2021のParisでのCaetano Veloso のAo Vivoを再見していた。
Cajuina,Blanquinha,Voce e Linda、Luz do Sol、Deste que o Samba、O Leaozinho、Terraなど演ってる曲がかぶっていた(て、お前誰やねん・だはは、失礼)。
ガット・ギター一本の清々しくも神々しいAo Vivo。何年か前のNHKホールの感動が蘇ってくる。
Caetanoは右手の「置き位置」が綺麗だな。実はおれ、中一の時、クラシックギターを習いに行っていた。2ヶ月ほどしか「モタなかった」が。当時のフォーク/ロックへの憧れとあまりにかけ離れた「おっさんくささ」に耐えられなくなったからなのだが。今思えば「両立」できてたら良かったのにな。無理か。若い頃って視野狭い。アホだ・ちゅうことだが。
いやその時の「先生」の右手の置き位置とそっくりで、高度な爪引きにはそのポジショニングは不可欠なのかな・とも思う。自分の置き位置はよくわからない。客観的に見た事はないから。けど、まあまあ綺麗なのではと思ってる。まあまあ「自由」に弾けるからね。
自由に弾くには、脱力して無駄な力が入らないようにしといていざという時、8・16・3連などにflexibleに対処しないといけないからさ。
Caetanoはbossa色が極めて強くない。おれがスッと入っていけたんも、それがあったからなのだなあ・と今思う。ロック/ニュー・ウェイヴ脳というか耳というか、まあおれもかなりflexibleな方だとは思うが、今(当時)Caetanoを取り込もうと自分の無意識が思ったんだろう。
OdeioとかReconvexoとかチャレンジしたい曲はまだまだある。「Ce」のアルバムとかCaetanoの『punk/new wave』とも言え、最高にかっこいい。ペドロ・サーというスーパー・ギタリストが一緒だが、おれにも北村先生がいるしね。
ニール・ヤングのことを思う時常にnostalgiaが混ざるが、Caetanoの場合は「現在進行形」なんだよね。自分の話。
こういう背景と過程と成果を持ったミュージシャン(というかArtistというに相応しい)って唯一無二なのだけど、ロックを包摂した広大な音楽fieldを示してくれる人は大変貴重だと思う。貴重の一言以上の存在だが。
ギター一本で鑑賞に耐えうる曲だらけの90分である。
posted by 浪速のCAETANO at 09:29| 大阪 ☀|
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CAETANO VELOSO
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