「ちがうちがう」と思い直す。「地元の飲み屋」行ってない。チャリで帰ってくる時にメインの通りではない通りになんか惹かれる店があった。レンタルチャリのおっちゃんに訊くと、メインの通りを勧められた。一度はそっち行きかけたけど、こういう時は自分の嗅覚を信じるべきなのだ。で、おっちゃんの助言は却下。串焼きの店へと吸い込まれる。

 寒いから日本酒。浦霞・栄川・花泉とある。まあ最初は浦霞。昔よう飲んでた。懐かしい。そして旨い。串をいろいろ焼いてもらう。豚タンと鰻が旨かった。浦霞・あっという間になくなる。一杯目としてはこれほどつきづきしい酒があろうか。店の者たちにも原酒をおみやげに買ってある。貴重だよん。宮城の浦霞。酒造所やっと直ったんだからね。そして次は栄川(えいせん)の辛口という言葉に惹かれ飲んでみる。これまた・旨いっ!!!いや・ものすごく旨い。最初から最後まで飲み続けられる・そんな酒。三千盛をちょっと洗練しましたみたいな・と言えば想像つくだろうか。いやー・旨い酒・まだまだ知らないものがいっぱいあるねえ。うれしくなるねえ。もひとつおかわりして、どうも酒好きがバレたらしく(最初っからちょんバレか)、これ飲んでみる? とおちょこでもうひとつの花泉をテイスティングさせてくれる。そしたら・・・・これもまたまた・ものすごい旨いやんか!!!なんか、ずるい感じ。新潟といい、福島といい、「ほんとの酒どころ」の実力たるや、おそれいるわけだった。栄川と花泉はde福島である。そして、おれの悪口の矛先は灘へ向かう。ま・ほどほどに・ですが。これが今までの自分の旅だったなあ・などと一瞬懐かしくもあるわけだった。行った先々で店に飛び込んで、話してバカになって酔っぱらう。今回、そんなことはなかった。まあ「時代」が変わっちゃったからしょうがないが、でも、こういうのもないと寂しい・かなり。こんなんばっかりでも今やどーか・と思うが。でもないとやっぱ・いかんですね。

 福島ならではのいろんな話も聞けました。なぜ、中通りなのか。なぜ、浜通りなのか・とか、会津の特殊性だとか、東電のバカの失態とか。それはまた別の機会に・と思う。百数十年前に書かれたイザベラ・バードの著書とともに始まった、今回の東北への旅は収穫があまりにも多かった。いま、雪の露天風呂も浪江町へのR114もどちらも「夢」のような気がしている。最高の夢と最悪の夢・なのだが、実はどちらも「ド現実」なのだよね。おれたちは、まあ言うなら、イザベラ・バードの時代を引きずりつつも、P.K.ディックの世界を生きている・ということなのだと思う。そのどちらの世界にも溺れず、それらをすり抜けるもの、それは賢治の思想の中に随分いろんなヒントがあるように思えた。賢治の偉大さはあまりにも「とんでもなく」て、一言で言えるようなものではなく、しかし、それは北上川のあの場所がなぜ「イギリス海岸」なのか、なぜ「羅修地人」なのか、を考えることから始まるような気がしている。

 日本のことを考えるのに、もう東京や大阪は必要がない気がした。人を「変なもの」に変容させる変なチカラが働いていると思うからだ。熊野や東北を/から考える・そんな視点がますます必要になる・と思う。東北の人は控え目で真面目だ。熊野の人にも同じことが言える。そのパーソナリティはそれだけではないのだろうが。ただ、おれが知らないだけである。あの花巻の駅員のことをおれはくそみそに言ったけども、彼の中に「規則原理主義」と言った頑ななものを感じなかったのは事実だった。彼はただ、非常に融通のきかないまじめな人というだけなのだろう。融通が利きすぎるのも考えようだもんね。そうやって規則が形骸化していくわけで。恣意性の善し悪し。関西人はまあそんな人たちの集まりでもある。

 東北はチャーミングな土地だ。そして日本人の美徳がまだ充分生かされている土地だ。浪速のカエターノでも行きたい。もうこれからことあるごとに何度でも行く・とこゝろに決めてしまったのだ。<終わり>


posted by 浪速のCAETANO at 00:19| 大阪 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ツアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月23日

奥の細い細い路 Numero2

 DAY3 「混浴と地震と縄文が入り乱れ・・・」

 アフガンで10数人殺した米兵士。PTSDであった以外にも、リアルな「外傷」が脳にあったという説もある。そんなにアメリカの兵士供給事情が逼迫しているとするなら、つまりそんな兵士でも再度アフガンに戻さなければ「足りない」とするなら、もう無理・である。「オバマの戦争」はブッシュの戦争同様失敗・ということだ。ほんとに、どんな「大義」があろうが、わざわざ他所の国に他所のヒトを組織的に殺しに行くことの理由にはならない。STUPIDなことだ。ヤメてください。

 今・揺れた。9:36 最大震度4・岩手県沖。深さ4km・M5。木造だから音がけっこう。まだびみょーに揺れてます。しかし、1995年のおれたちが、なんとなく理解したように、「あの一番でかいやつよりでかいやつは」来ない・そんな認識がこちらでもあるように思う。

 昼メシは肉じゃがを途中まで作って部屋の石油ストーブにかけ、すき焼き風に卵で喰う。卵かったものの・なんにも使ってなかったのだ。で、赤を飲む。あんまり飲んじゃいけない。いや・いけなくはない。どっちでもいい。好きにしなさい。
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 露天風呂は混浴である。ようある混浴の現実として、「ああ・混浴だべ・しなびたばーちゃん、はいってるべ」とかよくあるが、本日、カップルが2組入ってきた。ばーちゃんもいたけど。しかし、そんなとき意外とどう振る舞うか、考えてしまいますね。おれ、タオルで隠したりすんのあんまり好きじゃない。しかし、上がるためにはカップル前を通らずに上がれない。そして、まあ考えたなあ。カノジョと混浴におれなら入るかどうか? これ・なかなかむずかしい。結論が出ないです。うーーん・どうするかなー、と考えてたらのぼせてしまって、お袋からもらった念珠もなくしてしまった。

 なんとなくチョーシ狂う・ってのが現実である。スーパー銭湯でありがちな、すべてを「放り出して」寝てるおっさんのあの状態が「風呂の理想」かとも思うから、そこをねーちゃんがチラ見しつつ通り過ぎるのもどーか・だ。しかし、ばーちゃんの「豪快な股間洗い」には先達の威厳を感じました。そこ・そんなに「特殊な」場所ではなくなってくるのかなあ。なんかその・すごい!!!畏れ入ります。

 こっちへ来てから、TVは見ないのだが、ひとつだけ「相撲」を見ている。大阪場所ってのが、また「へん」ではある。しかし、昨日今日と熱戦が続いている。特に幕の内の前半。今日は「大村崑」ちゃんが砂かぶりにいる。そしておれは髭を剃っていない。今・ほんと、どーでもいいから、なのだが、ヘアガムも持ってきていない。

 今・まぎれもなく「東北」にいるのだが、その広さを一カ所に留まりながらも感じている。それは仙台からの「けんじライナー」に乗ってる時間がただ一つのリアルな根拠なのだが、それと同じ時間をかけても津軽半島の先端まで行けるかどうか。「白河の関」はその歴史が蘇我氏の時代にまで遡る。当時、異人であり、敵であった「蝦夷(えみし)」の侵入を防ぐ目的であった。その後、多賀城が陸奥国支配の最前線となるのだが、意識の上で延々、「日本」と「蝦夷=辺境」を区分けする「場」であったはずだ。司馬遼太郎だったか、書いていた。東京(江戸)にとっては、東北は単なる「Hinterland(後背地)」で「田舎」に過ぎないのかもしれないが、上方の東北への憧れは、そこが「辺境」であるがゆえに募るのだ・と。けんじライナーでも途中、「平泉」に立ち寄った。中尊寺金色堂の平泉、奥州藤原氏の平泉だもんなあ。「藤原嫌い」のおれではあるが奥州藤原氏はちょっと違う。西行もその一族である。その西行の足跡を追った芭蕉の「奥の細道」が決定的かと思う。時は元禄・上方の町民文化が盛り上がった時だし。やはり、上方から東北への憧れというのは、フェチか・と思うほどだ。京都が都だったということが大きく、それが辺境への指向性「東北を目指せ」となったんだね。もうひとつは、イザベラと同様に「異族」との出会い・そんな冒険のニュアンスもあったのだろう。

 イザベラはアイヌと熊に関して言っている。
しかし、どうして彼らは熊を崇拝するようになったのか、その気持ちを理解することは不可能である。というのは、彼らは彼らの流儀によって熊を崇拝し、熊の頭を村の中に安置しておくが、また一方では熊を罠にかけて殺し、その肉を食べ、その毛皮を売るからである。この野生の獣が、無生物である風や雨などの自然力よりも彼らの気持ちを崇拝に駆り立てているのは疑いない。アイヌ民族は熊崇拝者として他の民族と区別することが出来る

 まさに「なめとこ山・・・・」だ。イザベラによるアイヌと宮沢賢治がここで「こんにちは」だ。

 熊祭りでは小熊の頃に捕えた熊(子どもの遊び相手でもあった)が大きくなると、熊殺しの儀式がある。みんなで襲いかかり、熊を絶命させると、頭を切り取り、武器は熊に捧げられ、その武器に対して熊の復讐を祈願する。そして祝宴の中、熊の頭を柱の上に安置し、礼拝(酒)を捧げる。そしてみんなが酩酊して祭りは終わる。

 別の人々は熊に数人が馬乗りになって殺す瞬間にこう叫ぶ「私たちはお前を殺すが、熊よ、アイヌ人になって早く戻ってこい」と。この「アイヌ人になって早く戻ってこい」、これですよね。

 「混浴の おんなはぶたで 雪崩起き
 「山際に 冠雪淡く 彼岸花
 
 DAY4  「雪の露天には雪割りがいい」
 昨日は、赤坂憲雄氏に三度遭った。大阪から持ってきた日経の夕刊、ETVの高村薫氏の番組での対談、そして梅原先生の文庫の解説。東北学の人。やっぱ、そっち方面掘り下げて行くなら、何かに誰かに遭える・ということだね。昨日はSAVVYの元編集長の野田達哉くんが、たまたま陸前高田に取材に来ててFACEBOOK上でチャット。彼、さすがに今東京だから、東北は馴染みみたいで、大沢温泉のまだ先の鉛温泉も紹介してくれた。白猿の湯。そこは「湯治部」というものがあって、自炊部と同じように長逗留できる。風呂で出会った方の話によると、農閑期には「自炊部」「湯治部」は一杯になるという。今回微妙な時期で4泊もできたのはラッキーだった。来年はそこも候補・と今思ってる。

 今朝は氷点下だが、それで大阪にいたら寒くてたまらないと思うが、こちらにくるとさほど「寒い〜」とは思わない。温泉があるからかなあ。それとも精神の解放が原因だろうか? さて、そろそろ「帰りたくないシンドローム」である。試験のできが気になって生徒たちにメール。返事待ち。もうしかし、今は「欲望全開」して、ギャル化してるだろうなあ。もう手に負えん生き物になっているはずなのである。

