バカ田大学から六甲の山上の(今年まで)女子大までは下道で2時間弱かかる。
BGMは「Raising Sand」Robert Plant / Alison Clausが鳴っていた。昼間の看護師さんからは「食べ物・飲み物を受け付けてくれない」そんなメールが来てた。なんか「ストローを噛んで摂取拒否」していたらしい。朝のセッションではおむつ替えにものすごく「抵抗」していた。鬼の形相・だった。陰部が「爛れています」と報告があった。これが毎日続くのは「辛すぎる」なあと思った。
そして昼・のストロー噛み事件。いつもは寝返りを打ってこちらとあちらにあるベッドのバーを持って安定を図らないと寝てもいられない。そんな様子だった。
それが、おれが梅新あたりを走っている時に見たお袋は上を向いて夏掛け布団を「ちゃんと」着て眠っていた。まるで誰かに丁寧に掛けてもらったかのようだった。おれは「生存確認」には画面をアップにして「胸部の上がり下がりを画面の揺れによって確認する」方法をとっていた。
その時は揺れだけでもなく確かに胸部は上下していた。朝方のやや苦しそうな大きな息ではなかったがこれまでもそんなことはあったから「大丈夫」と思っていた。クルマ運転しながらだから確認には限界もあり、昨日はまあまあR2混んでいた。到着がギリギリっぽかったので運転に集中していた。16:30始まりのところ、16:20ごろの到着だった。でコーヒーを買いに行き、授業を始めたがスマホは音声を落として画面だけを見ていたのだが、16:30のヘルパーさんが微かに「母の名前」を呼んでいるのが聞こえた。その声に応えない母親におれも違和感を感じ、ヘルパーさんとおれのメールが「交差」した。
ヘルパーさんのメールには「意識がありません。心音はしてます」とあった。急遽、看護師に連絡する。10分後に到着し、臨終を確認し、医者を呼ぶ。
母は、in my opinion、「死のうと思って死んだ」「もういいと思った」。意志があった・そんな気がしている。
死に姿がこう言うのもなんだが「美しかった」のだ。
今、母をwatchしていたカメラにはおれ「以外」のみなさんが集っている様子が見えている。彼らはこの数年のおれの「無間地獄」のような日常は、知らない。まあ、楽しくやっている。ハゲ比率高いな。ハゲ家系なんかい・
昨日、ちょっと店で飲みすぎた。今日の授業は、、、酷かった、だはは、ごめんちゃい。ただ大学はそうでも日曜の EJU対策のテムールンくん・ミラーンちゃん・オルギルくん・ハンガリドくんのためにはちゃんとやったで。是非頑張っていただきたい。venueは阪大ですね。
お通夜・葬儀は土日だが、おれが行けないことで母はもう1日だけ家にいれる事になった。看護・介護の方々が訪れてくれていた。本当に献身的な方がいらっしゃって、思わずカメラ越しに声をかけて、二人で泣いてしまった。
ほんまに早く太郎総理になって介護職100万円給料アップをしないといけない。そのインターフェイスは「過酷」である。インターフェイス現場にいる人こそ「尊い」。おれはその実感をこの2~3年間でいやと言うほど味わった。
ちょっと「腑抜け」になってしまっている。明日から喪主の日々であるのに。まあ言うても2日やん・とも言えるがそのあとまたこっちの無間地獄(と言ってた@2023)がまだ半分残っている。やる事少なくなって、楽になるはずなのに、なんか今日は「腑抜け」だった。二日酔いであることを祈りたい。
まあおれ、還暦すぎて突然マザコン・みたいな状況になってたからね。そんな気はないんだが、愛情の対象が母の晩年に「他と」被らなかった・そんな奇跡があったわけで。
別れた妻からは「素敵な方でした・・・・・・」
別れた前の前の彼女からは「長崎での楽しい思い出は鮮明に覚えている」そんなメールが来ていた。
もう彼女たちはおれを通り越してずっと大人であるかのような気がした。
山形健次郎にも連絡した。何かしら過去の栄光的なものを残したい・そう言っていた。だいぶ舌もつれとったが。寺山と山形とたきこ。母を連れて北海道大名旅行できて本当よかったな。
今家にいるおれ以外の者たちは、「母」であるとか「ばあちゃん」であるとかの意味をたきこに押し付けすぎていた。まあそれに乗るから相手もチョーシこくんだが。
おれだけはそんなたきこを「母」と言うより、まあもちろん母は母なんだけど、表現者と見ることもできる。
特に言葉のセンス。特に高尚とかではなく、そんな時もないではないが、平易な言葉遣いの中に鮮烈な「感情」が見え隠れする。その感情の「昇華」の仕方が見事だったりする。というか、他にない。堀内薫・橋本たか子・山口誓子の「直系」の弟子であるという強い自負さえあった。
その俳句ができなくなった時が「たきこの1度目の死」だったのだと思っている。。肉体の死を迎えるここ数年は普通のおばあちゃんと言うにはなんかちゃうが(それは看護・介護の方も感じていた)だがやっぱり余生だったのかな。余分な生・という意味の。
母を買ってくれていた人々もどんどん亡くなり、それと呼応するかのようにだが、一般的な・世間における俳句自体も「J」っぽくなっていってた。おふくろの本音は「しね」だったことを期待したい。もうちょっと別の言葉を使うだろうが。
伝説的俳句結社「牧羊神」そして七曜の同人として、そういう華々しさといぶし銀を同時に持つ経歴って長崎においては「貴種」であるからね。全国的にもそうそういない。まあ俳句自体が「マイナーな詩」という側面はあるにせよ。そうでもないんじゃないかな最近は。底堅いものも感じてた。おれは母との「弟子」になるのが嫌で、手を染めなかったが、いいのか悪いのかそれはわからない。
おれは作詞家・別ジャンル、とかいうてたおれが小さかったという気もしている。
その時代が一番幸せそうだったな。。長崎新聞社にも「顔」で出入りしていたね。ファンがいっぱいいたから。ちょうどおれと「仲悪い」時期ね。あかんやん。そういうことへの「罪滅ぼし」の意識があったのだろうか、おれの中に?
まあしかし、母は「亡くなった」。おれ、たきこは「不死身」だと思ってたんだよね。何度「これで最後かもしれない」と悲壮な思いで実家を後にしたことだろう。10回20回では済まない。だがその度に「復活」していたからね。
「余命」も一年ほど伸びた。おれが杖ついて実家へ行った去年の今頃、もう「あかん」と言われてた。米寿も無理だろうと言われてた。米寿plus 0.5いったやん。
もう母親とは話できないが、瞑想するとマントラに乗って連れて行かれた先で「会話」できそうな気がしている。おれ別にスピリチュアルはいっちゃいないのよ。
まあしばらく「まともな」会話できてなかったから。
さて明日一番の新幹線で長崎へ向かおうと思ってます。無茶早起きや。頑張っていただきたい・おれですが。