謡曲とは室町時代に「観阿弥・世阿弥」が傀儡(くぐつ=平安以降に出現した各地を放浪する芸人たち)の歌謡であった猿楽の原本などを典拠として編集し直して作ったものなのだが、西暦1000年以後の文学が題材となるもの以外に西暦600年ごろのものもかなり多く混じっている。
600年ごろ・とは当然白村江以前である。つまり、近畿に王朝はなかった頃・九州王朝の時代。
万葉集もその選と解釈において・無理やりの後付け・がなされた典型であるけれど、九州の歌人・柿本人麻呂は追放され、近畿王朝の御用歌人・山部赤人の天下となった。
近畿の王朝(7世紀末以降)のプロトタイプは『全て』九州にある。寺の存在から「地名」に至るまでにそれは周到で(四天王寺や難波がわかりやすいが)、王朝が替わる際には、政治だけではなく宗教も文化もまたその王朝を権威づけるために替えられる。新たな説話が導入されたり、要は新たな Narrativeが必要となる。それは近畿王朝だけのことではなく九州王朝にあっても出雲王朝を倒した際に多くの説話が作られたことと相似である。そのいくつかは生き残り補強され、神話となり定着する。
厄介なのは、近畿王朝の作ったfakeはその後・現在に至るまで修正されてはいないということだ。それが「最終の・fakeだがlatestの正史」として1300年間定着してしまってるという悲劇がある。
1919年生というからもうお亡くなりになっていると思うが、新庄智恵子さんという方がいらっしゃってその著書『謡曲の中の九州王朝』というテキストの中で、後の簒奪王朝において「手を加えられずに残った」九州王朝の残り香が「言葉」として残っている部分を数々指摘されている。
「変えられない事実」もある。説明のつかない事柄もある。例えば「大和朝廷」にないものをバカ学者がChinaの朝廷を真似たもの・なんていう「膝カックン」な解説をしたりしている「鶴亀」だが:
<鶴亀>
こういうものをアップするとは夢にも思わなかったが・・・・・。
月宮殿の白衣のたもと 月宮殿の白衣の袂 色々妙なる花の袖 秋は時雨の紅葉の羽袖 冬は冴え行く雪の袂を 翻す衣も薄紫の 雲の上人の舞楽の声々に 霓裳羽衣の曲をなせば 山河草木国土豊かに 千代万代と舞ひたまへば 官人駕輿丁(かよちょう)御輿を早め 君の齢も長生殿に 君の齢も長生殿に 還御なるこそめでたけれ
後半に謳われる「官人カヨチョウ・御輿を早め」、カヨチョウは地名ね。山川の「福岡県の歴史」にある。「舞」はこちらの国のもの。中国の皇帝にも見せに行ってる。
天皇(君)自ら舞っている。絹の白衣の上に薄紫の袴をつけ、白羽二重の上衣軽く羽織って、舞うたびに大きなふもとが翻り、薄紫と白の調和が大変清楚ながら優美である・と。Chineseの感性ではないよね・こういうの。
鶴と亀、ついでに言うと、松・梅もまた九州王朝のシンボルであるね。お正月の<鶴亀>。
天皇は正月行事として神社へ向かう。香椎宮へ。その帰り、天皇の神輿は人々の見送りの中、カヨチョウまできたら突然向きを変え、足を速め千代の(博多の)御殿へ。