 朝露天。本日は雪!!!こういうのを待ってた!!!雪見風呂。けっこう降ってて、縁に座って腰までの湯。雪が上半身に当たって、ぴりぴりちくちく、しかし、腰から下は温かい。至福の時である。京都から来たという定年寸前のおじさんと長話。昨日も同じ時刻に入ってたみたいで、となると、話題はあの「混浴状況」へ。「あのおばさんのおっぴろげはどーよ」など。まあ、一週間目くらいになると、お互いすっぽんぽんで話できるようになるのではないか。そんな気がしてる。要は「慣れ」なのよねー。はだかの付き合い自体はもうこの歳になるとそれはそれで「悪くない」。
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 やっぱり食材を買い過ぎて、余ってしまう。で本日は、残ってるものオールスターズでシチューを作ろう。それを喰い切って大沢温泉を後にしよう・と決意する。しかし、なんだか今回はチカラ入り過ぎ、もっと気楽でよかったな。食材ももっと少なくてもよかったな。コーヒーとたばことワインとなんかイタリアンの材料だけでもよかったな。また来年来よう・絶対来よう。湯の峰の「あたらしや」のようなもので、馴染みの宿ができるのはいいものだ。
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 今日は氷点下6度だってさ。今も1度だけど、なぜか「そんなに寒くない」お湯のおかげだろうか。おこたのおかげという気もする。いやー・おこた三昧でもありましたよ。昨日からは座椅子も来たしな。座椅子ないと腹筋つかうつかう。本日も地震である。しかし、起こってるところを点で繋いでいくと、なんとなくだが、そのヤバさに気づく。それは点ではなく太平洋プレートの沈み込む「線」となり、下に引っ張られるユーラシアプレートが接点に限らずあちこちで破損している状態ではないかと想像できる。関東の沿岸部ではなく内陸で小規模の地震が頻発しているのはそれで説明がつくと思う。そんなこんなで、入試では理科は地学を選択していたおれの結論。「東京直下型地震」は起こります。規模はわからない。わからないし、できれば小さくあって欲しいけど、「間違いなく起こります」。内陸ってことで言うと、東北よりも関東だと思う。日本列島って海岸線が三陸はほぼ南北。ところが千葉辺りから北東-南西を結ぶラインとなる。太平洋プレートはハワイの海嶺から湧いてきて日本で沈む。つまり東から西へと移動している。だから南北のラインは東西の動きと垂直だからまだ強い。ところが北東-南西のラインは東西から45度の斜めだろ。東日本大震災で何個かそのプレートの接点が壊れていることがわかっている。それを前提にすると、1列横隊で攻めて来てる敵を1列横隊で受けとめてる三陸沖はまだチカラが均衡するが、斜めに攻められると「破綻」しやすい・というのがお解りになるだろうか? それがプレートの接点で大規模に起これば東海・東南海、接点の奥で起これば関東内陸からフォッサマグナの中部ということになると思う。さらにはそれが富士山のマグマに点火したら・・・・、こわいですねこわいですね。だいぶはしょった乱暴な推論ながら、おれは東京行くのはやっぱりいや。

 こんなに風呂入ったのって何年ぶりだろうか? 基本的に風呂嫌いのおれですが、やっぱ露天のすばらしさだろう。解放感が他の風呂とは比べもんにならないもんねえ。龍神の上御殿のこじんまりした露天もハニーと入るとかなりよいのだが、ここの広々とした露天はほんとすばらしい。広いだけなら川湯の「仙人風呂」という手もあるけど、あれはカイパン必須だからさ。やっぱ「放り出し」でしょう・風呂は・基本。まあしかし、おれが知らんだけで「すんばらしい露天」なんてのはまだまだあるのだろうね。特に東北にですね。
photo_14.jpg最初はこうなのであって。
photo_15.jpgそれがなんども風呂に入ってるうちに〜
photo_16.jpgなぜか突然こんなんなって〜
photo_17.jpgこんなんですらあったりする〜。温泉って不思議。
photo_14.jpgでも、温泉はいらなけりゃこんなんなので〜誤解のないよーにー。

 露天だけでなく、今は「東北」なのだ。おれの中では。今回イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を大阪で途中まで読んでて、こちらへ来るのに合わせ後半を読み続けた。もうイザベラは北海道行っちゃってるが、北海道は蝦夷(えみし)が本州から追い立てられた辺境である。その蝦夷たちの末裔がアイヌ・で間違いないだろう。実は蝦夷たちはかつては近畿地方にもいたのだ。日本書紀にある神武東征の話。神武を最初に生駒で退けた「ナガスネヒコ」そして「土蜘蛛」それらは縄文人のことであろう。どちらも重心の高さをほのめかすネーミングだ。

 倫理観の高い縄文(蝦夷)は倫理観のまったくない現代人そのものと言ってもいい「弥生人」のマキャベリズムに蹂躙され、追い払われ、そして改めて征服された。それが日本の古代のプレヒストリカルな時代の概要だと思う。つくづくやるせないと思う。優しさや気高さは、小賢しさ・セコさによって貶められ、辱められ、なかったことにされる。現代もその何百回目かのその愚行が繰り返され、もうそれに逆らうことも忘れられ、それは愚行に寄り添って美味しい目に遭う・なんてことがマニュアル化されているから、その批判も空中浮揚したまま着地できない。

 イザベラのアイヌウォッチングでも、多少の自治だけを認められつつも、開拓使の管理下に置かれ、そのなかで自滅していきつつあるアイヌの人々が描かれている。貨幣経済・資本主義、それが「農耕・牧畜」の始まりによって運命づけられていたとは言え、その中で歴史の裏側へ押しやられた人々に再度光を当てる・そんな作業が今とっても必要なのではないだろうか。いや・そこはみんななんか頭ではわかってるのね。再生可能エネルギーがいいよね・なんて言うのと相似だと思う。ただし再生可能エネルギーのうさんくささは、「そこで儲けたろ」という資本家がウンコとハエのハエだっちゅうことだ。資本主義でないものを模索する過程が資本主義内部のサブルーチンに組み込まれるシステムが出来上がっているこの現代で、じゃあ・一体どうすればいいのか? わからない。

 「じゃ・早い話・どうすれば」「こうしさえすればいい」そんな短絡的な会話で埋め尽くされているこの時代に、99%の富を独占する1%のほとんどが「ノブレス・オブリージュ」ではないこの時代に何かできることがあるのだろうか? 自分が自分の共同体の中で「ノブレス・オブリージュ」になれればいいのだけど、それさえも土台が崩されつつあるこの時代によ。そこ・みんなが「がんばる」ところかもね。どうがんばるの? そこやねん。But how? いや・まぢでよ。

 こちらでTVを見ていると、震災・津波・原発関連のトピックなどで、「あ・それは今・ここ・の話なのだ」と気づいて、背筋を伸ばすということがありました。その被災からの未復旧に関して話してる人が隣の街の人だったりするからね。大阪でTVの番組を見ているのとは、やはりリアルさが違うな・と。なんか、いつもの旅と違って毎晩「酔っぱらって寝る」なんてこともなかったな。「酔っぱらって寝る」とは、安心が前提でないと不可能な話で、それが今は土台が揺らいでる。震災と津波と原発とあとは社会のどうしようもなさが原因だ。

 ひっつみ・という料理を食べてみた。郷土料理で言わば「すいとん」である。なんとまあ・しみじみとした味!!!とびきり旨いってわけではなく、ただ、これで育った方には忘れられん味だろうな。いろんな思い出が入り込む余地がたっぷりある味だもん。根菜・きのことともに、小麦粉が(吉田健一氏ならうどん粉が・と言うだろう・でもそっちの方が近いか)丸く扁平に伸ばされて何枚か入ってる。ザ・モウスト・しみじみ大賞だ。流れで今日はワインじゃなく焼酎を飲もうと思って氷探索の旅にでるが、事務所も閉まっちゃってて困った。で、外に出て雪だるまの片割れにして持って帰ってきた。
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 オンザスノウ。おいしい。オンザスノウマン・か。明日は寒そうだ。今日から気温がまた下がった。ストーヴをつけている。明日の最低気温は氷点下四度だってさ。江頭着用のこと。明日は「春分」だねえ。にもかかわらず。


 丸三日、どこへも行かなかった。なぁんにもしなかった。本を読んで、メシを作って、風呂に入っただけだった。なんと無益な、なんと自堕落な日々だったろう。しかし、なぁんにもしない・ってこんなにいいのね。まあ、でもさ、休日もなく何日も働いたしね。いんぢゃね・こんぐらい。

 明日は花巻市外を雪の中(雪なのよー)レンタルチャリで走ろうかな・というプラン。ただ、花巻・「坂」多いらしいです。イギリス海岸・賢治の思い込み(今見たらどひゃーorは?だとは思うが)に寄り添いたい。ここでもう一度(本日6度目の風呂へ行く)。・・・・・・・帰って来たが、むっちゃ積もってた、で、雪を露天でも調達。外出なくても良かった。フロゥズン焼酎・だはは。この際、シーベルトもベクレムもI don't mind. しかし、やっぱり、あの露天・夢を見ているとしか思えない。入れば入るほど、そのお湯の熱ささえ幻想的になっていく。その夢とは賢治が見た夢と1mmでも擦んないだろうか。理想を求める気持ち・あるよー・おれだって。それに対する障害って、賢治の時代も今もさほど変わらんのかもしれないね・とも思った。賢治だって、生きてるうちは「リアルでくの坊」と近しい人以外には思われてたんだし。状況はその頃から「変わっとらん」てことかも・ですね。しかし、このフロゥズン焼酎の味、忘れない。来年来ても、この感動の深さはおそらくないからだ。また他の状況はあるやもしれぬが。

 ちょっと今回、エポック・メイキングやったですね。つまんない今のどうしようもない・「来たるべき死と滅亡のために」進んでいるこの国の状況の中、この国がそうならないためにも弥生の考えではなく縄文の・蝦夷の知恵がもう絶対に必要なのである。おれはもう・わかった。それをみんなにわからせるためには、ものすごいパラダイム変換が必要なこともわかった。ここでもまたBut how? なのだが、それはそれ。また明日考えよう。本日の結論、中途ぱんつはいいぱんつ。かんけーないが、でも・なんか移動を求めてる自分もいる。

 ま・いいや、もう一杯だけ飲もう・大沢温泉の雪で。
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DAY5へとつづく。

 
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2012年03月22日

奥の細い細い路 Numero1

 DAY1  「東北に地は騒ぐ」

 早朝、仙台到着。思っていたほど寒くはない。東北にも確実に春は来ている。Mcにて朝メシ。仙台のヒトはおとなしい・そんな印象を受けた。しかし、バカもいた。バカのワカモノ・バンツ完全にずり落ちそうなバカがおりまして、Mc内で傍若無人に振る舞うことが「なんかかっこよくね?・おれ」みたいな・そんなのがいて「10円貸して〜」と仲間に言い、仲間もそのときは10円なくて、少ししてから「あるよ〜」かなんか、そしたら「なんだ、おせーよ」なんちって、どうせなら「10円ちょーだい」やろ、とおれなんかは思う。あいつらのパンツ、ずるってやってみたいなあ。そんなこと思いませんか? 怒るだろうな。殴りにくるだろうか。パンツずっさがってたら、カルくスウェイでかわせんでー。蹴りにくるだろうか。パンツずっさがってたら足30cmくらいしかあがらんでー。バカは「ずっさげられ損」ということと相成る。やってみよっか・どっかで。

 受験生たちから朝に送ったメールが返ってこないところをみると、持ってっちゃいけないのだろう・ケータイ。去年の「京大」のこともあったし。しかし、そんなのも大震災と津波と原発でふっとんじゃったもんね。

 朝の仙台駅構内Mcは大混雑だ。仙台はちょうどいいサイズの都会。でもいいね。ベガルタもあるし、マー君もいる。まあ、星野もおるが。地方都市もこういう感じだといい。札幌とか博多とか、理想的だと思う。新潟も良かった。少し似ている。越と東北は繋がっていると思う、意識の上で。そして歴史の中でも。

 そう言えば、おれはてっきり、バスのルートなのだけど、名神〜東名〜東北なんて思ってたのだが、そうじゃなくて、名神〜北陸そして磐越自動車道って言ってたかな、日本列島の湾曲をうまく利用してる・そんな気がしたよね。それともこれも震災故だろうか? わからない。

