
日本社会の特性として法律とかで何かを規定すればするほどみなさん「思考停止」に陥ってガチガチになってしなやかさがどんどんなくなっていく。
ライヴドアのことも憲法問題も禁煙問題も全部そこ。欧米の思想のガワだけ受け入れたツケが回ってきてるというか。
禁煙の店・場所多くなってきたねえ。そのオール・オア・ナッシングな思考ってなんなんだろ? 明文化とはアホのすることであって、逆に明文化することで抜け道ができ、それへの対処はローラーでびーっと全部潰すみたいなさ。原理主義者も増えている。そりゃその方が楽ですよ、随分とね。店内オール禁煙なんてまさにそれよ。それには無自覚で無遠慮なばかが原因であったりするわけだけど、自覚もしてて遠慮もある人間は犠牲になっていくわけだね、これがまた。棲み分け・分煙というのがこの場合の智慧であるね。
精神的・肉体的閉所恐怖症の身としては明文化されるとどうも不自由である。「自由になるには不自由を体内化するしかない」のはわかっちゃいるが、ひとつ枷が増えた感は否めない。
アホのくせにかしこくなったくせにやっぱりアホっちゅう現象はこの社会から猛烈な勢いで「智慧」が消滅していっていることが原因だろう。
このときはこうすればいいという対処療法ではピンポイントの問題にはバッチリハマるが、問題が無限にある場合にはその対処の仕方も無限にあるわけで、そんなのいちいちおぼえてたら気が狂う。だからひとつのことをガチガチに考えないでらくーに構えて考え方に「しなり」を持たせることで100%の対処はできなくともなんとか及第点の解決法を導く。これが「智慧」である。「じゃあ、そのやり方を教えてよ」なんて聞こえてきそうだが、こんなことこそ、明文化は絶対ムリな話。それは言葉にできないんだけども、なんていうかなあ、「肌」で分かっていく感じ。
時々、アカデミックではないオンナのヒトで(別にオトコでもいいが)勘も鋭く、本なんか読んでないくせにそこんとこ、ばしっとど真ん中突いてくるひとがいたりするが、そういうの智慧の産物だと思う。
最近高学歴者の犯罪も多いが、それって知識だけあって智慧がないっていう典型的な現象だろうね。