 とにかく仙台には着いた。デパートが開くまでもう少し時間がある。食材を買い込もうと思っているのだが、待てよ、そんないっぱい買って持って歩くのもどうだろう。だって「けんじライナー」は14:50だ・ということで、気仙沼・と思ったのだが、気仙沼は遠く・そして不通の区間が何個もあり、そこはバスが代わりに走っている。どこまでいけるのか、と調べてみたら、松島海岸までは行ける・とわかった。とにかく、ちょっと行ってみたい。

??-3.JPG色の濃い区間は未だ不通である。復旧・全然なにも進んどらんよ。

 10:08の快速に乗る。途中・多賀城駅と言うのがある。「おー・あの蝦夷(えみし)討伐の第一拠点」の多賀城ぢゃん・とやや血が騒ぐ。そして塩竈・松島海岸と仙石線は走って行く。松島海岸の次の駅からは「不通」だ。まだまだ、復旧も復興も全然「なってない」。

 寒いかなとおもっていたが、そうでもなく、日差しは柔らかで、海岸駅の海までの間にいい芝の公園がある。昼寝でもしたいなあと思いつつも、遊覧船に乗ることにする。この凪の時の船はいいもんな。お弁当と酒持って乗りたいと思い、「弁当屋はないのか?」とおっちゃんに訊くが「そんなもんはない」とそっけない。なんとなく、そこらへん、東北人のパーソナリティかもしらんな・と「勘」で思う。まあ・いいや、と思い、乗り場へ急ぐ。後で「お弁当なんてとんでもなかった」ということに気づくのだけど。

 室内ではなくデッキに陣取る。予想通り、凪ぎで、いい感じに船は進む。ふと、「カモメのえさ100円」と書いてある貼り紙に気づく。そう言えば、かもめが港にたくさんいたっけ。でもそれはそんなに特記することでもないがなあ・と流す。いろんな島の説明があるが、「右手に見えますのがナントカ島で、左手に見えますのがカントカ島です」と言われたところで、どうということもなく、「それがどうした」なのだが、時々、「この島は津波で30軒家が流されました」と言われると「そ・そうでしたか」と、神妙にもなる。そんなとき船のおっちゃんがやや「にやにや」しながら、かっぱえびせんを大量にもって客室から現れる。

 それが「カモメのえさ」だったのだが、それを数人が撒くや否や、「ヒッチコック」だった。船が出るとやつらは「つけてきてる」のだね。もう覚えちゃっててね。

 そのカモメを狙ってか、鳶まで追走というか追飛というかしてきて、なんかどえらいことになっていました。けっこうびっくり。なんかわからんが大興奮でした・みなさん。おれもポケット瓶飲みつつ、コーフンの巻。

 船を降りて、芭蕉忌などの写真を撮ったりして、案内所でトイレを借りようと入ったところ「津波がここまで来ました」という「柱の傷」があったが、おれ完全に沈んでました。2m近かった。えらいことである。
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 松島は「牡蠣」の養殖が盛んみたいで、しかしね、焼き牡蠣・今喰うと飲んじゃうからダメよ。浦霞の原酒を二本おみやげに買っとく。おれが飲んでしまわなければ初志貫徹であるが。

 出しなに、サムソナイトがもうアホほど重くて死ぬかと思った。家の最後の12段の階段があるのだが、あそこはヤバい・危険。だれか酔っぱらいが落ちて死ぬだろう・とおれはフんでいる。店長が一番の候補だが、おれも、油断してるから、ゴミ出す時なんかにヤバいときがある。「一歩」踏み外せばもう「酷いこと」になるのは必至。今回も、ちょー重いサムソナイトだったし、むちゃ慎重に降りましたよ。そんなちょー重いサムソナイトをコインロッカーに預けていたのだが、それははたと忘れ、さらにチョー重くなるまでデパ地下で買い物をするおれはおそらくアホなのだろう。重たい上に更に重たい買い物。ほんまに死ぬかと思いました。すでにカラダの節々が痛いです。買い出すと、あれも・これもってなるんだよねー。合わせて50kgはあった。まあしかし、これも自分の食生活の充実のためである。でも、そんな時に限って肝心なもの忘れてたりもする。タイムを買うのを忘れてた。くそー。

 14:50の「けんじライナー」で花巻温泉へ。約二時間半。ほんとに遠い。秘湯だから。でも、おれはすごい勘違いをしていて、花巻温泉というから花巻温泉まで乗って、さて、ど・こ・か・な? と思って通りすがりのおっちゃんに訊くと、「それはここじゃねえっぺ」と言われガチョーン・なのだが、「じゃ・それどこだっぺ?」と問いただせばそれは「大沢温泉」だと言う。そしてそれは花巻「南」温泉郷・と言うのだと。タクシー四千円もかかって、すんごいアホでした。そして、なんとなく苦行の1日だった。

 とりあえず、ぜーぜー・ながら無事到着し、第一回風呂後、晩メシが終わる。本日は「おでん」でした。デパ地下で買った、新潟のあの薄揚げに一瞬見える厚揚げのような「揚げ」がナイスでした。明日はタイムはないが、昼間からイタリアンで白を飲もうと思っている。

 イザベラは津軽海峡の手前で足止めを喰らっている。彼女は日本海側を北上した。おれとは微妙にパラレルだが、彼女が、日本の風俗を、感心しながらも、やっパ・ダメなものはダメと言うとこがおれは好きになってきてる。もちろん基準は当時の西洋なのだが、それでもかなり客観的である。

 おれは今日、花巻の市街地を走るバスの中から外を眺めてて、暗い気持ちになったのは他でもなく、地方の、花巻ぐらい小さい街の風景が、他の小さい街とまるで似通ってしまってることが原因で、まあ・それは今に始まったことでもないけれど、それにしても、安普請の一週間も建てるのにかからんようなパッケージの店舗・それも和洋中のファスト・フード店が街の色になってしまうその哀しさは、ただただそれらが表面的に妙に「明るい」が故に、余計に寒々しい気持ちを募らせる。しかし、彼らの「全国展開力」ってもうすごいなあ。ファシズムに向いてるのかも日本人って。みんなが欲しいもんが欲しいんですね。メディアの浸透度ももうとんでもないとこまできてる。狭い日本の細かいネットワーク。ファストフードの中で嗜好が多様化してる。それ・多様化とは言わんか。だから、個人商店の店の値打ちをもう一度見直さないと。ウ レァォンジーニョ がんばれ!!!

 さて、本日は移動の日だったからいろいろあり過ぎた。明日からはのんびり読んだり書いたりの日々になる・はず。

DAY2 「大沢温泉」
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 7:30起床。NESCAFE香味焙煎の深入りで目を覚ます。これ、イケる。イケます。旅行はコーヒー問題がついて廻る。おれはアホみたいなマンデリン飲みだから、濃いいコーヒーがないと身体のチョーシが狂う。今回も困ってたのだが、これは帰ってからも「つなぎ」に飲めるなあ。

 今、朝の牛乳売りのおばさんたちが館内を廻っている。思わずりんごヨーグルトを買う。いいね。いいシステム。セサミパン・バジルパン・ポタージュ・コーヒーで朝を済ます。充分だったりする。パンが正解だった。

 朝のニュースで新潟・上越市の地滑りのことを知る。実は花巻も、まだ田んぼは雪が高く積もっていて、路こそ普通に走れるが、右も左も白いものが目に入る。遠くを見ると山々も雪を冠っている。その白さはなんだかいろんなものを「隠し」しかし、なにかその下に無垢なものの存在を信じさせるに充分だ。この大沢温泉はずんずん上って行く国道から最後に下るのだけど、玄関から国道を見上げるなら厚さ1mほどの雪が積もっている。河に面した露天風呂からも雪の塊がそこここに見え、まだ雪見酒だって出来る。西に棲んでいる人間にとっては異文化が薫る光景である。ほんとはタバコと赤を持って入ってみたい。チャンスを待っている。

 イザベラは北海道へ渡り、アイヌの人々と暮らしはじめている。
「なんという奇妙な生活であろう! 何事も知らず、何事も望まず、わずかに畏れるだけである。着ることと食べることの必要が生活の原動力となる唯一の善である! このような人々のと触れ合うことの出来る点がいかに少ないことか! 」

 まさに「縄文」だと思うが、少し不思議に思う点は「三内丸山」のあの立派で完結した世界ほどアイヌの人々の生活がよく見えないのは弥生文化の成れの果てに住む人間の何か大きな間違いなのだろうか? 目・曇ってるのだろうか? それとも大いなる「ボタンの掛け違い」によるものか。

 イザベラはアイヌ人のルックスを褒めている。酋長の母のことを「彼女の表情は厳しく近寄り難いが、たしかに彼女は非常にきれいである。ヨーロッパ的な美しさであってアジア的ではない」そして「いちばん若い二人の女はとてもきれいである。私たち西洋人と同じほど色が白い。彼らの美しさは、ばら色の頬をした田舎娘の美しさである」と言っている。

 当時、今もかもしれないが、アイヌの人々が施していた入れ墨、これが「魏志倭人伝」に言われるところの「邪馬台国」の風俗に似てるのね。この辺りの関係はどうなってるのかな? と思う。入れ墨はそのオリジンは「魔除け」であるから、邪馬台国当時は、縄文から伝わった、何か畏れ多きものに対する未分化の信仰があった・と考えている。

 さて、イタリアンは夜に取っておいて、昼間は「やはぎ」という食堂で食べることにする。カレーうどん・鮭のおにぎり。おにぎりでっかすぎて喰えずにもって帰る。取り放題のキャベツの漬物とカクテギが泣かせる。しかし、なんと長渕剛の色紙がある。まだ新しい。日付を見ると2012 3 12とある。つい先日ぢゃん。カブらんでよかった。「縁起悪い」。友部正人氏のやつもありました。

 3.17(本日)だけで、8:18:17千葉県東方沖・震度4、8:38:55同じく千葉県東方沖・震度3、11:04:14岩手県沖・震度1、11:55:11埼玉県南部・震度2、14:12:16千葉県東方沖・震度3、これだけ揺れてる。今日はよう揺れてる。しかし、おれは何も感じていない。

 大沢の湯・南部の湯・豊沢の湯・薬師の湯、とあって露天の大沢の湯は「混浴」である。露天はやはりいい。大沢の湯にどうしても行ってしまうんですね。外から丸見えなのだが、「それがなにか?」といった感じ。基本・「にっぽん・すっぽんぽん」で良いのでは。おれは今回浴衣もなし、どてらもなし、延々ジャージ男なのだが、こう日に何度も風呂入るとなると、パンツの存在に「?」なのであって、もうなんだかめんどくさいわけだった。で・ノーパン2日目。
おれはもう、べたーっと丸4日ここに居続けるのである。これが贅沢だ・と思う。予想できる範囲の贅沢ってなんだか二元的の一方向という「アタマの悪さ」が前提になってる・と思ってる。なんか「素敵」とか、もうどうでもよくって、女子目線も「しらんがな」だ。大方の贅沢知ってるオトナが、今「これがよい」そして今「時間とお金をかけてやる値打ちがある(そんなにお金はかかりません)」と思えるものしかキョーミないんだね。今・なぁんにも「生産的なことせず」ただただ、大沢温泉に4連泊する・これがいい。これだけがいい・今は、なんて切実に思うわけよね。いや・あのさ「生産的」って何なん? なぁんて挑発的なことも言ってみたくなるわけさ。クソ資本主義に於いて、なんて制約付きだもんね。もうじき終わる資本主義。FUCKな資本主義に於いて生産的なんてのは、吉本隆明の過大評価と一緒じゃ・あー・ゆっちゃったー。でも、あの難解な著書を「読んで理解」したヒトの総数はかなり少ないと思う。やっぱ・ムズかしいんだもん。最初はカッコ良かったんだと思う。ただ80年代くらいからの・なんというか、明らかに変な方向行ってからは、なんか「そうかなあ?」って思ってた。吉本隆明と人々との間に入ってうまくやったなあと思えるイトイ氏とかもそうだけど、その・資本主義との折り合いの付け方ってのは、今原発「五年以内に」やめよ・「10年以内」にやめよ・なんてことと相似かな・と思ってる。どっちにもいい顔しようと思えば、より「保守的」な「既得権持ってる」方に利益をもたらすことになるでしょう。おれも当時はアホで自分に無批判だったけど、今なら、それはわかる。資本主義という前提にどんだけシムパシーがあるか否か・ということか・と思うが、そこで恩恵をひどく受けてたら、他のオプションに消極的にそらなるわな。ま・もうすぐ、それは「判明」するでしょう。判明したところで、ビンボー人はビンボー人のままであろうが。ま・いいぢゃん。吉本さんとイトイさんの人間的な繋がりに関してどうこう言うつもりはない。イトイ氏にとって吉本氏は「尊敬」できる大先輩だったのだろう、encounterした。誰と「出会う」なんてのも運命だしね。でも彼のサブカルチュア論って「は?」でした。私見ですが。そして吉本隆明とビートルズはちょっと違うとおれは思うよ。そこ、突っついてもあんましおもしろくないし、改めて書かれるとおもうけど。有名人て、ちょっとしたことで言葉の整合性を問われて大変だなあ。

 晩メシはヤリイカとしめじのトマト煮・ルッコラのサラダで白を飲む。まあ自宅と変わらない。途中から赤へ。
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 本日は8人組の男女が隣の部屋にいて、かなり騒々しい。複数日滞在すると、いろいろなヒトが「隣人」となる。しかし風呂に入る、と本を読む、メシを作る、それしかしてないし、しないおれの休日なのだから、周りもあんまり関係なかったりする。もう・あらゆることがめんどくさくなっている自分を発見したりするが、それが長くは続かないことも自覚がある。要は「SWING」なのであって、今向こうの端っこから急にこっちの端っこまで来ちゃったんだ・ということがわかってて、些細な・些細でもないが、心配なこともないこたないが、まあ、とりあえずこんな日常でよいのだ。いろんなことから今やっと「解放」され、ただ、「つかの間の解放」なのだけど、大富豪でもなけりゃ、それで充分。楽しんでます。やっぱ、お湯のチカラ・って大きいかな。今日・春一番が吹いた地域もあったらしいが、それでも明日の花巻・また雪が降るという。まだ、寒さの残ってる中での「お湯」がいいんですね。

 いっぱい本を持ってきてて、それが尋常でないサムソナイトの重さに貢献していたのだが、イザベラ・バード以外に持ってきた12冊全部読めるとは思えんが、これも時の運・何かがその時の自分を刺激して、終了なんてことになる。アルマベスと燃える世界と砂の本が含まれてるが、さてどうなることやら。

DAY3へと続く・・・・・・・。
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2011年04月02日

母親と奈良へ

 ガン後5年で医者からお許しが出て、お袋が墓参りついでに来阪していた。

 墓参りだけでないのはわかっていた。で、奈良へとサーブで連れて行った。

 櫟本の祖父祖母叔父の墓を寒風の中参り、実家の通りにあるお袋の同級生宅にお邪魔。

 その後矢尾先生宅へ。矢尾さんはお袋の「句」のファンでもあり、同郷出身、お袋の高校でその後教鞭を取っていたという方である。文筆・演劇・小説を志した方でもある。

 矢尾さんの作られた演劇の中にお袋の高校時代のものがあり、そこには「寺山修司」「丸谷たき子」「堀内薫」というキャスティングがあるという。少し驚く。

 堀内薫という人は橋本多佳子から俳句「七曜」の主宰を引き継いだ方である。その人はうちのママの「高校の先生」で文芸倶楽部の顧問でもあった方で、当時、お袋たちは堀内先生の指導のもと、各地の高校生俳人と連絡を取り合い、寺山たちと雑誌「牧羊神」を出す。なんとも「恵まれた環境」だが、お袋と寺山の関係は、ある事情があってほとんど関係者も知らない。その事情は割愛するが、しかし、断片的に漏れ聞く話、家にある寺山の「短冊の句」「早稲田の受験票」などはなかなか想像力を刺激するわけである。

 そこから現在の七曜・主宰の多佳子の四女・橋本美代子邸へと廻る。

 お袋は事故もあり、ガンもありで、こんな日がまた来るとは思えない状況だったので、歓喜に溢れていた。美代子先生もまた喜んでくれていた。91歳のご主人もいい感じで初見であるにもかかわらずいろんな話をおれにしてくれた。

 しかし、たった一日なのだが、うちのママの「入った」時のエネルギー量というのはものすごく、なんとなく周囲の人間を圧倒するのだが、特に「おつき」の人間のパワーの出所をそのエネルギー膜で覆ってしまうようなことになり、さっきからおれはなんだか「呼吸が苦しい」のだった。

 それは矢尾さん宅から始まっており、おれもなんだか「過敏」になっていて、お袋が話をすればするほどシーベルトが上がるのである。なにかが溜まっていく・エネルギーが密閉されて水素爆発寸前な感じなのだ。

 「もー限界」というところで、行動に出ることにした。

 「いろんなお話ありがとうございました。お返しに一曲歌います」

 なんだ・それ?
 
 「一曲歌います」

 サンバがサンバであった頃から・を歌う。最初、みなさん目が「・」になっていたが、最後には楽しんでくれていた。

 あー・すっきりした。

 お袋の懸案事項も解決の方向性が見えたみたいで、親子共々「すっきり」でめでたてしめでたし・であった。反則技いっぱい持ってる方がいいね。

 ご主人と抱き合って、橋本先生宅をあとにする。

 今夜は弘仁寺という真言宗の寺に泊まることになっている。山の中であって、この闇は古代のままかもしれない。

 精進料理で熱燗と赤を一本空け、寝る。

 翌朝、つくしが旨過ぎて、アホの三杯メシとは久しぶりの暴挙である。あの喰いっぷりを見られた以上、お袋には「おれもう死ぬ」は通用しないな・とハラをくくる。

 近くにある堀内先生の墓へ。「大善院教学薫導禅定門」とある。

 正暦寺へと廻って堀内先生の句碑を見る。
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 「太陽の 火の粉となって 鳥渡る」 薫

 あやめ池へ行ってくれ・と言われる。行くよ・どこでも。

 50年ほど前にお袋が句を書きに通っていた、橋本多佳子の家があり、もう人は棲んでいないのだがどうしても行かずにはいられないらしい。かなり前の話で、家もたくさん建ってしまっていて、しかし「蛙股池」がわかればわかる・と言うので、交番で訊く。かえるまたいけ・って・・・村上春樹小説の登場人物になった気がしたが、そんな余韻に浸る間もなく、「あ・ここここ」と言う。なだらかな坂を上っていくと大きな赤松の木が見え、その家はあった。

 聞けば、裏庭の縁側に座り、句を書いていたと言う。そこから目の前にせり上がる崖は「多佳子の崖」と言うのだそうだ。「ほう」としか言えないのだが、しかし、あやめ池と言う街はいい街だった。棲んでみたい気がしたよね。
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 そして西大寺へ。

 目と鼻の先である。奈良の路もだいぶ「理解」だ。

 西大寺は「幻の七重の塔」の敷石がある。多佳子・薫の句碑もある。
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 「いなびかり 北よりすれば 北をみる」 多佳子

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 「牡丹雪 水に映りて 水に入る」 薫

 いい寺だ・と思う。人も少ない。ゆっくり訪れたい・と思った。

 おれ・奈良のこともよく知らない。知らないことだらけである。しかし、もう路はかなりわかったし、明日香〜奈良への宿坊泊まり歩きの小旅行を敢行したくなった。梅雨までの気候のいい頃にしてみようと思う。

 お袋は「取材」のためもうしばらく奈良に残る・と言う。

 おれはライヴのリハがあったので一人で第二阪奈で帰ることにした。

 
 

posted by 浪速のCAETANO at 11:09| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | ツアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月07日

間違いの日

 いやー・びっくりした。

 昨日は最初っから「間違いだらけ」の日だった。

 シブー・な用事で豊津まで行き、そこで久しぶりに「元ユルフン・コック」に遭ったのが、そもそもの間違いの元か。

 わかんないけど。

 学校から11:43に電話があった。学校の授業始まりは11:45だった・そー言えば。

 しかしながら、自宅のカレンダーに授業再開は9./13となっていたから、本日はシブ専な用事を優先していたのだ。何度も電話・ってうっとーしいし。学校からの電話には、電車内だったので「はいはい・あとでね」と流していたのだ。

 いやな予感というか、おれの勘違いの「確信」みたいなものを持って折り返す。やっぱ・そーだった。その時11:55。

 初めの2時限は「ごめんちゃい」するしかなく、後半のバカチームには間に合う・という旨を言い、電話を切る。

 シブ用事を済まし、ホームへ上るとユルフンがいた。

 時計を見る。昨日そのまま寝てしまったのでシャワーを浴びたかったのだが、「時間がない」。

 とりあえず、Tからポロへと着替え、「あ・こんなときは銭湯へ行こう」とヒラメいた。かおるちゃんのかつての性癖「ライヴ前には風呂に行く」がアタマの隅っこにあったのかもしれない。トランクスをバッグに押し込む。数学の問題の横へ押し込む。

 ちょっと待てよ。洗い立てのパンツはまあよろしいが、着替えた後のパンツはどーすんねん・である。いささか問題あるのよね・それ。  

 ヒラメいた!!!

 「ノーパン」である。その時は半パンだったのだが、ノーパンで半パンでさらにユルパンであるならかなりの問題発生の可能性があるが、ノーパン・半パンではあっても、どちらかというとピタパンに近ければ、「放送事故」みたいなことは起こらんだろう・と思う。

 自信満々でアヴァランシェ号を駆って長堀へと向かう。

 「せんせえ〜・もーう」と主任に一発かまされたが、時間がない・を理由に教室へと逃げる。

 久しぶりのバカたちで「おーおー」である。全員出席。聞けば・2名は里帰り(to CHINA)していたみたいで、カンライが「せんせい・おみやげ」と中国製のたばこを「一本」くれた。一限目ははげしいバカ話をして二限目は二次関数の授業。

 夏休み中に参加すれば15限分の出席になるというキャンプがあったみたいで、6名ほど参加していて、その写真が切り貼りされて、額縁に入って壁に飾られていた。だいぶおもしろかったみたいで、チャンくん(from VIETNAM)はそのルックス(でぶ)も奏功して日本人学生にかなりの人気を博したみたいである。もう出願が始まっていて、びっくりする。留学生は勝負早いのだった。

 授業終えて、スケジュール表の見方がやっとわかった。一生懸命日本人用のスケジュールを書き写していたのだった・おれ。だはは。話題を無理矢理、今月末の試験のことに持って行き誤摩化す。さらに半パンに主任の目がぎらっ・とキタのを見逃さなかったが、非常事態故ね・もーしません。そそくさと学校を後にする。

 そして九条へ。

 ブラジル音楽映画三本立て・なのだが、シャメ・ジェンチ、カルトゥーラ、ミステリー・オヴ・サンバ、これ全部入れ替え製・なんてセコいこと言うなよー、と言っても「ダメ」とはシネ・ヌーヴォのにーちゃんセッズ。レイトショーゆえ、おれも本日しか時間がないのよね。んーー・困った。

 ま・メシでも喰お。九条ら辺の居酒屋・探すが、やや本日テイストが合わず。で大正の方まで足を延ばす。すると「へーこの辺り住所って「南堀江」なんやね」と妙な感心していたら、成金屋食堂・という暖簾が目に入る。「ネーミング」って大事ですね。迷わず吸い込まれ、冷や奴・メンチカツ・茄子の揚げ浸しで・ビール・酒と飲み進む。

 メンチにはテーブルごとにあるソース・どばどばにて失礼する。たまに喰うソースは下腹辺りを「キック」するよね。

 九条まで来たら次の楽しみは「純喫茶」なのだった。昔ながらの喫茶店、かつて「茶ーしばいた」ような喫茶店を探す。いっぱいあるのね。シブいのを当然探す。アイスコーヒー飲みながら「蘇我氏」を読むわけだけど、いい時間である。BGMはパーシー・フェイスかヘンリー・マンシーニかポール・モーリアか・という感じであって、「名曲」がストリングスの調べに乗って「流れ」ていく。この「流れる」感じがたまらないわけで、JPOPなど流れていたなら、人質取って立て篭ってやるが、そんな気に全くならないわけだった。「流れてる」からね。

 店の「ママ(推定80歳)」に「この辺にお風呂屋はないですか」と訊けば、「こっちにはないがあっちにはある」という。なるほど。大体わかった。で、あっちまで行っておばあさんに訊く。「こっちにはないがそっちにはある」という。ま・大体わかった。そっち方面へ行ってみる。あった。

 一体今いくらなのだと思えば410円でした。奇しくも「次」のタバコの値段である。もう何か高くて何が安いとかよーわからん・くないですか?

 まあ・汗をかいているのである。こないだの温泉以来、大きな風呂は良いな・と好意的なのであって本日もそうなのだった。

 しかし、一般の風呂屋の欠点・それは、シャンプーとかが置いていないことだった。あいたたた。で、ひたすらお湯をかける。まあ頭皮なんて、お湯だけでほとんど汚れは落ちるのよ・と言われたこともあり、そうそう・と思い直してひたすらお湯お湯お湯・である。この三回繰り返し・つて今、管くんも連発しているが、言った本人が一番「言った気に」なるのね。言われた側はほとんどトゥーマッチなのにね・三回目が特に。

 ところがおれの現状は・と言いますと、トゥーマッチでもまだ足らんというか、でありますから、延々お湯お湯お湯お湯お湯お湯お湯お湯お湯お湯お湯・となるわけ。ふー・もうよかろう。で湯船へ。

 アツい。アツいの苦手なおれは急遽風呂屋ジプシーとなり、うろうろ。すると、奥のサウナの横に「季節風呂」というのがありました。手を浸すと「おー適温」良かった。で浸かっていると、誰かがやって来た。独占するのもなんなので横にずれる。そのオトコが入ってくる。すると「絵」が目に入った。「ん? んー」と凝視すれば「もんもん」の方だった。久しぶりに見た。まあ風呂屋自体久しぶりだからね。まあ普通にそのまま入っていると、もう一人やってきた。

 「もんもんNo.2」だった。もんもんに囲まれる・の図であった。まあ、でもね「すっぽんぽんの法則」から言えばなんつーことはないのね。

 上がって、脱衣所はひえひえで気持ちがいい。ミステリー・オヴ・サンバにはまだ1時間ほどある。で、あんま器である。シブいの。何十年前? というあんま器は値段も何十年前なのである。一回30円!!!150円両替して5連続で揉まれる。

 蘇我氏を読みながら待つ。で、観る。マリーザ・モンチは意外に小柄で華奢に見えた。一緒に観ていたおじさんにおじさんが店の名刺を渡して、店へと戻る。

 その後「DEVO」好きのスケボー乗りがやってきて・みたいな、なんだか間違いの多い一日だった。ま・そんな日もあるって。


 間違いついで。私見だけど、DEVOの革新性はこのアレンジとパフォームに尽きるような気がする。
 

 
 
posted by 浪速のCAETANO at 13:00| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月09日

予習の合間

 この頃日曜は、翌日の予習に追われていて、おれは文系だったため、数3というものをちゃんと勉強したことがなく、こないだもちょっと詰まってしまって、まだ明るかったからチャリで逃避の旅に出ることにした。小銭を持ってどっかでカルく飲んでもいいな・とも思っていた。

 コーヨーでぺろのごはんの買い置きも要るなと思っていたから自然と足は西へ・と延びる。今はUSJが出来ている辺りからも少し手前、伝法に実は親父がコドモの頃住んでいた。父方の祖父は、元海軍の軍人で昭和天皇とともに世界一周大航海をした後、戦後大阪で日立造船に勤めていた。多分淀川の河口に造船所があったのだろう。大阪空襲の際には川に飛び込んで助かったという話を聞いたことがある。

 阪神淀川駅近くのコーナンにはたまに行くが、伝法はそこからすぐのところだ。かなりの教育崩壊地域のニュアンスを醸し出している。そんなニュアンスはヒトの精神衛生にはあまり良くなく、温度のある街へと自然にそこからは足が遠ざかる。まあそこからの「温度街」と言えば西九条は近い。しかし、大黒も白雪温酒場も日曜ゆえ開いていない。まあしかし、シネヌーヴォ近くのトムヤン風味のクッパでもいいしな・などはなはだ無責任に近い未来を見据え、向かう。きっとなにかあるのね。なんか、きっとUSJができたことと関連ありだと思うが、街の「見えるとこだけ」小綺麗になっていた西九条の街だった。でも見えるとこだけってのがポイント。

 久しぶりに安治川トンネルを潜ろうとエレヴェーター前に並ぶ。チャリ6台に人間15人ほどを川底よりも深く運び、そこからはトンネル内チャリを押す。こんにちはー・とワカモノが警備のおっちゃんに挨拶している。で、向こう岸の川底に着くとまたエレヴェーター前に並ぶ。降りたときと変わらないメンツを地上まで上げる。するとそこは九条OSの街である。

 長くていい感じに廃れた商店街を抜け中央大通りを越えて、さらに商店街を抜けてしばらく行くと京セラドームがあるからそこをぐるりと右旋回すると大正にでる。かつてのバンド・メンバーが失踪していろいろあって実家近辺に戻っているという話なので、ふらふら探してみる。しかし、当然ながら見つからない。同じ街でもクルマで来るのと電車で来るのとチャリで来るのとでは気分が大きく異なる。どれもそれなり・だが、自由と効率を両立させるにはチャリだったりする。街に対して「つかずはなれず」だ。

 フリーピープルを越して南恩加島まで下ろうかと一瞬思うが、よく考えたらなんのために伝法からやってきたのかわからんぢゃないの・と思い直し、泉尾あたりをうろうろして九条へと戻る。イワサキー・連絡してね。

 九条OS・一体何をイマドキやっている・と思い前を通ると、「女王様」系のイヴェントが目白押しだった。しかも値段が6000円〜8500円だって。びっくらこく。やや明るいオーヴァーグラウンドなSMオタクが市場になってる。アイドル女王様とオタク。そしてそこにも業界のシステムが確立している。うーん・と唸りながらそそくさと立ち去る。なんか問題ぢゃないかい・そーゆーのって。高給バイトの一つとして女王様・ってのもあるとは聞いていたが、なんとなく興ざめだなあ・こーゆーの。もうそこにはかつての谷ナオミや松川ナミのようなまなざしは期待することは出来ないのだな・ということだけはよくわかった。ご縁がないです。

 商店街に戻り、さきほど目星を付けていた居酒屋へ。人いっぱいで地元民のための居酒屋です。奥の座敷でもこちらの小上がりでもみんなで盛り上がっている。おっちゃん・おばちゃんばかりだから、いやなムードはまったくないのね。まだ午後4時だった。末席を汚す。カウンターの隅っこで・しかしここ落ち着くわけ。串カツから寿司までという「理想的」な居酒屋で、しばらく飲む。予習さえなけりゃこのまま「おっちゃんらに乱入」も考えられたが、そこは自粛する。

 逢魔が時をまた同じルートに少し変更を加え、戻る。コーヨーに寄ったが、おれが買い過ぎのため高齢ネコ用レトルト売り切れだった。見つけたらとにかく「全部」買うことにしているのだった。商品管理に「混乱」をもたらしていると思う。「なんで高齢ネコ用こんなに売れんねん」みたいな。店用にズッキーニを探していたらレインドッグズのキイくんと彼女に遭遇。「なんで・・」とはお互いの弁なのだが、よくよく考えるなら・ね。

 温度のある街のことを考えると、「自然に」というキーワードにブチ当たる。「無理に」や「とってつけた」は続かない。しかし、経済的にペイしないものはこれもまた続かない。対象に自然な愛情を注がないといけないのだが、その「自然な」の加減も難しい。もう最近、たぶん長年やっている方はみんなそうだと思うが、食材その他の目新しさとのいたちごっこには「お疲れ」になっているはずなのだ。そんなことじゃないのよね。最後はソフトなのね・とも言い切れないとこもある。そこんとこも自然なバランスが不可欠で、答えからの逆算がすべてダメで、となると、やりたいようにやるのがほんとは一番なのだけどね。いい「場」をみなさんそれぞれの良心と感覚により作っていきましょうね。

 など考えながら帰ってきて、うとうとしていたら才媛からお願いしていた電話が掛かってきて、数3の問題は解決したのだった、


 こないだのイングランド戦のインターの時にかかってた。それだけでももうかなわないのは自明・だ。



 
posted by 浪速のCAETANO at 17:34| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月29日

遠足 かな

 よれよれのまま、出かけた。そして今、天理のホテルにいる。天理はうちの家族にとって大きな意味を持つ街だったりする。家族の何人かがこの街で生まれたことになっている。

 天理の街は、相変わらずの落ち着いた「宗教都市」である。天理教の詰め所がありとあらゆる所に存在し、「おかえりなさい」の文字がそのそれぞれの玄関にある。

 ゆうべは社民党、福島党首の罷免で大騒ぎだったね。まあ鳩山くんの変容はあのひとの資質の問題ではなく、これから30年後に「アメリカから」開示されるであろう「密約」の内容を待つしかないと思う。それが「これから」10年の間、世界のパラダイムの変化に対応するものということよりも、これまで数十年の世界情勢に対応してきた、という事実を選択せざるを得なかった、まだもすこし、「ひょっとしたら」があるかも知らんし、ということなのかな。

 ただ、民主党になってから、なんだか「そんな匂い」があちこちですることを周知の事実にしてるのは評価してもいいと思う。政治とは「意外に」身近な気もする、みたいなさ。

 「抑止力」が何を指すか、そこんとこはっきりさせないことには議論ができない。でもホントのことは言うわけにはいかない。だから情緒的な見解の応酬になる。なんだかすごいな、と思う。「国家」ってそんなに「アンタッチャブル」なのか、と。いや、国家じゃなくて「権力」かな。

 「アンタッチャブル」なんでしょうね。

 昨日は「飛鳥寺」でぼーっとしてたのだが、というか飛鳥大仏の前でぼーっとしてたのだけど、当時の「実は大王」とも言われる馬子が作らせた最初の仏教寺院と大仏の前で、金箔を施された大仏は「新しい神」のイコンだったろうな、と思うに充分だった。巳支の変では飛鳥寺側に中大兄と鎌足、向いの甘樫の丘に蘇我蝦夷が対峙して、その甘樫の丘は目と鼻の先だった。

 蘇我氏のポジションにスルリと滑り込み、その後実際の権力を乗っ取った藤原氏はその後、歴史を書き換え、いや「創り」その後400年にわたって、権力の座にあった。意識のレヴェルなら1300年であった。

 権力の持つ「業」のようなものを感じたりスル@明日香の一日。
posted by 浪速のCAETANO at 09:01| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月24日

それなりの

 店の者たち・懇意なお客とで能勢でキャンプ。

 8VとMグのおじいちゃんのトヨタを借りてでかける。

 天気は「曇り」だが今にも降りそうで、うーん・雨男である・またまた。

 対抗する晴れオトコ・晴れオンナがどうもいないようで、おれのパワーが勝っているような感じ。毎度の事なれど・やれやれです。イヴェント時・ほぼ雨。

 しかし、まだかろうじて曇り・で済んでいた。

 いつもは休み〜平日でキャンプなのだが、今回は休み〜休みなので、ヒト多し・だ。おれたちが最後に到着した感じ。周りは出来上がっている状態。すべてのタイミング・押し・なおれたちだ。

 さっそく火を興して料理に掛かる。

 オイルサーディン・イカトマトワタ焼き・牡蠣オイル焼きなどでビールや白、隣でビーフシチューを仕込む。今回の前半のメインはイカスミのパエリア・で、それもおれのおシゴト。まあ・みなさんの慰労を兼ねて、というほど、みなさん普段働いとらんのだが、そこはそれ・恒例となってしまった感がある。

 今回火の付きがよく、いいかまどだったのかな、火の維持にはほとんど苦労しなかった。

 おれが買って使用未遂に終わっていたグッズも役に立って、まあ購入時の思惑とはかなりずれてしまったけど、それも良しだった。買ったものは使わないとね。

 ビール→白→赤→泡→赤→白→赤→焼酎・と彷徨う。

 そんなとき雨が本降りになる。

 となりのワカモノのノリがキモく、閉口する。ライ・なんてさ、イマドキ。T瀬曰く、「同年代とばかり付き合ってるとそうなる」らしい。ふーん。よくわからない。

 で、テント内へと逃げ込む。

 隣のテントでいわゆるJPOPの合唱などが行われていて、なんかチョーシ狂う。「対抗してなんか歌ってよ」とか言われるが、なんでまた・そんなもんに「対抗」よ・と思い、ひたすら酒に逃げる。

 ミタキがなんか独演会をやっていた。その後「ROSA」に挑戦するが、へろへろゆえに何度も失敗。

 お決まりのMグとの言い合いを経て、みなさん倒れ込んだ感じ。まだまだ食材は残ってたなあ・なんて思いながら意識は遠のいた。まあ・明日の朝メシ充実させようか・とも思いながら。


 で・朝起きたら、なんと11:30だった。T瀬とTモちゃんの「お客チーム」だけが早起きして、朝メシ・残りもんで済ませ、食器・鉄板類きれいに片付けてくれていた。あららー。

 で店関係者は爆睡。おれは大体そんな時早く目覚めるんだけどね。
 
 で、おばちゃんに追い出しの横目線でプレッシャーかけられながら、店チームもやっとこさ「人間化」してきたが、Mグが「寒い・ゲロしたい」と言う。

 なんだか散々なムードの中、食材を大層余らせたまま、帰途につく。
なんかエポックがなかったな・今回。まあ・直前にいろいろあったし、懸案は今もあるし、みんなも確実に年も重ねてるし、なんとなく「一抹の淋しさ」もあるな。

 最後にやまもとのネギ焼きで〆て、お開き。

 多分みんな、その後、寝た・んじゃなかろーか。

 でもいいかなと思った。特にトドムンドチームは寝れてなかったから。きじこの事もあったし。すべてはタイミングだった。

 まあ・でも秋はしばらく続く。体調整えて、また行けばいいか・と思い直す。あまりにも慌ただしい日々も、これでリセットされたかもしれない・といいように考えているわけだった。

 かつての天才も年取ればこんなことである。シブいっちゃシブいが。ディランの30周年の快演を見てると、時は過ぎ去ると理解する。と思っていたら何かの手違いでディランの時の快演である。かっこいいぜ!!
posted by 浪速のCAETANO at 20:43| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月08日

能勢でのキャンプ

 トドムンド及び中津マージナル・ヴィルの精鋭とキャンプに行きました。

 いつもはもっと遠いとこに行くんだけど、今回なんか近場がいいよね・そうだよね・そうそう・それそれ・と暗黙の了解的以心伝心といいますか、さっと行ってのんびり・そして帰りも楽チン・ということで能勢へと行きました。

 今回はある意味フェイズが変わった。
 その1. おれほとんど運転せず。
 その2. 一番先に寝てしまう。

 クルマは今中津チームのために置いているサーブで屋根開けて後ろに乗っていた。コンヴァーチブルはやはりハレなかんじがするし、今やや元気のないおれが無理に運転するより、イヴェント時の異常なハイテンションを誇るミタキに連れて行ってもらおう・と思ったわけ。

 能勢の山は涼しく、夜は上に一枚羽織ってちょうどよく、ブルゾン持ってきてて良かったね・ということだった。ただメシは今回も充実を見せ、「もうヤキニクの時代は終わった」という2年前のエポツク・メイキングな宣言の後、今回もその路線は見事にオントラックなのであって、オイルサーディンから始まっていきなりのパエジャ。これが結構腹一杯になるというアクシデントも、急遽ミッキーマウスのバドミントンもどきで腹ごなししながら、続いてナガイが買ってきたマグロのカマとマグロのエンガワ?! ホタテのオリーブオイル焼きから再度パエジャ・そして最後はビーフシチュー。その間白・泡・赤・赤泡・赤と飲み進み、芋と来たところでおれは初めての「最初にダウン」多分12時ぐらいだったと思うのだけど、それでも延々8時間・飲み食いし続けなわけなのにお前ら、さらに芋とビール、コンビニに買いにいって朝5時まで飲むなんて、どうかしてる。どうかしてるとはいうものの前回までおれもそんなやつだったから、驚きはしないけど。

 それにしてもおれたち学習しない。クルマに乗ってから、「あ・あれも要るな」「ねえ・アレ持ってきた?」「忘れた」「やっぱりあれあった方がええな」と三度ほど途中停車での買い出し。まあいつもキャンプのこと考えてるわけでもないしな。いいんだけど。

 それにしても今回ほとんど・まあ毎度のことながら、料理し続けで、火の番とで、帰ってきたらどうも炭臭い。よー料理した。パエジャももうわかった。やっぱり現場だよね。

 スズメバチとアブにびびらされながら、あちこちに生えてるキノコを取ってきて喰い(うそ)、薪買うの途中でアホらしくなり、燃やすモノは現地調達し、まあけっこう転がってるのね・これが。備え付けのかまどはよく燃えるわ。
KC3A0092.jpg「巨大キノコとばか」

 朝はおじいさん的には7時に起きてしまい、水を汲み、火を興し、99ショップのなんじゃこりゃ・なコーヒーを飲み、本を読み、アタマ入るのね・これが。ナガイが起きてくる9時ぐらいまで一人の時間を楽しむ。木立の中は大変気持ちのいいもので、そこにいる限りなんの心配事もないような錯覚に陥り、不思議ねえ・ほんとねえ・なんでかねえと一人二役でおしゃべりをする。

 朝はコシのあるうどんを茹で、焼きそばを新アジ2種で食べ、ビールをやっぱり飲み、「もうはよ帰って」とおばちゃんに急かされながら、「そういわれてもー」とA美がのらりくらりと切り返し、「ぼちぼち」と後片付けをし、現場を立ち去る。

 食い残しのスイカを独立行政法人のダムの展望台で喰い、イマドキ珍しい暴走族に遭遇し、独立行政法人に「喝!!」を入れ、自分のクルマの後部座席にてほえーとしながら、自分選曲のテープを聴きながら帰っていく。不思議な気分。

 選りすぐりの精鋭たちは全然元気なのだが、おれがややお疲れで、音楽をアホほど大音量でかけながら豊津まで送ってもらう。

 ややフェイズが変換したキャンプだった。今だけかな。それともやっぱトシかね?

 でもこじんまりしたのも悪くないね。
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2008年08月06日

岸壁の母を訪ねて130km

 この時期はほんとに自縛状態で「おれのボスはおれである」ながらもそのボスって結構スクエアぢゃん・なわけで、そして「ある思い」を持ちながら今年は夏期講習を行っていることもあり、時間のある時はその反動というか、かわいい蕩尽を欲するわけ。

 やんなきゃいけないことがある。そのやんなきゃいかんことが、家じゃなきゃできないか・というと実はそんなこともなく、「あ・そうか」とバカに気づきが訪れる。

 一日分の着替えと資料とノートPCをエコバッグに詰め込み・つってもだいぶスカスカだが、よっこらしょと抱えて8vに乗る。小銭をかき集めると高速代とガス代と宿代とメシ代ぐらいはなんとかなりそうだったので、「たびえーるnet」で宿を探す。このたびえーるnetは優秀だ。他のサイト・じゃらんとかるるぶとかよりも使いやすく確実に予約までいける。さて・ではどこへ向かうか?

 しばし・目を瞑って心を一旦無にして無から有になる瞬間に、浮かび上がる地名を注目すると、何故かは分からんが「舞鶴」と出た。山の中でも湖でも海沿いでもなんでも良かったのだが、舞鶴と出た。満を持しての勝負旅ではなく、気軽な思いつきによるものなので、行った土地に過剰な期待もなく、裏切られても構わない。そんな大層なものでもなく、B&Bのホテルと街の料理屋で晩メシを喰えればそれで良しなのであって、そもそも街が裏切る・って何なん? アンタ何様よ・ということなのだった。

 ガソリンを4000円分入れて(この時代のイタ車は満タン入れると漏れるのね)新御堂を北上している時だった。ふと、バックミラーに目をやると、おれがいた。あー・おれか。ふーん・・・なんでまた・・・・?
 いや後ろにおれはおらんわけで、前日スタートレックで見た「時間の反復現象か」など思ったのだが、そんなことはなく、155が(多分)おれを見つけて、ついてきてた。こういった場合、おれたちアルフィスタは「喜び・哀しみ・情けなさ・意地っ張り・そして楽しさ」と155にまつわるすべての感情を一瞬にして共有出来るわけで、そしてそれは、前を走るおれの突如としての加速・いささか強引な車線変更となって現れるのであるが、うしろの155もその動きには素早いフォローでついてくるのだった。結局、そのライオンのコドモのじゃれあいのような2台のツーリングはお互いのドライヴァーのカオの確認もないままに中環の分岐まで続き、速度を緩め、奈良ナンバーの155が追いつくのを待って、最後に、あ・アナタでしたか・とカルく会釈をし、彼は武庫川方面へ、おれは中国方面へと袂を分かつ。

 気分のいい出来事が偶然起こるとまあこれからクルマを走らせる上ではそれはいい兆候だ。思わずエンジンの回転数も上がる・というわけだ。

 舞鶴若狭自動車道に入って、またまた邪悪な雲が北の空に、と思っていたがやっぱり来た来た。またまたCATS&DOGSの洗礼である。時間にして5分ぐらいだったか。100km/hに落として「徐行」する。前見えないのね。「兄貴」のテールランプを頼りに走る。そしてそれは突然始まったのと同様突然終わる。クルマ綺麗くなったわ。

 それからはこれから行く舞鶴のことを考えながら走る。舞鶴は「岸壁の母」の港がある。

 高速の下は丹波の「まさに里山」と形容するしかない風景が広がり、気分はいい。緑に感応する遺伝子ってやっぱりあるよね・としか思えない。豊かな風景なのだ。しかし、経済の観点からいうなら、これが豊かとは言えないのだ。何かがおかしいことだけはわかる。大阪からちょうど130km。楽勝のドライヴで日本海である。ネットの地図を思い出して、宿を探す。この辺りかな・と思えばその辺りである。早くつき過ぎたから、海岸沿いを流していると、舞鶴は「自衛隊の街」だった。にわかに緊張感が高まる。ロシアも北朝鮮も韓国も近いのだ。

 「引き揚げ記念館」に行ってみることにした。ホテルから湾をぐるっと回って反対側の丘の上にあった。そこから舞鶴湾が見渡せ、この湾に「特に満州からの引き揚げ」が殺到したのか・と思うと、60年前の現実を幻視するしかないのだが隔世の感に堪えない。中に入るとちょうど団体さんの善男善女が「語り部」と書かれたハッピのおっちゃんから説明を受けていたので便乗する。

 ラーゲリ(収容所)での話は「イワンデニソヴィッチの一日」さながらだった。おれは満州の「位置」がもひとつ曖昧だったのだが今回はっきりとわかった。北の境界線はロシアと西はモンゴル・東は今の北朝鮮・そして現在の北京は入っていず、しかし、ギリギリのところまでは満州だったのだな・ということがわかった。甘粕とか大陸浪人とかノモンハンとかの言葉が浮かんでは消えていく。しかし、要は、口減らしのために国民を大陸へ追いやったということなのだ。それも他所ん家に、無断で。

 戦争末期のヤルタ会談でソ連と日本は事前に「中立条約」を結んで、相互不可侵を約束していたにもかかわらず、ソ連の満州侵攻をアメリカ・イギリスが認めてしまう。それは8月9日、長崎に原爆が落とされ、「新型爆弾」の被害の模様が絶望的であり、日本に戦意がなくなった瞬間の出来事だった。150万人が満州にいたとされるが、そこに同数の軍隊で襲いかかったとされる。関東軍は人民を守ることなく先に逃げ、弱いもの・女子供・下っ端の兵隊が多くは、暴行・虐殺・そうでなければ「ラーゲリ」へ。ラーゲリはシベリアであるからマイナス30℃の厳寒の地で、寒さと飢えで仲間はどんどん死んでいく。シベリア第二鉄道の建設のための日々の過酷なノルマに対して食事は黒パンが5人に一斤だったという。

 その人々が引き揚げてきたのがこの舞鶴の港である。戦争の悲惨・と一口で言うには重過ぎ、おれも長崎の原爆資料館でのあの肚の底に鉛がたまるのと同様の気持ちを持った。ただ、しかし、思うのだ。誤解を怖れずに言うならなのだけど、果たして今とどちらが幸せなのか・と。そんなもの今に決まってるじゃないか・と誰もが言う・特に戦争体験者なら言うだろう。被害者なら言うだろう。ごもっとも。ごもっともながら、質の異なる今との相対的比較は無理だな・ということがわかる。戦争の「絶対的悲惨」というのは動かし難い。しかし、展示されていた悲惨な写真の中で、引揚者の男性が家族と抱き合う瞬間の写真があり、それほどの「爆発的な喜び」というのは現在存在するのか? と思ったりもする。このことはすぐに結論を出すべきじゃなく、おれたち一人一人がずっと考えていかなきゃいかん課題である。非・戦争期の課題と戦争期の課題は異なるのになぜ結局ヒトがヒトを殺すという結末なのか・という問いだ。

 もう一つ、その時代の年表(1935から1946ぐらいの)を見ていて驚いたのだが、満州事変から終戦までの間に、国内でさまざまな災害が起こっている。大凶作・台風・地震(なんと東南海地震も)数えただけでも6つほどあった。そのそれぞれの死者は2000人超である。そんなことにも正直ショックを受けた。今一つの災害で2000人もの方が亡くなるなんて「大事」である。そんなことが国内で戦時中に頻繁に起こっているのだ。きっと大した援助策もないままに(戦時だから)、特に後半の災害などは放っておかれたのだろう。国の外でも中でも人は殺され殺し、死んでいたのだと思えば、言葉に詰まる。そんなだったのに(そんなだったから?)「植民地」を求めて、他人の土地をむちゃくちゃしていたなんてのが、よくわからん。仕事が命の・というかカネが命のおっさんがおってあくどいことをしていて家空けがちだったところその家に強盗が入り、ヨメ・ムスメ・息子が惨殺される・みたいな情況でしょう。なのに、さらに外でその仕事にさらに精力をつぎ込む・とは一体どんな神経やねん・ということなのだ。そこから考えられることは「狂っていた」それも「集団的に狂っていた」という結論しか導きだせないのだ。

 もう一度湾を眺めようと丘の上に登る。広葉樹の「むせ返るようなフィトンチッド」でほんとにむせ返り、現実感が遠のいていくのだった。63年前の今日は敗戦直前である。

 ホテルにチェックインするが、なんとB&Bで5800円!!!部屋は・というと「なるほど!!!」という部屋だった。別にいいんだもんね・それで。さっそく資料を出して、PCをLANに繋いで作業にかかる・が、おれのノートは入力がローマ字入力のままだった。しまった。おれは「伝統のかな入力派」である。それでもなんとか慣れないローマ字入力でやっていると、「文体が・ノリが変わる」変わってもおもしろいか・と思いやっていたが、なんか椅子の感じが今イチでビールを飲んでしまう。途端にヤル気が失せ、ただの旅行者になってしまう。窓からは舞鶴湾がすぐそこに見え、明日早く起きれたら、岸壁にそって歩くのもいいな・と思う。

 それでもある程度仕事し、時間は7:00pm。そろそろハラも減ってきた。さっきクルマで流している時に街の(ここは東舞鶴)概観はなんとなくわかった。岸壁に平行に商店街が2本あり、それぞれに露地がある。この縦・横の直角な造りはきっと昔からの街ではないな・という気がした。歩いても問題なく、街の隅から隅まで歩いても30分もかからんぐらい。で、歩き出すが、これが「見事なシャッター通り」で新自由主義の波はもれなく地方都市を・地方都市ほど強烈に襲っているなと感じるわけだった。酒屋に入り、今晩の酒だけ買っとこうと思い、ついでにおとーさんに飲み屋を訊くが、「そんなもんいっぱいありますよ」と言うが、そんなもんいっぱいないですよ。それでも各露地をツブしていくなら、一つおれのこころくすぐる店があった。「鉄板焼きけんちゃん」である。店の扉が開いていて、ニッカーズのおっちゃんらが集っていた。もう少し探してなかったらここやな・と晩メシの保険を掛けて、もうしばらく探索する。すると商店街の角っこに「小料理屋」があった。向かいにパチンコ屋もあり、中を覗くと、い〜ね〜、羽根ものがある。じゃあ、ここでちらっと飲んで、その分稼いで帰ろう・ということになり、「鉄板焼きけんちゃん」は保険のまま放置することにした。

 中に入ると、客は居ず、カウンターが7席、小上がりが三席ほどのこ綺麗な店で、おとーさん・おかーさん・看板娘の三人がいた。看板娘がカウンター内で退屈そうにしているから、「こっちで一緒に飲もうよ」と誘うと、「あたし飲めません」とツレないのだった。まあしかし、話はまあまあ弾み、立ち退き寸前の店の話やら、舞鶴の話やらなんやらでお刺身や、巨大万願寺などでビール・酒・焼酎と進んで、長居しちゃう。客は来なかったが「まあ月曜はどこでもこんなんよ・うちも休みやし」かなんか言ったりし、そしておとーさんに見えたおっちゃんは親戚のおっちゃんであって、おかーちゃんと看板娘は実の母子でみたいな内部事情も教えていただき、居心地がよく、ちょっと飲み過ぎ、お金払って出たら、パチンコ屋は閉まっていたのだった。がっくり。
KC3A0087.jpg「看板ムスメと母とバカ」

 宿までは歩いて10分ほどで、せっかく買った角瓶を岸壁で飲もうと思い、コンビニで氷と紙コップを買い、小林旭風にキメていたら足が滑って海に落ちそうになった。落ちたら泳ぐしかないか・落ちた方がええかも・など、酔っぱらいのアタマの中の無責任さに翻弄される酔っぱらいだった。

 気がつけば部屋のベッドに倒れ込みだった。なんと成長のない。

 舞鶴・また訪れようと思う。
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2006年09月04日

小旅行paraKYOTO

 Mグのダンスを見に京都まで行ったのだが、notクルマ・not阪急、JRで行き帰る。一旦梅田まで行って特急乗るのが不合理に思えたし、帰りにちょっと飲みたいと思ったから。

 面白かったがいろいろ考えさせられた。指導・教育ってムヅかしいわね。EVERYTHING'S OKでもいかんし、EVERYTHING'S not OKでもいかんし、基本的に心の病んだヒトだらけの現代に於いて、身体表現でも音楽でもヒトを癒すパワーのあるものが、ただ癒すだけのためにしか使われないとするなら、それらは不幸だし、その中でも上を目指す人間との折り合いは集団として何かしらオトシマエつけないことにはいかんし、どんな大きい集団相手であっても、基本はマンツーマンだね・やっぱり。

 JRは速い。各停で行ったのだけど吹田からだと駅の数は数えるほど、各駅のホームの端にカメラ男がいて、列車を撮り続けているのも「オー」だった。蕎麦とビールと熱燗でほんわかなると歩きたくなって歩いた。夕方はもう暑くなく、ひさしぶりだねえ・汗かかずに散歩みたいに歩くのって。そして京都の街は小さいからまあオンフットで大抵のとこは行けますね。鞍馬や大原なんてとこ除けたら。

 終わって大抵これも京都でメシ喰う場合「和食」だからワインを飲みたくなると困るのだが、ここはいっちょうハナを利かして、スペインバルを発見したからそこで踊り子たちを待つ。元町家だった風なのでそこのオーナーとしばし歓談する。なんでフランスワインそんなに高いの・ねえ・なんてことを喋ってたら踊り子たちがやってきたからカヴァ〜赤へと進む。ばたばたしたが最終で帰る。

 行きは横シートだったが帰りは並んだシートで、これは風向きがJR鈍行旅行へと向いてきたな・と感じる。いやあ実現させたい・スローツアー。JRは新鮮・いやほんとに。「鉄っちゃん」の気持ちがわからんでもなかった。





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2006年08月17日

UN DOS DIAS EM NAGASAKI

 海の上の雲は「もくもく」盛り上がってまさしく入道雲。湾を横切る高速船から見た海と空はなんだか締まっていた。立体的。大阪は平野であるから見える雲にダイナミズムがないんだね。

 関空のための実験で作られたような、そのミニチュア版とも言える海上空港である長崎空港は海にぽっかりと浮かんでいて、着陸前はラ・メールなんて言葉が似合う静かな内海で・小島が点在する大村湾を眺めながら、豊かな気持ちになってしまうのだった。

 そこから高速船に乗る。非常に複雑な地形をしていて海が陸に食い込んでいるナガサキという街まで行こうとするとクルマだとその湾をぐるりと半周しないといけない。所要時間1時間ちょい。なのに高速船なら湾の直径に当たるラインをぴゅー・だ。空を飛んできてその後海をスーッだから、ストレスがほとんどないのだ。12:45伊丹発に乗って14:30には長崎市内に着いていた。なんか速くなぁい?
 
 式見という海沿いの街の白浜という海岸でバーベキューを開催してくれたので、ねぼけまなこで迎えのクルマに乗る。クルマを運転しているのは停学5度の記録を持つ網元のチョーナンのマーボーでバレー部主将のチカオちゃんを迎えに行き、その愛妻に車内からナマイキに会釈をして、現場へと向かうが、途中長崎県漁連の巨大冷凍庫のマイナス40℃体験をさせてもらう。一分いたらきびしい。「回春効能あり」という説もある。自分にあったかどうか・よくわからない。クジラの「尾の身」のブロックを発見してこっそり持って行こうとするが「ちっちっちっ」ダメだって。

 海水浴場に隣接した木陰をゲットいたしまして、そこは海水浴場と少し離れ、階段で海に繋がっている。無粋な「ここまでしか行ったらダメよ」というブロックは目に入るが、海は入り江で波もなく左は海岸にそって小ちゃな森があり、その先には洞窟が口をぽっかり開け、その先を見ると奇岩が海からカオを出していた。太陽は午前中だというのに早くもヤルキー学園で、しかし、おれたち陰にいるからまだだいじょうぶだもんね。ただ、その光は日向にあるすべてのものを輝かせ、海なんてほんとにキラキラしているのだった。網元いきなり泳ぎだす。バンチョーのハシモトはふともも真っ赤。訊けば数日前にも来て「ミナ」という貝を取ってたという。ナガサキのヒトたちはみんなこうやって普通に海と接しているのね。ミナは小型の巻貝で、いつだったか、家族全員が「あたって」全員下痢で、トイレの醜い奪い合いという記憶がある。しかし、ハシモト頭頂部だいぶキタね。

 凍った鮮度の高いイカを海水で解凍して、イカ刺し。ガスバーナーで火を興すが漁師は気が短い。ガスバーナー1を横にして、ガスバーナー2の上に乗っけて「放置」。数ヶ月前に店でガスボンベによる「燃えた男」事件の記憶があたらしいから気が気ではないのだが、停学5度の網元、意に介さない。横目でちらちら見つつ、ビールを飲む。人間小さい感じ。

 イカに始まり、さざえ・鯛・鯖とどんどん焼けてきて、鯛の塩焼きは絶品だったのだが、一番うまいとこ・お腹周りまだ残ってるのに次の皿がないから、と網元に捨てられた。何が貴重かっちゅう話なんだが「郷に入りては郷に従え」の鉄則が波にきらきら。喰うもんはなんぼでもあるっちゅーわけ・ね。
 ワインを飲みたくてたまらなかったが、それも叶い目の前は「パラダイス化」していくのだが、昨夜の深酒がまあまあみなさんボディブローのごとく効いてきているようで、思わず「トシ」に関するさほどポジティヴではない方向の話とかになっていくのだった。

 個人的にはお盆後のなんとなく自分に降り掛かってくるいやな感じのことがふと我にかえれば押し寄せてきたりするが、まあこのような席でみんなの好意を無にするようなことは礼を失する。いや・それぞれみんななんかあるのよ・このトシになると・きっとね。まあなんとかやりすごそうよ。

 そのうちに陽も高くなり、せっかくの木陰も半木陰・1/4木陰化してき、もう限界となる。その頃にはワインご足労願った途中参加の犬連れの英会話の先生やインターナショナルなイナカモンや、年に一度必ず大腸ポリープのできる外資系管理職や世田谷在住の広告屋ヨメもなんか満喫し、このような会を主催してくれた、網元およびチカオちゃんにみんな口に出す出さないは別として「ごっつぁんです」なわけだった。ありがとう。

 あの・目の前にあった海の圧倒的な存在はきっとだれの脳裏にも焼き付いてしまっただろうな・と思う。きっと何かの拍子に簡単に甦っちゃうんだろうな・たとえボケても。
ラベル:
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2006年07月30日

ゆったり・よりはじめて

 アマゾンから大量に買った本が届いた。今日は久しぶりの静かな日曜だから音楽を聴いてギターを弾いて本を読んで昼酒をしてゆっくりするのだ。どうせ明日は地獄の銀行巡りなのだから。

 現実からたまには遠く離れて・だ。どうせすぐにまた追っかけてくるんだから。

 旅がしたい。現実逃避そのものなのだが、逃避もさせてくれよたまには・と言いたいところだ。どうあがいてもどうしようもできないとき、そしてその責任の重圧に耐えられない時・病気になったり狂ったりことを考えるなら「空想」はまだ安全だ。たとえそれが妄想の域まで達していたとしても・だ。

 クルマで・とは思うのだけど、この季節、クーラーが形だけのクルマでの旅行は「熱中症」でコロっといっちゃうと、何もかも忘れられてラッキー!!!ではなくて、まあそのう・そんなこと考えなさんな・ともう一人のおれが言う。いや、クルマはキツい。まあ9月で手放す106ではどこか行っときたいが、こんなに暑いんじゃね。ちょっとムリ。これはあくまで空想ではあるが現実とクロスする箇所が多ければ多いほど、臨場感に溢れるわけ・ね・それが空想であっても・だ。

 と・なると電車・バスということになるな。行ったことのない土地を鈍行列車に揺られたい。駅弁を買って・酒はビール以外は土地の酒屋で仕入れる。クーラーボックスを一つ持っていってその中で適温を保つ。で・土地の旨いものも仕入れてそんなものを飲み食いしながら、決して急がず、そのスローで濃厚な時間を楽しむ。夕方ほどには電車を降り、そこは海沿いの街ならうれしいな・
居酒屋または寿司屋を探す。地のサカナの刺身や煮付けや焼き物で地元の酒を飲む。ワインが置いてあれば「いうことなし」なのだが、それはちょっと期待薄か? でもまあいい。とびきり「うまいっ!!」でなくともかまわん。旅情が味だし、非日常なのだから、通常の味覚とは評価も変わっているからだ。

 そこの常連のおっちゃんとも何となく話するようになり、しかし、アツくなって喧嘩になる前にその店を後にする。宿は、一日目は民宿でもそこに長期働きにきているヒトが泊まるような旅館でもいい。近くに温泉などがあれば「ベスト」だが、贅沢は言わない。持参の赤ワインを飲みながら寝てしまう。翌朝、標準的な朝メシが食堂のようなところに用意され、季節外れだからか、客は自分だけ。

 そしてまた電車に乗り、そこが日本のどの辺りかなどということも極力考えず、車窓を流れる景色だけを見ながら移動する。次の日は少しいい旅館に泊まり、しかし、また夜は街へと繰り出し、寿司屋をさがす。そしてそこには温泉が湧いている。酔っぱらいのまま温泉につかる。酔いを少し冷ました後、また赤ワインを飲み、本を読みながら寝てしまう。どこそこをこれだけの時間内に回らないと・なんていう強迫観念がまるでない旅だ。

 いいと思いませんか?

 出来そうで出来ないし、そんなことばっかりやってると完全に「日本のスピード」からは置いていかれて再起不能かもしらんが、ずっとそんなことも必然的にできないから、ちょーどいいのよ。
自分の時間に対する愛おしさとニヒリズム。そんなことを空想する・日曜日なの。

 
ラベル:電車
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2006年04月10日

プジョー・サーブ&フィアットじゃなくオペル

 お花見日和の日曜だった。総勢11人で妙見山へ。

 おれは106で、ナチュラリーのおっちゃんにサーブをずるっといってもらって、まあその様子を見たかったこともあり、今106が楽しいこともあり、Sミちゃんのオペル・ワゴンに荷物担当になってもらった。妙見までの路は・楽しい。箕面の山入ってからは「ぐりんぐりんカーヴ」が連続し、一人で走ってても楽しいのだけど、基本・団体行動は苦手だが、気心知れたヒトたちと、シフト・チェンジを繰り返しながら上り下りのカーヴをクリアしていくのは楽しい。

 サーブはひょっとしたら手放すことに相成る可能性もあり、主観的・客観的にその様子をまぶたの裏に刻み付けておきたかった。見てると、今のクルマと違い、オープン・トップにした時、ゴツゴツしてるのが、かえってかっこいいな・と思う。途中306カブリオレとすれ違うが比べると4座オープンとしての風格がいいな・サーブは。ラテン好きのアホがもうそろそろ5年になる。結構びっくりする。

 こないだ壊れちゃったが、壊れて絶望的になることのないクルマだった。サーブでマニュアルなのも稀少だ。そうでなけりゃまず乗ってなかったが。途中桜はお満開でそれを両サイドに見ながらクルマを走らせることは、なんだか誇らしい気持ちになることだなあ。途中、峠から見えるとなりの山肌に桜が・ぽんぽんと点在していてその様子はなかなか色っぽい。遠映えのする色っぽさだ。このあたりも和風とはちょいと違う。

 峠をみなさん、それぞれ攻めながら妙見到着したあと、三半規管に難を持つ・MCラムパンペイロがへたりこんどったから、その回復を待って、荷物をエッチラオッチラ抱えて、リフトに乗るが、あいにく妙見山はちーと寒い。ちょうど、前日から黄砂が舞っている。太陽は出ているのかどうか・はっきりしない。どっちかはっきりしてえや・と思うが、はっきりしてくれない。グレー・ゾーンなお天気である。まあ・雨降らんだけマシか。しょうがないから伝言ゲームでも始めてみる。「○○ちゃんのお○○こはホンポー」とフってみる。ちゃんと「○○ちゃんのお○○こはホンポー」と帰ってきた。ちゃんと伝わっている。業務におかれましても、こーいった正しいコミュニケーションでお願いしとくけど。では「○○ちゃんのお○○こはややホンポー」とフってみれば「おっちゃん、好きねえ」と帰ってくる。「ええかげんにせえ」と解釈できる。もう一回「また桜は早漏や」と送ると、「インディアン・シャンプー効いてる?」と帰ってくる。これから形而上学的には面白くなりそうだったのに着いてしまう。その間10分。
seven3.jpg「おまえの花見予想は無意味だ」

 クッキング・センターはまあまあ盛況で、おれたちの相変わらずのぐずぐすにより、ドライヴァーはまあがんばったんだけど、1:30始まりとなる。AイちゃんA希ちゃんが野菜を切りに動き出す。
 今回N井の忘れ物が多発し、「買ったはずなんですけどー」と本人は弁明に必死だったが、ないもんはないやんけ。ワインオープナー・缶切り・オリーブオイル・小麦粉・ワインビネガーと困るんだなこれがないと・A美ちゃんのためにスルメ買いに行ってるばーいじゃないよ・たのむでしか
し・と非難される。

 なんとか器具は調達できたから、オリーブオイルはオイルサーディンの油を溜めて代用。小麦粉はないからシオコショーによるジカ焼き・ワインビネガーの代わりはレモンで酸味。それをつかってマグロのカルパッチョ。牡蠣・エビ・てっちゃんオイル焼き。仕込んできて、シルただモレだったスペアリブなんかを焼いていく。今回持っていった\3980ラジカセはガスファンヒーターの前に一冬置いていたことが祟って、その温風により後ろの部分が「うにーぃ」っと変形していたのだがコンセントだったら動いたから持ってきて電池を入れようと思うが、その部分の変形がさらにひどく「うにゆーっ」となってて入らない。断念して、始めての音無花見と相成りました。

 ま・ある程度予想はできてたのだけれど、妙見の桜は「つぼみ」。ひっとつも咲いとらん・という「未だ春待ち」の状況でした。来週やな・またハズした。

 まあしかし、持っていったラガー24缶ワイン9本も無事に空き、シェフの特別料理「さんまのそのまま焼き」もまたまたみんなの非難を浴びながらも一応喰われ、最後のやさいたっぷり焼きそばやみつきキムチ味も無事みんなのハラに収まり、隣のバカワカモノの「バカ騒ぎ」に11人11様に殺意を抱くが、行動には移さず、もうちょっとゆっくりしたいなぁ、と思う頃には「ほたるのひかり」が流れるという・毎度おれたちにはお馴染みの、しかし、直らん行動癖のもたらす、「あぁ・もう終わり・・・・」な幕切れと相成るのである。

 こんかい特別参加のSミちゃんとN川が「亀頭にアリを一時間這い回されて放置プレイ」みたいな状況になっており、これはその精神状態の例えですが、そんな状態になっていて、以前ならボウリングとか行っとったりしたのだが、「それもなあ」だったのでマルタニ塾で「オトナ塾もどき」で飲み直しということになり、帰りは106が先頭を走り、前もまあまあ空いてて、タイヤを鳴かせながら、そのスパルタンな走りを堪能したわけだった。フレンチ・ピッコロはいいよ。しかし、ずるっときてるサブちゃんもしっかりついてくるわけだった。Jんが一瞬「おえー」となっとったみたいだが、また復活していた。N嶋は寝っぱなし。アタマ打ったとこ大丈夫か?

 マルタニ塾にて飲みながらあーだこーだ言う。勝手に寝るやつもいたりして、ほんぽーな状態のなかまたワインを開け、4月のおすすめなんかの味見をしながらも本格的に飲んでいる。

 N川の「ホメ殺し」に合い、興が乗って何曲か歌っていると下の「眼鏡の菅井きん」から苦情が来た。ホメ殺しは更に続くが、ちょっとそこから外そうなんて思ってちょっと「演説」しすぎた。みなさん・ごめんなさい。それでもまだ1:00とかで、おれたちの感覚からいくと宵の口。しかし、なんだかんだいってもう12時間近く飲んでいるわけで、お開きにしましょーか。

 みんな帰った後、鍵が何処にも見当たらなくてアセってると、N井が突然やってきて、「鍵もっていってました」持っていってました・てどーいうことやねん。ようわからんことが起こるのである。クーラー邪魔やぞ・取りに来いよ。

 さて、次そのような機会があるとするなら、秋のトドムンド大旅行である。行けるといいね。みんなでがんばって行けるようにしようよ。今回も楽しかった。
  
posted by 浪速のCAETANO at 12:42| Comment(2) | TrackBack(0) | ツアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする